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心動かすサツマイモチョコブラウニー




カールとペトラがサツマイモを届けてくれた日から、三日後……。


「どうしてサツマイモをお日様にあてるのー?」


「サツマイモはね、お日様にあてると甘く美味しくなるんだよ」


「えー! そうなのー?」


庭のテーブルで日に当てていたサツマイモを集めながら、ペトラはラーラに質問する。


ペトラは、日向ぼっこするようにテーブルに並べられていたサツマイモが不思議だったようだ。


収穫したサツマイモは天日干しすると余分な水分が抜け、糖度が増す。


数日干す余裕があれば、日に当ててから調理したほうが一段と美味しくいただけるのだ。


「お日様のパワーをもらうんだね!」


「そう! お日様はすごいよね〜! よし、ペトラ、これからサツマイモを柔らかくするよ」


「柔らかく?」


ラーラは集めたサツマイモを食堂の中に運び込み、キッチンに用意しておいたまな板の上にのせる。


手早く輪切りに切っていくと、それを水を張った鍋に入れていく。


あとからついてきたペトラは、キッチンに置かれている木の椅子によじ登り、サツマイモを調理していくラーラの姿を後ろから眺めていた。


「柔らかくして、サツマイモは何に変身するのかな?」


鍋を火にかけたラーラは、すでに用意してあるフライパンを火にかけ、そこにナッツを入れて炒っていく。


「うーん……わかんなーい」


以前、カールがサツマイモは美味しくないと断言していた。


きっと、口の中の水分を取られる感じが美味しくないと感じる原因のひとつだろう。


工夫なく蒸しただけのサツマイモなら、大抵の品種がもそもそとする食感だ。


「今日はね、サツマイモは美味しい美味しいケーキに変身するよ」


「ケーキ……? この間の、パンケーキ?」


「パンケーキとはまた違うケーキなんだ。ブラウニーっていうケーキだよ」


ラーラにそう言われたペトラは、首を傾げてみせる。


食文化の発展がまだまだのこの世界には、ケーキなんてものほとんど知られないメニューなのかもしれない。


パンケーキであんなに感激してくれたのだ。


クリームでデコレーションしたケーキ、フルーツをふんだんにのせたタルト、ずっしりとしてサクサクのパイ。


ラーラはこの世界で子どもたちにいろいろなケーキを作って食べさせてあげたいと思う。


「さて、サツマイモは柔らかくなったかな〜?」


鍋の湯が沸騰すると火を弱め、そこから約五分ほど弱火で茹でていく。


フォークで刺し柔らかくなっているのを確認すると、湯からサツマイモをあげた。


「あち、あちちっ」


熱いうちに手早く皮の処理をし、ぽんぽんとボウルに入れていく。


それを木べらで粗めにマッシュすると、キッチン台の隅に置いておいた皿を手に取った。


そこに載るのは、二日前の朝に忽然と現れたチョコレート。


毒見……いや、味見をして間違いなくチョコレートだった。


しかも、かなり上質なものだ。


このチョコレートがどうやって現れたのかは未だわからないでいるが、ラーラはあの毛玉の生き物が関係しているような気がしてならない。


それから姿を見てはいないけれど、なぜだかそう思えて仕方がないのだ。


板状のチョコレートを、包丁で細かく砕いていく。


それをマッシュしたサツマイモが入るボウルに投入し混ぜていくと、サツマイモの予熱でチョコレートはあっという間に溶けていった。


「──よし、あとは、ここに……」


計量しておいたミルク、あらかじめ水で溶いておいたココアを入れて混ぜ、更に卵を一個割り入れる。


最後に炒っておいたナッツを投入すれば生地は完成だ。


「できたのー?」


「ううん。これからこれを焼いていくよ」


ペトラは待ちきれないといった様子で、ラーラの横に踏み台にしていた椅子を持っていき上がり直す。


ラーラは天板にバターを塗り、そこに仕上がった生地を広げていく。


本来ならアルミホイルを天板に敷いて生地をのばすが、アルミホイルがないためバターを塗って生地が焼き付かないようにする。


「うん、いい感じ! じゃあ、これを……」


天板を両手に持ち、ラーラはキッチン奥に備え付けられている石窯へと運んでいく。


重い扉を開け、すでに熱くなっているその中へと天板をそっと置き入れた。


「どのくらいで焼ける?」


「そうだな……この石窯なら、十分くらいかな? 様子みながら焼いていくよ」


「楽しみだなー!」


ペトラはキッチンからスキップをして駆けていく。


その後に続いてキッチンを出て行った時、入り口の扉が勢いよく開いた。


