8. 宵。
「告白……」
彼女の口からそのような言葉が飛び出してくるとは予想外であった。自然と肩に力が入ってしまう。古傷がビリリと痛む。
指先が震えて、力が抜けてくる。握力がゼロになる。何も掴んでいなくて良かった。もしも缶コーヒーを持っていたとしたら、今頃は盛大に地面にブチまけていたことだろう。
まさか、レンがあの肝試しの日に、安穏に告白していたとはな。え? も、もしや……! 既に付き合っているとか、そういうパターンはないよな……? その報告は余計だぞ!
「えっと……返事はしたのか?」
「その時にしたよ。ごめんなさい、って」
心が折れるのをなんとか堪えていると、すぐに結論を伝えられた。流石にそんなどんでん返し展開はなかったらしい。……おいおい、心臓に悪いぞ。
つまり、アイツは振られて精神をボッコボッコにされた上で、肉体的ダメージを負ったということになる。なんだか可哀想だな。
「そう、だったのか……」
首を伸ばして、一息つく。天井には網状の虫食いみたいな模様の石膏ボードが並べられていた。
なるほど、結果的に上手くいかなかったのか。乱暴に彼女を連れ出したのが、もしかしたら失態だったのかもしれないな。ガンガン押すのはあまり好ましくなかったと。うむ、勉強になった。
雫がポタリとズボンへ落下する。安穏は切り揃えられた爪先を親指で撫でていた。
「あの人から聞いてなかったんだね」
「そんな話はしていないな……」
「そっか。なら、いいや」
あっさりとした返事である。このあっさり具合は、冷奴かな? 醤油をかけて、鰹をまぶして、青ネギと共にお召し上がりたい。
随分と素っ気ない対応ではあるが、まあ、別に塩対応でも全然良かった。瑠美で慣れているし。
それに、秘密主義者の彼女が自己開示してくれただけでも、大きな収穫だ。少しずつではあるけれど、心を開いてきてくれている。それを知れただけでも満足である。
「話したかったことって、それだけか?」
前のめりになっていた姿勢を元に戻す。隣では初老のお爺さんが、寝息を立て始めた。ぐっすりスヤスヤと眠っている。
「……それだけだよ」
彼女が目を伏せる。これは嘘をついてる『味』だぜ……! と直感的に悟ったが、追求するのはやめておいた。それだけと言ったのだから、それだけなのだ。深掘りはよそう。
安穏はレンのような自らのペースで押し進むスタイルとは、とてつもなく相性が悪い。だから一歩引いた状態で接するのがベストだ。
話したがらないのなら、余計なことは聞かない。ちゃんと道理は弁えている。
「了解。言ってくれてありがとう。安穏はモテるんだな」
何気なく、言葉を紡ぐ。今更ながら、洋楽が駅全体に流れているのがわかった。
耳を澄ませて、音色に聞き惚れる。雨の日の待合室、好きな人との空間、ギターソロのバラード曲。どこかロマンチックな要素がたっぷりである。
「……」
安穏も音楽に夢中になっているのか、眠るように瞳を閉じている。いいよな、こういうの。僕も好きだ。
うっとりしながら、膝をドラムみたいに指で叩く。曲は数分程度の短いものではあったが、その間も、彼女はずっと、自分の目と口を噛み殺すように塞ぎ込んでいた。
※ ※ ※ ※ ※
「善一くんのほうがモテるじゃん」
数分の時が経過したのち、彼女が唐突に声を漏らした。そのまま入り口の近くを眺め遣る。かなりの時間差があったな。
僕がモテる? いやいや、それはない。
「モテてないよ。僕なんてそんな……」
「モテてるって」
「気のせいだ」
「気が付いてないだけだよ。最初からずっとモテているの」
否定する度に、語気が強くなってきている。攻撃を喰らえば喰らうだけパワーアップする、カウンタータイプの敵みたいだ。
「最初?」
引っかかる部分があったので問うと、安穏は「うん」と首を縦に振った。
「入学式のとき、アドリブでスピーチをしていたよね? みんなそこから興味を持ち始めたって言ってた。私だって、アドリブでやれてすごいなぁと思ったんだから」
自己主張をあまりしない彼女がそうハッキリと断言した。そこまで言われると、多少なりとも人気があるのは事実なのだろう。
「……そうかな」
だが、認めるワケにはいかなかった。頭ごなしで僕は否定し続ける。色眼鏡で見られているだけなのだと。
入学式のスピーチ、あれもただの偶然の産物だ。姉貴の影響に煽られただけ。むしろ貧血で倒れて、生徒会長の面に泥を塗ったくらいだ。先生方にも迷惑をかけている。
言い換えるならば、注目という名の“悪目立ち”だな。
おまけに、名前も顔も知らない人達にチヤホヤされた所で、一体なんの意味があるというのか。僕は秀でた才能もない、極めて普通の凡人である。ありふれた高校生だ。勝手な理想を押し付けるのはやめて頂きたい。
──モテる必要なんてないのだ。
※ ※ ※ ※ ※
「ふわぁあ」
初老の男性が大きな欠伸をして、目を覚ます。周りをキョロキョロと見回して、僕らしかいないことに気付き、慌てて席を立った。どうやらお取り込み中だと勘違いされたみたいだ。
携帯を開く。時刻は19時過ぎ。妹からメッセージも届いていた。
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《差出人: Rumi 》
いいから早く帰ってきて
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……こりゃ、かなりお怒りになられているな。普段なら適当なスタンプで返すだけなのに、絵文字無しの1文って。
「ふう」
息を吐いて、立ち上がる。随分と長話をしてしまったみたいだ。これ以上の長居は禁物だろう。瑠美にお叱りを受けるのは怖いし。
僕が傘を手に持って、帰る合図を送ったのだが、安穏は中々動こうとしなかった。膝に手を乗せたまま、暗い表情を浮かべている。
この子の家は確か、菜月と同じで学校の近くだったハズ。ギリギリ時間はあるな!
