狙われた子ども食堂
初めて行った子ども食堂のお祭りは大成功を納め、その後、多くの子どもたちがラーラの子ども食堂に通うようになっている。
ご飯を食べに訪れる子。ただ単に遊びにくる子。親や兄弟とケンカをしたと避難してきた子。
理由はともあれ、子どもたちの〝居場所〟として着実に根付き始めていることに、ラーラはますますやる気を出していた。
夕焼けが空を赤く染めているのを見上げながら、ラーラは入り口ドア横のレモンの木に水を撒く。
夕方から少し出てきた風が、裏の森の木をさわさわと鳴らしていた。
『もう少しして、木々の葉が青々としだす頃、毎年行われている国を挙げての祭りがある。我が母上を喜ばせることのできる菓子を作れるか、競う祭りだ』
ウォルトの言葉を反芻し、ラーラは「もう少ししたら……」と呟く。
あの後、レオポルトからウォルトに誘われた祭りの詳細を知らされた。
国を挙げての大規模な祭り──スイーツフェスティバルは、年に一度、王宮内で行われるという。
国内のパティシエはもちろん、一般の参加も可能だというが、その場合は厳しい審査があり、それを通過した者のみが参加ができるという仕組みだそうだ。
王太后に危険がないよう、細心の注意を払っているのだろう。
その日は城下も大変な賑わいをみせるらしく、あちこちに菓子の出店が出るという。
国王陛下であるウォルト直々に祭りへのエントリーを招待されたため、レオポルトは「何かお手伝いできることがあればなんでもお申し付けください」と言っていた。
王宮主催のスイーツフェスティバルともなれば、とんでもなくレベルが高いのだろうと恐れ戦いたラーラだったが、聞くところによると昨年の優勝はチーズを使ったケーキだったそうだ。
チーズケーキなら自分にも作れるスイーツだとホッとしたものの、だとすれば今回どんなものを作ればいいのかと、ラーラはここ最近ずっと悩んでいる。
「ラーラー、お仕度できたよー」
「はーい、今行くー」
中からペトラの声が聞こえてきて、ジョーロを置き中へと戻る。
食堂内のテーブルには、今日は四人分の食事の用意がされている。カールとペトラ兄妹、フリオとラモン兄弟の二組だ。
「はいはい、手を洗ったら席についてー。夕飯出すわよ」
キッチンに入り、焼き上がっているハンバーグをすでにニンジンのグラッセとポテトサラダが載るプレートの上に盛り付ける。
今朝レアンコルトマーケットに出向いたときに豆腐を見つけ、今晩のメニューは豆腐ハンバーグにしようと決めていた。
この世界にくる前、手伝っていた子ども食堂で柿田夫妻がつくる豆腐ハンバーグが絶品で大好きだった。
まだまだあのふわふわな豆腐ハンバーグには追い付けないけれど、きっと子どもたちが喜んでくれるはずのメニューだ。ハンバーグも、豆腐を入れることで栄養価も高くなる。
「これ何ー? 美味しそう!」
運ばれてきた料理を自分の席につき待っていたペトラは、ハンバーグを見てラーラを見上げる。
「豆腐ハンバーグよ」
「豆腐? ハンバーグ?」
「そう。大豆っていう豆から作ったふわふわの食べ物が豆腐。その豆腐とお肉をこねて、丸めて──」
そんな説明をしていくと、ペトラは「楽しそう!」と目を輝かせる。こねて丸めるという部分だろう。
子どもは絶対に好きな作業だから、今度は手伝ってもらってもいいかもしれないとラーラは思いながら「楽しそうでしょ?」と微笑む。
「それで焼いたのがハンバーグ。さ、食べて食べて」
カールとフリオ、ラモンも席につき、出てきたハンバーグに熱い眼差しを送る。
子どもたちが食事を始める前に見せる、このワクワクした顔がラーラは好きだ。
「今日もペトラが号令ね! 姿勢を正してください!」
ラーラの食事前の号令は、この子ども食堂でも定着しつつある。
ペトラがいるときは進んで号令をかけたいと言うので、ラーラはいつもお任せして見守っている。
挨拶をするということが生活の中で身についていなかった彼らも、この子ども食堂に通うようになってからというもの、食事を始める前は「いただきます」、食べ終われば「ごちそうさま」が自然と言えるようになってきていて、ラーラはそんな些細なことが嬉しくて仕方なかった。
