善一と明希④
「だってタケシくん、ぶっちゃけハルカには勿体なくなかった? アイツいつも自慢してきてたけど、釣り合ってないっつーの!」
「言えてるー! キャハハ!」
騒々しい声を張り上げながら、二人の女性がマックドへと来店してきた。両手を大袈裟にバンバンと叩いている。
「お前なんかマサトやケンジでお似合いだろ。タケシくんに手を出すなし」
「シンジくんも入れてあげて〜〜」
「誰それ?」
「うわ、ひっどーい! キャハハ!」
制服を身に纏っているということは、学生に違いないだろう。しかし、どこの学校だ? 茶髪に金のメッシュが入っているぞ。夏休み限定のオシャレかな。
彼女たちは甲高い声をかき鳴らしながら、テーブルの横を通過した。そのまま、僕らのすぐ後ろに着席する。
途端に、柳葉の顔色が急変した。
「……っ」
爪を噛んで、俯いている。ゾンビに血を吸われたかのように表情は青ざめていた。頻りに背後ばかりを気にしている。
「どうした? 体調でも悪いのか?」
声をかけるも、反応はない。
「……柳葉?」
もう一度だけ、声をかける。
心配だったので、腕を人差し指で数回ほど叩くと、ようやく彼女は意識を取り戻した。
「へっ? あっ、なんでもないよ!」
切り揃えられたショートヘアーが揺れている。様子がおかしい。なんでもない、というのは嘘だろう。
目線はクロールしているし、唇も震えている。落ち着かないのか、両指をぐちゃぐちゃと絡み合わせていた。
二人が来店した瞬間にこれだ。大体の察しはつくぞ。
「……知り合い、なのか?」
「う、うん……。ちょっと、だけね」
あまり親しき仲ではないのだろう。耳を触れながらコクリと頷いていた。
女子の人間関係は非常に面倒だと、瑠美がよく愚痴っているのを聞いたことがある。女性はグループで行動し、常に敵を作らないように、愛想を振り撒いているのだと。
きっと柳葉にとって、彼女たちは苦手な存在だったに違いない。相性も悪そうだしな。
「……ごめん。お手洗い行ってくるね」
「了解。気をつけて、いってらっしゃい」
気まずそうに学生カバンを持ちながら、柳葉が席を立つ。
存在を知られたくないのか、小走りでトイレまで向かっていた。
※ ※ ※ ※ ※
「エミってばマジ毒舌だよねぇ〜!? ガチでウケるんですけどぉーー!!」
「は? ウケないし!」
「ちょっとぉ〜!!」
彼女たちの会話劇は、お店を巻き込んでの大盛り上がりを見せていた。来店からずっとこの調子である。よく喋るなぁ……。
「てか、エミってば、サトシくんと仲良くなかった? アイツ、エミのこと好きなんじゃないのぉ〜〜!?」
「はぁ? アイツとかアウトオブ眼中だし」
「言うねぇ〜!! キャハハ!!!!」
普通に話しているだけなら良かった。ただ、声のボリュームがやや大きいのである。盛り上がってしまうのはわかるし、僕も人のことをどうこう言える立場ではないが、周囲のことをちょっとだけ考えてほしいものだ。
それに二人共、ずっとテーブルに座ったままで、注文一つしようとしていない。ガタガタと椅子を揺らして、知らない人の悪口を繰り広げている。
これには先ほどの女性店員さんも、困り顔のご様子。スマイルが濁っている。あの人を怒らせちゃダメだ。……消されるぞ。
「……」
注意しようかと一瞬思ったが、身体は動かなかった。きっと店員さんがなんとかしてくれるだろう。そんな考えが頭をよぎった。
「いやーー、サトシはないっしょ!! シンジよりはマシだけどぉーー!! シンジはマジでキメェし。アイツの『俺ってイケてね?』感、すっごいムカつくんですけどぉーーー!? キモっい! 早く死ねよアイツ!!」
「エミ、言い過ぎだってぇ〜!!」
「シンジは死ね!! 魚顔のクセにイキるな!! プランクトンだけ食ってろ!!」
「魚って〜〜! ウ・ケ・ルゥゥゥゥゥゥ〜!!!!!!!!!!!!!!!!」
……ダメだ。うるさい。そして、会話内容が不快だ。シンジくんが可哀想だろ。なんだよ、魚って。海を敵に回す気か?
