第6話「まあ、ちょっとくらいならいいかな」
幼なじみである芽愛からの提案により、とある決意を固める主人公の高明。そんな中、後輩である恵蘭と一緒に下校することになる。一見、おとなしそうな娘に見えるが……
月曜日の朝。八時前。
「高明、おはよう」
「……おはよう」
「ん?」
「……なんだよ?」
「いやあ、なんだか嬉しそうな顔をしているから」
「……そんなことはない」
「え、そうかなあ」
「芽愛ちゃん来たからでしょ」
玄関に現れる妹の杏。
「え、そうなの? 高明」
「……いや、違う」
「違くないでしょ、お兄ちゃん」
「……何の根拠があるんだ」
「お兄ちゃんの名誉のために、言わないでおくよ」
「……適当に言ってるだけだろ」
「ムキになっている時点で、根拠になってると思うけど?」
僕がいつ、ムキになったと言うんだ。
「まあまあ、違うって言ってるんだから、それでいいよ」
「芽愛ちゃんがそう言うならいいけどさ」
「ありがとうね、杏ちゃん」
「私は単純に、お兄ちゃんの態度がちょっと気に食わなかっただけだよ」
僕が杏に対して何かしただろうか? 全く覚えはないが。
「じゃあ私、先に行くからね」
「うん、行ってらっしゃい、杏ちゃん」
「行ってきます」
杏は傘を持ちながら玄関のドアを開け、学校に向かう。
「……杏、雨のせいで機嫌悪いのかな」
「状況は完全に把握できていないけど、多分高明が悪い」
「……どうしてそうなる?」
「自分で考えた方が良いと思う。こういう問題は」
「よく分からないな」
「『よく分からない』で片付けるからよくないんだと思うよ。『よく分からない』というところから、よく考えてみた?」
「……常識的に考えて、僕が何かをしたはずがない」
「多分、その『常識的に』ってやつが障害かなあ」
「……じゃあ逆に、どういう考えをしたらいいんだ?」
「うーん……自分で考えてみたらいいんじゃないかな」
「……お前もよく分かってないだけだろ」
「うーん……そうやって言われるのも癪だから答えるけど、『非常識に』考える必要があるってことだと思う」
「……なんであえて、非常識に考える必要があるんだ」
「常識的に考えてダメなんだから、じゃあ非常識に考えるしかないでしょ」
「……常識は大切だろ」
「うん、常識は大切だよ。間違いない」
「……なら、常識的に考えた方が良いじゃないか」
「はいはい、この話はここで終わり。高明がそう思うのなら、それはそれでいいと思うよ。それはそれで私は尊重するし、否定もしない」
まただ、またこうやってはぐらかす。
「あえてここで説明してもいいけどさ、私は高明と口論したいわけじゃないから、もう言わないよ」
「……僕だって、口論したいわけじゃない」
「私も口論する気はない、高明も口論をする気がない。じゃあそれで解決でしょ。利害は一致してる」
「……いまいち納得できない」
「まあまあ、玄関で立ち話もなんだし、そろそろ出ようよ」
「……雨の中登校したくない」
「ほら、そんな子供みたいなこと言わないで、行くよ」
「……子供扱いするな」
「ごめんごめん。ほら、行こうよ」
ますます、子供扱いされている気分だ。
「そんなに行きたくないの?」
「……雨の中で外に出たがる人間なんていない」
「まあ、気持ちはわかるけどさ」
「……だろ?」
「うん、それもそうだね。行きたくないなら、無理に行かせても仕方ないか」
「え……いや」
「だってそうでしょ? 高明の意思を尊重したらそうなる」
「……いや、でも」
「何か問題? 今日は私一人で行くよ」
芽愛は外に出るそぶりを見せる。
「……いや、ちょっと待て」
「どうかした?」
「……いや……その」
「ん? やっぱ行く?」
「……行くよ」
「分かった。じゃあ、行こうか」
「……ああ」
芽愛が玄関のドアを開く。
ザー……
ザー……
ザー……
「割と今日は、雨脚弱いかもね」
「……雨降りには変わりない」
「ほら、傘開いて」
「……言われるまでもない」
バサッ……
「じゃあ、出発」
「……ああ」
芽愛が先に歩き出す。
「高明、日曜日は何していたの?」
「……家にいた」
「まあ、なんとなく予想はついた」
「……そう言うお前はどうだったんだ?」
「え?」
「……いや、だから」
「あ、ごめん。高明がそういうこと聞いてくるのが珍しかったから」
「……杏にもそんなこと言われたな」
「そうなんだ。まあ高明、他人のことに興味持たない傾向あるもんね」
僕は、そんなに偏屈な人間に見えているのだろうか。
「あ、私の日曜日の話だったね」
「……そうだ」
「私は神社の手伝いかな」
芽愛の家は、高橋神社と言って、神社をやっている。芽愛の父が神主を務めている。
「おみくじ売ったり、お守り売ったり、そんな感じかな」
「……雨でも人が来るのか?」
「まあ、基本的には来ないかな」
「……それだと暇じゃないか?」
「まあ、わりと暇かなあ」
「……そうか」
「うん、だから考え事をしていたんだよ」
「……何を考えていたんだ?」
「ふふっ、やっぱりなんか変な感じ。いつもの高明なら。興味持たないでしょ」
「……いつも話はしてるだろ」
「まあ、そうだけどさ、いつもと話の毛並みが違うというか」
「……それも杏に言われたな」
「ふふっ、考えることは一緒だね」
……まあ、このタイミングか。
「それでさ……」
「ん? どうかした?」
やはり、こういう話を自分から言い出すことには抵抗がある。
「……いや、なんでもない」
「もしかして、立英ちゃんの話?」
……ここで誤魔化しても、仕方がないか。
「……ああ、そうだ」
「協力して欲しいってこと?」
「あ、そうなる……」
「分かった、協力するよ」
「……それで、なにか考えはあるのか?」
「うん、ざっくりとした方向性は考えてるよ」
「……どういう方向性だ?」
「やっぱり、部活にこじつけるのが一番だと思うよ」
「……こじつけ」
「うん。いきなり話しかけるのはハードル高いと思うし、そういうきっかけは必要だと思う」
「……なるほどな」
「とは言え、前回の効果は薄れちゃってるだろうし、新しいきっかけを作る必要はあると思う」
「……そう、だな」
「本当なら、前回のを生かせればよかったんだろうけど、終わったこと言っても仕方ないしね。そこは責めるつもりはない」
……責められているようにしか思えないが。
「まあ、とりあえず先輩に相談してみようよ。先輩なら上手く舞台をセッティングしてくれるだろうから」
「……そうだな」
「あ、ちなみにもう一つ方法が無いことは無いけど、それは無しね」
「……なんだそれ」
「私と立英ちゃんの遊びに、高明を誘うって方法」
……そのやり方の方が手っ取り早いように思うが。