「家まで送ろうか?」
「別に、いいよ」
急かすように提案するも、首を横に振って否定される。まだ話し足りなかったのかな?
「どうかしたのか?」
傘を手に持ったまま、歩み寄る。また席に座ると、安穏は目を逸らした。
「なんでもない」
「ホントに?」
「ほんと」
「もうちょっとだけ、話していくか?」
立ち上がらない様子が心配になって問い詰めるも、反応はしてくれなかった。愛しき一人娘が夜遊びをしているだなんてバレたら、親御さん心配するぞ。あ、でも部活で遅くなったと言えばいいか。
「ほら、帰ろうよ」
紳士アラガキたるもの、女性を夜遅くに一人で帰宅させることはしない。近付いて声をかけると、ようやく反応を見せた。
「……善一くんは優しいね」
「え?」
ぽつり、と安穏が呟く。
「いいよ、気を遣わなくても。ひとりで帰れるから。私、徒歩だし」
俯く彼女は何も語らない。話しているようで、何も話してくれていない。僕らの間を時間が通り過ぎていく。
寂れた駅の待合室。エアコンがガタリと最後の音を響かせる。もう洋楽は聴こえない。
どうしてそんなに悲しそうな顔をしているのだろうか。今生の別れでもないというのに。
「……僕は、安穏の方が優しいと思うぞ」
未だに心の奥では自分を守ろうとしていた。踏み込むことをまだ恐れている。
彼女は太陽だ。近づきすぎると翼を焼かれて、地に堕とされることになる。レンはそれで失敗したのだ。同じ轍は踏まない。
「あのね、善一くん」
ぽつり、ぽつり、と呟く。
淡々と、淡々と、なびく。
「……私はね、善一くんの思うような優しい人間じゃないんだよ」
悲痛な叫びだけが、こだましていく。
※ ※ ※ ※ ※
「優しい人間じゃないって……」
聞きたくはなかった。そんな台詞を。エイプリルフールでもなんでもないけど、言って欲しかった。嘘だって。六月の君の嘘だって。
彼女が自分を卑下する姿を見たくなくて、その理由を尋ねようとしたのだが。
「ごめん、なんでもない。忘れて?」
「お、おう」
それ以上は何も聞けなかった。
頭上で電車がホームに到着する音がした。同時に安穏も立ち上がる。鞄を片手に、お尻をサッと振り払う。改札とは反対に歩き出した。
「ありがと。今日は楽しかった。それじゃ、また今度ね。……ばいばい」
手を振りながら、早口で述べる。僕が返答するよりも先に、すぐに背を向けた。傘を広げて、雨の中にふらりと飛び出して行く。
その背中が、どこか寂しそうで。
「───安穏!!」
咄嗟に呼び止めてしまう。
「……えっ?」
彼女がお気に入りだという赤い傘が、またくるりと回転した。驚いたような、期待するような、なんとも言えない表情に、僕の思考は途中で停止してしまう。
なにを言うかは決まってなかった。
でも、それでも。
「僕もとっても楽しかった! ほんとに、ありがとう! またあとでLINEするなっ!!」
なにかを、残したかった。
上空の太陽が雲に顔を隠している。すっかり日は暮れていた。
だけど、いつかは顔を出す。太陽は必ず昇る。僕が信頼する気象予報士の今泉さんも、そう仰っていたのだから。
小さく頷く彼女に、僕はそんな事を思うのであった。