表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/18

16

###################


【 メ・リフェ島北部 

   「色のない水」北端 】


 「色のない水」を踏んで、ヤンカの一行が聖所に近づいたとき、イーダは西の塔の上層、南側に張り出したテラスに立ち、少し上から一行を見ていた。先頭を行くのは短い金色髪、赤系統のバトルドレスに身を包んだヤンカ・ヤンカ。イーダの戦友であり、もっとも頼れる島守りのひとりとして、好意にも似た感情をひそかに抱いてはいる。なのでイーダの表情は、この時点ではかすかな微笑と言えるものだった。

 しかし彼女の微笑は、まもなく消えることになる。問題は、あとにつづく二人の少女だ。ひとりは乱れた赤色髪で、軽装のチュニック、手には赤のオーブの杖。ビジュアルから判断すると、炎系の魔法を操る「メイジ」に違いない。そのうしろ、戦闘とはおよそ不釣り合いな可憐な容姿の銀色髪の美少女が続く。エルフ系のとがり耳、背中に背負ったロングボウが、彼女は「アーチャー」だと自ら告げている。


 もとともとイーダは、自分の肉体を武器とせず、もっぱら遠距離の魔法攻撃に頼るメイジを、心のどこかで軽蔑している。「チートを使う虚弱なやつら」と。そう思っている。また同様にアーチャーに対しても、あまり良い感情は持ってはいない。接近戦にめっぽう弱く、距離をつめれば途端に無力化されるアーチャー戦士を、イーダはひそかに、毛嫌いしていた。「弱いくせに、小賢しい」と。じつは過去の戦闘で、ロングボウで固めたアーチャー兵団に対し、接近戦こそ我が戦場と自負する「三本カタナのイーダ」は苦戦を強いられ、敗北に近い戦いを経験した。その時の苦い記憶が、アーチャーの戦力をリスペクトする方向には向かわずに、ただ、「忌わしいやつら。うっとおしいやつら」と、ネガティブな感情だけが残ってしまった。このあたりに、イーダの、戦士としての心の弱さがあるのだが。このことにはまだ、イーダ自身は気付けていない。


 しかし今、かすかな不愉快の感情をイーダの中に呼び覚ましたのは、何もその、二人が属するジョブの種類だけが理由ではなかった。ヤンカ・ヤンカが連れてきた二人の客人の、その、驚くべきレベルの低さだ。それこそが理由。

 ひとりは13、もうひとりに至っては、レベル3。

 いま戦時にある、この最北の島を舐めている、という強い気持ちが最初に浮かんだ。が、しかし、彼らはあくまでゲストだ。この島の住人が招待を出し、むこうから、はるかな距離を来てくれたのだ。そして、島の住人の客は、すなわち島の主、フォーの客人、でもある。

 この点をあらためて意識して、イーダは、最初に感じたなかば本能的な嫌悪感を、自分の意志でぬぐいさる。彼女は意識して口元にかすかな微笑を貼り付けて、黒青に鈍く光るイベリス鋼の螺旋階段を踏んで、地上のレベルにまで下りてきた。 


「ずいぶん早かったね、ヤンカ・ヤンカ」

 イーダが最初に口をひらいた。

 水におおわれた石の前庭の中央に立ち、涼やかな立ち姿で三人を出迎える。

「てっきりもっと、家族団欒かぞくだんらん、とか? そういう庶民的な何かを楽しんでるのかと」

「ふん。あんたに甘いところを見せたくないからね。つい、意地になって速攻で来ちゃったわよ」

 ヤンカは言って、まっすぐイーダのそばに歩み寄る。

 イーダが差し出した手を、バシッとヤンカが勢いよく握った。

「東の浜では、よくやってくれた。評価してるよ、ヤンカ・ヤンカ」

「ん。ま、そういうあんたも、ネイ川の方ではけっこう暴れたようね」

 ふたりは強い視線をかわす。笑いと、敬意と。それ以外の、何か強いもの――

 信頼、と。普通は言ってもいいものだが。

 しかし二人は、その澄み切った言葉をそのまま受けいれるほどには、それほど素直な性格ではない。ただ、「こいつだけは、信じられるな」と。お互い、心の中では認めている。もちろん言葉で、それを相手に伝えるつもりもない。

「西の塔の詰所に、いま6人が来ている。」

 イーダが、薄紫の髪を風に流した。とぎれない雨が、髪の表面で小さな水滴となり、すぐに砕けて消えて行く。ここでは雨は、本当に髪を濡らすことはない。あくまでビジュアル上のエフェクトだ。