「ペトラ! ラーラ!!」


飛び込むようにして入ってきたのは、カールだった。


血相を変えて中にいるペトラとラーラを確認すると、深く息をつき「良かった……」と安堵して両膝に手を置き項垂れる。


「お兄ちゃん、どうしたの?」


ペトラの声に、カールは無言のままラーラに目を向ける。


ラーラは何か異変を感じ、カールに駆け寄った。


「どうかした?」


「ちょっと来て!」


「えっ、何、どうしたの⁈」


カールに突然腕を掴まれて、ラーラはぐいぐいと連れて行かれる。


カールはラーラの腕を引いたまま入り口を出、表へと出ていった。


「カール、外に何が」


「見ろよ、これ!」


カールに連れて行かれた先、ラーラは見たものに目を疑う。


建物から出て石畳みの小道を進んだ先、ラーラが作った木造りの看板がある。


こども食堂とわかるように小枝を使って書き、スプーンとフォークをオブジェ代わりに取り付けた遊び心のある看板。


木の杭で地面に立てておいたそれが、引き抜かれ土の地面に倒されていた。


踏み付けられたような跡もあり、組み合わせて字を作っていた小枝は折れ、オブジェのスプーンは外れて転がっている。


「ひどい……誰が、こんなこと……」


膝をつき、地面に散らばった文字作りに使っていた小枝を拾うラーラを、カールは奥歯を噛み締めて見守る。


「ペトラ、さっき来た時には壊れてなかったよ!」



ラーラのそばで声を張るペトラをチラリと見たカールは、「やっぱり」とポツリ呟いた。


「アイツらだ……」


「え……?」


「さっき、ここに来る途中に見かけた。奥の森に走り去っていったから、何かあったのかもって来てみたら、こんなことに……」


カールの話に、ラーラは手を止め立ち上がる。


子ども食堂裏にある森の入り口に目を向けるカールを、横から覗き込んだ。


「見かけたって、どういうこと? アイツらって?」


「フリオとラモン、双子の兄弟……アイツら、悪い大人たちの手下みたいになっていろんな場所で悪さばっかしてる」


カールから聞かない名前が出てきて、ラーラは僅かに眉根を寄せる。


「悪い大人たちの手下って、いったいどういうこと? そのフリオとラモンって子たちは、カールの友達なの?」


「……昔は、遊んだこともあった。俺がペトラくらいの時だけど。でも今は、アイツら家にも帰ってないみたいだし」


話の断片しか聞いていないけれど、ラーラは何かよくないことが起こっているのだと肌で感じ取る。


「カール。ちょっと詳しく話して」


そう言って、子ども食堂の中へと入っていった。




「じゃあ、そのふたりはもうずっと家に帰らず、その大人たちのところにいるのね?」


「家に帰ってないのは間違いない。どこにいるかはよくわからないけど、噂ではその大人たちのアジトにいるって聞いてる」


話を聞けば聞くほど、ラーラの表情は険しさを増していく。


「ふたりが帰らないのは、なぜなのかな。家は、あるんだよね?」


「アイツらの家は、もう親はいない。ばーちゃんがふたりと暮らしてたけど、今はもう、体壊して、あの家には誰も住んでいない」


「そうだったの……」


帰る家を失い、居場所をなくした子どもたちが路頭に迷う。


そして、それに漬け込む悪い大人たち。


夢花として生きた世界にも、そんな事件は日常的に耳に入ってきていた。


家庭や学校、地域の大人たち。周囲の大人たちがみんなで子どもたちを見守る。


それは、どこの世界でだって変わらない。


だけど、この国には子どもたちを守るシステム自体が欠落している。


どんな身分の子も分け隔てなく学校に行ければ、もう少しは違っただろうか。


「で、そのカールの言う〝悪い大人たち〟っていうのは、一体なんなの? この辺りの人たち? 何が目的でふたりを囲い込んでいるの?」


ラーラのほうも何からどう訊いていいのかわからず質問攻めになってしまう。


カールはラーラの勢いに押されつつも、頭の中で話の順を追って整理していった。


「聞いた噂だけど、国中で身寄りのない子どもたちを捕まえて、隣国に売り飛ばしてるとか」


「えぇ!?」


ラーラの上げた声に、カールとペトラはビクッと肩を揺らす。


ペトラが「びっくりした……」と呟き、ラーラは「あ、ごめん」と謝る。


「俺も、正体はわからない。だけど、大人たちの話を聞くかぎりだと、バルクス帝国の人間が国内に紛れ込んでるとかって」


「バルクス帝国の人間……?」


「五年くらい前……俺がペトラくらいだった頃かな。その国が侵略してきたことがあったんだ。今の国王が国を強くしたから戦いには勝ったけど、まだ火種はあるんじゃないかって、うちの親は言ってた」


