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シーマとエルナの案内で、工房都市ウトマを歩いた。坂がやたらと多く、道は狭く、どこもかしこも崖に面していて、平地らしい平地はどこにもなかった。谷底の湖にむかってせり出す感じで、白い石造りの小さな家がぎっしりと建っていた。小さいけれど、どの家にもかわいい小さな緑の庭と噴水があって、その庭で人形たちが遊んでいた。そう、たぶん、遊んでいたのだろう。庭の花々の上にふわりと浮いて、お互いに追いかけっこをする人形や、何か、風変りなボール遊びに興ずる子達や―― あとは、なんとなく絵的に奇妙なのだけど、人形なのに、自分たちよりさらにひとまわり小さいぬいぐるみとかを使って、おままごとだか、お人形遊び的なもので遊んでいる人形もいた。
人形たちの見た目のイメージはシーマやエルナとほとんど同じで、わずかに目鼻の感じとか、髪型とか、ひらひらした優雅な服のデザインや色が少しずつ違ってはいるけど―― もし仮にシーマとエルナがその中にまぎれてしまったら、探し出して、誰が誰かを言い当てるのは難しいかもしれない。どの家の庭にも、人形がいた。たくさんの人形。いくつもの人形。かれらの着ている光沢ある生地のカラフルなドレスが、淡い午後の日射しの中で鮮やかに浮き立って見えた。なんだかそんな風景ばかりをひたすらに見ていると―― もちろんゲームの中ではあるのだが―― 何か現実ばなれした、遠い夢の中の絵に自分がまぎれこんでしまった。そういう、淡い違和感があった。それは不快な違和感ではないけれど―― なにか、もう、とっくの昔に無くしたと思っていた古い古い家の写真を、いま、幾年かぶりに見つけた―― なにかそういう、喪失感? いや、そうじゃないか。いちど喪失したものに、またここでめぐりあった感じ? とても暖かな、でもそれは、たしかに少し、悲しい何かを含んでもいただろう。
「でも、すごい数のプレイヤーね。あれ全部、NPCじゃないんでしょう?」
わたしはとある白い庭の前で足を止めていった。いまそこに庭では、七体か八体ほどの人形たちが、噴水を囲んでぐるぐるまわり、ときにはふわりと浮遊し、なにか鬼ごっこに似た遊びに興じているようだ。あははは、あはははは。とても無邪気な子供の声が、こちらの方まで聞こえてくる。
「NPCでは、ないですね。まあでも、プレイヤー、というのとも、少し違うと思いますよ」
エルナがこちらを振りかえる。
「この街、工房都市ウトマは、おもに子供達が住むところです。遊んでいるのはみんな、たいてい、小さな子供ですね」
「こども?」
「はい。四歳とか、五歳とか、それくらいの子たちが多いですね。この街でいちばん年が上の子でも、十三くらいでしょう。それより歳の大きな人たちは、また別の街や村に集まっています」
「えっと。歳ってそれは、ゲーム内設定とか、そういうのじゃなく?」
「はい。リアル世界での、年齢ですね」
「えっと。。四歳とかで、このゲーム、できるわけ? けっこう操作、ムズカシイし、文字とか読めないと、けっこうできないこと、多い気がするけど…?」
わたしはうまく飲み込めないで、とりあえず質問を返した。
工房都市ウトマ。子供たちの――街?