「あと14人は、まだね。だから少し時間がある。必要なら、休息を。会議を始めるとき、鐘を鳴らす。それを合図に、詰所に来て」

「ん。じゃ、それまでは、ゆるく過ごさせてもらうわ」

 ヤンカが言って、ちらりと、後ろに視線を送った。

 視線を受けたメイジのアリーは、何か小さくうなずいた。

 姉妹の間で、何か、言葉にならない言葉のやりとりがあるようだが、二人以外の外からは、それが意味することは不明だ。ただ、感じとしては、安堵とか、よかったね、とか。それに近い感情。基本のところで、二人はまだ、二人の時間を終わらせたくないのだろう。そこの部分は、少しはなれた距離から見ているリリアの目からもよくわかる。

「えっと。そっちの、アーチャーの子が、リリア、よね?」

 イーダがそちらに視線を向けた。少し鋭い視線。敵意はないが、好意もない。フォー様が言うから、仕方なく、あなたを迎えたのよと。その目ははっきり告げているようだ。

「あなた。すぐ、フォー様の広間へ。何か、話があるそうよ」

「フォー様…」

 リリアはかすかに首を左に傾けた。あまりその名前が意味するところ、フォーとの面会が彼女に何をもたらすか。つかみかねて、やや不安そうだ。じっさいイーダにしても、なぜ今、あえてフォーがこの娘を指名して会おうとするのか、そこの理由がわからない。やや、不愉快。いくばくかの嫉妬のような気持ちを。娘に少し、感じていた。こんな娘に、フォー様が、いったい…?

「さ、こっち。案内する。中まで入れるのはリリアだけ。悪いけれど、ヤンカと、妹のその子は、ここに残って」

 それ以上の説明はせず、イーダはくるりと背を向けると、足早に、正面、聖所の本館のエントランスにむかった。リリアが、少し遅れて、イーダのあとにつづく。



###################


 高いアーチ状のエントランスは、黒青色の金属で出来ており、精緻な幾何学模様の彫刻が細部にまでほどこされている。そして、水が―― エントランスをくぐると視界が少し暗くなり、頭上から無数の水滴が落ちていた。さきほどまでの外の雨粒よりも大きく、ひとつひとつがはっきりとした涙のしずくの形をとり、すべては無音で、虚無のように暗い建物の上層から、こちらへと。音もなく水が降っていた。

 濡れて青光りする金属製の、今にも折れそうなくらい繊細に作られた優美な螺旋階段を、イーダはひたすら登ってゆく。リリアも、遅れぬようについていく。どこまで登っても階段は尽きない。ひたすらに、ひたすらに。円を描いて、上へ、上へ。途中でここが、地上のどこなのか、世界はいま、いつどの時間を刻んでいるのか。すべてが曖昧で、自分の存在が、どんどん希薄になってゆく。そのような、不安―― いや、それはあるいは、安息、なのかもしれない。自分がうすれ、かわりに、何かに包まれる。遠い昔に、どこかでこれと同じ気持ちを味わった気がするのだが。ほの暗い螺旋階段をひたすらに踏み、同じ動作を反復しながら、リリアは、その記憶がいつの記憶かを、とうとう思い出すことはできなかった。階段は、まだ続いた。リリアは踏んで、踏んで、そして――

「着いた。」

 イーダが足を止めた。

 暗い部屋、壁がどこかもつかめない、漠然とした暗闇の中にひたすらに水のしずくは降り続け―― その水の膜のむこうに、ひとつの扉があった。扉は黒い金属でできており、周囲の闇と、見分けることが難しかった。かろうじて、その片側が、人ひとり通れる程度に開いていることが、リリアの場所から見てとれた。隙間の向こうは、ここより深い、また、あらたなる暗がりだ。

「さあ。ここからはひとりで行って。わたしはもう行く。あとはあなたが、フォー様と、じかに話をしなさい」

 イーダはそう言って、今来た階段をおりてゆく。その口調、そしてその去りゆく後ろ姿に、ごくかすかな怒りの気配を感じたけれど―― イーダが発する感情とも呼べないその気配、それを作った理由が何なのか、リリアにはわからない。ただ、少し、気が沈んだ。あまり自分は、ここでは歓迎されていない、のかも。


「来たか、娘」


 扉の奥から声がした。

 光る声、だと。リリアはそういう言葉を心に浮かべた。

 聖所の暗がりの中、その言葉だけが、たしかに光を放っている。

「こちらへ。怖れることはない」

 その言葉に導かれ、

 リリアは扉の向こうに、ゆっくりと足を踏み入れた。

 動きを感じる。

 無数の何かが、そこで、かすかに羽ばたいている。

 リリアの目には、何かは見えない。

 ただ、暗闇の中を、何かが舞っている。

 その羽音、かすかなはためきがつくりだす空気の動きを、リリアの五感が感じていた。

「遠くから、来てくれたのだな。」

 フォーが、そこに立っていた。

 いや。浮かんでいる―― のか?