「いただきますのご挨拶、いただきます!」
ペトラの元気な号令で、男子三人もそれぞれ「いただきます」とフォークを手に取り食事を始める。
「美味いっ!」
早速ハンバーグにフォークを刺してかぶりついたフリオが歓喜の声を上げた。
「ハンバーグふわふわ~、柔らかくて美味しい!」
もぐもぐと口いっぱいにハンバーグを入れて、ペトラの顔には満面の笑みが浮かんでいる。
カールとラモンもパクパクと食べ進めていて、気に入ってくれた様子がよくわかった。
「このハンバーグに使った卵は、フリオとラモンが今朝届けてくれたのを使ったの」
ラーラからの知らせにフリオとラモンは全く同じタイミングでぴたりと手を止め、ラーラに目を向ける。
「自分たちの作ったものが入ってるって知ると、より美味しく感じるよね。新鮮な卵、ありがとね」
あれから家に帰ったふたりは、すぐに病気で入院している祖母の元を訪れたという。
その後、荒れ放題になってしまっている自分たちの家をふたりで協力し直していった。
ふたりの家は、代々鶏卵業を営んでいて、多くのにわとりを持っていた。
しかし、祖母だけでは維持が難しく、その多くを手放したという。
今は一部残った鶏を育てているが、ふたりが家を出、祖母まで不在になった鶏舎はとんでもないことになっていた。
一部破れた網から鶏が逃げ出し、数も減っていた上、鶏舎は卒倒するほどの汚れ。
数日かけて掃除をし、やっと元通りになったとラーラに報告しに来たふたりは、ラーラが初めて会ったときとは全く違う明るい顔つきをしていた。
この姿が本来のふたりなのだと、ラーラは改めて救い出せてよかったと思わされた。
「そういえば、菓子祭りに作るものは決めたのか?」
食事を始めてしばらくすると、カールが思い出したようにラーラに訊く。
ラーラがスイーツフェスティバルへ参加するようウォルトに誘われたことは、あの日ウォルトが現れたことでみんなが知るところ。
国王直々に祭りへの参加を求められたことは、子どもたちを大いに盛り上がらせた。
「うーん……それが、考え中なのよね」
昨年優勝したのがチーズケーキなら、やはりそれに倣ったようなケーキを作るのが無難なのか。
この祭りが王太后の喜ぶ菓子を作るというテーマの祭りなのだから、王太后の好きなものがわかればそれに合わせてメニューを考えられるのだが、ラーラには何も情報がない。
「ラーラの作るものなら、余裕で優勝しそうな気がする」
カールがそう言うと、フリオは「確かに!」と言い、ラモンは食事を続けながら黙ってうんうんと頷く。
子どもたちが過大評価すぎて、ラーラは思わずぷっと吹き出してしまった。
「みんなずいぶんと私の料理に惚れ込んでくれてるのね」
「ラーラの作ったもので、美味くないって思ったものないし」
さらっと出てきたカールの言葉に、ラーラはジーンと胸を打たれる。
つい目頭が熱くなりかけてしまい、誤魔化して「褒めすぎだから!」と笑い飛ばした。
「でもまぁ、参加するからには、いい結果を残したいよね。やっぱり、美味しくて見栄えもするお菓子がいいのかな……?」
美味しくて見栄えのするスイーツ。やはり、デコレーションケーキや載せ物が賑やかなタルトとかだろうかとラーラは考える。
「ペトラ、ラーラのパンケーキが好きー!」
ペトラが天井に向かってピンと手を伸ばしそう発言すると、すかさずラモンが「俺は──」と割って入る。
「はじめに食べたフレンチトーストが美味かった」
「俺は、サツマイモ使ったケーキ。あれまた食べたい」
食事をしながらこれまで食べたものをあれこれ言い合う子どもたちを、ラーラは微笑ましい気持ちで目に映す。
(子ども食堂……まだまだ擬きかもしれないけど、こんな風に子どもたちが集える場所が作れたことが嬉しいな……)
これから少しずつ、この場所も自分自身も成長していきたい。
ささやかな願いを胸に、ラーラは片付けにキッチンへと入った。
子どもたちが食事を終えた頃には、すっかり空は夜の闇に包まれていた。