マーケットに初めて出向いたとき、若き国王陛下をラーラは見かけた。


ちょうど五年ほど前、十七歳で一国を背負ったとレオポルトから聞かされたが、その時に侵略してきたのがバルクス帝国だったということだ。


「それじゃ、フリオとラモンも、そのバルクス帝国の人間に誘拐されたということ?」


ここまでの話を聞けばラーラはそう考えてしまう。


しかし、カールは首を傾げる。


「それは、わからない。でも、きっかけはどうであれ、少なくとも今は自分たちの意思でそこにいるんじゃないかって俺は思ってる。嫌なら、逃げてくるはずだから」


カールの考えを聞いたラーラは、確かにそうかもしれないと納得する。


でも、自分たちの意思でそんな場所に身を置く理由はなんだろう。


「だいたいの話はわかったわ。よし! ふたりを取り返すわよ」


ラーラの突拍子もない言葉にカールは「えっ?」と目を丸くする。


「取り返すって……」


「カールの知ってる子たちが、悪い大人と一緒にいるなんて黙ってられないでしょ?」


「いやでも、相手はヤバい奴らなんだぞ? 歯向かったら、看板壊されるくらいじゃ済まないかもしれない」


「そのときはそのときよ! でも、私だって一応大人よ? 無策で挑むわけじゃないわ」


部屋の中に甘い香りが漂ってくる。


カールが来る前に焼き始めたチョコブラウニーが完成間近だと思い出し、ラーラは椅子を立ち上がる。


「そうだ。カール、ちょうどよかったわ。この間持ってきてくれたサツマイモで、ケーキを焼いていたの。食べていって」


石窯へと向かい扉をはずすと、顔が熱気に包まれる。


中のブラウニーは程よく焼けていて、ラーラは手袋をはめて慎重に天板を取り出した。


「うん! いい感じに焼けてるわ」


天板の上で五センチの正方形サイズに切り分けていく。


ラーラについてキッチンに入っていったペトラは、皿に載せられていくケーキの断面を見て「わぁ!」と声を上げた。


「サツマイモがいっぱい!」


チョコとココアの黒い生地の中には、ごろごろと粗く潰したサツマイモ。


断面にはサツマイモの黄色が綺麗に出るのがこのサツマイモブラウニーだ。


「はーい、お待たせー」


切り分けたブラウニーを皿の上に積み上げ、テーブルへと運んでいく。


椅子にかけたまま待っていたカールは、出てきたブラウニーをじっと観察するように見つめる。


「サツマイモは美味しくないって言ってたカールに、ぜひ食べてほしいケーキよ。サツマイモブラウニー」


ただ蒸かしたサツマイモは、ぱさぱさして口の水分を取られる。それが好きな人もいるけれど、苦手と思う人も多くいるのがサツマイモという食材。


だけど、サツマイモは手をかけてあげれば、美味しいおやつを多く生み出す。


スイートポテトや大学芋はみんな大好きなサツマイモメニューだ。


「ラーラ、食べてもいい?」


ペトラは待ちきれないといった様子で、ラーラがブラウニーを載せてくれた目の前の取り分け皿を見つめている。


「うん、食べてみて」


「わーい! いただきまーす!」


ペトラの小さな手がチョコブラウニーを掴み、大きく開けた口の中にぱくりと半分入っていく。


もぐもぐと咀嚼するペトラの表情がぱぁっと花が咲くように笑顔になっていき、ラーラはドキドキしながらその感想を待つ。


「美味しい……!」


「本当? よかったー!」


「サツマイモ、あま~い!」


天日干しした効果もあるだろうけど、チョコブラウニーとのコラボがサツマイモの美味しさを引き出しているのだろう。


もぐもぐ美味しそうに食べるペトラの姿を横目に、カールも目の前のケーキを手に取る。


その断面を見て「ほんとだ、サツマイモ……」と呟いた。


「いただきます」


「はい。召し上がれ」


サツマイモを全力否定していたカールが認めてくれるものが作れたか。


カールがブラウニーをかじる姿を祈るような気持ちで見守る。


「……美味い」


ぽつりと出てきたひと言目に、今度はラーラの表情も花が咲いたように明るくなった。


「やったぁ! よかった!」


ふたりの感想を聞いて、ラーラもやっとブラウニーを手に取る。


ずっしりと重い久しぶりのサツマイモブラウニーは、手に取ったその感じがどこか懐かしく感じられた。


「……うん、やっぱり美味しい!」


しっとりとしたチョコとココアの生地に食べごたえのあるサツマイモ。ナッツが食感のアクセントになっているのもいい。


何個か食べれば、すぐにお腹が満たされてしまう。


「正直言うと、無理だろって思ってた。サツマイモを美味しく食べるなんて有り得ないって……」


手にある食べかけのブラウニーを見つめ、カールはひとり言のように呟く。


「でも、こんな風にケーキにして食べるなんて、考えもしなかった。蒸かして、皮剥いて食べることしか、知らなかったから」


「もっともっと美味しいサツマイモの料理はあるよ。これから、ひとつずつ作っていくから。だから、サツマイモは美味しいって、カールにも認めてほしいな。カールの家は、美味しい食材をあんなに作ってるんだよ」


