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作者: 片ヶ瀬

主人公・りりと

兄・れいと

兄の恋人だった人・紗綾

雨音が部屋にこだまする。

俺は徐にテレビを消し、ため息を一つついて立ち上がった。

一人暮らし用に買った冷蔵庫は存外小さく、現実逃避に開けた隙間から、今日も惣菜がはみ出しそうになっている。

そんな冷蔵庫の中をかき分けて、缶ビールを二、三となぜか入っていたコンビニのカットケーキを取り出した。

「げ」

ケーキの外帯にはしっかりと二週間前の日付が刻まれていた。


部屋に戻ると、役に立たない目覚まし時計がけたたましく鳴っていた。

どうやらこの時計も昼夜逆転生活を送っているようである。

踏み潰すようにそれを止め、俺はまたソファに沈み込んだ。


「……知るかよ」

テレビのリモコンを手に取ったところで、また、思い出したくもない言葉が頭を掠めた。


息を着き、テレビをつける。

丁度音楽番組をやっていた。プロの歌はやっぱり上手いし曲も良い。そう、考えて、また首を振った。


今は、素直に楽しめそうにない。


チャンネルをニュース番組へ変えてリモコンを置くと、俺は缶ビールのつまみをひいた。



俺はシンガーソングライターだ。

しかし、今は、そう言い切る自信はあまりない。


俺には、7つ歳上の兄がいた。

学生時代からかなり名の知れたバンドでギターとボーカルをやっていて、解散後もシンガーソングライターとして活躍し、若くして成功を収めた、すごい人だった。

俺は、そんな兄に子供のころから付いて回っていて、彼がやることなすこと全てやりたがった。

おかげでギターも小さい頃から弾けるようになり、勝手に曲をつくることが趣味になった。俺は褒めてもらうことが嬉しくて、毎日のように歌やギターの練習をしていた。


そして、これは必然だろうか。

兄がいつも語ってくれた夢は、いつしか俺の夢にもなっていった。


“一人で、武道館を満員に。”