「でも見ての通り、みんな、ここで楽しく暮らしていますよ。特に難しいことは何もありません。それぞれの子たちに、自分の家があって、自分の部屋やベッドもあって。特に何か、学校に行くとかそういうこともありませんので。日が暮れるまで、毎日それぞれ、好きなことをやっていますね。ほら、みんな、楽しそうでしょう?」
そういってエルナが視線をむこうに送った。
人形の子供たちが、今はそちら、噴水の水場で歓声をあげながら水遊びに興じはじめた。
「えっと。。あの、ちなみにエルナは今、何歳なの?」
「わたし? わたしは十二ですね。弟のシーマは十歳です」
「そっか。。二人とも、あれね。なんかすごく話し方がしっかりしてるから、てっきりもっと上かと思ってたけど―― まあ言えば、二人も、まだ子供の範疇ね…」
そこからさらに崖沿いの路地を歩いて、急な石の階段をのぼり、そこからさらに、坂を登った。かなり高い場所まで来ていて、足を止めてふりかえると、渓谷の両側の岩壁をびっしり埋めるようにして、ウトマの街の白い家々が一望できた。何カ所かに、渓谷の両側を結ぶ白い優雅な石の橋がかかっているのも見える。
「工房都市というのは、あくまで昔の名前ですね。」シーマが、ずっと下の白い街並みを遠い目で見ながら言った。「初期の初期には、ここにはモノづくりとか手仕事の好きな人たちばかりが、集まって街をつくっていたようです。そのときついた街の名前を、今でも使っているわけです。でも――」
谷をふきあがってくる水の匂いのする風が、シーマの服のえりのところを、かすかにはためかせている。
「フォー様が島に来てからは、ここは子供の街になりました。今でもたぶん、その、何かモノづくりをやっている工房は、きっとあるとは思うのですが。でも僕もまだ、そういう工房を実際に見たことがないですね。街はとても広くて。まだ僕の知らない場所もたくさんあります」
「えっと。その、シーマ君たちの家って、ここからまだ、けっこう遠いのかな?」
わたしは素直に聞いてみた。道の上にちょっぴりかがんで、少しゆるんだブーツの紐を、あらたにキツく締め直す。こういうとこ、すごくリアルだ、このゲーム。
「疲れましたか?」
「いや、特にそういうわけでもないけど。まあでも、なにげに遠いなって。まさかこんな街が大きいとは思わなかったし――」
「すいません。でも家までは、もう少しです。あとちょっとだけ、上ります」
坂の少し上から、地面から40センチほど浮上した姿勢で、シーマがこちらに言葉を投げた。わたしと視線が合うと、ニコッと目を細めて笑った。その端正な微笑みが、なんだかじわっと心にしみた。この人形の姉弟には―― なにか、わからないけど―― なにかひどく、ひどく美しいものが、なにかある気がして。微笑みかえそうとしたわたしは―― なんだか心が痛くて、なぜだかうまく微笑むことができない。あまりに綺麗すぎるものは―― なぜか私を悲しくさせるのは、なぜなのだろう。
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坂を上りきったところにまた階段があって、その階段のいちばん上に、シーマとエルナの家はあった。
「あ、エルナが帰ってきた」「ほんとうだ」「シーマも一緒だね」
幼い声が次々とあがる。緑の庭のむこうには白い柱の玄関ポーチのようなスペースから、小柄な人形たちが次々とおりてきた。五、六、七―― 全部で七人の人形たちが、庭の芝生の上をすべるように、一度にこちらに集まってきた。
「シーマ、よかった。怪我、なかったのね」「あれ? リッフルタールは一緒じゃないの?」
「ヴァーシもいないね」「でも、誰?」「なにか、大きなオトナのヒト」「ねえ、リッフルはどこ?」「ヴァーシ、一緒じゃないの?」
人形たちが、口々に幼い言葉を吐きながらわたしたちをぐるりと取り囲む。どの人形も仕立ての良いシルクやレースの服を着て、女の子もいれば、男の子もいた。でも、その声を聞く限りでは、みな、とても幼い。五歳とか、六歳とか。それくらいの子供のような。
「リッフルとヴァーシは、少し、怪我をしてしまったの。だから今は、北の聖所のフォー様のところで、怪我の手当てをしているの」
エルナが、集まった人形たちに、先生のような口調で説明した。ほかの人形たちは口をとじ、透きとおるような青い目でエルナを見上げ、その声に聞き入っている。
「でもみんなは、あまり心配しないで。きっとすぐによくなります。フォー様が、きちんと手当をしてくれます。だから、心配ありません」
「そっかぁ。」「けが、かぁ。リッフル、ヴァーシ、かわいそう。」「でも。フォー様のところなら、大丈夫ね。」「はやく良くなるといいね」「すぐ、戻れるといいね。」
人形の子供たちが口々にささやきあった。
わたしはちらっとシーマの方に視線をやった。シーマもこちらをちらりと見て、わりと真剣な表情で、無言で二回、うなずいた。「ひとまず、ここは姉にまかせてください」と。その目が、わたしにそう言っていた。
「さ、それよりも。今日はこちらに、二人のお客様が見えたのよ。遠い場所から、はるばる来てくれました。アリーさんと、リリアさん。さ、みんな、ご挨拶は?」
「こんにちわ。」「はじめまして。」「こんにちわー」