「うん、そうだな。これからは、畑のことももっと手伝ってもいいかもって思えてきた」


「本当に!? それはきっとご両親も喜ぶわね! 私も嬉しい!」


美味しそうにブラウニーをかじるカールの姿を目に、ラーラは料理が誰かの心を動かす力を改めて再確認し感激する。


楽しくブラウニーを食べながら、入口の横に運び入れた壊された看板をちらりと見遣った。


(あれをやった子たちにも会って、ちゃんと話を聞かなくちゃいけない。何か困っているなら、必ず助けたい)


まだ会ったこともない子どもたちを想い、ラーラは強く心に誓った。



* * *



看板が壊される事件が起こってから、数日後──。


「ラーラ、こんなので本当に捕まえられるのかよ」


「ちょっ、カール。こんなのは失礼でしょ! 検討に検討を重ねた結果、これが安全かつ確実にふたりを確保する方法って答えにいきつたんだから」


「いや、でも……」


早朝の子ども食堂。


広げられたネットを見下ろし、カールは苦笑いを浮かべる。


フリオとラモンが、毎朝早朝にこのこども食堂の前を通ってどこかに向かっているという情報をカールから得たラーラは、どうふたりを引き留め話をしようか真剣に考えた。


声をかけても、きっと間違いなく逃げられてしまう。


看板を壊したことを怒られると、やった本人たちが一番わかっていることだろう。


そうなると、引き留めるなら強硬手段に出るしかない。


それを考えたとき、危険がなく、確実にふたりを捕まえられるのはネットを被せるのが一番だとラーラは閃いた。


ふたりが通ると思われる時間帯に待ち構え、子ども食堂の二階バルコニーから、ネットを落とし被せる。


絡まりもがいているうちに確保、というシナリオだ。


「レオポルト様に頼んで、ちょうどいいネットを用意してもらったの。ほら、この伸縮性のある網が絡まれば、そう簡単にほどいて逃げるのは難しいはずよ」


レオポルトに相談すると、すぐに要望したネットを運んできてくれた。


海での漁に使うという伸縮性のある網目の細かいネットで、もがくと絡まり余計出られなくなる。


重みもなく危なくないものだから、子どもに被せても問題はないだろうとレオポルトも言っていた。


「まぁ、確かに絡まりそうな素材ではあるけど……」


「でしょう? あとは上手く被せられればバッチリよ」


「そんな上手くいくかな」


「やってみないとわからないでしょー? さっ、もうすぐ前を通る時間だよね? 一緒に手伝って」


ラーラは用意したネットを二階のバルコニーへと運んでいく。


カールもネットが使う前から絡まないようにラーラを手伝った。


バルコニーに出ると、朝日がさし始めたいい天気にラーラは大きく朝の新鮮な空気を吸い込む。


「カール、ふたりはこの前の道をレアンコルトマーケットの方面に向かって歩いていくのよね?」


「うん。いつもだいたい同じ時間にふたり揃って。たぶん、今日も通ると思う」


「よし。じゃあ、シミュレーションしてみないと」


バルコニーに潜んで、ふたりが通りがかったところをうまいことネットを上からかける。


イメトレは十分だが、思っているように投げ落とせるかと今更不安になってくる。


(投げ落とすときに、上手いこと広がってくれないとアウトだよね……網が柔らかいから、絡まりやすいし、慎重に落とさないと)


「ラーラ、来たぞ」


「えっ、うそ」


慌ててしゃがみ、バルコニーに手すりの隙間から様子を窺う。


裏の森の小道から、黄金のサラサラな髪の少年がふたり連れ立って歩いてくるのがラーラの目に飛び込んできた。


「カール、あのふたりがフリオとラモン?」


声のボリュームを極力落として尋ねると、カールは黙って一度しっかりと頷いた。


聞いていた通り、年のころはカールと同じくらい。


ふたりとも黒い長ズボンに、白いTシャツ姿だ。


同じ黄金のサラサラな髪質だが、ひとりはマッシュルームカットで、もうひとりは少し長めのウルフカット。


双子だというが、ラーラの位置からでは顔まではよく見えない。


「髪が短いほうが弟のフリオ。長いほうが兄のラモンだよ」


「なるほど。まずは髪型で覚えないとね」


「ラーラ、俺はあいつらの通り過ぎたところに目がけて投げるから、ラーラはなるべく前に向かってネットが広がるように投げてくれ」


「う、うん、わかった」


しっかり者のカールにいつの間にか指示されて、ラーラはネットを手にそっとバルコニーの手すりから顔を出す。


ふたりが子ども食堂に差しかかると、ラーラの喉がごくりと鳴った。


「ラーラ、今だ!」


カールが声を上げ、バルコニーから前の道に向かってネットを投げ落とす。


「あっ……!」


しかし、あろうことかラーラの指先にネットが引っかかり、思っていたような形でネットが広がっていかない。


思わず上げたラーラの声に下を歩くふたりが気付いてしまう始末で、上を見上げ落ちてくるネットに目を見開いた。


(だめ……! その場所に落ちたんじゃ、うまくふたりが入らない!)