しかし、兄はその夢を叶えることなく。

その生涯の幕を閉じた。


26歳の春だった。

前年から病気を患っていた兄だったが、俺も家族も望みを捨てきれずにその年の初詣は神様が困るほど手を合わせていた記憶がある。

彼だって、元気になったらまた頑張って今年こそ武道館にと張り切っていたのだから心が痛い。


そして幸か不幸か、俺のメジャーデビューが決まったのもその年だった。

多少の不謹慎さを説く者たちもいたが、兄の分まで。と意気込んでいた俺は何事にもめげずに頑張っていた。


そう、死んだ兄のため。

ただそれだけを思って。



「あーあ……」

しくったなぁ、とプルタブを弄んだ。


最初はなんだかんだ言われても耐えられていた。

ずっと耐えられると思っていた。

世の中で挫折し失脚したどのアーティストよりも、強い自信はあった。


それが、今はこのザマだ。


何があったのかを詳しく語る気は無い。

おおよそ、世間の大部分の人にとっては、なんてことない、よくきくネタ程度の話には違いないのだろうから。


何の気なしに放り投げた缶はゴミ箱の内壁に当たりその中へカラカラと音を立てて落ちていった。

嬉しさなど無かった。


ただ、テレビ越しの、代わり映えのないニュースキャスターの声が、延々と室内に響いていた。


そこへ、突然別の空気が流れ込んだ。

ガチャ、と音を立てて玄関の扉が開かれる。

次いで、重そうな何かを置く音。


「…何の用ですか。紗綾さん」


テレビを消して振り返ると、案の定、そこにいたのは俺のマネージャーであり、兄の嫁になるはずだった女性が立っていた。

両手いっぱいの紙袋を抱えて。


「せっかく新人の案内ほったらかして会いに来てやったのに開口一番それですか〜?」


小柄な癖に力はあるようで、相当重そうなそれを手にしてもいつもの朗らかな表情は崩れていなかった。

その新人とやらに申し訳ないとは思わなかったのだろうか。


「あ、髪、切ったんですね」


よく見ていなかったためすぐには気づかなかったが、意識してみると、前回あったときは肩を越すくらいあった長さが、肩に届かないほどになっている。


「そうやって話そらすし!…まあ、いいけどね。

切った切った。ほら、それよりこれ。」


そして、大した用は無さそうに見えた彼女は、俺の前にドサドサと紙袋を置くと、自分の家だと言わんばかりに冷蔵庫を漁りに行った。


「これって…」


中を漁ると、その中身の多くは封筒だった。

表に、りりと様へと記されているものも多い。


「ファンレターか!?」


思わず声を上げて紗綾さんに問いかけると、彼女は可笑しそうに笑った。


「そうよ、今回のことで一気に来て。」


りりとというのは俺の活動名だ。本名、片ヶ瀬りりとからとった。まあ、下の名前でやっていた兄の真似だが。


今まで、ファンレターは来ても一、二通が普通だった。

今はネットがあるし、こんな駆け出しには、好きだといっても、わざわざファンレターを書いて送るやつはほとんど居ない。

と思っていたのに。


「え、これ全部…?」

「驚いた?」

「あ、ああ…まあ」



最初のころは、どんなに小さな褒め言葉でも嬉しかった。たった一人、認めてくれる人がいるだけで続けたいと思えたのに。

いつしか、蔑むような言葉ばかりを気にするようになってしまった。


下手だ、嫌いだ。パクリだ。

お前の力じゃない。兄の方が良かった。

キモイ。声が汚い。要らない。

やめた方がいい。


(馬鹿だなぁ、俺も)


全て、分かっていたことだからこそ、見事につまづいている自分に嫌気がさしてしまう。


「みんな心配してるんだよ〜、どうせ暇してるんでしょ?読んであげなって。」


俺は、黙って頷いた。



『りりと様』


年甲斐もなく、緊張した。

少し、怖いと思う自分が居た。

思わず振り返る。


「どうかした?」

「…いや、なんでもない」


そうだ。逃げちゃ行けない。

そこにあるのがどんな言葉であれ、俺のために割いてくれた労力と時間には変わりない。


俺は、意を決して手紙を開いた。


『はじめまして。りりとさん。自分は、ファンレターを送るのは初めてで、なんと書いたら良いかはよく分からないのですが、どうしてもりりとさんに自分の気持ちを伝えたくて、この手紙を書いています。

去年の秋くらいに友達に勧められて、あなたを知って、それ以来大ファンです。

あなたが今どんな気持ちでいるかは自分にはわかりませんが、休みたいなら休むべきだと思います。

でも、やめたりはしないで欲しいです。

わがままかも知れませんが、自分はまだりりとさんを生で見た事がないので、1度ライブに行きたいのです。

本当は、今すぐにでも抱きしめてよしよしとしてあげたいくらいです(笑)

自分は、あなたのつくる曲が大好きです。あなたの歌声がすきです。あなたの引くギターがすきです。

何度も何度も、あなたの歌に勇気をもらって、あなたの歌に救われました。

それは、自分だけじゃないと思います。りりとさんにはファンが沢山います!

今すぐに、とはいいませんが、自信を持ってください!

いつか、輝くあなたに会えることを願っています。』


真正面から、俺を愛しいのだと、言ってくれる手紙の主に、少し驚いた。顔も見た事が無いはずなのに、ああ、これはこの人の本心なんだなと何故か実感出来た。

そして同時に、そんな顔を見た事がないような、一方的に知られている人にまで心配されている事実に、少し情けなくなった。

「はは、」

(参ったな)

思ったよりも、ドサッと心にのってきた罪悪感に、目を背けたくなる。

涙が出そうなほどありがたいことで、うれしいことなのに、同時に、泣きたくなるほど悔しかった。


「ほら」

いつのまにか戻ってきた紗綾さんが、俺に2通目を握らせる。

「ああ…」


『りりとさん


私りりとさんが大好きです!

だから、誰になんて言われても、気にしないでください!


私、病気だったんです。手術すれば治るって言われて、でも、成功するとは限らなくて、でも、手術しないと治らないから、するしかなくて。

毎日毎日泣きました。家族にも心配かけたくなくて、強がって、一人で。

病気とか、それよりも自分のしていることで押しつぶされそうでした。

生まれてから、たいして人の役にも立てず、迷惑とか、心配ばっかりかけて、こんなに不幸を振りまくくらいなら、死んだ方がいいんじゃないか。って、何度も思いました。

そういう自分が、すごく、嫌いだったんです。

そんな、生きていたか死んでいたかもわからないときに、りりとさんの歌に出会いました。

暖かくて、人間味に溢れてて、逃げているようで、前向きな歌詞に心動かされました。

初めて、感動して泣きました。

嫌いな自分が、全部流れて行ったような気分でした。

それで、ああ、この人の歌をもっと聞きたいな。って思いました。

そのために、生きていたいって。

それからは、落ち着いた気持ちで過ごせていたように思います。

家族の心配の言葉も、穏やかな気持ちで受け止められるようになって。手術が成功して、涙を流して喜んでくれる人がいる。こんな、優しい世界に生きていたんだな。って、りりとさんの歌を聞いたおかげで、実感出来ました。

だから私、りりとさんが大好きです。

心に染み込んで、消えない温もりをありがとう!


