善一と明希②
夕暮れ時の空に茜雲がかかっている。夏場は日が沈むのが遅い。練習が終わる時間になっても、まだ運動場は明るかった。
「……痛い」
緩めていた靴紐をほどく。足元の違和感を振り払いたくて、スパイクを脱ぐ。サイズの合わない備品で一日中プレイをしていたせいか、つま先がヒリヒリと腫れていた。
三年生の引退がかかった大事な大会が十日後に控えている。足を痛めてしまう前に、新品を早く購入せねば。
「うんしょ。よいしょ……」
妙な掛け声が聞こえる。見ると、水飲み場にて柳葉 明希が洗い物をしていた。赤いジャージを身に纏いながら、大きなポットと向かい合っている。
「よっこらしょ、どっこいしょ……」
泡をつけて、スポンジでコップの山々を擦っている。額がぐっちょりと汗で濡れていた。今日は千斗さんもお休みなので、マネージャーは彼女一人だけだった。
「柳葉、なにか手伝おうか?」
「わっ!? ビックリした! だれ??」
背後から声をかけると、ドッキリに仕掛けられた芸能人のような反応を見せていた。
「ゼンイチ・アラガキだ」
フルネームを名乗っておく。彼女は胸に手を当てて、肩を撫で下ろした。
「もー……なんだガッキーかよ〜。驚かさないでおくれよ〜。練習お疲れさまっ」
「おつかれ。手伝うぞ?」
「いいってー、いいってー。全然へっちゃらだよーん! 一人でできるもん。ガッキーは先に帰ってていいよー。お気遣いありがと!」
背中を向けられて作業を再開される。勿論、ここまで来て、簡単に引き下がれるワケがない。
「いいから、やらせてくれよ」
腕をまくって近付く。彼女の隣に立って、洗い終えたコップを渇いたタオルで拭き取る。堂々とした態度でやったせいか、柳葉は少し困惑したような表情を浮かべていた。
×××
「柳葉はどうしてサッカー部のマネージャーになろうと思ったんだ?」
ポットを裏返しにしながら、隣の彼女に問いかける。ちょうど機械音がした。ビブス(ゼッケン)の洗濯が終わったらしい。あとは部室の掃除をして本日の業務は完遂かな。
「ふぇ? 急になにさ!」
「なんだか、気になってさ」
柳葉が洗濯バサミを取りに部室まで戻って行く。その間にちりとりと箒を準備しておいた。こっちの方が作業効率が良い。
「うーん、なんでだろ。難しい質問するねぇ……」
顎に手を触れながら、彼女が戻ってくる。洗濯バサミの籠を受け取って、順番に竿にビブスを吊るしていく。その光景をジッと眺めている。
「千尋さんも辞めて、千斗さんももうじき引退する。半年間は柳葉ひとりになるんだぞ? それって寂しくないか? なんで続けられるんだ?」
好奇心旺盛すぎて、質問に質問を重ねてしまう。常々疑問に思っていたことである。
決して意地悪な質問をしたかったワケではない。本音を言うと彼女も辞めてしまうことを恐れていた。
先輩たちがいなくなれば、彼女は女性ひとりという空間の中で、献身的に選手のケアをしなくてはならない。それのどこにやり甲斐を感じるのだろうか。
僕もどちらかといえばお世話好きな部類に入る。しかし、それを三年間続けろというのは流石に骨が折れてしまいそうだ。僕なら耐えられない。幾らサッカーが好きでも、だ。
「…………」
真面目な質問だったからか、柳葉 明希が手を止める。普段からニコニコと笑って、冗談を繰り広げる少女が、色を変えたように真顔になった。そのまま視線を落とす。
「……そりゃ、寂しいよ。ちーさんとまだまだいっぱいお喋りをしたかったし、なんで辞めたのかだってまだ聞けてない。寂しくないって言えばウソになるよ。うん、寂しい。すっごく寂しい」
とても穏やかな口調だった。
「でもさ──」
彼女が顔を上げる。
「色々とネガティブに考えても仕方ないかなーって思うの。とっても寂しいけど、その分あたしはもっともーっと頑張ろうって今は思うようにしてるよ! それに全高選だって近いじゃん? 三年生のためにも、今自分が出来ることを全力でやらないと!!」
暗い暗い憂鬱の色が、いつの間にか、またカラフルな状態に戻っていた。キラキラと輝く、七色へと。彼女が普段身につけているリボンの色のように。
「あれ……質問なんだったっけ? あたし、ちゃんと答えてた?」
ポカンと頭にハテナマークが浮かぶ。どうしてサッカー部のマネージャーになろうと思ったのか、という質問にはまだ答えてもらっていない。
頑張り屋の彼女のことだ。純粋に誰かを応援したい気持ち、そして自分自身の為に頑張っているのだろう。それが知れただけ良かった。これ以上尋ねるのは野暮かな。
「答えていたよ。ありがとう、教えてくれて。いつも助かってるよ、マネージャー」
日頃のお礼も忘れずに伝えておこう。
ニッコリと微笑むと、柳葉は「いやー、それほどでもー」と頭を掻きながら、恥ずかしそうに口元を綻ばせていた。
「ほ、ほんと、やめておくれなしー……急に恥ずかしいべさ……」
何故そこでなまる……。
そして、それはどこの方言なんだ……。
ともあれ、改めて柳葉はとても優しい女の子なんだなぁとしみじみ感じる僕であった。
※ ※ ※ ※ ※
「珍しいねー、ガッキーがあたしと帰りたがるなんて。どういう心境の変化?」
隣の少女が鞄をぶらぶらと振り回した。夜の街灯が灯り始めた下校道を、僕らは歩みを合わせて進んでいる。
「あそこまで手伝っておいて、最後は放置させるわけにはいかないだろ。てか、部室に誰も残っていなかったし」