失敗してしまった。ラーラがそう思ったときだった。


バルコニーから下を覗くラーラの頭上から、光の塊が勢いよく落ちていく。


(えっ!? な、何……!?)


落下してきたと思った塊は、急にふわっと宙を舞い、ネットに向かって飛んでいく。


(あっ、あの毛玉……!)


丸く自ら発光するようなその塊は、ラーラがこの間この子ども食堂内で見たものだった。


そう、チョコレートが現れたときに見た毛玉。


あのときは追いかけて逃げられてしまったのだが、またこうして現れるなんて。


毛玉は虹色に発光しながらふわりとネットに飛んでいくと、ラーラが投げる位置を失敗したその端を掴むようにしてネットを素早く広げる。


地面にその端を置くようにぴょんぴょんと数か所飛び回り、再び空に向かって飛んでいく。


「あっ……」


バルコニーに立つラーラより高くまで飛ぶと、毛玉はラーラへと振り返る。


そして、大きな目玉でパチッとウインクした。


「あ、ちょっと待って!」


引き留めたものの、毛玉は光の速さで飛び去ってしまう。


(行っちゃった……)


空を見上げたまま呆然としているラーラに、カールが「ラーラ!」と声を上げる。


ハッと我に返りバルコニーから下を見下ろした。


「なんだこれ! おい、フリオ暴れんな!」


「だって、絡まって取れない!」


そこには、見事ネットに絡まりもがいているふたりの姿が。


「逃げられる前に行くぞ!」


「う、うん!」


カールが先にバルコニーから飛び出していき、ラーラも急いであとを追いかけた。


外に飛び出すと、フリオとラモンはネットに絡まったまま、なんとか逃げ出そうともがき続けていた。


焦れば焦るほどより絡まっていき、ふたりの体はくっつくようにしてネットにひとまとめにされていた。


「おい、カール! お前、どういうつもりだよ!」


「今すぐ出せよ!」


身動きが取れない状態でも、双子揃って威勢はいい。


「人の物を壊しておいて、その態度はないだろ」


なんとかネットから逃れようとしているふたりを、カールがネットごと捕まえる。


それでも逃げようとしたふたりは、バランスを崩しその場に倒れ込んだ。


「フリオ、ラモン、初めまして」


やってきたラーラに名前を口にされたふたりが、ネットの中からラーラを見上げる。


「私は、ラーラ・フィアロ。ここで、子ども食堂をやっているの。よろしくね」


子どもたちに見せるいつもと変わらない笑みを浮かべ、ラーラはふたりに自分を紹介する。


しかし、フリオとラモンはどんな顔をしたらいいのかわからず、無表情のまま。


ふたり揃って、どこか気まずそうにラーラから目を逸らした。


「ね、こんな朝早いけど、朝ごはんは食べたの?」


緊迫した空気が流れ始めた中、ラーラはそれを打破するような質問をふたりに投げかける。


横にいるカールもラーラの言葉が想定外だったのか、黙って驚いた眼差しを向けていた。


「今朝はね、今からフレンチトースト焼くの。カールと、私と、四人で一緒に食べない?」


ラーラの誘いに、ふたりは簡単には頷かない。


警戒した目でじっとラーラを睨みつけているが、ラーラのほうは全く動じず、にこりと微笑む。


「じゃあ、中で焼いてるから、カールに案内してもらってね」


そう言い残し、軽い足取りで子ども食堂の中へと戻っていった。



今朝はカールも来る予定になっていたし、フリオとラモンを引き留めることができたなら、みんなで朝食にフレンチトーストを食べようとラーラは今朝暗い時間から用意をしていた。