 暗闇が深く、どこで床でどこまでが壁なのか。

 視覚の上ではわからない。

 ただ暗闇の、中心部分に――

 かすかな金色に包まれて、フォーが、そこに、たたずんでいた。

 黄金の髪が、右に、左に、見えない水の流れに押されるように、大きく波打っている。

 そして、フォーの身体を包んでいるのは、無数の黒い蝶。

 まるで蝶だけで織り上げた黒のドレスのようだが――

 それを形作る蝶のひとつひとつが、たしかにそこに生きていて、かすかな羽ばたきをその場所で繰り返す。その、動き続ける黒の衣、蝶のつくる黒衣に、フォーの小さな体は包まれていた。まだ少女と言ってもよい年齢。手足のつくりは細く、つよく握ると、もうそこで壊れてしまうのでは、という脆さを、リリアはそこには感じ取る。

「いろいろ、伝えたいことはある。だが、短く言おう。あまり多くの時間はさけぬ。いま、島は戦時にある。遠くから呼びつけて恐縮ではあるが。手短かに、語らせてくれ」

「話、とは…?」

 リリアがはじめて口を開く。

 その声は黒い深淵の奥にすぐにすいこまれて消えたが―― たしかにそれは、意味のある言葉としてフォーの耳には届いたようだ。フォーの唇のはしが、わずかにほころんだ。

「弟、のことだ。おまえの大切な弟。去る月に死んで、もとの世界をすでに去りし魂の話だ。わたしの言葉の、意味はわかるか?」

「はい。なんとか――」

「うむ。その、弟だな。名は、こちらの名ではアント・フォルマ。もともとあちらでは、シマギハラ・イツキ。その名で間違いないか?」

「はい。それは弟… です。今から三か月前、事件に会い、命を落としました。」

 リリアが懸命に言葉をつなぐ。

「あの―― 弟は、それで、今、どこに?」

「うむ。言いにくいことだ。だが、言わねばなるまい」

「言いにくい?」

「そうだ。アント・フォルマは、たしかにここに受け入れた。その者の肌のぬくもりを、わたしは今でも覚えている。この手で彼を、ここに取り上げたのは。他ならぬわたしだからな。忘れるはずもない。が。悲しいかな。アント・フォルマは、また、去った」

「去った…?」

「うむ。消えた。ふたたび命を落とした、と。そう言ったなら、わかりやすいか?」

「命… えっと。それって、つまり――」

「死んだ、のだ。消えた。ここ一昼夜の、島をめぐる戦闘の中で。戦に巻き込まれた。島の東の、タスコの町の夜祭りに、ほかの子供らとともに、遊びに出かけた。が。そこに襲撃が来た。アントはそこで、逃げ遅れた。その夜、そこで命を落とした者は二十七を数えた。アントはつまり、その中にいた。そういうことだ」

「そん――な――」

「ここはあくまで、かりそめの場所だ。永遠に命を、つなげる場所ではない。この場所に生き、ここでまた形を失った者は――」

 フォーは言葉を止め、暗さの中でたたずんで――

 そして視線を、わずかに上げた。暗闇の中を、色なき蝶が、無限の羽音となってさわいでいる。かすかに空気が動く。かすかに空間がゆらぐ。

「つぎの場所へと、移行する。それが正確にどこか。私もじつは、知り得ない。わたしもまた、この世界の理を、すべて究めた者ではない。だからわからぬ。どこに散り、どこへ去ってゆくものなのか。命はどこへ、向かうのか」

「………」

「ここには弟はいないと。嘘をつくのは、たやすかった。だが。わたしは嘘を好まない。真実を、わたしは常に、友とする。だから伝えると決めたのだ。遠い旅路を、ここまで来た者に、事実を告げるのは酷だと思う。酷ではあるが――」