最後まで読んでいただきありがとうございます。


りりとさんのおかげで、私は生きてこれました!

本当にありがとうございます!

私ごときの言葉でりりとさんの気持ちを救えるとは思ってません。でも、りりとさんに救われて、感謝している人がいることを、知って欲しいです!』


視界が、少しぼやけたのを感じた。


ただの自己満足だった。

同じ境遇の人を救いたいだなんだと言っておきながら、やっていたことはそれまでの何らかわらなくて、ただただ、周りの人に認めてもらいたい。それだけだった。

兄の真似だってことも分かっていた。

兄の真似をしてギターを弾いて、兄の真似をして歌を作った。

元々、それだけの人間だったのだ。

でも、そこにあるのは、間違いなく俺の考えた歌詞で、俺の考えたメロディで、歌っているその声は俺の声だ。


だから、りりとさんの歌に救われたというこの人の感謝も、間違いなく俺に向いている。

自分の中でもこんがらがっている気持ちの中で、今ただ一つ、信じられること。

(ありがとう)

俺の頑張りに、報われる結果をくれて。

教えてくれて。感謝を、くれて。

お礼を言うのはこっちの方だ。

無駄じゃなかったことを教えてくれて、ありがとう。

俺は、溢れ出した感謝を誤魔化すように天井を仰いだ。



『りりと様


たくさんあるファンレターの中から、このファンレターを手にとってくださり、ありがとうございます。

僕はりりとさんの歌が好きで、いつも疲れたときの癒しにしていました。

りりとさんだからこそ書ける、暖かくて切ない歌詞が好きです。辛くて悲しくて押しつぶされそうなのに、前を向いていこうと笑う、その強さに、惚れました。

すぐに、とはいいません。また活動を再開して、多くの人に勇気を与えてくれると嬉しいです。

これからも頑張ってください。

いつまでも応援してます!』


『りりとさん!


私はりりとさんのCD全部買いました!ライブも何回も行きました!大ファンですっ!

りりとさんの歌には人を元気にする力があると思います。

メロディや、歌詞ひとつにも気持ちがこもっていてりりとさんの丁寧さがわかります。

りりとさんの作る歌が、歌声が、大好きです!

ずっとずっと応援します!