「これはあくまでも高明の問題。高明自身の力で関係を築かなきゃダメ」
「……」
「私はきっかけを与えるだけ。コミュニティを作るのは高明自身。私のコネクションに頼るのは禁止」
「……大丈夫だ、最初からその部分で頼るつもりはない」
芽愛の紹介でどうにかなるのでは、自分で自分を許せない。
「よし、それなら大丈夫。最初に言った作戦で行こう」
「……分かった」
「私の方で朱苑先輩に掛け合ってみるね、なにかあったら報告する」
「……頼んだ」
「でも今更だけどさ、本当に大丈夫?」
「……なにが?」
「そもそも、この作戦をやるってこと」
「……お前が言い出したんだろ」
「まあ、そうなんだけどさ。無理に引き込んじゃってないかなあって」
「お前が無理を言うのは、いつものことだろ」
「……まあ、無理を言ってるのは分かってる」
……なんでいきなり、こんな表情をするんだろう。
「……本当に大丈夫? 嫌なら、大丈夫なんだよ?」
「……大丈夫だ」
「……本当に、本当?」
「本当だ……」
「分かった、それならいいや。なんかごめんね、自分勝手で」
「……お前が自分勝手なのはデフォルトだよ。今更謝られても遅い」
「ふふっ、そうかもしれないね」
……だから、そう簡単に肯定するなよ。
「あと少しだね、学校」
「……そうだな」
雨の通学路。気が付けば、僕の制服は少し濡れていた。
※ ※ ※
「さて、ご飯食べながらお話しましょうか」
午前の授業が終わり、昼休みの時間。新聞部室の席には僕を含めて四人が座っている。
「……あの、王子先輩、私はやっぱり……」
「いいのよ恵蘭ちゃん、あなたも新聞部員なんだから、話を聞いておいてちょうだい」
「……でも、場違いなんじゃ」
俯く黒髪の彼女は吉祥寺恵蘭。一年生の新聞部員、つまり僕の後輩に当たる。
「分かった。先輩命令ってことなら従える?」
「……そういうことであれば、分かりました」
「よろしい。まあ、恵蘭ちゃんにも得のある話だと思うから、許してね」
僕が初台さんの連絡先を入手するという話で、なんで吉祥寺さんの得になるんだろう。
「さて、それじゃあ本題。高明君が生徒会の初台さんの連絡先を入手したい、そういうことで良いのよね」
「……はい、お願いします」
「それにしてもあの高明君がねえ、成長したものね」
「……成長、なんですかね」
「成長よ。高明君が女の子の連絡先を欲しがるなんて、間違いなく成長」
「……そうですか」
「それもこれも、芽愛ちゃんのおかげね」
「いやー、そんなことはないと思いますよー」
「謙遜しちゃって、控えめに言っても、芽愛ちゃんの影響があるのは確かだと思うわよ」
「そうですかね、では素直に受け止めておきます」
……やっぱり、朝から少し変だな。
「それでよし。えっと、それで私は何をすればいいのかしら?」
「朱苑先輩には、生徒会への取材をセッティングしてくれないかなあと」
「……意図は読めたわ。確かにそれが効率的な方法ね」
……まだ何も説明してないはずだが。
「はい、お願いできますか?」
「分かったわ、明日までに用意しておくわ」
「お願いします」
「はい、請け負いました」
「……よろしくお願いします、朱苑先輩」
「任せて、高明君」
「……急なお願いなのに、すみません」
「大丈夫よ。愛する部員のためなら、これくらいなんてことないわ」
「……なるほど」
「愛するといっても、変な意味はないからね、一応」
「……大丈夫ですよ。分かってます」
そりゃそうだ。今だって愛しているのは、あの人なんだろうし。
「そういえばさ、高明君」
「……なんでしょうか?」
「私の連絡先って、高明君と交換してたっけ?」
「……いや、してないですね」
「高明、朱苑先輩と連絡先交換してなかったの?」
「……うん」
「なんで?」
「……なんでって、部活で顔合わせたら済むし」
「まあ、そうか」
「良い機会だし、連絡先交換しておきましょう。その方が色々と楽だし」
「……そうですね」
「これ、私の連絡先ね」
朱苑先輩から、電話番号とメアドが書かれたメモを渡される。
「……用意が良いですね、先輩」
「実はというと、最初から交換する気だったのよ。あらかじめ用意しておいたわ」
……仕事が早いな。
「後でいいから、そこに連絡して。登録するから」
「承知しました……」
まさか、今になって朱苑先輩の連絡先を得られるとはな。
「あ、そういえば……」
「……?」
「高明君、恵蘭ちゃんの連絡先持ってる?」
「え、吉祥寺さんのですか? 持ってませんけど……」
「なら良い機会ね。交換しておきなさい」
「……分かりました」
まあ確かに、部活内くらいは連絡先を共有できていた方が良いよな。
「……王子先輩、ちょっと待ってください」
「どうしたの、恵蘭ちゃん」
「……私も、するんですか? 連絡先交換……」
「そうね、嫌なら大丈夫だけど……」
「嫌、ではないですが……」
「それなら交換しておきましょう、良い機会だから」
「……本当に、いいんですか?」
「良いに決まってるじゃない。同じ部活で連絡先知らない方が、不自然なくらいだわ」
「……じゃあ交換しようか、吉祥寺さん。今は食事中だから、終わった後にでも」
「……はい、お願い……します」
「芽愛ちゃんは、恵蘭ちゃんの連絡先知ってたわよね」
「はい、交換済んでますよ」
「分かった。じゃあやっぱり、あとは高明君だけだったのね」
「そうみたいですね」
朱苑先輩が一瞬だけ間を作る。
「あ、話は変わるけど、芽愛ちゃんのお弁当美味しそうね」
「そうですか? 自分で作ってるんですよ」
「芽愛ちゃん、お料理できるのね。凄いわ」
「とんでもないです。殆どが余りものですよ」
「高明君は、購買のパンか」
「……いつもそうですよ」
「私、いつも言ってるんですよ。パンだけじゃ栄養偏るって」
「まあ、確かに健康には良くないわね」
「まあ、高明の自由だとは思いますが……」
「芽愛ちゃん、今日、調子でも悪い?」
「……え、そう見えますか?」
「いや、そうじゃないなら大丈夫よ」
やはり、僕の気のせいってことは無いようだな。
「芽愛ちゃんが、高明君にお弁当作ってあげるってのもありなんじゃない?」
「いやあ、私なんかのお弁当じゃ、なんか申し訳ないっていうか……」
いや、いつも傍目に見てる限りでは美味しそうに見えるが。施しを受けるなんてごめん被るところだが。
「……ごめん、前言撤回。絶対に調子悪い」
「……そんなこと無いですよ、先輩」
「いや、病気とかそういう類じゃないだろうけど、明らかにいつもの芽愛ちゃんとは違うわ」
「……そうですかね?」
「分かった、放課後に面談しましょう」
「放課後、ですか?」
「……そこまでやることですかね、確かに今日の芽愛は少しおかしいですが」