「あの、」

「何だ、娘。」

「あなたは、誰、なのですか? 神様ですか? それとも――」

「ふふ。おまえの問いはわかるぞ。それとも、わたしが悪魔かと。そう、ききたいのだな?」

 フォーが笑った。

 とてもかすかに。とても小さく。あたたかに。

「いや。どちらでもないな。わたしは、わたし。ここにあるもの、だ」

「ここに、ある?」

「そうだ。善でもない。悪でもない。ただ、あるものだ。わたしはフォー。それだけだ。そしてわずかに、生と死のはざまを、さまよう力があるようだ。また、そこにかすかに作用を与える―― そのような力が。このわたしには、もとよりあるようだ。だからわたしはその力をつかう。わたしがわたしとして。フォーがフォーとして、ただここで、ただ、わたしにできるであろう事柄を、ただ、ここで、為すのみだ。その程度のものだ。どうだ、がっかりしたか?」

「…いえ。特に、がっかりとかは――」

「まあ、ただし―― わたしの中にも、ひとなみの、少しの心は、あるようだ。ここまでお前を呼びつけておいて、そのまま手ぶらで返そう。などとは。わたしもさすがに、思っていない」

「…? どういう、ことですか?」

「そこで待て、」

 フォーが大きく息を吸い、

 体をうしろに、のけぞらせ、

 目を閉じ、両手を広げ――

 光が、

 フォーの発する金色の光が、にわかに強さを増す。

 その輝きが目に痛く感じて、リリアは腕で、光を遮るように目を覆った。

 それでもかすかに目を開けて――

 光がひとつに収斂し――

 フォーの身体の前、

 胸の前のその暗き空間に、

 ひとつの形となるのを見た。

 光が凝集し、ひとつの小さな形を作った。

 それは人形。

 光で出来た人形だ。

 いや。正確には人形ではなく――

 人形未満の、何かだ。なぜならそれには、半身がない。

 胸より下の部分は、闇に消えて見ることができない。もとより存在しないのだ。

 そしてその胸の部分さえも、光がぶれて、黒と光が交錯し、今にも消えそうで、かろうじて、消えずにいる。その程度のものだ。そこではっきり見えているのは―― 形があるのは、首より上の、部分だけ。そして右手が、かろうじて闇の中に光を帯びて見えている。

「…ねえ、さん?」

 人形が、言葉を。

 人の言葉を、黒が支配するその場所に。

 ねえさん、と。言葉を告げた。とても小さく。

「イツキ…??」

 少女がそばにかけよった。

 そして、その人形を抱く。

 人形未満の、光のかけらを。

 いま、少女が、胸に抱く。

「ねえ、さん。来て、くれたんだね?」

「イツキ! イツキなのね! わたしが見える? 声が、わかる??」

「うん… わかるよ。感じるよ、ねえさんのこと」

「会いたかった。会いたかったよ!」

「うん。でも、会えた。会えたよ、サクヤ、ねえさん」

「ひどかったね。つらかったね。あの日、あの事件。あんなことが。あんなことが。あなたはぜんぜん、関係ないのに。あなたは何も悪くない。なのに、あなたは―― ほかの子たちも――」

「うん―― でも、それはもう、起こったことだよ」

「でも。だからって、何も関係のない、あなたが、」

「でもね、ねえさん。でも、もうそのことで、誰かを、恨んだりは、しないでほしい」

「でも。でも、」

「もっと明るい、話をしようよ。せっかくここで会えたもの。もっと大事に、時間をつかって。ね?」

「イツキ。ああ、イツキ。わたし、わたしは――」

「会いにきてくれて、うれしい。またねえさんと、少しでも、話せて」

 光が少し、瞬いた。一瞬、光は強くなり、

 そしてまた、もとの明るさにとどまって。

「僕、大好き、だったよ。いつも、優しかった、サクヤねえさんのこと」

「イツキ、」

「なんだか急に、二人の暮らしは、終わってしまったけれど。もっとほんとは、長い時間を、僕たち、一緒に、生きるつもりで。いたのだけれど。でも―― だけど―― そこであったこと。一緒に二人でできたこと。いっぱい、二人で笑えたこと。二人で一緒に――」

「もう言わないで、イツキ。全部わかってる。全部、全部、わたし、わかるから!」

「うん。だから。その、輝いていた時間を、しっかり、これから、見てほしい。それは、とても。きれいに、光っていたでしょう。輝いていた、でしょう。そのことが、大事、だよ。今には僕にも、それがわかる」