頑張ってください!』


もう、誤魔化しはきかない。

拭いきれなかった涙が頬をつたる。

弱った心に優しさは毒なんじゃなかろうか。

見えてなかった。

ただそれだけなのだろう。

こんなに優しかったのに。

俺の周りは、こんなに優しさで、溢れていたのに。



『りりとさまへ


あることのお礼を言いたくて、この手紙を書いています。

少し長くなるかもしれませんが、読んでいただけると幸いです。

ボクの兄は、一昨年病気で亡くなりました。

兄は、りりとさんの歌が大好きでした。僕はよく知りませんが、りりとさんのお兄さんの頃からのファンだったと言っていました。

自分の弟みたいに思っていると言って、よく笑っていました。ボクがいるっていうのに。

兄は見舞いに行っても、それまで何も欲しがりませんでしたが、初めて欲しがったものが、りりとさまのCDでした。

それが、あなたのデビューシングルの、「わかれ」でした。

兄は、嬉しくなると、必ず、泣きそうな顔で歯を見せて笑ってみせるんです。

ボクが何も考えずにCDを買ってきて届けると、その顔で笑って、その場で聴き始めました。

その時のボクはよくわからず聞いていました。

いい曲だとは思ったけど、なにか苦しくなったのを覚えています。

そして、それからしばらくして、兄は亡くなりました。

その直前に出ていたCDを、届けた翌日でした。

ちゃんと聴けたのかな。ボクは、もう兄のいない病室で、あなたの歌を流していました。

「わかれ」という曲で、耐えられず泣きました。

兄を亡くしたというあなたの気持ちが、わかりたくもない形で、痛いほどわかりました。

━━━もうそこに、あなたはいない。

辛いのに、悲しいのに、落ち着いたあなたの声は、すっと心に溶けて、そこに居ない人を思う気持ちを、ひたすら吐き出していました。

遅いとわかっていても。

そして、唐突に開かれた、未来はまるで未知の世界で、逃げ出したくなる、という歌詞に、その通りだと思いました。

とくにお兄さんを追いかけてきたあなたには、生きる道しるべを奪われた気持ちだったんだと思います。

それでも止まっていることは許されない。後戻りもできない。

ああ、こんなに深い歌詞だったのかと。兄が、惚れたわけも分かりました。自分が子供だったことも。

りりとさん。本当にありがとうございます。

ボクの兄の退屈な生活に、楽しみを、色を与えてくれて。残されたボクに、意味を与えてくれて。

音楽に、りりとさんに、出会えてよかった。

兄は多分、最後のCDは聴いていたんだと思います。ずっと。

直前、「いい弟がいて良かった」と言って笑ったそうです。あの、泣きだしそうな笑顔で。

弟って、ボクのことですか。それとも、りりとさんのことですか。

すみません。ボクは今泣いています。悲しいのか、嬉しいのか分かりません。

でも、頑張って笑おうと思います。

多分兄がここにいたら、「悲しむ理由なんてない」って言うと思うんです。


りりとさん。ボクにあなたの気持ちが全部分かるとはいいません。今の心情も。

でも「わかれ」を受け入れて、新しい自分をつくろうとしたあなたに、勇気を貰ったことは確かです。

ボクは、りりとさん、あなたの歌が好きです。その理由は、兄が好きだったからでも、いいでしょうか。

めちゃくちゃな文章で、読みにくかったらごめんなさい。

ボクもりりとさんのこと、陰ながら応援しています。

本当にありがとうございました。』


俺の顔はもう、ぐちゃぐちゃだろう。

耐えられずに、席を立った。


この人は、どんな気持ちでこのファンレターを書いたのだろうか。

これを読んで、最初に思ったことはそれだった。

俺は、兄を亡くしたときの感情を、こんなに馬鹿正直に言葉にすることはできなかった。

だから、あの歌を書いたのだ。

全てを吐露する思いで書きなぐった歌詞は、直したとはいえ、じっくり読んでみると未だに目を背けたくなるものがある。

ただそれは、それだけ俺の本心を映したものということで、なによりそれが、その人の思いに重なったのだろう。

亡くなる直前まで俺の歌を聴いていたという自分の兄に、この人はどう思ったのだろう。そして、誰もいなくなった病室で1人俺の歌を聴いた時は?


せっかく吹いた涙が、また溢れ出す。

あまりにも近い。

悲しくて、切なくて、でも前向きに行こうと強引に言いきった俺に、それでいいのだと、確かにそうすべきなのだと手を添えてくれる人がいる。


その場で、しゃがみ込んだ。

もう、何も考えられなかった。


「りりとくん〜」

顔を上げた俺は、多分とても子供っぽい表情をしていたのだと思う。

紗綾さんは、ただ微笑んで俺の頭を撫でた。

いつもならその扱いに怒るところだが、今は受け取っておこうと思った。


『りりと様へ


私があなたを知ったのは、近所のCD屋さんでした。

2年間同棲した恋人と別れて、全てが真っ黒に見えていた頃でした。

失恋を乗り越えられた、という声が書かれたポップに目が引かれました。

それがりりとさんの、れいとさんとの別れを綴った曲だったということは、あとになってから知りました。

その時、とにかくなんでもいいから、気持ちを晴らしたくて、私は迷わず買って帰って、聞きました。

泣きました。

こんなの思い出して辛くなるだけじゃないかと思ってしまいました。

でも、素直に吐き出している気持ちを聞いているうちに少し穏やかなきもちになりました。自分は、こういう気持ちだったのか、と見つめ直すことができました。

そして、逃げちゃいけないんだな。と思いました。

逃げて、忘れることが全てだと思っていた私には少しショックでした。

でも、この別れは、受け入れなくちゃいけないんだ。と思いました。

それから、私はりりとさんの曲をチェックするようになりました。

とても暖かくて、切なくて、悲しくもなるけど、勇気も貰えるんです。

私は、りりとさんが大好きになりました。

あの時の失恋も乗り越えて、今は良い思い出です。あの時の経験があったから、今の私があると思うと、りりとさんの歌に出逢えたかと思うと、それも良かったんじゃないかとも思います。