「高明君も気付いていたのね」
「……ええ、明らかにいつもとは違いますから」
「え、高明、そんなこと思ってたの?」
「……ああ、朝からなんか様子が違うし」
「……ははっ……そうかなあ」
「あの高明君が気付くってこと自体が、異常事態だわ」
僕は先輩に何だと思われているんだ……
「それで芽愛ちゃん、放課後に時間貰える? 都合が悪いなら無理押しはしないけど」
「……時間は大丈夫ですよ。でもなんか、先輩に悪いですし」
「可愛い後輩の様子がおかしいなら、カウンセリングをするのが先輩の務めというものよ」
「……うーん……朱苑先輩がそう仰るなら、時間作ります」
「分かった、じゃあ授業終わり次第、この部室に来て」
「分かりました」
……ということは、今日は一人で帰ることになるのか。かなり久々だな。転校以来、不本意ながらも毎日欠かさずに、芽愛と一緒に下校してきたからな。
「あ、でも、高明君が一人で下校することになっちゃうわね」
「……お構いなく、一人で帰りますから」
「そういうわけにはいかないわよね、芽愛ちゃん」
「確かに、高明を雨の中一人で帰すのは心配ですね」
なぜそうなる。
「やっぱりそうよね、代役を用意しましょう」
「……いや、大丈夫ですよ、先輩」
「恵蘭ちゃん、今日、高明君と一緒に帰ってあげて」
「……」
「恵蘭ちゃん?」
「……私が、ですか?」
「そうよ、ダメ?」
「ダメでは……ないですが」
「吉祥寺さんに悪いですよ。今日は一人で帰ります……」
「高明君は一人で帰りたいだけでしょ」
「……それは否定しませんが」
「たまには、可愛い後輩ちゃんと下校してもいいじゃない」
「……わたし、可愛くなんか……」
「恵蘭ちゃんは十分に可愛いと思うわよ」
「……そうでしょうか」
「うん、私の審美眼に狂いはないわ、自信を持ちなさい」
「……自信は持てないですが、ありがとうございます」
「だからこそ、不思議ではあるのよね、高明君」
「……え、僕ですか?」
「うん、僕のことよ」
「……今の話、僕関係ありますか?」
「関係大有りよ、灯台下暗しとはこのことね」
「……よく分かりませんね」
「まあ、とりあえず今はいいわ。とにかく、二人は今日一緒に帰ること」
「……先輩がそう仰るなら、分かりました」
「よし、合格。恵蘭ちゃんもそれでいい?」
「……はい、西ヶ原先輩が大丈夫なら……ご一緒します」
「ふふっ、先輩もなかなか強引ですね」
「いつもの芽愛ちゃんほどじゃないわよ」
「まあ、そうかもしれませんね……」
「うん、やっぱりカウンセリングは必要ね。私の判断に狂いはないと確信したわ」
「……大丈夫だと思うんですけどねー」
まあ、確かに気にすることではないかもしれないが、朱苑先輩の言わんとすることも分からないではない。
「じゃあそういうことでお願いね。生徒会の件は、別途用意しておくわ」
「……あ、先輩、休憩時間もう短いので、連絡先は放課後とかでいいですか?」
時計を見れば、十二時四十五分。話し込んでいる間に時間が経っていたようだ。
「そうね、それでお願い」
「……分かりました。吉祥寺さんも放課後で良いよね?」
「……あ、はい、お願いします……」
「やっぱりおかしいわよねえ、芽愛ちゃん」
「え、私ですか?」
「あ、ごめん。高明君のこと」
「ああ、それは少し思いましたね」
つかみどころのない話が、隣から聞こえてくる……
「……放課後、一年の教室に迎えに行けばいいかな?」
「いや……その、玄関とかの方が……」
「……え? どうして?」
「高明君、それは配慮が足らないわよ」
「……そうですか?」
……どういう意味で、配慮が足らないのだろう。
「玄関集合で良いじゃない」
「……よく分かりませんが、分かりました。じゃあ、玄関集合で」
「……分かりました。よろしくお願いします。西ヶ原先輩」
変なことになったものだ。吉祥寺さんと帰るなんて、想像だにしなかった。
「吉祥寺さん、今日は高明のこと、よろしくね」
「……はい、わかりました。神楽坂先輩」
……やっぱり、これは子供扱いと言っていいよな。
「じゃあ片付けましょうか、もう少しで午後の授業始まるし」
みんなで食事の後片付けをする。僕はパンだけなので、パンの袋をビニールに詰め込んで、軽く机を拭くだけ。
「じゃあ戻ろうか、高明」
「……そうだな」
「高明君、ちゃんと恵蘭ちゃんと帰るのよ。すっぽかしたら、私に報告来るからね」
「……嫌だなあ、すっぽかしなんてしませんよ」
「一応、念押ししておいただけよ」
……まあ、やはり逃げるわけにはいかないよな。
「鍵は閉めておくから、三人とも先に戻っていいわよ」
「ではお願いします。朱苑先輩……」
「芽愛ちゃんも、放課後よろしくね」
「はい、分かりました」
「恵蘭ちゃんも頼んだわね」
「……はい、わかりました」
「……では、失礼します」
ガラガラ……
「……じゃあ二年はこっちだから、ここで」
「……あ、はい。ではまた後で」
「じゃあね、吉祥寺さん」
「……はい、神楽坂先輩」
吉祥寺さんとは部室前で別れて、芽愛と二人で教室に戻る。
※ ※ ※
「ふう、授業完了」
六限目の英語の授業が終わり、放課後。相変わらず雨は降っている。
「やっぱ神楽坂さん、英語の発音上手いな」
小村井が芽愛を褒めそやす。
「まあ、慣れてるだけだよ。数年間英国で生活すれば、誰でもこれくらいは話せるようになると思うよ」
「へえ、そんなもんなのか」
「うん、そんなもんだよ。言語って基本的に慣れだと思うし」
「じゃあ、俺もやればできるのかなあ」
「そうだね。毎日無理なく、少しずつでも英語に触れるのが大事だと思う」
「なんか俺にもやれそうな気がしてきたぞ」
「ふふっ、頑張って」
「頑張ります!」
雨なのに、なんでこんなに元気なんだろう。今日は芽愛ですら大人しいのに。
「……じゃあ芽愛、僕は先に帰るよ」
「あ、うん。バイバイ」
「おい高明!」
「……なんだよ小村井」
「なんで神楽坂さんと帰らないんだ!」
「……とうとう説得できたんだ。これでやっと一人で帰ることができる」
「え……そうなの? 神楽坂さん」
「ううん、今日私、部活の先輩とカウンセリングがあるの」
「嘘ついたな高明!」
「……冗談だろ」
「高明、冗談とか言うタイプじゃないだろ」
「……そうかな?」
「そうだよな? 神楽坂さん」
「ふふっ、まあそうだね」
「でもなんでカウンセリング?」
「部活の先輩が、私のこと調子悪いからって」
「そうは見えないけどな」
「……まあ私もそう思うんだけど、一応話を聞いてもらおうかなあって」
「でも随分と面倒見がいいんだな、その先輩さん」
「うん、大事にされてるとは思うよ」
