4. 夕刻。
「久々ね。ビビりくん」
「わっ……! ビックリした。って、誰がビビりくんですか」
突然の呼び止めに慌てふためいてしまう。またしても後ろから攻め入られてしまった。
もしも僕が一流のヒットマンであったならば、即座になんらかの対処をしたであろう。敵に背後を取られるということ、それは即ち『死』を意味しているのだから。
足を止める。声の主は生徒会書記でもある櫻木 晴香さんであった。いつもみたく含み笑みを浮かべて、僕に近付いて来ている。気配を消し、突然現れている辺り、ミスディレクションでも使用していそうだな。
「お久しぶりです。桜さん」
挨拶を交わすと、桜さんが頭上を見つめた。手を横に伸ばして、背伸びをしている。
「あら、善一くん。少し見ない内に、背丈が大きくなったんじゃない? なんだか立派に見えるわよ」
「え、ホントですか!?」
親戚のおばさんみたいなことを言われる。身長にそこまで変化はない。立派になったということなので、精神的な意味合いが強いのかも。
おぉ、やったぞ。第二次成長期に感謝ッ!
「あら、ごめんなさい。気のせいでした」
「えぇ……」
この人の冗談には、もう付き合わない。
僕のことをジロジロと観察しているサクラ先輩。人間観察が趣味な人なのだろうか。
「今、帰りかしら?」
「そうですね。部室に顔を出してから帰宅しようかなと」
「そ。どうでもいいわ」
「……なんで聞いたんですか?」
sakura先輩、本日も絶好調。調子アイコンというものがもしあったとしたならば、ピンク顏で飛び上がりながら歯を見せているに違いない。イジりセンス◎だな。
鞄を持ち替える。見ると、桜さんは手に書類の山を抱えていた。なんだか重たげだ。
「それ、僕が持ちましょうか? 運ぶのお手伝いさせて下さい」
勿論、紳士アラガキがそのような状況を見過ごすワケがなかった。桜さんが答えるよりも先に、荷物を腕に乗せる。何食わぬ顔で受け取るのがポイントである。
「私に媚びてるの?」
「いやいや……」
「優しいのね」
「いえ(キリッ」
この人には日頃からお世話になってばかりであった。入学式とかオリエン合宿とかな。借りを借りっぱなしにしておくワケにはいくまい。
「生徒会室ですよね?」
「ええ、そうよ。有難う」
「いえいえ(ドヤッ」
書類を持って、階段を登っていく。
ご機嫌な先輩はクスクスと口元を隠していた。喜んで頂けたみたいで、光栄です。
※ ※ ※ ※ ※
人気のない廊下を、桜先輩と進んで行く。掲示物が何も貼られていない掲示板の前で、桜さんは動きを止めた。
「そういえば、奈々美さんはまた学年一位だったそうよ」
急にそんなことを言ってくる。僕もその話は風の噂で聞いていた。
「あー、そうみたいですね」
立ち止まったまま、素っ気なく返事をする。正直言って、そこまで興味はなかった。
隣の桜さんが「あら?」とこちらを見る。
「鼻が高くないの? 自慢のお姉さんでしょう」
「姉貴と僕は違いますから。別になんとも思っていませんよ」
そう、姉貴には姉貴の生き方があるのだ。弟の僕とは、そもそも見ている世界が違う。
「ふーん、冷たいのね。善一くんは」
吹き抜けるような言葉と共に、櫻木先輩が再び歩き出す。誰もいない廊下には、冷えた足音だけがこだましていた。
※ ※ ※ ※ ※
生徒会室に辿り着く。隣の部屋では会議が開かれているようで、数名の話し声がした。姉貴もそこにいることだろう。
「入口に置いておいてくれると助かるわ」
「了解です」
書類を机に重ねて、置いておく。額を汗を拭って、これにてミッションコンプリートだ。時間的にもそろそろ頃合いだな。
「それでは、桜さん。また」
「あら、もう行くの? 一緒にお茶でもどうかと思ったのだけれど」
「結構です。お気遣いなく」
懇切丁寧にお誘いを断る。ゆっくりし過ぎて、安穏を待たせる訳にはいかない。
「あ、ちょっと待って。善一くん。少しだけいいかしら?」
「は、はい?」
退室しようと背を向けた時、またまたまたまた背後から呼び止められてしまう。今週、何度目だ? 背中は既に傷だらけだぞ。剣士の恥どころではない。恥晒しである。
「な、なんでしょう?」
振り向いて、尋ねる。桜さんは首を傾げて、問うてきた。
「前に私の【別荘】に行くという約束をしていたじゃない。あれはどうなったのかしら?」
「あ!」
しまった! その件について聞きそびれていた!