りりとさんも、何度でも辛いこと、悲しいことを乗り越えて、ステージに立ってくれると信じています。

また、たくさんの人に、勇気を、希望を与えてください。

応援してます。』


それも、よかった。

今までのことを全部振り返り、得られた結果にひとつでも良いものがあったなら、そう言ってその時の自分を慰めることはあった。

でも、これほどに、その良かったに涙することは、他にないと思う。

俺の歌に出逢えたことに、価値を感じてくれている。悲しくなるだけの俺の歌を、しっかり聞いて理解してくれて、勇気を貰えると言ってくれる。

多分これ以上に幸せなことは無い。



「りりとくん。次の手紙の前にこれ」

泣きじゃくる俺の肩を叩いて、紗綾さんが何の変哲もない封筒を差し出した。

裏面には、丁寧な字で『りりとへ』と書かれている。

「……紗綾さんの、字、ですか」

泣いていたせいか、掠れた声しか出なかった。

「まあね。どこかの自称ファン1号の野郎が、『りりとが凹んでても読ませるな』って私に代筆させた手紙だもん。」

それを聞いて、俺の涙はどこかへ吹き飛んだ。

「さ、紗綾さん!」


「もう、きらきらした目するんだから、兄弟揃って。

…こっちの気も考えなさいって。」


「紗綾さん、」

「何よ、読むんでしょ?」


俺は、静かに笑みを浮かべて頷いた。

彼女も、つくづく俺に甘い。


最初の1文。

『あーあ、読んじまったか。この根性なしが。』


途端に滲んだ視界に、歯を食いしばりながら、己の涙腺の弱さを呪う。


『今のお前はいくつだろうな?22か、30くらいか?2度はやめたくなる時があるもんだからな。』


(22です兄さん。怖いからそう言うの言わないでください。)


『まあ、なんだ。俺に今更言われたくもないかもしれないが、腐っても兄なんだ。最期の手紙くらい、精一杯お節介させてくれ。』


(やめてくださいよ。)


懐かしい口調と、兄にしては弱気な言葉にまた、涙があふれる。


(最期なんて、言わないでくださいよ。

俺が兄さんに、言われたくないことなんて、あるわけないじゃないですか。

いつも気にせずお節介焼いてきたくせに、こんな時ばっかりなんですか。


…なんですか。)


『今これを読んでるお前に、なにがあって、今どんな気持ちかは、俺にはわかりようがない。だから、下手なことを言ったらごめんな。』


その、優しさが痛い。

俺は最後の最期まで、兄さんに何も出来なかったのに。


『りりと。悩んだ時は、まず泣くのが一番だ。何も考えずに泣いて、泣いて、そして泣き止め。話はそれからだ。』


(いや、兄さん。もう泣いてるから)

全て見透かされたような気がしていたのに、なんだか可笑しくて俺は笑っていた。


『これで俺は大抵すっきりして、立ち直ってたよ。お前は知らなかったかも知れないが、俺だって悩んだり挫けたりしてたんだからな。』


(知らないわけないじゃないですか。何かある度に俺に真っ先に話すから、毎回戸惑ってた俺の身にもなってください。)


『お前はどうかな?そこに俺が居ないことが、すげえ悔しいよ。お前が売れるようになっても、多くの人達の先輩になっても、俺だけは頼れる兄としていつでもお前の目標でありたいと思ってたのにな。』


便箋にぼたぼたと雫を垂らしてから、慌てて涙を拭った。


『なあ、もうデビューはしたんだろ。ライブも、CDもでてるかな。お前さ、お前にギター教えてやったの誰だと思ってるんだよ。俺に一番最初に渡すべきだろ、CD。俺まだお前のデビュー曲聴いてねえよ。』


(ちゃんと出したその時に、お墓まで持っていきましたよ。CDも、ライブのチケットも。

届かないのは、知ってても。)


『お前の作る曲は、昔っから重苦しくてさ、響く人には響く歌詞なんだけど、どこかまだ、心のどこかを閉ざしてる感じがするんだ。でもそこが、お前らしくて俺は大好きだった。お前、俺がお前のファン1号になるって言ったこと忘れてないよな?』