「そっか、それなら聞いてもらった方が良いな」
「そうだね」
「というか高明、今日は予定空くんだな。久々に……」
「あ、高明には先客がいるんだよ」
「先客って?」
「新聞部の後輩の女の子と一緒に帰ることになってるの」
「……なぜそんなことに」
「私の代役ってことで」
「じゃあ、深い意味はないんだな」
「そうだね、単に代役だよ」
「それなら、よし」
なにが『よし』なんだろう。
「でも高明は羨ましいなあ、いつも女の子と一緒に帰れて」
「……『いつも』って、今日以外は芽愛だろ、なにが羨ましいんだ?」
「はあ、高明分かってないな。神楽坂さんは男子人気あるんだぞ」
「そんなわけ……」
「そんなわけあるんだよ、客観的には羨ましい部類に入るんだぞ」
「えー、それ本当? 小村井君」
「本当も本当、間違いない」
「それは知らなかったなあ、光栄だよ」
「高明、お前は恵まれているんだ」
「……そんなことないよ、だって芽愛だし」
「まあそうだよねえ。高明からしたら、私なんか鬱陶しいだろうし」
「……」
「いやいやいやー、そんなことないと思うぞ」
「そうかなあ、いつもうるさく言ってばかりだし」
「……」
「高明も何とか言えよ」
「……鬱陶しいって言えば、鬱陶しいけどな」
「高明、ここでそれはないって」
「いや、やっぱりそうなんだよ。私は高明にとって鬱陶しい存在……」
「……だけど、あえて切り離したいとまでは思わないよ」
「高明……」
しまった。これは勘違いを生みそうな言い回し。
「……深い意味はないからな。この前にも言ったように、わざわざ絶交する労力を使いたくないだけだ」
「ふふっ、そっか。そうだよね」
この感じ、なんなんだろうなあ。
「畜生、やっぱり入り込めない雰囲気だぜ……」
「入ってきてもいいんだよ? 小村井君」
「いやー、遠慮しときますわ」
「そう? それならいいけど」
「かーっ、高明はやっぱ高明だな」
「……ん? どういう意味だ」
「うまく言えないけど、良いものを見せてもらった気がするよ」
……よく分からないことを言うなあ。
「まあいいや、末永くお幸せに」
「だからそういうのじゃないよ、小村井君」
「いや、皆まで言うな。分かってる。分かってるから」
教室には数人しか残ってないし、誰も言葉を発していないのだが……
「俺はまあ、しがない友人たちとゲームでも楽しむさ。雨だしな」
いつものことながら、雨でも友達と遊ぶなんて、面倒なことをするものだな。雨の日くらい、一人でいたらいいのに。
「じゃあな、小生はお先に失礼するよ」
「また明日ー、小村井君」
「……じゃあな、小村井」
「ではさらば……」
小村井は鞄をもって教室から去っていった。
「さて、じゃあ私も新聞部室行こうかな」
「……ああ」
「……相談の必要、本当になくなった気もするけどね」
「……なんか言ったか?」
「なーんでも、高明は吉祥寺さんと仲良くするんだよ」
「……仲良くはしないが、分かったよ」
「じゃあ、私先行くね」
「……はい」
芽愛は持ち物を整えて、教室を去っていった。
「僕が先に帰ろうとしたはずなんだがな……」
まあいいや。帰る前に、朱苑先輩に連絡をしておこう。後になると忘れてしまう可能性が高い。
※ ※ ※
「……あ、その、お疲れ様です。西ヶ原……先輩」
玄関で佇んでいた黒髪の彼女に、声を掛けられる。
「お疲れ様。それじゃあ、行こうか」
「……あ、その……」
「……ん?」
「……いや、すみません。なんでもないです」
「……それなら、いいけど」
……この娘もよく分からないんだよな。
一旦別れて、それぞれ外履きに履き替える。
「……お待たせしました」
「……ううん、待ってないよ」
「……それならよかったです。では、帰りましょうか……」
「……うん、そうだね」
とは言うものの、吉祥寺さんは動こうとしない。
「……吉祥寺さん?」
「え、あ……なんでしょうか?」
……ああ、なるほど。吉祥寺さんも流れでこうなってるわけだし、僕が先に歩き出さないといけないか。
「……あ、ごめん。なんでもないよ」
「……わかり……ました」
……仕方ない、僕から歩くとしようか。
ザー……
ザー……
ザー……
このくらいの雨ならば、傘を差す必要もないかもしれない。
「……あ、先輩」
「……ん? なにかな?」
「傘……差さないんですか」
「……え、傘……?」
しまった、今日は吉祥寺さんと一緒だった。
「……いや、差……」
「……もしかして、傘がお嫌いなんですか?」
「……え?」
「……いや、傘を差したくないのかなあと……違いますか?」
……誤魔化すのも、逆に不自然か。
「……うん、そう。これくらいなら差す必要もないかなあって」
「ふふっ、私もそう思っていました……」
まさか、僕のこの考えを肯定する人がいたとは……
「……少し濡れちゃうけど、大丈夫?」
「はい、このくらいなら大丈夫だと思います」
『風邪をひくから傘を差せ』と、芽愛ならば言ってくるだろうに……
「……じゃあ、今日は傘を差さないで帰ろうか」
「はい!」
あれ、喋り方が明るくなったような……
「……本当に大丈夫?」
「はい、行きましょう」
「……あ、うん。行こうか」
……なんだろう、この感じ。
「高明先輩、お家どこでしたっけ?」
ん? 高明先輩? いや、聞き間違いだろう。
「……岡田、かな」
「ああ、岡田ですね」
岡田。僕の家の最寄り駅の駅名でもある。
「……吉祥寺さんはどこだっけ?」
これまで、気にしたこともなかったな。
「平沼です」
「……平沼か、僕の隣の駅だね」
「はい!」
吉祥寺さんは、これまでに見たことないような笑顔で言葉を返してくる。
「……電車で帰る? そこそこ距離あるし」
実は、学校の最寄り駅から乗れば、岡田にも平沼にもすぐに着く。芽愛は天気に関係なく歩きたがるので、ここ一か月は毎回歩きだが。
「……電車じゃないと、ダメですか?」
「……」
「高明先輩?」
……どうやら、聞き間違いではないらしい。
「……ダメ、ではないけど。吉祥寺さんが濡れちゃうかなって……」
「ふふっ、大丈夫ですよ。歩いて帰りましょうよ。高明先輩が大丈夫なら、ですけど」
「……うん、僕も歩きで良いよ」
「では、歩きで帰りましょう」
「……うん」
……まあ、歩くこと自体は別に構わない。最初からその考えだったし。
「高明先輩、初台先輩のことがお好きなんですか?」
「……」
「高明先輩?」
「え……なんで?」
「連絡先、欲しいんですよね?」
どういう状況なんだ、これ。
「……いや、好きでは、ないよ……」
「それなのに、連絡先が欲しいんですか?」
「……まあ、そんなに深い意味は、ないよ」
「ふうん、そうなんですね」
「……うん」
え? なんなの? これ?
