善一と明希⑥
自分で言うのもなんだが、僕はわりと温厚な性格であると思っている。
争い事は嫌いだし、喧嘩だって好きじゃない。暴力なんて以ての外だ。だから、いくら皮肉や悪口を言われたとしても、何もやり返さずにいる。どうしようもなく怖いから。
強い言動を身に纏った人間は周囲にも沢山いる。妹の瑠美、親友の宗、女友達の菜月は代表格だ。三人とも、怒ったら怖い。戦闘状態の彼らと対峙するとよく緊張してしまう。
温厚というか、単なる臆病者なのかもしれない。他人の視線を気にして、評価を気にして、自らを偽り、騙している。道化を演じ続けている。本当の自分はもっと汚くて、穢らわしいというのに。
顔色を伺うことに慣れてしまった。
自然と本音を言わなくなってしまった。
否定されるのが怖い。相手にされなくなるのが怖い。みんなから嫌われたくない。心の平穏を死守したい。全員仲良しでいてほしい。誰も傷つかない世界になればいいと願っている。
『清々しい朝だ。今を生きられたことに大いなる感謝をしよう』
毎朝、そのような言葉を繰り返し唱えている。これは半分本心であり、半分は嘘だ。
『瑠美だってわかってるしっ……。性格が悪いってことぐらい。でも、偽らなきゃやってられないの!』
気の強い彼女もまた周囲から嫌われないようにホットビューティを演じている。
『……うるせェよ、バカ野郎』
彼も自信に満ち溢れているフリをして、僕に敵対する為だけにオレ様系を演じていた。
誰しもが本当の自分を見せるのを怖がっている。目に見えない恐怖と戦っている。嫌われる勇気を出せずにいる。
『高校に入ったら、何かを始めようと思って、それで……』
柳葉 明希もきっとそうなのだ。本心を押し殺して、ずっと我慢してきた。彼女たちの後ろを付いて回るだけで、愛想笑いを浮かべ誤魔化してきた。
『う、うん……。ちょっと、だけね』
どれほどまでに辛い日々を過ごしてきたのだろうか。想像をしたくはない。
だが、彼女には変わろうとした勇気があった。だから高校入学をキッカケに、髪を短くして、運動部のマネージャーを務めて、根暗な自分を生まれ変わらせようと、明るく振舞っていたのだろう。今の姿は努力の賜物だ。
それなのに。
『つーか、明希さぁ〜。なんか色々とイキってね? 髪切ってるし。変わりすぎっしょ!』
『あ〜、ホントだぁ〜〜!!』
それなのに。
『え、ええ!? さ、サッカー部ぅ!? アンタが……? ウソでしょ〜』
『キャハハ!! 今年イチ、ウケた〜!!』
……なぜ、それをどこの馬の骨かも分からない奴らに嗤われなくちゃならない。
過去がなんなんだ。
今のこの子と関係があるのか。
たとえ昔がそうであったとしても、現在の彼女は違う。ちゃんとした友達に恵まれて、周囲にも愛されて、必死に部活にだって励んでいる。頭が悪いとか関係ないだろう。
なにが男目的だ。なにも知らないクセに。わかった気でいやがって。
なら、男目的だとしよう。モテるために部活に入った。別にいいじゃないか。なにがおかしいんだ。
お前らにそれが出来るのか。
汗臭くて泥臭い他人のユニフォームを洗ったことがあるのか。文句を言われながらもドリンクを準備することが出来るのか。自分を犠牲にして、他人の助けをしてやれるのか。
どんな理由があろうとも、努力を他人に笑われる資格などあっていいハズがない。
『……だめ、落ち着いて。喧嘩はやだよ』
大丈夫だ。安心してくれ。僕も喧嘩は嫌いだ。暴力で解決させるだなんて、幼稚な手も使わない。ただし、徹底的にやろう。
『あたしは平気だから……』
平気じゃないだろ。どう見えても。我慢はやめてくれ。そんな辛そうな顔を見せないでくれ。いつもみたいに、はしゃいでいる姿を見せてくれよ。
悔しいよなぁ。悔しいよなぁ。悔しいよなぁ。悔しくてしょうがないよなぁ。
大丈夫だ。僕がついてる。
こんな連中にやられっぱなしにされてたまるか。
もう一度言うが、僕は自分のことをわりと温厚な人間であると思っている。だから他人から幾ら何を言われようが、別段言い返したりもしない。自信がなくて怖いから。
それでも、友達が目の前で傷つけられているのだけは、話が別だ。
大切な友人を、チームメイトを、このまま好き勝手されるワケにはいかない。
好きなモノもあれば、嫌いなモノもある。人間とは誰しもそういうものである。
好きなものが沢山ある僕にも、当然ながら嫌いなものだってあった。
それはたった一つ。この世で最も嫌うものだ。
僕が嫌いなもの、それは
──友や家族を傷つける輩である。
※ ※ ※ ※ ※
「…………」
柳葉に手を掴まれたお陰で、なんとか最悪の事態は回避できた。危ない、危ない。
ただマグマグと怒りのエネルギーが煮え滾っている。メラメラと燃え上がっている。マグマ新垣は怒っているのか? 怒っていないのか? どっちなんだい! ブチギレです!!!!
