善一と明希。
『二人はお似合いだね』
周囲の人間はいつもそうやって、誰かを囃し立てていた。僕はずっとその言葉が嫌いだった。
なんでもかんでも彼らは“恋愛”に繋げて物事を語る。学生の本分は勉強であるのに、それを疎かにしてまで、自らの性欲を発散させようと躍起になる。愚かで浅ましい。
確かに異性の目を気にしてしまう感情は分からなくもない。僕だって多少は『仲良くなりたい』『見てもらいたい』と意識することもあった。
しかしながら、いざそのような場面に自分が立っていることを想像すると、なんだかとても気分が悪くなるのである。全身が恐怖に支配されて、心が掻き乱される。まるで僕が僕じゃなくなっていくみたいにだ。
『ねぇ、付き合おっか? 私たち』
さっきまでの涙は嘘だったのか、軽いノリで彼女は問いかけてくる。
『……』
僕は答えることが出来なかった。沈黙を利用して逃避する。なにも聞こえない。なにも届いていない。それが冗談と思いたくて、言葉を連ねる。
『……友達になりたいって』
『あー、アレか。そう言っておけば、打ち解けられると思ってね。最近は奥手な男の子が多いし。え、まさか、本気にしたの?』
彼女はブルブルと肩を震わせていた。
泣いたり怒ったり笑ったりと、感情表現が豊かな人だ。僕とはまるで違うな。アレコレ考えて、悩んだりしないんだろうな。
両手でギュッと飲み物を握りしめる。未開封の缶コーヒーは既に冷えきっている。
『知ってる? 男女間に【友情】なんてものは存在しないんだよ。世の中、肉欲まみれ。そんなのを信じているのは、コウノトリが子供を運んでくれると勘違いしてる夢見がちの少年少女だけ。早く、大人になりなって』
記憶の中の少女は確かにそう言った。それが酷く気に障ったのを、今でも覚えている。
『……なんで付き合わないといけないんだ』
冷たい空気が肌を傷つける。
空虚な心が全てを拒絶している。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
せっかく築きあげてきた関係もこんなので終わってしまうのか。なにが恋愛だ。勝手に好意を抱いてきて、こっちがどう思っているかなんて、まるで考えていないじゃないか。
『友達のままでいいだろ』
──あぁ、本当に、気持ちが悪い。
※ ※ ※ ※ ※
「……夢か」
蒸し熱い空間の中で目を覚ます。カーテンの隙間から鋭い日差しが照りつけている。
誰もいないリビング。騒がしいお昼どき。少し仮眠をとるつもりだったが、ガッツリと寝てしまっていた。部活は14時からなので、今からでも準備をしなくてはいけない。
姿勢を正して、目を擦る。眠気でハッキリとしない意識の中で、僕は唐突に夢の内容を思い返していた。
「……」
厳密に言うと、アレは夢ではない。実際に経験した出来事である。つまり去年の話だ。
僕は当時、受験の為に進学塾に通っていた。ハゲダニは地元の方からとても人気の高校であったので、倍率も非常に高かったのである。ほとんど缶詰状態になりながら、勉学に励んだ。
そこで僕は出逢ったのだ。
あの、女の子と──。
『ねぇ、新垣くん。私と友達になってよ』
言い訳をするのであれば、時期が悪かった。その頃は色々と忙しくて、精神的にも不安定だった。部活も引退して、遊ぶことも少なかったのである。ストレスは溜まる一方。
そんな人生の瀬戸際に、心の余裕なんて作れるハズがなかった。
『そうやって逃げるんだ。君は卑怯だね』
『……さよなら』
あの日から彼女には会っていない。そして、これからも会うことはないだろう。
いくら悔やんでも、全ては終わったこと。今更どうすることもできやしない。いくら嘆いても、過去は変えられないのだ。
ならば、必死になって、現在を生きるしかないだろう。変えられなくても、取り戻すことは可能なのかもしれないから。
「さて、いくか」
セミの泣き喚く声を聞きながら、立ち上がる。本日も快晴ナリ。日射病にならない為にも、こまめな水分補給を心掛けよう。
※ ※ ※ ※ ※
梅雨シーズンはあっという間に過ぎ去っていき、夏が本格的に到来した。今はもう夏休み本番である。つまり熱い。アツはナツイ。
自分は寒がりなので、どちらかといえば夏は好きな部類に入る。個人的には寒いのが一番苦手だ。サムはフユイから。
「新ちゃん。なんか千尋さん、部活辞めたらしいで」
七月某日、お昼過ぎ。
部室にて気合いを入れようと、スパイクの紐を強く結んでいると、ふと背後から誰かに話しかけられた。
この特徴的なイントネーションと《新ちゃん》というあだ名で僕を呼ぶ人は、この部活に一人しかいない。
「え? 安田くん? あの斎藤マネージャーが唐突に部活を辞めたというのかい?」
「せやで。てか、誰に説明してんねん」
即座に鋭くツッコミを入れてくるこの男こそ、チームメイトにして同級生の安田 元久くんである。ちなみに彼は生まれも育ちも関東圏だ。足立区出身だったっけ。
饒舌に関西弁を使いこなしてる安田くんが持ち込んだ話題は、サッカー部の二年マネージャー。斎藤 千尋さんについてであった。
斎藤先輩はえくぼの似合う素敵な女性である。優しい人だったから後輩である僕らからも人気が高かったのに、まさか部活を辞めるだなんて……。残念だ。
「まー、最近あんま顔出してへんかったしな。なんとなくそうなる気もしてたわ」
「じゃあ、これからは柳葉と小泉先輩だけになるのか?」
「実質、柳葉ちゃんだけやろ。千斗さんももうじき引退するし」
サッカー部には現在、三人のマネージャーが所属している。一年生の柳葉 明希。二年生の斎藤 千尋さん。三年生の小泉 千斗先輩。このようにして、一学年一人体制でまかなってきたのだが、ここにきて斎藤さんが辞めるとなると、この体制は壊れてしまうこととなる。
ただでさえマネージャーは少ないというのに、主軸である二年生が辞めるのは、部にとってはかなりの痛手だった。
「千斗さんと千尋さんもいないから、柳葉一人になるのか……。ちょっと心配だな」
「大丈夫やろ。マネージャーなんてボール拾って、適当にビブス洗うだけでええし。なんとかなるんちゃう? 知らんけど」
知らないのかよ! 適当だな!!