一昨日焼いた食パンをスライスし、卵とミルクを溶いた液につけ置く。


パンに液がしっかり染み込むと、元が食パンだとは思えないほどふわふわ食感のフレンチトーストに仕上がる。


そこにはちみつをかけたり、クリームを載せたり。フルーツも添えれば栄養もバッチリ取れる豪華な朝食だ。


熱したフライパンにバターを入れ、全体に溶け広がったら浸しておいたパンを焼いていく。


白い表面に焼き色がついてきたらあっという間に完成だ。


ラーラがフライパンに向かっていると、入り口が開き、まだネットに絡まったままのフリオとラモンがカールに連行されるような形で入ってくる。


カールはドアを閉めると、絡まったネットをふたりから外していった。


「いらっしゃい。さぁ、座って座って。食べましょう」


続々と焼き上がるフレンチトーストを皿に盛り付け、とろりとはちみつを垂らす。


「怒んないのかよ。前の看板、壊したのに」


ふたり分のお皿を手にキッチンを出てきたところで、髪の長いほう──ラモンが口を開いた。


「それは怒ってるに決まってるじゃない。あれ、作るの結構頑張ったのよー?」


怒っていると口にしつつも、ラーラははきはきと明るい口調で言い返す。


「じゃあ、なんで俺らに食べ物なんて与えようとしてんだ」


「それとこれはまた別の話。どんなに悪人だって、お腹は空くでしょ?」


そう言ったラーラは、「あ、悪人は言い過ぎね。ごめんごめん」と可愛い舌をぺろりと出した。


「毒がなんか入れてるんじゃないだろうな?」


ラモンがそう言うと、それを横で聞いていたカールが突然ラモンの胸倉を掴む。


「ラーラがそんなことするわけねーだろ!」


「カール、いいの。そう疑ってもおかしくはないわ」


自分たちの悪事の仕返しをされるかもしれない。


彼らがそう思うのは普通のことだと、ラーラは穏やかな気持ちで受け止める。


「大丈夫よ。そんなことしてあなたたちを苦しめたって、私には何の得もないもの。それだったら、あの看板をふたりに作り直してもらうわ」


冷静でもっともなことを言い返され、ラモンは言い返す言葉を見失う。


「さ、座って。カールも。話は食べてからよ」


立ち尽くすフリオとラモンを前に、ラーラは再びキッチンに戻りカールと自分の分のフレンチトーストも運んでくる。


その後、もこもことしたクリームの載った皿と、ベリーやバナナを食べやすく切ったフルーツの載る皿もテーブルへと運んだ。


「ほら、座れよ」


テーブルが賑やかになってきて、カールは依然として佇んでいるふたりに着席を促す。


キッチン側にラーラとカールが着き、入り口側にふたりの席が用意され向かい合う座席。


「ほら、座って」


椅子にかけたラーラににこりと微笑まれ、フリオのほうが先に椅子の背に手をかけた。


「おい……」


その様子を見た兄のラモンは引き留めるようにフリオを呼ぶ。


「ラモンも座って。ほら、あなたが席に着かないと食べられないでしょ」


フリオが椅子を引き着席したのを目にしながら、ラモンは最後まで粘って座ろうとはしない。


しかし、ラーラとカールにじっと見つめられて、仕方なく用意された席に腰を下ろした。


「さぁ、じゃあいただきましょう。姿勢を正してください。いただきますのご挨拶、いただきます!」


未だ幼稚園教諭だった夢花の部分も抜けないラーラは、園での給食の挨拶で号令をかける。


すっかりそれに慣れたカールは、「いただきます」と言ってフォークを手に取った。


「うまっ……なんだこれ、やわらかい」


早速フレンチトーストを口に運んだカールから、歓喜の言葉が上がる。


「ほんと? よかった。今朝がた仕込んだから、柔らかさ大丈夫か心配だったんだけど……うん、ほんとだ美味しい!」


口の中でとろける、まるでプリンような食感は、食べた人を幸せな気分にさせてくれる。


「カール、クリームとフルーツも一緒に食べてね。より美味しくなるからおすすめ」


「うん」とクリームの盛る皿に手を伸ばしたカールは、今日は一緒じゃないペトラのことをふと思う。


「これはペトラも食べたかっただろうな……今日黙って来たから、言ったらあいつ怒りそう」


「食べたいって言ったら連れてきて。フレンチトーストなら、またいつでも作るわ」


ラーラとカールが目の前で会話を繰り広げるのを、フリオとラモンはテーブルの上のものには一切手をつけないまま聞き入っている。


自分たちも知っているカールと親し気にに接しているラーラと、出された料理を美味しそうに食べているカールの姿を目の当たりにし、フリオは目の前に置かれた自分の分のフレンチトーストをじっと見つめる。


