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なんだかそこの大家族、たくさんの子供達で夜まで大騒ぎだったけど―― 走りまわって遊びまわって食べて飲んで――
ようやく疲れた子供たちが、パジャマに着替えて、みんなそろっておやすみを言って、奥の子供部屋のほうに引っこんでいなくなる。そこでようやく、一息ついた。なんだか、お客様で呼ばれてきたつもりだったのに―― なんだかまるで、保育所の保育士さんになったみたいな気分で。なんだかどっと、気疲れした。疲労がひしひしと、身体全部に押し寄せてくるみたいで。
外ではすっかり日が暮れて、庭にも夜のかげが降り、暗がりの中で噴水のちゃぷちゃぷいう音だけが小さく聞こえていた。何か、お庭のビジュアル効果でホタルっぽい光が、さっきからちらちら舞っている。わたしは暗い庭を見下ろすポーチに置かれたアンティークなデザインの籐椅子に深くすわって、「ああ疲れた。一日、長かったわ」と、特に誰に言うでもなく、ひとりごとでつぶやいた。
「私もちょっぴり疲れました」わたしの横でリリアが深くうなずいた。「あれですね。保育園の先生とかって、毎日こんな感じなんでしょうね。すごい大変なのだなって、今、ちょっぴりわかった気がします」
「ごめんなさいね。何だかすっかり、子供達のお世話を、お二人にも手伝って頂いて」
エルナがそばまでやってきて、申し訳なさそうに、形の良いお人形のまつ毛をちょっぴり伏せて謝った。そして音もなく、わたしの横に座った。動作はすべて流れるようで、わたしはその優雅な動作にちょっぴり見とれた。子供の人形に囲まれていると、頭ひとつふたつ、サイズが大きく見えたけど、こうしてわたしと並んで座ると、やっぱりエルナも人形で、思いのほかに小柄だ。
「なんかさ、エルナは偉いね。しっかりしてて、お母さんみたい」
「いえ。私もぜんぜん、毎日、バタバタしてばかりですよ。リアル世界の本当のお母さんたちは、きっと本当に大変なのだろうなと。しみじみ思いますね」
エルナが少し照れたみたいに、形の良いまつ毛を静かに伏せた。しばらく無言で、エルナはうつむいていた。ちゃぷちゃぷと、庭の向こうで噴水の水音がする。そのあとエルナが視線を上げて、私の方に、あらためて向きなおった。
「今さきほど、フォー様から返信がありました」
「えっと。あ、そうかそうか。で、どうだったの、照会結果は?」「何かわかりましたか?」
わたしとリリアが、エルナの方に身をのりだした。
「まず、リリアさんの弟さまに関しては、何か、リリアさんがお持ちの照会コードが不完全で、確認にもう少し、時間が必要とのことでした。」
「えっと。不完全、とは、あの、何か不備が、あったのでしょうか…?」
リリアが少し不安そうに小声できいた。
「わたくしも、あまり詳しくは聞けなかったのですが。何か、照会コードの一部が、最新のものではない、とか。でもいま、フォー様の方で、あらためて、コードの不備の詳細を確認中、とのことでした。もう少し、返答を待ってほしい、と」
「そうですか――」「照会コードのエラー、か。なんかちょっと、残念ね、それは。せっかくわざわざ、来てみたのに――」
「それから、アリーさんのお姉さまに関しては、」
「あ?? そっちは何かわかった? どうどう? どうだった??」
「はい。アリーさんお姉さまは―― たしかに今も、こちらの島に、いらっしゃいます」
「え! マジで??」
「はい。今は少し、距離の離れた場所にいらっしゃいますが―― 明日の午後までには、こちらのウトマに、来ることができそうだ、とのことです。こちらがその、お姉さまからの―― ダイレクトな、伝言、ですね。こちらに、わたしの方で、お預かりしています。いま、そちらに飛ばします」
エルナが言って、目の前の空間の上、指を何度かスライドさせた。
リンッ! という金属質の着信音がして、わたしのメッセージ・ダイアログに新着が来た。大急ぎでウィンドウをひらき、その、新着メッセージを読む。
『フォー様から、今、聞いた。あんた、ちゃんと信じて来てくれたんだ。まあでも、ちょっぴりややこしい時期に来ちゃったね。いまわたし、けっこう大事な用事で手がはなせない。でも、それ終わり次第、そっちにすぐ行く。待ってて。 まりあ』
「おねえ、ちゃん…?」
わたしは思わず、つぶやいた。そのメッセージのニュアンスは―― たしかに、いかにも―― 姉のまりあが、書きそうな感じではある。でも――
そんなことって、あるのだろうか。もう姉は、リアル世界では死んでいる。
その死に顔も、実際に見た。冷たい唇に、この指で触れた。そのときの淡く冷たい死の感触は、今でも指先に残っている。
「ねえ。ここって、何。どうなってるの、これ?」
わたしはそこにいる人形のエルナに向かって、思わず少し、強い口調で詰問し、その両肩を、彼女をはげしく強く、揺さぶっていた。
「なんで? どうして? だって、わたしのお姉ちゃんは、お姉ちゃんは―― もう、リアルでは、もう―― だってもう、お姉ちゃんは―― まりあは――」