全国高校サッカー選手権大会、通称【全高選】が近いというのに、こんなので本当に大丈夫なのだろうか。それにしても、こんな重要な時期にどうして辞めたのだろう。
「なんで辞めたんだ?」
「知らんわ。でも、たぶんアレちゃう? ほら、荒木先輩と色々あったやろ」
「……色々あった?」
荒木先輩は三年生の中でも、特にカッコいいと噂される人であった。人柄も良いし、人望も厚い。東さんがいなければキャプテンであったに違いない。補欠という点を抜けばだけど。
スパイクから手を離す。安田くんはシャツを脱いで、ユニフォームに着替えていた。
「二人が付き合ってた話は有名やんか」
「ええっ!?」
「……初耳かいな。どんだけ鈍感やねん」
またしても鋭いツッコミを浴びせてくる。なんという切れ味なのだろうか。安田くんは研ぎ石を常時身につけていると見た。
口を開けて、目を見開く。
仲が良いと思っていたけど……そうだったなんて。
「し、知らなかった……」
「アホちゃうか」
しかめっ面の安田くんが着替えを済ませて、携帯を鞄に入れる。どうやら斎藤マネージャーは恋愛のイザコザによって部活を辞めてしまったらしい。色々あるんだなぁ……。
中々結べないスパイクの紐に力を込める。これ中学時代から使っているから、そろそろ替え時かもしれない。新しいのを買わなくっちゃ。
と、ここで部室のドアが乱暴に開かれた。
「──オイ、一年坊主共。練習は始まってんぞ。お喋りしに来たのかァ……?」
扉の前には目つきの悪い人物が立っている。サッカー部副キャプテンの西先輩だ。《畏怖べき存在》であるこの人は、僕ら一年生ズをかなり毛嫌いしていた。あわわ……ヤバいよ、ヤバいよ!
「すいません! すぐ向かいます!」
「ガキがァ……舐めてると潰すぞ」
謝罪すると、渇いた笑いを浮かべて、西先輩は去っていく。やっぱり苦手だ、あの人。殺気すごい出てるし。
「……なんやアイツ。いっぺんどついたろかな、マジで。きっしょいわ」
姿が見えなくなるのを確認してから、愚痴を吐く安田くん。もし聞こえていたらどうするつもりなんだろう。あわわ……マズいよ、マズいよ!
「き、聞こえるぞ? 安田くん。確かに西先輩は冷たい態度を取る人だけど、それは僕らがこうやって喋っていたから、きちんと注意をだな……」
「新ちゃんも、だいぶうるさいで?」
「…………」
たまにお手厳しい安田くん。僕が瑠美や菜月にメンタルを鍛えられていなかったら、ダメージをもろに食らっていたことであろう。こ、こんなの慣れっこだし!
無言になる空間で、もう一度だけスパイクの紐を結び直す。
だけど、それは途中で容赦なく、音を立てて千切れてしまう。
僕が気づかぬ内に、ガタが来ていたようだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ハゲダニ高校サッカー部員。
[一年生]
・新垣 善一(CW)
・安田 元久(MF)
・柳葉 明希(一年MGR)
[二年生]
・西先輩(副キャプテン、CB)
・斎藤 千尋(二年MGR)→退部。
[三年生]
・東主将(キャプテン、DMF)
・小泉 千斗(三年MGR)
・荒木先輩(GK、補欠)
[その他メンバー]
・南、北、佐藤、祐木、上山、下森、前田、後藤、尾田、岸本、鳥山、冨樫…etc.
[指導者]
・向井監督。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
──【全高選】まで、あと十日。