その様子に気づいたラーラは、「フリオ、よかったら食べてみて」とさりげなく声をかけた。


フォークを手に取るか取らまいか、フリオの中で葛藤が生じる。


しかし、なによりお腹が空いている。ここ何日もろくに食べ物を摂取していない。


最後に食べたのは昨日の夕方、市場の片隅で破棄されたパンを拾ってラモンとわけて食べたのが最後だ。


目の前のふたりが美味しそうにフォークを口に運ぶのをちらりと再確認し、フリオの手をフォークを手に取る。


そのままフレンチトーストに刺そうとしたところで、ラーラが「あー、ストップ!」と声をかけた。


「ここで食事するときには、ルールがあるの。かならず『いただきます』を言うこと。食べ終わったら『ごちそうさまでした』。忘れないでね」


ラーラはにこりと微笑み「さ、召し上がれ」と食べる意欲を見せたフリオを促す。


「……いただき、ます」


普段、食事の挨拶なんて縁がなく、口にするだけでフリオはむず痒い気分に襲われる。


それでも言われた通り「いただきます」を言い、フォークで刺したフレンチトーストを口に運んだ。


その様子を、ラーラはつい手を止め真剣に見つめてしまう。


「……っ!」


フレンチトーストを口に入れたフリオは一瞬にして大きく目を見開き、直後、次々とフォークに刺して口に運んでいく。


その様子が間違いなく美味しく食べてくれているものだとわかり、ラーラの顔にはにっこり満面の笑みが浮かんだ。


「フリオ、おかわりあるからね。ほら、クリームとフルーツも一緒に食べて」


吸い込むようにフレンチトーストを食べ始めたフリオの様子に、依然としてとなりで微動だにしないラモンは驚いた眼差しを送っていた。


「ラモン、食べても大丈夫だよ。何も罠なんかじゃない」


フリオにそう言われて、ラモンは眉間にしわを寄せる。


「って、フリオが言ってるんだから大丈夫よ」


「…………」


「食べてくれないと、私も本題を切り出せないのよね~」


ラーラはそう言って椅子を立ち上がる。


みんなの食べっぷりがいいため、追加のフレンチトーストを焼きに立ち上がった。


ラモンは渋々フォークを手にして、やっと自分の分として用意されたフレンチトーストにフォークを入れる。


最後にもう一度美味しそうに食べているフリオの様子を目にし、大きな口にぱくりとフレンチトーストを入れた。


「……うまっ」


ついその衝撃が口を突いて出て、向かいに座るカールがクスッと笑う。


ラモンと目を合わせると、「だろ?」とどこか得意げに口角を吊り上げた。


キッチンから子どもたちの様子を黙って見守り、ラーラも自然と顔に笑みが浮かんでくる。


(さて……打ち解けたところで、どこから本題に入ればいいかな……?)


美味しそうな焼き目がつくフレンチトーストに目を落としながら、頭の中で話の順序をじっくりと組み立てていった。



追加のフレンチトーストもあっという間に食べ盛りの男子たちの胃袋に吸収され、ラーラは大満足で食後の紅茶に口をつける。


食べ終わってから我に返ったように、ラモンは綺麗になった皿を前にテーブルに視線を落としていた。


「単刀直入に言うわね」


沈黙が落ちた食堂に、ラーラの声が響く。


三人の目が一斉にラーラへと向けられた。


「今いるところから抜け出して、ここに来なさい」


難しい問いかけは無しにして、まずは結論から伝えたい。


あなたたちが困っているなら助けたい──その想いを胸にラーラはふたりを見つめる。


「それは……無理だよ」


ぽつりと、フリオが口にする。伏し目がちにどこか諦めたような、そんな表情で。


「無理って、どうして?」


「そんなことして、ここに通ってるなんて知れたら……ここが、どうなるかわからない」


そう口にしたフリオの口調は、何かに怯えるようだった。


「そんなの、なんとでもなるわ」


「俺たちがどんな大人といるか知らないから、そんなことが言えんだよ!」


それまで黙っていたラモンが、急に話に割って入ってくる。


睨むような真剣な眼差しでラーラを見つめた。


その様子を受け、ラーラはハッとする。


ラモンの声の調子、表情から、本当は心のどこかで助けを求めて叫んでいることを確信したのだ。


「それに、世話になってるんだ。だから、言われた通りに仕事もしないといけない」


「世話って、ちゃんと食事も与えてもらえてないのに?」


彼らが空腹だったことは、ラーラには一目見てわかることだった。


育ち盛りの子どもに、満足に食事も与えないなんて世話をしているなんて言えるわけがない。 


案の定、ラーラの問いかけにふたりは口ごもる。


「仕事は、命令されて悪さをすることなんでしょ? うちの看板も、言われて壊しにきたの?」



決して責めるような口調ではなく、あくまで事実を確認するだけ。


ふたりの顔を交互に見ながら、ラーラは急かすことなく言葉を待つ。


「ああ、そうだよ。子どもたちを集めて何か始めたらしいって、目障りだって」


(目障りですって……!? 失礼しちゃう!)


続くように、それまで黙っていたフリオがおずおずと口を開く。


「引き込もうとしてた奴が、ここに通い始めて来なくなったんだ。だから、このままじゃ子どもたちを取り込めなくなるって……だから、とりあえず何か壊して脅せばいいって」


「それで、看板を壊したっていうわけね」


フリオは目を伏せ、小さく頷く。


「なるほど……でも、生憎そんなことで私は負けないわ」


恐れず屈しないラーラの強い言葉に、その場にいる三人の目がラーラに集まる。


「そこの大人たちが子どもたちを集めて何をしようとしているのかは知らないけど、子どもたちを利用して悪事を働かせたり、利用する大人を私は許さないわ」


きっと、身寄りのない子どもや、居場所のない子どもの寂しさに漬け込んでいるのだろうとラーラは予想する。


それなら自分が、この場所が、子どもたちが路頭に迷わないような道しるべになりたい。


「許さないって……どうするんだよ?」


横で話を見守っていたカールが訊く。


「向こうの目的はあなたたち子どもよ。それなら、私がみんなの居場所になる。行くところがないなら、ここに来ればいい。誰も近寄らなくなれば、きっとあなたたちを利用しようなんてことは諦めるはずだわ」