無数の星が瞬く夜空を見上げ、ラーラは入り口から帰る支度をしている子どもたちに声をかける。
「もう暗いから、気を付けて帰るのよ」
ラーラの子ども食堂周辺は、まだ舗装が完璧にされていない土の道が続く。
建物の建設と共に周囲に街灯を少しつけてもらったようだが、裏の森は夜の闇に呑まれると何も見えないくらい暗い。少し恐ろしく感じるほどだ。
「ラーラ、また明日もくるね」
「うん。待ってるわ」
ラーラは腰を落とし、出てきたペトラの服を整える。
リュックを背負ったときにワンピースの襟を巻き込んだようで、くしゃくしゃになった大きな襟を広げて直した。
「……よし、オッケー」
「ありがとう!」
そんなやり取りをし、何気なく再び外に目を向けたときだった。
闇に呑みこまれ黒い色しか見えないはずの裏の森に、オレンジ色の光がふたつ、ゆらゆらと揺れているのをラーラは見つける。
なんだろう。そう思っているうちにも光は近づいてくるように見える。
それが人の持つ松明だとわかったとき、ラーラは自然と出てきた子どもたちを守るように前に立った。
「あんたがここを始めたラーラって女か」
しんと静かな夜空に、知らない男の野蛮な声が響き渡る。
森を抜け子ども食堂の庭に足を踏み入れた男たちは、どちらもがたいのいい大柄な男だった。
夜でよく見えないが、身なりはあまり綺麗ではなく、どちらかというと盗賊のように見える。
「あ……」
背後で息を呑む気配を感じラーラが振り返ると、フリオが真っ青な顔をして近づいてくる男たちを凝視している。
ラモンも一点を見つめるように男たちを見ていて、ラーラはそこでやっと男たちの正体に察しがついた。
「一度優しく忠告したが、うちの可愛い子どもたちまで丸め込んでくれたようで? 仕方ないから直々に来てやったってわけだ」
オレンジ色の火に照らされる顔がよく見える近さまで距離を詰められると、ラーラの心臓は緊張で激しく打ち鳴る。
しかし、怯んではいけない。
子どもたちを守れるのは今ここに自分しかいないと思うと、手の平に爪が突き刺さるほど強く拳を握りしめた。
漂う空気で恐怖を感じたペトラが、ラーラの腰回りにぎゅっとしがみ付く。
「申し訳ないですが、本日はもう閉めるところで」
努めて明るい声でそう言ったラーラに、男たちは眉根を寄せる。
「私もあなた方とは一度面と向かってお話をしなくてはならないと思ってました。ですが、今は子どもたちを帰すところなので、また日を改めてもらえるでしょうか?」
毅然と姿勢で言葉を並べたラーラを、男たちは揃って嘲る。
「俺らと話そうと思ってた? こっちにはそんな気、一切ないね。目障りなんだ、邪魔なんだよ、こんなこと始められてガキを集められちゃ」
「それ以上近づかないで!」
じりじりと距離を詰めてくる男たちに気持ちが焦り、ラーラは出せる精一杯の声で威嚇する。
「そちらがそういう気なら、こっちだって引かないわ。この国の子どもたちを連れ去るのは金輪際やめて、今すぐ国に帰りなさい。それから、連れ去った子どもたちを全員返して」
恐怖に支配されていたラーラの心が、子どもたちを守りたい、助けたいという気持ちに打ち勝つ。
考えなくても言うべき言葉がすらすらと出てきて、ラーラ自身も内心驚いていた。
「ほう……どうやら口で言ってもわからないようだな」
そう言ったひとりの男が、懐に手を入れる。
出てきたものが物騒な刃物だったことに、ラーラは目を見開いた。
松明の火が反射するその刃先を見た瞬間、仕舞われていた記憶がフラッシュバックしてくるように広い園庭が蘇る。
あちこちから上がる悲鳴、逃げ惑う子どもたち。
夢花だった頃の自分が、最後を迎えたあの現場──。
あのときも考えるよりも先に、子どもたちを守ろうと体が勝手に動いていた。
ラーラは足もとにあるブリキのジョーロを手に取る。
「ラーラ、危ない!」
すぐ背後でカールの声がしたとき、男がラーラに向かって一気に距離を詰めた。
そのときだった──。
「うおっ、な、なんだ!」
ラーラに向かって駆けだした男の顔面に、丸い光の塊が激突する。
(あっ……!)