……さて、どうしてくれようか。あんまりヒートアップしてしまうとお店に迷惑がかかってしまう。鉄拳制裁なんてあり得ないし、だからといって逃げたくはない。
どうすればいいのか。うーん……。
「つーかぁ、つーかぁ、新垣くんさぁ! LINE交換しよーよ! 今度どこか遊びいこ?」
「いいねぇ〜!! 最高じゃん〜!!」
「あ、もち、気まずいなら明希も連れてくし。ただし、アンタは荷物持ちね? そういうの得意っしょ?」
柳葉に再び攻撃が飛んできていた。目を開けて、眼前を見遣る。二人席のテーブルに女が座っている。僕が最も苦手なタイプの女が二人並んで座っている。注文もせずに。
店内は先ほどから硬直状態だ。お客さんはこっちをコソコソと見ているし、店員さんも責任者を呼びに行ったのか、フロアにいない。動いているのは僕らだけ。
面倒事は苦手である。
だけど、コイツらのことはもっと苦手だ。
「と、得意って言われたら、得意だけど」
「だよねぇ〜! やるじゃん、明希。アンタでも役に立つ時が来るなんてさ」
「決まりぃ〜〜!! 四人で遊ぼぉ〜!!」
もしも、僕が余計なことを言ってしまって、柳葉が今後ますます彼女たちに嫌がらせをされるようになったらどうしよう。
中学のクラスメイトなのだから、これから会うの気まずくなるかもしれないな。……いや、でもいいか。中学の同窓会なんて最悪行かなくても、ハゲダニ高校の同窓会がある。そっちに参加すればいい。
アフターフォローは後から考えよう。あぁ、面倒くさい。なるようになれ! だ。
「おけおけ! じゃあ、新垣くんさぁ〜〜」
「すいません、お断りします」
気がつくと、僕は咄嗟にそのようなことを口走っていた。無論、後悔などしていない。顔にはわざとらしく営業スマイルを浮かべている。アン・スマイル、今は無料になっております。温かいうちにお食べ下さい。
「は?」
そうすると、驚いたように見つめ返された。当然である。むしろ行くと思ったのか? 行くわけないだろう。誰が好き好んで、ホイホイついて行くものか。
「行きませんよ。僕が行くわけないでしょ。なんで、わざわざ行かなきゃならないんだ」
少しずつ口調を変えていく。慣れない。全然慣れない。初対面の人にタメ口は苦手だ。敬語でいこう。そっちの方が気持ち的にラクだし、喋りやすい。
声が震えている。ついでに言うと、手足も震えている。本音を曝け出すのって、こんなにも怖いことなのか。
肩の力を抜く。緊張を解いていると、案の定、女たちは不快感を露わにしていた。
「……ナニコイツ。キッモ」
「……喋り方、ウザくね?」
「わかるぅ〜。シンジくらいイキってるわ。自分に酔ってそう……」
「『味方してあげる俺、カッコいい〜』とか思ってそう……」
「ナルシストかよ……。痛々しいわ」
「……キモーーイ。普通じゃない」
「……イキるんじゃねーよ、気持ち悪い」
コソコソと二人して顔を近づけながら、聞こえる距離で陰口を叩いてきている。こうなることはお見通しだった。ふんっ、痛くもかゆくもないぞ! そんなの、宗や菜月、瑠美たちに比べたら屁のカッパだ!
「なんなんですか? 言いたいことがあるならハッキリと言ってくださいよ。さっきまであれだけ騒いでいたじゃないですか。周りの人の迷惑も考えずに」
「が、ガッキー……?」
追撃する。流石にこれには隣の少女も焦ったのか、身体を硬直させていた。普段の僕とは全然違うもんな。でも、本当の僕はこんななんだ。失望したらごめんよ。
感情的になるな、と両親に教えられてきた。無益な争いはするなと。
『善一、酷い事を言う人が世の中には沢山いる。時には嫌な思いをする事もあるだろう。でもな、その人達だって本当は辛いんだ』
父さんはそう言った。ああ、確かにこの人たちも辛いのかもしれない。だから他人を蹴落として、自らを正義の代弁者として振舞っているんだ。
父さんは同じ土俵に立たずに、相手を同情しろと言うのかもしれない。でも、僕にそれは出来なかった。
泣き寝入りしていればいいのか。
言いたいことを言わずに、相手のおもちゃになっていて良いのか。
挑戦せずに人を嘲笑うだけの者は、楽でいいよな。
なにもしない人間が、生まれ変わろうとする人をバカにするのは、簡単だもんな。
頑張っている人の足を引っ張って、溜飲を下げると、自分が上に立った気でいられるもんな。
寒い? 痛い? 気持ち悪い? ナルシスト?
……そうかもしれないな。だからなんだ。調子に乗ったらいけないのか。なら、大いに嫌ってくれ。お前らに理解されなくても結構。ナルシスト上等! 僕は僕だ!!
人が大人しくしていたら、やりたい放題してくれやがって。よくもウチの大切なマネージャーを散々こき下ろしてくれたな。
ああ、イキってやる。
存分にイキリ倒してやる。
お前らのそれが正義だと言うのなら、
それが世間で言う常識であるならば、
僕が真正面から歯向かってやる。
ふざけるなと反発してやる。
クソくらえと吐き捨ててやる。
──マジョリティーなんぞに、絶対に屈してたまるものか。
「ああ、それと、大事なことを一つだけ言い忘れていました」
柳葉の頭に手を置く。眼前を睨みつけながら、堂々と胸を張って宣言する。
「明希は、僕の彼女なんです」
もちろん、これは嘘だ。僕が好きなのは安穏だけ。彼女にしたいのもあの子だけである。しかし、どうしても、黙ってはいられなかった。どうにかして、一矢報いてやりたかった。
「陰気臭くて、意味のわからないことを言うダッサいリボンを付けたこの子のことを、大切にしたいと思ったんです」
もう止まらない。止まる気はない。
「だから、あの」
「僕の最愛の人をバカにしないで貰えますか?」
──さあ、反撃の狼煙を上げよう。