「あ、高明先輩。連絡先の交換、まだでしたね」
「……あ、うん。そうだったね」
「交換、しましょうか」
「……でも、雨少し降ってるし」
「あそこで雨宿りしていきましょう」
なぜか都合のいいタイミングで、屋根付きのベンチを発見。
「……まあ、あそこなら濡れないね」
「はい、参りましょう」
「……そうだね」
「よいしょっと……」
吉祥寺さんは、空いているベンチに座り込む。ベンチは濡れておらず、座るにも問題ない。
「ほら、高明先輩もどうぞ」
「……分かった」
僕も吉祥寺さんの隣に座り込む、
「ふう、やっぱり少し濡れちゃいましたね」
「……うん、そうだね」
「ちょっと待ってください」
「……あ、うん」
吉祥寺さんは、自身の鞄からタオルを取り出す。
「こっち向いてください。拭いてあげます」
……おいおい。
「……いや、ちょっと待って、僕は大丈夫だよ」
「……あ、ごめんなさい。余計な……お世話でしたよね」
「……いや、その、そうじゃなくて……」
「……え?」
「……自分で拭くから、ちょっと貸してもらえるかな?」
「はい! どうぞ!」
吉祥寺さんは満面の笑顔で、僕にタオルを手渡してくる。
「……ありがとう」
受け取ったタオルからは、柔軟剤の良い香りがする。
「どうかしましたか?」
「……いや、なんでもない」
ざっくりと、体や制服の濡れた部分をタオルで拭いていく。
「……どうも」
タオルを吉祥寺さんに手渡そうとする。
「あ、まだ髪が濡れています。やっぱり拭いてあげますよ」
「……え、いや、その……」
吉祥寺さんのなすがままに、髪の毛も乾かされる。
「これで大丈夫ですね」
「……ありがとう、吉祥寺さん」
「恵蘭です」
「……えっ?」
「恵蘭って呼んでください」
「……いや、でも……」
「……ダメ、ですか?」
「……ダメ、ではない」
「では、お願いします」
「……せめて、ちゃん付けで良いかな?」
「はい! 大丈夫です!」
「……恵蘭……ちゃん」
「嬉しいです!」
「……それは、なによりだよ」
……もう、どうにでもなってくれ。
「では連絡先を交換しましょう、高明先輩」
「……あれ、吉……恵蘭ちゃん……は拭かないの?」
「はい、私は大丈夫です」
「……そう」
「はい!」
……なぜ?
「高明先輩、このSNSやってますか?」
「……え?」
……恵蘭ちゃんは、スマホ画面をこちらに見せてくる。
「やっていませんか?」
「……やってるよ」
いつも、暇な時に使っているSNSだ。
「では、相互しましょう」
「……え?」
「連絡先の交換ですよ」
「……メアドとか電話番号ではなくて?」
「……ダメ、ですか?」
「……いや、ダメではないけど。大丈夫?」
「なにがですか?」
「……いや僕、マニアックな投稿とかしてるし」
「大丈夫ですよ!」
「……本当?」
「はい!」
……この際、ハッキリ言った方が良いかな。
「……いやその、政治系の投稿とかをしてるんだ。僕」
「政治系……」
まあ、これならば……
「問題ありません! 相互しましょう!」
……全く、どうしろと言うんだ。
「……本当に大丈夫なんだね?」
「問題ありません! むしろ……」
「……むしろ?」
「……いや、何でもありません」
何でもないとは思えないぞ。
「……そういうことなら、良いよ。相互しよう」
「はい! これが私のアカウントです」
彼女のアカウントのアイコンは、夢の国にいそうな可愛いキャラクター。
「……鍵、付けてるんだね」
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「ありがとうございます! 承認と、フォロー返ししますね」
「……うん、お願い」
彼女のプロフィール画面を更新すると、『相互です』の文字が新たに表示される。
「これで、完了ですね!」
「……そうだね」
「高明先輩のアイコン……これってなんですか?」
これは僕の好きな近代の政治家の写真だが、細かいことを説明しても伝わらないだろう。本当に偉大な人物だが。
「……好きな歴史上の偉人だよ」
「なるほど、そうなんですね! 渋くてカッコイイです」
「……それはどうも」
うーん、むしろ引かれるとすら思ったが……
「高明先輩、歴史がお好きなんですね」
「……昔から、好きだね」
「やっぱりカッコいいです!」
「いや、そんなことは無いと思うよ……」
「……いや、カッコいいですよ、私が言うんだから間違いありません」
……なんだか、聞き覚えのあるような言い回しだな。
「……素直に受け止めておくよ」
「はい!」
……どうして、こういう展開になっているのだろう。
「……そろそろ、帰ろうか」
「そうですね、交換も終わったことですし」
「……じゃあ、行こうか」
「あ!」
「……どうかした?」
「いつでも連絡くださいね」
「……うん、気が向いたらね」
「よろしくお願いします!」
そんなこんなで、僕たちは帰途へ戻る。
※ ※ ※
「今日は楽しかったです! ありがとうございました!」
「……あ、うん、それはどうも」
分かれ道の十字路。
歩いている途中、恵蘭ちゃんはずっと笑顔だった。
「また一緒に帰りたいですけど、難しいですよね……明日以降はまた神楽坂先輩と帰るでしょうし」
「……そうかもしれないね」
「……まあ、毎日連絡くれるから大丈夫ですよね?」
「……あ、うん、連絡、するよ」
……これから毎日、連絡をしないといけないのか。
「それでは、失礼します。また明日」
「……うん、それじゃあね」
恵蘭ちゃんは、うきうきな感じで自分の家の方へと歩いて行った。
「……さて、帰るか」
……まあ、あれこれ考えても仕方がない。
「ん……あれは」
何気なく辺りを見渡すと、一人の女生徒が向かいの道で歩いていた。あれは、うちの学校の制服に間違いない。
「……初台さん?」
容姿から、一瞬初台さんだと思ったが、すぐに人違いだと認識を改めた。彼女はもう少し明るい感じの雰囲気であるはずだ。今の女生徒は心なしか、哀しげに歩いているように見えた。
「……芽愛に毒されすぎたな。初台さんありきで考えすぎる。良くない」
あれこれ考えている間に、彼女の姿は見えなくなった。
「……まあ、やっぱり人違い。初台さんのわけはない」