エルナにうながされて、人形たちが一斉に、なんだか行儀よくこちらに挨拶を飛ばしてきた。なんだかこれは、保育園にでも、何かの手違いで入りこんでしまったみたいだ。
「あ、えっと。そんなべつに、お客様とか、そんなんじゃ、」
わたしはちょっぴり照れくさくて、右の足と、左の足を、なんだかムダに交差させたりその場でステップを踏んだり、無駄な動作をしてしまう。てっきり、シーマとエルナの二人だけの家かと思ってたけど―― まさかこんな、子供がいっぱいの家とは、これはちょっと想定外だ。
子供の人形たちの案内で、庭を通って白い柱のポーチをくぐり、玄関の扉をぬけると、そこは白い壁の、円形のドームのような感じの大きな部屋になっていた。つるりとした純白の石のタイルの上に、淡いピンクのクッションのソファーが四脚ほど、あとは低めの丸いテーブルと―― 部屋の周囲の壁は窓の多いつくりになっていて、ソファーと同色の、上品なピンクのカーテンがふわりと降りていた。どの窓からも庭が見えた。庭にはあちこち小さな花が咲き、噴水があり、白い羽根の小鳥たちがそこで水を飲んでいた。
「いま、お茶とお菓子を用意しますね。少しそのまま、お待ちください」
言われるままに、わたしとリリアはソファーにかけておとなしく待った。子供の人形たちがわたしとリリアを取り囲んで、「どこから来たの~?」「お名前は~?」「どうして体が、お人形じゃないの~?」とか、子供らしい、興味深々の視線でいろんな質問を投げてきた。わたしはとりあえず、答えられる範囲で、飛んでくる質問にかたっぱしから答えなければダメだった。えっと。家は、トウキョウっていって、大きな街で、えっと、そこは日本っていって―― って、えっと。なんかあまりにも当たり前のこと言ってる気がするけど。でも、ニホンってどこ~? そこって遠いの~? とか、むこうは無邪気な質問をまたしてくるから、こちらはまた、子供にもわかりそうな言葉で、いろいろ適当に答えたりもする。えっと、中国連邦って、知ってるよね? わかる? そこの、はしっこから、海わたって、そのむこうの島で―― えっと。見た目が人形じゃないのは、えっと、基本、このゲームって、そういう人形キャラの方がむしろめずらしくて―― って、あ、キャラとか言っても、子供にはムズカシい? あ、そっかそっか。言葉わからないよね。えっと、じゃあ、何て言えばいいかなあ…? とか。なんか、自分でも言ってることが合ってるのかどうだか、どんどん怪しくなってくる。
広い円形の部屋の中央では、エルナが自分のウィンドウを指で操作して、何かと何かを続けて選択する。ポンッ、という小さなポップアップ音がして、部屋の中央の丸テーブルの上に、次々と何かがポップアップした。マフィンを盛ったお菓子皿。それから、何かフルーツ系のケーキかタルトの大皿もポップアップ。続いてティーカップとティーポット。カップにはすでに湯気をたてる紅茶系の飲み物が入っている。そのあとデザートを盛った大皿と、ヨーグルトだかプリンだかのグラスもまとめて出現―― そしてスプーンとフォークとテーブルナプキンのセットもポップアップ。短時間のうちにティパーティーの準備がすっかり整った。このあたりのスピーディーさはゲームならではだけど。まあでも、食べる側、待つ側としてはありがたいシステムだ。
そのあと、わたし、リリア、シーマ、エルナの四人と、あと七人の子供たちとでティータイム。シーマとエルナの姉弟は、もてなす側のホストだからか、あまりたくさんは、食べなかった。たまにちょっぴり、口に含みます。くらいの感じで。そしてリリアは、なにげに上品に、ちょっぴりフォークでお菓子をつまんでは、時間をかけて咀嚼し、これまた上品にティーカップに口をつけて紅茶をたしなんだ。所作のひとつひとつに、彼女の育ちの良さがにじみ出ている感じだ。
いっぽうわたしは―― 特にマナーとかなんにも考えず、出されるものを、かたっぱしからひたすら口につめこんだ。リアルでのわたしの家はかなり貧しい部類で、高いお菓子とかを買う余力はぜんぜんない貧乏家計だったし。ここぞとばかり、バーチャルだけどスィーツ三昧のこのイベントは、あまりにお得なイベントすぎた。お菓子の味や食感はリアルに再現されていて、味覚的にはとても楽しめた。どれもこれも美味しすぎ。まあでも、どれだけ食べても満腹感がないのは、これもゲームならではだ。まあでも、そのぶん、どれだけマフィンをほおばってもプリンやチョコをひたすら食べ続けても、まだまだ食べてもOKなのは嬉しいと言えば嬉しい。ダイエットとか体重とか虫歯の心配も、ここではまったく必要ない。
こら、行儀悪いですよ! もうちょっと、綺麗に食べなきゃダメでしょう。
…とか、向こうでエルナが子供をちょっぴり叱ったりもしていたけど―― ああ、やばい。わたし、食べちらかしてる子供らと、ほとんど同レベルだ。そこで一瞬、エルナと目があって、やばい。叱られる! とか、一瞬本気で身構えたけれど。そこはエルナは、ちょっぴり綺麗に目を細め、可笑しそうにこっちを見ただけで、特には何も言わなかった。ああ、よかった。安堵するわたし。って、なんか、安堵するとこ、間違ってない…?
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