「あぁ、もう……」
我慢できなくなって、席を立つ。カバンを担ぎ、トレーを運ぶ。ゴミは【死罪:ゴミ箱送り】にしておいた。
……先にお店を出るか。この空間にいるだけで疲れてしまう。柳葉にはLINEしておけばいいだろう。
「むしろ魚人じゃない???? 魚人っしょ!!!!!!!!!!!!!!!」
「ギョギョギョギョギョギョ魚人ンンンンンンンンンン!!!!??? ウウウウウウウウケエエエエエエエルウウウウウウウウウウゥゥゥゥ〜!!!!!!!!!!!!!!!」
……なんだよ、魚人って。
シンジくんというのが誰かは知らない。だが、流石にここまでの悪口を言ってることを本人が知れば、悲しむに違いない。
てか、魚人ってなんだ? 魚人って。魚人差別かよ。どこのシャボンディ諸島なんだ。
さっきまで、和気藹々とマックドデートに華を咲かせていたカップルたちも、次々と退店していく。誰も耐えれなくなってきてる。
注意されるだけマシなのかもしれない。このまま出禁になっても知らないぞ。
「あ、ありがと。……ごめんね」
耳に無理やり捻り込まれる不快な会話と一人で格闘していると、ようやく柳葉 明希が姿を見せた。ハンカチを片手に、小さく頭を下げてくる。いいよ、いいよ、気にするな。
せっかく元気になったってのに、なんだか申し訳ないな。後味が悪くて。
「おう。早く帰ろう」
小鼻を動かして、出口へと歩き出す。長居はしたくなかった。さっさと帰りたかった。これは即断即決の行動である。
即断即決の行動だった、のだが。
「あれ、明希じゃん?」
背後から呼び止めてくる声に、動きを止められてしまう。
※ ※ ※ ※ ※
「……」「……」
辺りを響かせていた爆音が急に止まった。嵐の前の静けさというべきだろうか。全身の血液の流れが遅くなったように感じられた。
首を曲げて、振り返る。僕らの後ろには先ほどまで騒いでいた彼女たちが、大股を広げて、座り込んでいた。
「アンタ、久々じゃん」
ここで僕は初めて彼女たちの顔を間近で見ることとなる。
着崩した制服を身に纏っている金髪メッシュの女子高生二人。ひとりは胸元のボタンをだらしなく開けて、今こちらに話しかけた方だ。口が悪いと称されていた[エミ]と呼ばれていた女性。少し巨乳な方だ。
「あ、明希ちゃんだぁ〜! おひっさ〜!」
続けて話しかけてきたのは、髪をクルンクルンに巻いている化粧の濃い人である。甲高い声で「キャハハ!」と笑っていたよくウケる方だ。名前は知らない。
女狐二匹が、隣の少女に目を付けている。不吉な予感しかしなかった。
「……」
すぐに向き直る僕に対し、声をかけられた柳葉は、少しだけ反応が遅れていた。しばらく固まっていた。
だが、ようやく覚悟を決めたのか、彼女も動き出す。その顔には見たことのない笑みを浮かべていた。
「え? もしかして、エミちゃんとサッちゃん!? 全然気がつかなかった!!」
無理に作った笑顔と、無理に上げたテンション。明らかに本心ではない。
「は? この距離で気付いてないとか、マジでキメェんですけど。アンタ、アタシらに気付いてて、シカトこいてたんじゃないの?」
「あはは……違うの。ホントにね! 気付いてなくて!」
「視力悪すぎでしょぉ〜〜! キャハハ!」
「眼科行ってきたら?」
サッちゃんと呼ばれた女性が、腹を抱えて笑っている。ツボに入ったらしい。ん? 面白ポイントあったか?
柳葉も困ったように「あはは……」と渇いた笑いを浮かべている。え? どこが面白いんだ? 全然笑えないんだが。
「そうそう。あたし近頃、老眼でさ……」
「あ! でも、アンタ頭も悪いし、目だけ治しても意味ないか!!」
「えぇ〜! 知能レベルの問題ぃ〜〜!?」
「「キャハハハハハハ!!!!」」
柳葉も冗談を返すが、すぐに二人の笑い声によって掻き消されてしまう。
いや、だから、何がそんなに面白いんだ?
それそもこれは会話ではない。ただの一方的な攻撃である。単なる誹謗中傷だ。柳葉が二人を避けていた理由もなんとなく理解した。そりゃ、関わりあいたくないよな。
「コイツさぁ、よくハゲダニとか入れたよね〜。アタシらと同じくらい頭悪かったのに。チョームカつくんですけどぉーー!?」
「はいはーい! たまたまだと思いま〜す!」
「違うっしょ!! 校長と寝たんじゃない?」
「「キャハハハハハハ!!!!」」
目の前で繰り返させる言葉のリンチ。その中で目を瞑って、静かに息を殺している、
こんな経験は初めてだ。頭が痛い。外に出なくては。それだけはハッキリとわかる。
「……帰ろうよ、柳葉」
小さく呼びかけるも、彼女の耳には届いていない。ずっと手を震わせている。掠れた声を震わせている。
「あはは……。運が、良かったの、かな」
今にも泣きそうな表情で、視線を落としている。こんな柳葉を見たくはなかった。
普段なら明るく振る舞うクラスのムードメーカーも、これじゃ肉食獣に怯える小動物のようだ。ライオンの前にウサギがいるようなものである。所詮この世は弱肉強食か。
それにしても、なんだろうか。
この胸の奥から湧き出てくる、嫌な感情の波は。無性に腹が立って仕方がない。今まで産まれてきて、ある程度のことは全て我慢してきた。自分の本心を押し殺すのは得意である。人との争いを避ける為に得た、僕なりの処世術だ。
だが、今にも崩れようとしている。爆発が近づいている。噴火寸前の活火山の気分だ。
「ふう」
息を吐いて、再び目を開ける。
……まだ大丈夫だ。まだなんとか抑えられる。ダメだ、感情的になってはいけない。己を戒めるんだ。争いからは何も産まれないのだから。
「つーか、明希さぁ〜。なんか色々とイキってね? 髪切ってるし。変わりすぎっしょ!」
「あ〜、ホントだぁ〜〜!!」
一人苛立つ僕を置いて、鋭い刃物で刺すような会話は続く。
「ダッサいリボンは相変わらずだけど、それよりさー」
標的が移る。
好奇の目が、突然僕へとぶつけられる。
「なんか、イイ男連れてんじゃん?」
身体を舐め回すようなその眼差しに。
僕は思わず、眉をひそめてしまった。