でもやっぱり、ぱっと見は初台さん……だったよな。
「……でも傘を差していたから、顔を見たわけでもないしな」
いかんいかん、結局考えてしまっている。濡れるのもダルいし、帰るとしよう。
※ ※ ※
「……ただいま」
「あ、おかえり」
家に着いたので玄関の鍵を開けると、妹の杏が姿を現す。
「また、傘を差さなかったんだね」
「……うん」
「床が濡れるから嫌なんだよねえ……」
「……いつもちゃんと拭いてるだろ」
「拭けてないときあるんだよ、ちゃんと拭いてよね」
まあ確かに、これに関しては僕が悪い。
「……分かったよ」
僕は靴を脱ぐそぶりを見せる。
「……ちゃんと揃えてよね」
「……揃ってないか? いつも」
「……揃ってないよ」
「……分かったよ」
まあ確かに、これに関しても僕が悪い。
「どうしたのお兄ちゃん」
「……なにが?」
「やけに素直だからさ」
「……僕は元々、素直な人間だ」
「ごめんそれはない」
「……そうか」
「やっぱおかしいよ、こんなに素直なのはお兄ちゃんじゃない」
「……僕はどういう人間に見えているんだ」
「偏屈で頑固」
「……そうか」
「ほら、やっぱりおかしいって。いつものお兄ちゃんなら反論してくるはずだよ、ネチネチと」
まあ、常識的に考えて話せるわけはないし、僕自身が状況を整理できていない。
「……なんにもないよ」
「そんなわけないよー、絶対におかしい」
「……あえて言うなら、未知に遭遇した」
「……何を言ってるのおにいちゃん」
「……嘘は言ってないぞ?」
「もういい、らちが明かないから芽愛ちゃんに聞いてみる」
……事実なんだがなあ。
「もしもし芽愛ちゃん、いま大丈夫?」
……こんなどうでもいいことで、すぐに電話する必要があるのか。
「え? まだ学校なの?」
まだカウンセリングは続いていたのか。
「え、それじゃあ、お兄ちゃんとは帰っていないんだね。珍しい」
今となれば恋しい過去だな。いや、芽愛自身はどうでもいいんだが。相対的な話として。
「お兄ちゃん、一人で帰ってきたんだね」
電話先ではなく、僕の方に疑問を投げてくる。
「……そうだ」
「え? あ、うん……一人じゃないの? じゃあ誰と……」
……僕の言ってることは信用しない、と。
「へえ、後輩の人かあ。分かった。なんとなく察しがついた。え? なんのことかって?」
……なんでそれだけで察しがつくんだ。
「お兄ちゃんがやけに素直でさあ、いつもみたいにネチネチしてないし」
……そんなにネチネチしてるかな?
「だよねー、絶対おかしいよね」
……芽愛との間でも共通の認識なのか。
「あ、ごめん。帰らなきゃだよね。切るよ」
……終わりか。
「はーい、ありがとー、理由が分かったら報告するー」
プー……プー……プー……プー……
「……その後輩の人となんかあったんだね」
「……いや、無い」
この件に関しては、洩らしたらガチでヤバい気がするんだ。
「いや有るでしょ」
「……無い」
「有るでしょ」
「……無い!」
「何そんなに怯えてるの?」
「……怯えていない」
「いや、怯えてる。明らかにいつもと違うから分かる」
「……気のせいだろう」
「気のせいじゃないよ」
「……気のせいと言ったら気のせいだ」
「あーもう、めんどくさい」
……よし、守秘義務は全うできそうだ。いや、勝手に守秘してるだけだけど。
「あとで芽愛ちゃんにお願いしてみる」
「……そうきたか」
「そりゃそうなるよ、こういうことは芽愛ちゃん担当だし」
……そこまでして開示させたいのか。
「ここでお兄ちゃんと根比べする時間がもったいないよ。芽愛ちゃんなら早業でどうにかできるし、そっちの方が効率的でしょ」
「……好きにしてくれ」
するな、と言ってもするだろうからな。
「うん、好きにさせてもらう」
できればしてほしくないが、仕方がない。芽愛は芽愛でどうにかしよう。
「あ、私お茶を飲みに来たんだった」
「……じゃあなんで、僕に構ったんだ」
「お兄ちゃんが、思わせぶりなことするから悪いんだよ」
「……そうか」
「うん。じゃあ、芽愛ちゃんから何かしら来ると思うから、覚悟しておいてね」
だから、どうしてそこまで……
「じゃあね」
杏はリビングの方へ入っていった。
「ふう」
先は思いやられるが、とりあえず凌ぐことができた。
まずは靴を揃えて、タオルを用意することにしよう。
※ ※ ※
「高明、こんばんは!」
夕食と入浴を終えた後の自分の部屋。スマホの着信に出る。
「……こんばんは」
「こんばんは、高明」
「……何回言うんだよ」
「何回言ってもよくない?」
「……まあいいけど」
「それでさー、高明……」
「……言いたいことは分かってるよ」
「それなら話は早いね。吉祥寺さんとなにかあった?」
「……なにもないよ」
「ほんとう?」
「……本当だ。恵蘭ちゃんとは何もない」
「ん?」
「……え?」
「いま、下の名前で呼ばなかった?」
……しまった、気が緩んでいた。僕は本当に愚かだ。
「……呼んでいない」
「いや、明らかに呼んだ」
……まあ流石に無理があるか。
「……呼んだ」
「素直でよろしい」
「……」
「それで、なにかあった?」
「……ない」
……どうせ無駄な抵抗だが。
「わかった」
「……え?」
「ないならいいよ、しつこく言ってごめんね」
「……いや」
「杏ちゃんには私から伝えておくから大丈夫だよ」
「……いや、おかしい」
「なにが?」
「……やっぱり、いつもの芽愛じゃない」
「そんなことないよ」
「……カウンセリング、どうだったんだ?」
「いやー別に」
「……別に?」
「うん、ちょっと話して終わりだよ。後は世間話」
「いやでも……おかしいだろ」
「なにがおかしい?」
「……なにがって、すぐに引き下がるし」
「高明は、私に引き下がらないで欲しいの?」
「……いや、そういうわけじゃない」
「じゃあ良いじゃない」
「いや……いいのか」
「うん、いいでしょ」
脳内の整理がつかない。
「私のこと心配してくれた?」
「……心配なんてしてない」
「そっか」
……そっか、じゃないだろ。
「大丈夫だよ高明、問題は解決したから」
「……問題ってなんだよ」
「うーん、話してもいいけど……ちょっと、恥ずかしいかな」
「……ならいいよ」