「もう、死んでしまっている―― だからそこには、もう、いない―― …のですよね?」
エルナがダイレクトにその言葉を言ったので、私は思わず息をのんだ。とっさに次の言葉が出てこない。
「もちろん、それほど簡単な話題ではないのですが。でも、ごめんなさい。私としては、最初から、そのことはわかっていました」エルナが、少し申し訳なさそうに、さびしそうに微笑した。「こちらの島に、ご身内の方に面会に来たという。それを聞いた時点で。その―― アリーさんのお姉さまと―― それから、リリアさんの弟さんが。どちらもリアルでは、もうすでに、亡くなられているということは。はい。その時点でもう、わかっていましたよ」
「…なんで?」「どうして、わかったんですか…?」
「理由は、えっと。なぜなら、その、この島では――」
「ここでは誰も―― リアルでは、誰ひとりとして生きてはいないからですよ」
エルナのかわりに、もうひとつの声が答える。
シーマがそこに立っていた。
「あまり怖がらせてもいけないと思って、今まであえて、言わなかったですけど。僕も、姉のエルナも、もう、リアルでは死んでいます。この家の他の子たちも。みんなそうです。ここでは誰も、リアル世界の一般的な意味では、生きてはいないから」
「えっと――」「それってつまり――」
言葉が、うまくつながらない。
わたしの思考はぐるぐるまわって、シーマが今言った意味を高速で考える。
「じゃあ、みんな、幽霊とか、死者とかってこと? この島の住人キャラが、すべて…?」
ようやくわたしの口からその質問が出た。
声は乾いて、なんだか自分の声には聞えなかった。
「死者といえば、ええ、そうですね。私もシーマも、リアル世界では一度、死にました。そちらにはもう、肉体はありません」
エルナがしずかに言葉を投げた。誰もしばらく、口をひらかなかった。
風が少し吹いて、前庭の夜の花畑がかすかにそよいだ。庭草の上の暗い空間を、いくつものホタルが舞っている。
「でも。幽霊かと言えば、それは少し、違うかもしれませんね」
「どう―― 違うのですか?」
かろうじて聞き取れるくらいの細い声で、リリアがきいた。
「僕たちはここに、生まれ変わったのだと。そういう風に思っていますよ」
シーマが言った。声はいつもと変わらない。落ち着いていて、余裕があって。
「ほら、手を、触れてみてください」
そう言ってシーマが、自分の腕を―― かぼそい、少女のような白い人形の腕をこちらに差し出した。わたしはちょっぴり迷って、でも、おそるおそる手を伸ばしてその腕にさわった。
冷たい、しかし、かすかに温もりのある木の感触がした。人形の腕。木製の腕。
「ね? 感じるでしょう? 僕の肉体は、いまここにあります。もちろんバーチャルですが―― でも、確かに見えるし、触れるし。感じることもできる。だからたぶん、僕はまだ、消えてはいない。ここにいますよ、僕は。この世界で、また、前の世界とは違った生を、今、生きている。だからこれは――」
「幽霊、と。言えばそうかもしれません。でも――」
エルナが言葉を引き継いだ。
「体はあくまで、入れ物です。わたしの心が、今ここで、新しい入れ物を与えられた。だからここに、わたしはいます。わたしたちは。生きています。わたしたちはここにいます。と、言ったらそれは、変でしょうか?」
「えっと。つまりここは、この島は―― 死んだ魂の、受け皿―― 死者の魂の集まるところ―― つまりそれって、天国ってこと?」
「さあ? でも、天国っていうのは、もっときっと、特別なところではないでしょうか」
シーマが言った。音もなくポーチの床から浮上し、わたしの肩の左、籐椅子の手すりの部分にふわりと乗った。
「ここは、なんというのかな。あらゆるものが、普通です。それほど何か、リアル世界と、極端に違うことはないです。もちろん、ちょっぴり飛べたりとか、少し物理の仕組みが違うこともあるけれど――」
「ここが何とか、名前はあまり、大事ではないと思います」
エルナが言った。彼女はずっとむこう、夜の庭のどこかを見ている。その目は透きとおるように薄いブルーで、そこにはあまり、感情は読めなかった。でも、特に冷たい感じでもなかった。そこには少しの、温度はある。生きて、いるのだと思った。
「天国と言えば、そうかもしれない。ゲームといえば、これは単なるゲームです。それ以上の何かではない。ですが―― そのゲームの中に、とてもたくさんの、綺麗なものがあります。小さな子たちの笑い声があります。美しい景色があります。雨もふります。雪もふります。雪の冷たさを、この手に感じます。それは全部、リアルです。バーチャル世界の北の果ての、小さな島ですが――」
「でも。みんなここで、僕たちなりに、毎日生きてるんですよ」
シーマが言った。そしてかすかに、笑った。人形らしい、青みがかったシルバーの瞳を、ちょっぴり細めて。
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