フリオとラモンの真っ直ぐな視線を受け、ラーラは柔和な笑みを浮かべる。


「でも、私の考えや気持ちを押し付けるだけじゃダメだから。ふたりの気持ちを聞かせてほしい」


ラーラから真剣な眼差しを向けられたふたりは、これまでのように目を逸らさず、じっとラーラの顔だけを見つめる。


落ちた沈黙の中、意を決したようにラモンが口を開いた。


「できるなら……抜け出したい」


それは、言うか言うまいか、やっと決心して口にしたような言葉だった。


やっと心の声を出してくれたことに、ラーラは胸に熱いものが込み上げてくる。


誰にも助けを求めることもできず、日々不安の中で過ごしていたからだろう。ラモンの横で、弟のフリオは拳で目元を拭っていた。


「親代わりになってやるって、最初は優しかったんだ。だから、信じた。でも、やばいことしてる大人たちだってわかってきて……帰りたいって言ったら、それならよその国に売り飛ばすって脅されて」


(なんて酷いことを……)


気を張って少し前まで強い口調で話していたラモンも、心の内を話すとどこか脱力したように深く息をつく。


ラーラはふたりの様子を目の当たりにし、ホッと安堵していた。


「話してくれてありがとう。もう大丈夫よ。私に任せて」


「任せてって一体どうするつもりなんだよ?」


自信満々に言い放つラーラに、慌てたようにとなりのカールが問いかける。


さっきフリオが、関わればここがどうなるかわからないと怯えるような口調で言っていた。


「どうするって、私は変わらずここでみんなの集まれる場所を守るだけよ」


攻め込むだとか、戦いを挑もうとしているわけではない。ラーラにはそんな力はないし、危険すぎる。


ラーラが子どもたちを守れる唯一の方法──それは、この子ども食堂を開き、居場所のない子どもたちの集まれる場所を提供すること。


そうすることで、フリオやラモンのような子どもを救える。


「だからフリオ、ラモン。何も心配しないで、ここに通って」


ラーラにそう言われたふたりは、まだ迷っているように視線を泳がせる。


フリオはラモンの様子を窺うようにとなりを見遣ると、ラーラへと顔を向けた。


「でも……もし、あの人たちがここを狙ってきたら」


「大丈夫。ここから先は、大人に任せなさい。あなたたちのことも守るし、ここも守る。何も心配しなくていいから」


力強いラーラの言葉は、まるで魔法のようにふたりの心に響いていく。


騙され、人を信じることが怖くなってしまったけれど、彼女ならもう一度信じてみてもいいのかもしれない。


真っ暗な穴の中に落ち、もがいていたところに射し込んできた希望の光。


微かだった光がどんどん大きくなって、ふたりを温かく包み込む。


ラモンは黙って、かけていた椅子から立ち上がる。


そして、入り口ドアの横に置かれている壊れた看板の前で腰を落とした。


その様子を目にし、フリオも立ち上がる。


「道具、貸してほしい」


ラモンの申し出に、ラーラは黙って頷き工具箱を取りに向かった。


自分たちの壊してしまった看板を直すふたりの姿をキッチンから眺め、ラーラは明日にでもレオポルトに相談を持ち掛けようと考えていた。



「よかったな」


食べた食器を下げにきたカールが、向こうにいるふたりには聞こえない静かな声でラーラに声をかける。


「うん。とりあえず、一件落着かな」


「でも、ここが狙われたりするかもしれないって思うと、俺は素直には喜べないけど……」


「大丈夫。それは私もちゃんと考えてるから」


すでにここの存在が目障りだと言われているなら、この場所も、自分のことも、すべて知られているに違いないとラーラは考える。


フリオとラモンが戻ってこなければ、真っ先にこの子ども食堂を疑うのだろう。


「あっ……」


「……? どうした?」


これからのことを考えながら今朝の出来事を振り返っていると、ふと、ふたりを足止めするためにネットを投げたときのことをハッと思い出した。


「ねぇ、カール。あのとき、あのネットを投げたときのことなんだけど」


急になんの話が始まったのかと、カールは黙ってその続きを待つ。


「あのとき、光る毛玉を見なかった?」


「え? 光る、毛玉? なんだそれ」


「ほら、ネット投げたとき、上から飛んできて、私が失敗しかけたネットを広げてくれて──」


洗い物の手を止め、ラーラは『このくらいの大きさの、ふわふわの丸い毛玉で』などと、身振り手振りで説明する。


しかし、カールは小首を傾げるだけ。


「ごめん、なんのことかさっぱりわからないんだけど」


(え、嘘……。あんなに発光してたし、ウインクまでしていったのに? カールには、見えていないの……?)


全く何も見なかったという様子のカールに、ラーラは言葉を失う。


それ以上追究するのはやめたほうがいいのかもしれないと思い「あー、ごめん」と明るい口調で言葉を返した。


「じゃあ、見間違いなのかもしれない。ごめんごめん、変なこと言って」


しかし、見間違いや気のせいなんかでは絶対ない毛玉の存在に、ラーラは心の中でいつまでもその姿を思い返していた。




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