手伝い始めた頃から分かってはいたが、僕らを待っている同級生も先輩方も誰一人としていなかった。姉貴と違って人望がないのが辛い。
先ほども無人の部室に鍵を掛けて、向井監督にそれを返してきたところだ。どうやらいつもマネージャーはこれをやっているらしい。だから、毎日遅くまで残っているのか。
「変なガッキー。いつもだけど」
「その一言は余計だぞ」
変と言われるのにも随分慣れてしまった僕ガイル。というか、変ってなんだよ。じゃあ何が『普通』なんだ? 誰かがそういうノーマルなルールでも作っているのか? 神様が決めたわけじゃあるまいし。
……と、これは深掘りしていくと哲学の話になっていく気がしたので、考えるのはそこまでにしておいた。
「おーなーかーすーいーたー」
「腹減ったな」
柳葉が電柱前にて動きを止める。ぐーと鳴るお腹に手を触れていた。
「え、ガッキー。いま、腹減ったって言わなかった?」
「へ? い、言ったけど」
「お腹すいたの?」
「空いたけど……それがどうしたんだ?」
急に立ち止まるものだから、焦ってしまう。なんだよ、妙な言動はやめてくれ。柳葉は変だな。いつもだけど。
尋ねると、彼女は「カモン」と軽く首を振った。遠くを指差して、ニヤリと笑う。
「せっかくだし、寄り道でもしてく?」
※ ※ ※ ※ ※
健全な高校生である以上、部活が終わればすぐに帰宅すべきなのだろう。時刻も19時を過ぎているというのに、これから寄り道するのは、中々に“ワル”な行動とも言える。
しかしながら、世間が夏休みであること、そして22時前には必ず帰るという制約さえ破らなければ、別に大丈夫なのでは? と思ってしまった。
つまり、何が言いたいか? 腹が減っているのである。もう腹が減ってしょうがないのである。だから許してほしい。すみません、先生。僕は“ワル”になります……。
はい。これで今日から僕は!! 立派なヤンキーだ。真面目さを売りにするのはもうやめた。これからはガンガン悪事働いていくので、4649!
「いらっしゃいませ〜」
柔らかな女性店員の声に迎えられながら、店内へと侵入する。
ここは駅ビル一階にある有名なファーストフード店『マックドナッルド(通称:マックド)』である。
ReasonableなPriceでAmericanなHamburgerをBuyできるStudentからもPopularなChain Storeだ。
「混んでるな」
「週末だしね〜。ここ座ろっ?」
入り口から一番近い席に二人で着席する。二階席もあるらしかったが、そこまで長居するつもりはなかったので、すぐに帰宅できるスペースを取っておいた。
「あ。ポッテトのセール終わってる〜。もー、いつもやってくれたらいいのにー! ケチだなぁ」
鞄を置いて、メニューを立ち見する。基本的にワンコインで購入できるのもこのお店が人気の理由の一つだった。
残念ながら“ポッテト五十円セール”は先週で終わっていたので、今回は《ヴァーガァー》にするとしよう。やはり、オーソドックスな《ヴァーガァー》こそ至高。
「ダブゥルツィーズヴァーガァー……ヴェーゴンキャベツヴァーガァー……テェリヤキィヴァーガァー……アイコンチキンソルトアンドレモーネ……。迷うな……。よし、ここはテェリヤキィヴァーガァーにするか!」
どうでもいいことではあるが、マックドでは「バーガー」のことを『ヴァーガァー』とそう呼んでいた。都市伝説的な噂ではあるが、欧米圏に配慮したから、だとか。
ちなみに発音のコツとしては下唇を噛んで、前歯を見せつけるように突き出すことだ。リピートアフターミー。ヴァーガァー。ヴァーガァー。イエス、ベリグッ。
「ご注文がお決まりになられましたら、レジまでお越しくださ〜い」
ぼんやりと立ち見していると、店員さんに圧をかけられてしまう。早く頼め、と言われているみたいだ。
注文内容は決まっていたので、すぐにレジまで向かった。
「すみません。テェリヤキィヴァーガァーのセットを一つ下さい。全部Lサイズで」
「はい。テェリヤキィヴァーガァーのLセットコースですね」
「あ、はい……。それから」
振り向く。立ち止まっている柳葉に「おいで」と声をかける。
「何にするんだ? 奢るぞ」
「えっ? ホント? じゃあねー、じゃあねー……」
奢ると言ったからか、柳葉が財布を片手に妙な踊りを踊っていた。雨乞い音頭かな?
「えっとねー」
すぐに決め兼ねているのか、メニューの一つ一つを指差している。スマホでアプリをチェックしながら、選んでいるようだった。
「うーん。これ? いやー……違うかな。どうしよ。迷うなぁ」
「……すいませんすいません」
店員さんと目が合ったので静かに頭を下げて苦笑する。いや、怖い……。この人の目が怖い。スマイルがスマイルじゃなくなってる。アン・ハッピーセットだぞ。
おいおい、早くしてくれ……! 僕らの後ろにもお客さんいるんだぞ……!
「今ねー、お肉とパンを食べたい気分なの。だからアレにする!」
ふぅ、どうやら決まったみたいだ。きっとヴァーガァーだろうな。それ以外にないだろう。ここの看板メニューだ。その他の物を頼むだなんて無粋。邪道なのだから……!
「あたしは──」
彼女が一つのメニュー名を読み上げる。
「ホットドックで!」
ヴァーガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!




