表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/18

17


###################


【 メ・リフェ島 最北端  

        「聖所の入り江」 】


 垂直に近い角度で切り立った断崖を、

 秘密の小道を伝って、三人は船着き場まで降りてきた。

 リリアとわたしと、そしてまりあと。

 深い岩場の底に、黒青色の石を刻んだ岸壁と、ささやかな入り江があった。

 二艘の黒の小舟が、そこに浮かんでいる。

 そのうちの一艘のロープを解いて、まりあがわたしに、乗るようにうながした。

 海のうねりが、かすかにボートを下から上へと押し上げる。わたしは揺れるボートの上に立つ。リリアもとなりに乗りこんだ。

「じゃ、元気でね、カナナ。リリアも―― ごめん。ほんとの名前は知らないから、とりあえずそれで呼んじゃう。カナナもリリアも。あっちで、元気でね。もしもカナナがバカをやりそうでどうしようもない時は、ぜひ、リリアが、カナナを止めてやってね」

「ちょっとまりあ。わたしを何だと思ってるの??」

「冗談、だよ。もちろんあんたは大丈夫。そんな無茶は、しない、よね?」

「いろいろ、ありがとうございました」

 リリアが律儀に頭を下げた。

「ここでいろいろ、してもらったこと。見せてもらえたこと。わたしは忘れず、全部、持って帰ります。」

「ん。そうしてくれると助かる。ついでにカナナも、あっちまでお願い。途中で引き返すとか言って、島に戻ろうとしたら、リリアが、殴ってでもいいから、とめてやってね」

「ちょっと! さっきから。最後のお別れなのに! そういう話、ばっかりじゃない!」

「ばか。あたしは涙とか、苦手なんだ。空気読みな。これでもムリして、こらえているんだぞ?」

 まりあの声が、最後は少し、うらがえり、

 大粒の涙が、金色の瞳の上に盛り上がった。

「元気で。カナナ。来てくれて、ありがとう」

「おねえちゃん――」

 ふたりは強く抱き合った。雨が世界に降りている。冷たくもなく、暖かでもなく。温度を持たない中立な雨が、二人の身体にふりかかる。リリアもそばで、小さく鼻を鳴らした。


 それからリリアが、舟をすすめた。

 霧が出始めて、島は、まもなく霧の向こうにかすんで、やがてもう見えなくなる。今では見えるのは霧だけだ。白一色の世界。波がうねり、うねり、しぶきが舞って上下にボートを揺らせていたけれど、リリアはしっかりと前方に定めてボートを進ませた。

 霧がひときわ深くなったところで、

 ポンッ、という、いささか場違いな電子音が響き、

 二人にどちらも見える形で、視界に赤字でメッセージが表示された。


『メ・リフェ島の近海フィールドから、出ようとしています。フィールドへの再エントリーはできません。本当に、フィールドの外に出ますか?』


 リリアが指で、『はい』を選択しようと手をのばす。

「あ、待って、リリア!」

 わたしは無意識のうちに、リリアの腕を強くつかんでいた。

「アリーさん…?」

「少しだけ。待って。まだ、押さないで」

「でも――」


 そのときわたしの心に押し寄せてきた突風のような感情は、とても言葉では言い表せない。二つの声が、激しくそこでせめぎ合っている。戻れ、という声。戻って、まりあと、一緒に戦うんだ。ずっとずっと一緒に。二人で一緒に。ふたりはもう、離れたりは、してはいけない。ここに残るのよ、カナナ。ここがあなたの場所だよ。わからないの??

 戻ってはダメ。もう一方の声が言う。あなたは、ここを、出て行くの。それが約束。それがまりあの、希望、でしょう。それはわたしの希望でもある。だから。戻ってはダメだ。そこはまりあの世界。そこはフォーの統べる世界だ。わたしの場所は、また別にある。そこで、わたしは戦うんだ。わたしはそこで。わたしだけの、わたしひとりの戦いを――