オリエン合宿の遊園地メンバーで立てた遊びに行くという約束。みんなも承諾していたので、一応は確定事項のハズだった。
「皆から何か聞いていないかしら? そろそろ都合を合わせたいのだけれど」
ただその連絡はサクラ先輩の耳にも届いていないようだった。当然ながら、僕にも続報は回ってきていなかった。うーーむ。
……これは計画倒れの危険があるな。
企画するだけ企画しておいて、肝心の中身を決めないだなんて、あまりよろしくない行為である。誰もが人任せにしているから、そうなるのだろう。ったく、しょうがない。
「連絡は届いてませんね。そうですか。そしたら……」
鞄からLINEのIDが記載された紙を取り出す。安穏に渡そうとして結局、渡せなかった代物だ。桜さんの前に出して見せて、こう告げる。
「僕がみんなに聞いておきます。それから桜さんにお伝えしますね」
スマートに連絡先を手渡す。誰もやりたがらないのならば僕がやるしかないだろう。その時なんて来ないのだから。
いつだって──現在が、その時だ。
勿論、今度は連絡ミスをしないように心掛けよう。同じ場所で何度も転んでしまうほど、僕は阿保じゃない。
「それでは、これにて!」
鞄を持ち替え、会釈する。桜さんは微笑を浮かべていた。これで借りを返せただろうか。
「有難うね、わんぱく少年」
真っ直ぐな笑顔で、目配せと共に手を振られる。不覚にもドキッとしてしまった。この人の、嘘偽りのない笑顔を見たのは初めてかもしれない。
ふう、と息を吐いて生徒会室を出て行く。
待ち合わせまであと少しだ。さっさと部室へ行こう。
※ ※ ※ ※ ※
「ガッキー、お疲れsummer vacation!」
「おぉ、どうした。急ぎか?」
「んー、ちょっとねーー!」
廊下で急ぎ足の柳葉とすれ違う。風のように駆けてゆく彼女を見送りながら、部室へと向かった。なにやら急いでいたようだが、何か用事でもあるのだろうか。
柔道部が練習する体育館を通過する。時計が16時45分を指し示してことに気付いて、早足になる。やばい、後十五分後だ。
スタコラサッサと、腕を振っていると、眼前からサッカー部の監督が歩いてくるのが見えた。
「お疲れ様です!」
「お〜〜。お疲れさーん」
この人は三年F組を担当している、向井監督である。無造作に伸び切ったヒゲと、アフロのようなボサボサ髪が印象的で、例えるならば”海賊黒ひげ”のような風貌をしていた。
無責任な発言と大雑把な言動は生徒たちの反感を買っており、女子生徒からの評判は最悪であった。サッカー部のマネージャー希望者が少ないのもこの人が原因だとか。
ちなみに部内での評判も芳しくなかった。チームメイトの安田くんからも【毛むくじゃら】【髭ダルマ公爵】【ススワタリ】【工場勤務のおっさん】等とあだ名を付けられている。
「あー、新垣! ちょっといいか」
「はい。なんでしょうか?」
見聞色を鍛えすぎて未来が見える領域まで来ていた僕は、すれ違う直前に声を掛けられることまでお見通しだった。今度ばかりは後ろを取らせなかったぞ。
尋ねられた監督は「んん」と頷きながら、近付いてくる。相変わらず、すごい体臭がした。お風呂に入っているのだろうか。
「お前、将来の進路とか決まっているのか?」
「はい?」
ヒゲを撫でながら監督が尋ねてくる。突拍子もない質問に思わず戸惑ってしまった。
「あー……。一応は進学を希望しています」
「どこ大学?」
「花園か鈴蘭に行けたらいいなと考えています。まだ具体的には決まっていませんが」
「ほぉー」
目元に皺を寄せたまま、向井監督は頷く。肩に力が入ってしまった。
……話とはそれだけなのだろうか。
「えっと、話というのは」
「あー、それがな。お前のお姉さんいるだろ? アイツの担任をしているんだが、若いクセに優秀でね。弟のお前さんにも俺はかなり期待しているんだよ。そうかー。花園か〜。なるほどなぁ」
言いたいことを言えてそれで満足なのか、強面の先生は通り過ぎていく。一体なんだったんだ……。
「あ、それと」
「はい!?」
二度目は想定外だった。間違いない、向井監督も覇気使いだ。一日に三度背後を取られた僕に、監督は口角を釣り上げている。唇の間から数本の金歯が見え隠れしている。
「今度の“全高選”はお前をレギュラーで使うから。頑張ってちょ」
「え?」
衝撃の事実だけを投下して、監督はさっさと過ぎ去っていく。発せられた言葉に驚きを隠しきれなかった。え、僕がレギュラー入り? まだ入部して二ヶ月なのに?
い、いいのか……?
おいおい、マジか。これは僕の時代が到来したってことじゃないのか!?
自分でもある程度の実力があるとは思っていた。しかし、三年生の引退もかかった極めて大きな大会で、いきなり試合にお呼ばれされるとは……。一年生期待の新エースの名前は伊達じゃない?
「お、おぉ……!!」
まるで全てが順風満帆のようだった。よーーし! 活躍してやるぞ! 絶対に全国を目指すんだ!!
走り出しそうな勢いで、部室へと向かう。
「ん?」
部屋の前には誰もいなかった。それどころか、明かりも付いていない。
ドアを開き、顔を覗かせる。
「お疲れさまでーす……。あれ?」
鍵はかかっていないのに、中には誰もいない。そこには常闇の空間が広がっているのみ。無人である。みんな、帰ったのかな?
「?」
おかしい。妙な視線を感じる。どこからか、誰かが見ているような。
ドアを半開きにして、光を当てる。身体を中に忍び込ませて、ジッと目を凝らす。いや、待て。……何かがいるぞ?
「……」
様子を確認していると、徐々に目が慣れてくるのがわかった。そこで見てしまう。部室の奥に座っている人影を。足を開き、たった独りで椅子に座っている、謎の人物の姿を。
「──オイ、一年坊主。自主練もせずに、ご帰宅かァ……? 随分と良いご身分だなァ」
亡霊のような低声に、握っていたドアノブの手を離してしまう。光が射していた空間に、突如として影が落ちる。
……ごめん、安穏。もう少しだけ待ってもらうことになりそうだ。