「わかった」
……だから、そうじゃない。
「ふふっ、高明の方がちょっと変だよ?」
「……そんなことない」
「まあ、何かあったらいつでも相談してね」
「……なにもない」
「今は良いよ、したくなったら話してね」
「……どうしてそうなるんだ」
「え? だって幼なじみだし」
「……そうじゃない」
「どういうこと?」
「……上手く言葉にできない」
「そっか、じゃあちょっと待つよ。考えてみて」
「……今はいい」
「そっか、じゃあ言いたくなったら言ってね」
「……ああ」
「やっぱり、今日の高明やけに喋るよね」
ここまでくると、自覚がないわけではない。
「……悪いか?」
「ううん、悪くないよ。むしろ良いことだと思う」
「……」
「あ、高明」
「……なんだよ」
「作戦会議、しておこうか」
「……作戦会議?」
「うん」
「……なんの?」
「やだなあ、立英ちゃんの話だよ」
「……ああ、そうか」
「うん。やっぱその気なくなっちゃった?」
「……そんなことはない」
一度決めたことを覆すのは、性に合わない。
「わかった、じゃあ話そうか」
「……ああ」
「あ、時間大丈夫?」
まだ九時半、いくばくかは時間はある。
「……大丈夫だ」
「じゃあ、作戦会議開始だね」
「……会議と言っても、何を話すんだ?」
「まずは、基本的なところから」
「……基本?」
「うん、とりあえずは、朱苑先輩への相談が完了したってことから確認。明日には用意ができるんじゃないかな?」
「……そんなに分かりきったことを、わざわざ話す必要があるのか」
「このほうが会議らしいじゃん」
「……会議にしたって、わざわざこんなこと話すのか?」
「話すみたいだよ。お母さんがいつもそうしてる」
芽愛の母親は英国人。バリバリ働いているらしいが、なんの仕事かは詳しく知らない。
「……そうなのか」
「うん。在宅勤務の時に聞き耳立ててみると、そんな感じの雰囲気で会議してるよ」
「……そういうもんなんだな」
「みたいだよ」
「……でも、僕たちがそれをやる意味あるのか?」
「まあ、社会人の予行練習ってことでさ」
……社会人、考えたくもない話だな。
「高明どうかした?」
「……いやなんでもない、続けてくれ」
「わかった。明日にはなんかしらで立英ちゃんにアプローチかけられるから、そこで上手く高明が連絡先を貰う。簡単だけどこんな感じ」
「上手く、か……」
「そもそも連絡先くらい、そんなハードル高くないと思うけどね」
そんなわけはない。僕がいきなり、初台さんに連絡先を欲しいなんて言ったら、明らかに警戒されるに違いない。
「……ちなみに、芽愛はどうやって聞き出したんだ?」
「え、私? 普通に『交換しよ』で交換したけど」
「……そうか」
「うん、それで交換できたよ。もはや作戦とも呼べないけど、私と同じ感じで『連絡先交換しよ』で良いんじゃない?」
「……それができたら、苦労はない」
「でも今日の高明、新しく二つの連絡先ゲットしたじゃん。それと同じ感じでやればいいだけだよ」
「……二つ?」
「うん、朱苑先輩と、吉祥寺さんの連絡先」
……け……吉祥寺さん。
「……あれはいわば業務連絡用だろ、今回の話とは関係ないはずだ」
「えー、連絡先は連絡先だよー、二人とも女性には違いないし」
「……業務連絡用には違いない」
……SNSの相互がそれに当たるかは、そもそも疑問ではあるが。
「そもそも私とだって、連絡先交換してるじゃん」
「……芽愛は芽愛だろ」
「私も女性には違いないよ」
「……そんなこと言われてもな、女性として意識する対象じゃないし」
「まあ確かに、それはそうか。私も高明を異性としては見なしてないし」
改めてこう言われれると微妙な気持ちになるが、まあ今はどうでもいい。
「そうだなあ、要は業務に関係ないのにってのが嫌なんでしょ?」
「……そうなるな」
「だったら立英ちゃんとも、業務連絡用で連絡先交換したらいいんじゃない?」
「……業務用?」
「そう、業務用。取材する上で必要だから、交換するって感じ」
「そうは言ってもなあ……」
「良い落としどころだと思うけど」
「……うーん」
「これも無理?」
「……いや、それでいい」
気にしていた問題自体はそれで解決する。
「よし、じゃあ業務用で連絡先を貰う感じだね」
「……でも、それも不自然じゃないか?」
「と言うと?」
「……業務連絡用ってのが胡散くさい。実際に何を連絡するか不透明」
「そこまで考えるかなあ」
「……でも、怪しいだろ?」
「怪しいと言えば、怪しいかなあ」
「だろ?」
「うん、でもさ……」
「……ん?」
「今日の連絡先交換にしても、そんなに必要あった?」
「……今日の?」
「うん、今日の部活での交換も、業務連絡用にかこつけた交換だったんじゃない?」
「……いや、そんなこと」
「具体的に、朱苑先輩や吉祥寺さんとどういう事務連絡をする?」
……そう言えば毎日連絡って、あれガチで言ってたのかな。まだしてないけど。
「……そのうち、することもあるんじゃないか」
「まあ、それはあり得るね。でもそれって、立英ちゃんにしても同じ話じゃない?」
「……初台さん?」
「うん、そのうち連絡するかもって感じだったら、そこまで怪しくはないと思うよ」
「……そんなもんかな」
「そんなもんだよ」
「……うーん」
「……これもダメ?」
「……僕と初台さんが、そのうち業務連絡するってのがイメージできない」
「それはわりとどうにかなるんじゃない?」
「……え?」
「新聞部の次の部長って高明なんでしょ?」
「……それは初耳だな」
「え、違うの? てっきりそうだと思っていたけど」
「……そんな話はしたことないな」
「そっか、でも流れ的に高明でしょ」
「……そうなのか?」
「うん、だって朱苑先輩以外で一番キャリア長いのって高明でしょ?」
「……そりゃそうだが」
「きっと朱苑先輩も、高明を次期部長にって思ってるよ」
「……僕である必要がないだろ」
「でもそうなると、私か吉祥寺さんだよ。キャリアの浅い私たちが部長ってのもおかしくない?」
「……必ずしも年功序列である必要はないだろ。英国では実力主義なんじゃないのか?」
「いやいや、ここは日本だし」
「……でもなあ」