 戻りなさい、カナナ。今ならまだ――

 戻ってはいけない。行くのよ、カナナ。行きなさい。

「アリー、さん、」

 リリアがわたしの腕を、そっと、しかし力をこめて、握りかえした。

「まりあさんは、行けと、いいましたよ。」

「うん。」

「だから。行きましょう」

「うん。」

 わたしは泣いていた。

 涙がもう、止まらない。止めることができない。

 わたしは泣いて、涙で、のどを、つまらせながら、

 それから大きく、腕で顔の涙を払い、

 それから指で。左の腕を大きくのばし、その指の先で。


『はい』を選択。


 警告メッセージは解消して視界はクリアになり、

 ボートはいつしか、霧の外に出ていた。

 空一面を雲が覆い、そこに太陽は見えなかった。

 ふりかえると、そこには広漠とした海霧のおおう海域があった。

 そのさらに向こうに、フォーの島が、あるはずだ。

 でももう、戻れない。わたしはもう、そこに戻らない。




###################


【 パフィン海 北部海域  詳細位置不明 】


 わたしはリリアにかわってボートの前に立ち、

 ずっとずっと先、可能な限りの海の向こうを視線でターゲット。

 ボートを前へ、進めた。見わたす限り、海の上には何もない。

 ひたすらに暗い色をした陰気な北の海が、はるか先まで広がっている。

「アリーさん、出ました」

「え?」

「ログアウトのオプションです。ユーティリティーの選択肢が。ほら。生き返りました。点灯しています。抜けたんですね、本当に。わたしたちは」

「うん。そっか。出れたか。」

 わたしは何だかドッと疲れて、舟の底に、座りこんだ。

「終わったんだね」

「はい。」

「ん。そうか。これで、家に、帰れる、わけか」

「あまり帰りたく、なさそうですね?」

「だね。うん。帰っても、あそこに誰もいないもの。暗い、みすぼらしい、安い部屋のみじめな暮らし。そこがわたしの家だから」

「でも、」

「ん?」

「あとで、ログアウトのまえに。住所とか。メールとか。教えて、頂けますよね?」

「うん。いいよ。もちろん。」

「ですから。少なくとも、誰かはいます」

「え?」

「わたしも、そこの住人ですから。同じ世界の、仲間です」

 わたしはリリアを見返した。

 リリアの、大きなつぶらな輝く瞳を、はじめてこの近い距離で、とても深く、いま、わたしは見つめて。そこにある光に。気づいた。きれいな目だと思った。とてもきれいな。

「うん。ありがと、」

 わたしはリリアの右手を、わたしの左手で。そっと、軽く、触れて、それから静かに、包み込んだ。その手を握った。少し、強く。

「でもあれだね、リリア、」

「はい?」

「リリアは、けっきょく、一回も撃たなかったよね、それ」

 わたしは視線を、そちらに振った。

 リリアの背中のロングボウ。光のないこの雲の覆う海域の上でも、その弓は、見とれるくらい綺麗に輝く銀色だ。

「アーチャーなのに。一回も、撃たなかったね」

「撃った方が、よかった、ですか?」

 リリアがわたしの顔をのぞきこむ。

「ん。いや、ちょっとね。今、言ってみただけ」

「もしあれでしたら、いま、海のどこかに向けて、撃ってみてもいいですよ?」

「いや。撃たなくていい。というか、たぶん、リリアはそれ、撃たない方がいい」

「…そうですか?」

「うん。たぶん、あれだね。役割とかって、それぞれ違ってて。ほんとの意味での武器で戦う、まりあみたいな役目もあって。でも、あたしとか。そしてリリアも。たぶん、また、きっと、別の何かがあるんだね。そこには別の戦いが。なんか今は、そう思う」

「別の――」

「うん。戦うっていうことは、何も、殴ったり、撃ったりするだけじゃなく。きっといろんな、戦い方がある。だから。リリアは、たぶん、撃たない方がいい。そういうキャラじゃ、ないんじゃないかな。たぶん。わからないけど」

「わたしはたぶん、ゲームとかは。あまり、向いていないと思います、」

「うん、」

「でも。ほかに何か、できることがあると思います」

「うん。」

「アリーさんも。」

「わたし?」

「はい。きっと何か、たくさん、できることがあるでしょう?」

「ん、どうかなぁ?」

「ありますよ」

「ある?」

「はい。あります。必ず」

「うん。そうかな。そう、思いたい」

「あります」

「うん、」

 暗くなりゆく世界の中で、リリアとわたしは、

 固く、しっかりと抱き合った。

 波が、舟を揺らしたけれど。

 風が、二人に吹きつけたけれど、

 二人は固く、体をよせて。

 長い時間、その海で。

 どこでもない、そこで――

 リアルと虚構と、そのほかのどこかの、ただ中で――

 ずっとずっと、そこで。

 果てしない世界の片隅の、その名前のない海の上で。

 ふたつの魂は、いま、とても、近く。

 とても二つは、近い距離で。

 それぞれの温度を、とても近くで、感じていた。

 とても近くに。もう、この指で触れられる、その近い場所に。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