それは、これで三度目になる虹色に輝く丸くてふわふわの毛玉。
驚いて足が止まった男の顔面にまとわりつくように、何度も何度も衝突を繰り返す。
「なっんだこれ! おい、離れろっ、くそっ」
手で払おうとしても無駄な抵抗で、男の手をすり抜けて毛玉はぽふぽふと視界を邪魔する。
そんな状況の中、辺りに馬の嘶きが響き渡り、向こうからマントを翻しながら騎士服に身を包んだ集団が現れた。
「ラーラ!」
その先頭で騎士を率いていたのはウォルトで、子どもたちを必死に守っているラーラを目にし、叫ぶように名前を呼ぶ。
「くっそ!」
まずいと思った男は、踵を返し走り出す。
負け惜しみに手にしていた松明を子ども食堂に向かって力いっぱい投げると、窓がバリンと音を立てて割れた。
「奴らを捕らえよ!」
一目散に逃げていく男たちに、ウォルトの怒号が飛ぶ。
「あっ──」
男が投げ込んだ松明が食堂の中で燃え続けているのを目にし、ラーラは息を呑んだ。
出窓を破って入った松明は窓辺のソファの上に落ち、座面に一気に燃え広がる。
そこから出窓のカーテンへと燃え移り、あっという間に天井に炎を広げた。
「火が……火を消さないと──」
このままでは建物に火が回っていく。
今すぐ消し止めないといけないと気持ちが焦りながら、ラーラは子どもたちを振り返る。
「みんな、危ないから建物から離れて!」
子どもたちを急いで前の道へと連れていく。
戻ろうとするラーラの腕を、カールが引き留めるように掴んだ。
「ラーラ! どうする気だよ!」
「火を、火を消さないと!」
「それなら俺も行く!」
ラーラは「ダメ!」と言い聞かせるようにカールの両肩に手を置く。
「危ないから、絶対に来ちゃだめ!」
「でも! それならラーラだって危ないだろ!」
「すぐに戻ってくるから。大丈夫」
気持ちに余裕なんて全くないのに、ラーラはにこりと笑って力強く頷く。
「ラーラ!」
次々と上がる子どもたちの声を背中に受けながら、ラーラは子ども食堂の入り口から中に飛び込んだ。
「あっ!」
しかし、思っていたよりも火の回りが早く、すでに天井に移った火は出窓の上から部屋の中心へと近づいている。
(どうしよう……! 消火できる!?)
焦燥感に襲われているせいか、平常時のようにすぐに体が動き出せない。
飛びつくようにしてキッチンに入り、蛇口を全開にひねる。
「バケツ、桶、何か水を汲むものっ──」
そばにあった洗い桶に水を汲み、両手に抱えて火元へ走る。
勢いよく運んだ水をかけ、それを何度か繰り返すものの、広がっていく火の勢いは一向に弱まらない。
「ダメだ……間に合わない……」
いよいよ中央の食卓にまで火の手が迫ると、赤と青のチェック柄のテーブルクロスに火が燃え移る。
今さっきまでここで子どもたちがワイワイと楽しく食事をしていたのに、目の前に広がる光景にラーラは息が止まりそうになった。
それでも絶対に置いていけないものを取りに、ラーラは煙が充満し始めた階段を駆け上がる。
寝室に入り、ベッドサイドのテーブルに置いてある家族写真のフレームを手に取った。
(これは、持ち出さないと……!)
急いで部屋を出て、階段を下りだす。
煙で視界は悪く、目を開けていることも辛い状況の中、ラーラは手すりに掴まりながら一階を目指す。
しかし、煙を吸い込んでいるせいか気分が急激に悪くなり、口を押さえ咳き込みながら、次第に意識が遠退き始める。
(嘘……私、ここでまた……?)
手すりにしがみついた状態で耐えていたとき──。
「ラーラ!」
階段の下から自分を呼ぶ声が聞こえる中、ラーラはそこからふっと意識を手放した。