「じゃあ高明。仮に私が部長になったとして、私の指図に従える?」
「……それは」
「無理でしょ、多分」
「……そうだな」
それは断固としてごめん被る。
「吉祥寺さんが部長ってのも変でしょ」
「……ああ」
「じゃあ、高明がやるしかないんだよ」
……考えたこともなかったが、そんな面倒な将来が待ち受けていたのか。
「話戻るけど、部長候補の高明がってことなら、連絡先交換は自然な流れだよ」
「……しかしなあ」
「立英ちゃんは立英ちゃんで生徒会長候補なわけだし、今後事務連絡は必要になるでしょ、朱苑先輩と谷在家会長みたいに」
「……あの二人は腐れ縁なんだろ、僕と初台さんとは違う」
「じゃあ立英ちゃんと高明が腐れ縁になればいいんだよ、それで今と変わらない」
「……うーん」
「納得できないかな?」
「……いや、分かった。それでいい」
部長候補というのは面倒だが、それなりに筋は取っている考え方だ。
「よし、じゃあ部長候補として連絡先交換するってことで、それでいい?」
「……朱苑先輩には話しておいた方が良いだろうな」
「そうだね。明日正式に後継者指名を貰おう」
できれば後継者などにはなりたくもないが、それ以外には選択肢はなさげ。
「細かいアプローチは柔軟にね。あくまでも自然と、部長候補として連絡先交換が必要だって流れで」
「……了解」
「じゃあ方針決定だね。お疲れ様」
「……お疲れ様」
「これくらいで良いよね。最後に質問とかある?」
「……それもお母さんの真似事か?」
「そうだよ、会議が終わる前にはこうやって確認してるよ」
「……そうか」
「うん。質問は他に大丈夫?」
「……大丈夫だ」
「じゃあ『今日はありがとうございました』ってことで、電話切るね」
「……はい」
「おやすみー」
「……おやすみ」
プー……プー……プー……プー……
「……ふう、なんだか疲れたな」
スマホの画面を見ると、もう午後十時だ。
「……」
『☆ちょこみんと☆』というアカウントからの、DM通知が表示されていた。
「……なるほど、向こうから来たか」
スマホを操作して、DM画面を開いてみる。
『高明先輩、お疲れ様です☆ ご連絡がまだ貰えてなかったので、こちらから連絡させていただきました。今日は一緒に帰れてうれしかったです(^^♪』
……やっぱり、あれは夢ではなかったんだよな。
「……返さないと、不味いよな」
どう返していいのか分かったものではないが、返さないとなんだかヤバい気がする。
「それにしても、この文体……」
いつものアレは、偽りの姿ということなのか?
「まあいいや、とりあえず適当に……」
ささっとスマホ画面を操作する。
『連絡ありがとう☆ 僕も楽しかったよ、恵蘭ちゃん』
「……軽すぎる」
ただの部活の後輩との連絡。もっと事務的でも問題はないはず。
『連絡ありがとう。今日はもう寝ます。おやすみなさい』
「いや、流石にいきなり寝るのも……」
全く、僕が何でこんなことを……
『連絡ありがとう。でもこんな遅くまで大丈夫? 明日に影響あっても悪いし、明日以降連絡するね』
「まあ、これで……」
できれば明日以降も連絡したくはないが、これならとりあえず今日はどうにかできる。
「送信、っと……」
このまま寝てもよいだろうが、一応待って……
「……もう来たか」
『☆ちょこみんと☆』からの返信が通知される。
『私は大丈夫です☆ もしかして高明先輩、お都合悪かったですか?(._.)』
「……そうだな、早く寝たいな」
本心をそのまま返すわけにもいかないので、なかなか難しい。
『いや、僕も大丈夫だけど、恵蘭ちゃん女の子だし、夜更かしさせるのは悪いかなって』
いかにも最もらしい理屈、これで対抗してみよう。
「……送信」
どうせすぐに返信が……
「……ほらね」
……まあ、僕もチョコミントアイスは好きだな。
『高明先輩、やっぱり優しいです! 流石高明先輩ですね(^_-)-☆ やっぱり……ここは高明先輩のお言葉に倣って、本日は寝させていただきます。明日はもっと早い時間に連絡させていただきますね☆』
……まあ、今日は寝かせてくれそうだから、これで良いか。僕からは連絡しなくていいみたいだし。
『わかったよ。じゃあ、おやすみなさい』
……あっちからおやすみを言ってくれた方が手早く済んだのだが、ここは仕方がない。
「……最後の送信」
……秒速だな。
『はい! おやすみなさい=^_^= また明日もお願いします☆』
……明日は遠慮したいところだが、まあいいか。
「……さて、疲れたし寝よう」
部屋を消灯して、布団に包まる。
……
…………
……
…………
「……ダメだな」
目を閉じても、脳内では様々なことが乱立する。
「……恵蘭ちゃん、か」
あの娘は一体何なのだろう、急にあの接し方だ。
「……謎すぎる」
あんなに褒められる理由もないし、芽愛と接する以上に体感的に疲れる。
「……芽愛か」
解決したとか言ってはいたが、明らかにいつもと様子は違っていた。上手く言葉は出てこないが、なんなんだろう。
「……まあ、芽愛のことを考えても仕方がない」
芽愛の振る舞いが捉えどころがないのはいつもの話、今日はやたらと気にしすぎたかもしれない。
「……しかし明日、か」
最終的には自分で決めたし、今更決定を翻す気もないが、いざ明日となると足踏みしたくはなる。
「……まあ、なるようにしかならないか」
一応は作戦もそれなりに練ったし、うまいことやれば、どうにかなるかもしれない。
「……これくらいか」
眠れないときに、思考をやめると良いというのはよく聞く話だが、僕としては、逆に考えを突き詰めた方が良い場合もある。
「さて、もう一度寝てみよう」
他に考えるようなことは、とりあえずはないはずだ。
……
…………
……
…………
寝ようと意識すると眠れないものだな。
「こういうときは……」
寝ようとはせずに、目を閉じて体を休めるという意識を持つと、結果的に眠れる場合がある。と言っても僕が編み出したわけではなく、ネットで見た情報を模倣したにすぎない。
……
……
…………
…………
……………………
……………………
………………………………
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