「イツキ、」

「ね。光を。いつも見ていて欲しい。暗いものではなく。明るい、記憶。二人でたくさん、笑ったことを。ね。それを、あっちに、持って帰って。そうじゃないことは、もう、ぜんぶ、過去の―― 過ぎたものたちに、まかせて。ね? 悲しみではなく。憎しみではなく。あったかかった、二人だけの、思い出を。それをあっちに、たくさん持って帰って欲しい」

「うん。うん。持って、帰るよ。ちゃんとわたし、持って帰る!」

「うん。そうして欲しい。ねえ、ねえさん――」

「何?」

「時間が、もう、あまりない。でも。僕は、消えて、いくけれど。ほんとに消える、わけではない。ただ、次へ、移ってゆく。続いて、ゆくんだよ。そのことだけは。わかって。続いて、ゆくのだから。だから、そんなに泣かないで」

「イツキ! だめ! まだよ! まだ行ってはダメ!」

「ねえ、さん。サクヤねえさん」

「イツキ!」

「僕の、ねえさん。大好きだった。たった、ひとりの。世界でいちばん、好き、だった――」

「イツキ!」

「ありがとう。ここまで会いに、来てくれて。最後に、話せて。最後に、言葉を――」

「イツキーーーッ!!!」


 そして光は、消えてゆく。

 光の形は、消え去った。光は崩れ、闇に還る。

 少女の腕には、もう何も残らない。何も重さを感じない。

 少女は涙をしぼりだす。少女は声を、しぼりだす。

 涙が落ちて、落ちて、闇の底へと散ってゆく。

 涙はどこに、ゆくのだろう。少女の叫んだその声は、

 いつかどこかに、届くのだろうか。響くのだろうか――



###################


「またまた無理を、したんですね」

 リリアが去った闇の間に、

 イーダが静かに入ってきた。

 イーダの淡い紫の瞳には、深い静けさと、

 そして理解が。そこにはたしかに含まれている。

「あまりやりすぎると、本当に、フォー様自身が壊れちゃいますよ?」

 イーダが、今にも崩れ落ちそうなフォーの身体を。

 しっかりと、いま、受け止めた。そして支えた。

「…あの程度だ。」

「え?」

「あの程度しか、保持できぬ。あれがわたしの、精一杯の時間。あれより長くは、去りゆくものを、ここにとどめることはできない」

「でも、」

「ん?」

「わずかでも。それができるあなたを。」

「…なんだ? 何が言いたい?」

「それをあえて、とても小さな誰かのために、命を削って惜しまず分け与える。そんなあなたを。わたしは誇りに思います。いえ。わたしたちは。」

「………」

「フォー様。」

「何だ、イーダ?」

「そういう、ムリする、あなたのことを。わたしけっこう、好きですよ?」

「ふ。『けっこう』か。まあ、そうだな。嫌われ、蔑まれるよりは。それでも少しは、良しとしようか」

 フォーが笑った。かすかに。弱く。

「微力だな、わたしは」

 フォーが自分の右手と左手を、交互にながめる。

 無数の蝶が、今も、たゆまず、空間のすべてを埋めている。

 生きている暗闇。来ては去りゆく、無数の名もなき魂たち。

「フォー様、」

「ん?」

「無力と、微力は違います。そこにはやはり、力がある」

「む…」

「ですから。その力を。信じましょう。わたしがあなたを信じるように。あなたは、自分がよってたつ、その、源の力を。信じて。護って。育てて、戦っていきましょう。これからも。どこまでも。」

「…そうだな。いや。わたしが育てた島守りの娘に、わたし自らが、このように、さとされ、はげまされる日が来るとは。ふふふ。わたしもずいぶん、衰えた」

「あ。ダメですよ。ここで引退とか、考えたりしたら」

「バカを言え。引退など。誰がするものか… まったく、どの口がそれを言う」

「怒りましたか? 冗談です。さ、肩をかします」

「すまない、」

 イーダが、フォーの肩を支える。

 薄紫の髪を流した長身の娘と、細く小柄な、輝く髪の少女とが。

 ふたりは、ややぎこちない足取りで、

 暗闇の中を。命ある闇の中を。

 ゆっくりと、歩いて。

 そして二人は、

 扉の外の、光の中へと。

 その先に待ち受ける戦いの、その渦中へと。

 二人はゆっくりと。歩みを、すすめて。

 そして残された暗闇で、

 無言の魂たちが、休みなく、羽根を動かして。

 そのかすかなさざめく蝶たちの営みは、誰の目にも止まることはなく。

 誰かの耳を震わすこともなく。しかし、それでいて、

 その無言の羽音は、どこまでも、けして、尽きることはなく――



###################


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