心の中で、泣きそうになりながら頷いた。


『俺は、お前が初めてギターを持った日から、お前のファンだよ。』


泣いた。


『お前小さい頃から、俺が年の離れたお前を可愛がるのをいいことに、いっつも俺の後ばっかりついてまわりやがって。鬱陶しくて仕方なかったよ。何をやってても、一緒にやりたいって聞かないし。お前は自分で自分のやりたい事探せよ。って何度も思った。でも、そのうちに気づいたんだよな。これが、やりたいことなんだなって。俺がやっているから、ってだけじゃなく。』


(色々あったと思うけど、兄さんがやってたのが1番大きかったですよ。)


『それからは、楽しかった。いつもすごいすごいって目ぇ輝かせて俺の事見るし、教えてやると、すごい喜んで出来るようになってもやめなかった。ギターの弾けるようになったお前に、誕生日プレゼントと称してギターを買った日の喜びようは凄かったな。毎日毎日朝から晩まで弾いてるから、抜かれるんじゃないかとヒヤヒヤしたよ。』


『だからこそ、楽しかったよ。だんだん、教えて!から、聴いて!になっていって、時には俺も聴いてもらって。互いに賞賛したり貶したりしながら、俺たちっていう兄弟は、ギターと歌と生きてきた。』


頷く。


『批判する人もいたさ。俺も、進路指導で先生にチクチク言われることは多かった。両親に言われて気づいたんだが、おまえの将来を勝手に決めてしまったようで、あとで文句を言われるんじゃないかと不安に思ったりもした。』


『でもお前は、信じて疑わなかった。兄さんなら絶対にプロになれる。兄さんの歌はすごい。ギターはすごい。そして、お前が始めて、俺に並び立つアーティストになるといった日を俺は忘れない。』


(その時、兄さん飛び上がって喜んでたっけか。)


『お前の歌は、沢山の人に届く。それを疑ったことはない。俺の歌のように、うわべだけじゃなく、底の底から、掘り返してきて散々貶した上で、それでも俺はこの道を行きたいんだと言える強さがある。お前のことを、俺のおかげで売れたとかなんとか言うやつがいたり、お前自身何をいってるんだと思うかもしれないが、本当のことだ。

俺は客観視した歌詞を書くが、お前は、自分の実際に感じたことしか書かない。書けない。

それだけ、リアルな思いや熱意は、誰が聴いても心を揺さぶられる。

お前はこれから何度もつまづいて、何度も立ち上がる。

そういう未来が、俺には見える。』


『お前がこの手紙を読んでいる頃、きっとお前の原動力は、俺なんじゃないかと思う。俺のために、俺の夢を叶えるために、とかくだらないこと考えて、突っ走ってるんじゃねえか。

別に否定はしないし、兄として嬉しく思うが、今俺という一つの枷が無くなったお前が、無理して進む道じゃあない。

お前には、やりたいことを選ぶ権利がある。子供の時と、同じように。』


(兄さん、俺は兄さんのことを枷だなんて思ったことはないです。兄さんのためなのは、兄さんが大好きだからですよ……)


『ただ、もし、それでもお前が同じ道を進みたいと思うなら、それは、お前自身の意思で選んだ道だと思って、もっと堂々と進め。お前が、「やりたいから」という理由で、まっすぐに進め。それを遮るものは、なにもねえ。』


(絶対、泣かせる気満々だこの人…)

(ならせいぜい泣いてやりますよ兄さん。)


『お前が何で悩んでこの手紙に手を出したのかは知らないし、俺がなんのつもりで紗綾に書かせたのかも内緒だ。

だが、これだけは言っておく。この先何があろうとも、お前のファン1号は俺だし、俺のファン1号はお前だ。お前のことは誰よりも知っている気でいるし、俺の事を誰よりも知ってるのはお前だと思う。

俺は、お前が大好きだよ。心から、愛してる。』

『他の誰より、お前を大事に思っている。

いつか、俺を抜かして、お前が大きなステージにたつのを、この目で見れないのが残念だ。』


「うっ、うぅ……」

肩に手が添えられる。

「よしよし、可愛い弟くん」


『頑張れよ。応援してるから。


兄・れいとより、親愛なる弟へ』


もうなにも考えられなかった。

色んなものが、頭の中を巡って心を乱した。

大人気なく、大声で泣いた。

泣いても泣いても、収まらなかった。

苦しくて、悲しくて、でも嬉しくて、悔しくて。

行き場のない感情が、溢れては流れていく。

不思議と、さっきまでより、体は軽かった。




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