僕は勉強もできるハーレム高校生。
「えぇ〜?? そうなんですかぁ〜!^ぜんぜん見えなぁーいっ↑↑↑」
「そう言ってくれるだけであたしゃ嬉しいよ……。祐希にはいつもバカにされててさ」
「愛情の裏返しですよぉ~♪ ホントに嫌いな人には言いませんし、明希さんが愛されている証拠ですって♡ 元気だして下さいっ」
「うぅ……るーちゃんは優しいなぁ。こんな素敵な妹さんがいるなんて、ガッキーが羨ましいよ! ありがと。元気出たべ!」
「あはは♪ よかったですっ」
洗面所の方からそんな会話が聞こえてきた。
偽りの仮面を被った妹と、お風呂上がりの柳葉が、意気投合したように手を叩きはしゃいでいる。カマトトぶっているなぁ。
その様子を眉をひそめて観察していると「ギロッ」と睨まれてしまう。ほら、見ろ。アレが本性だ。ヤツの正体は人狼であるぞ……。
「それでは明希さん! お兄ちゃんと試験勉強頑張って下さいねっ☆ 私はお邪魔になるようなので、二階へ戻りまーすっ♪」
「あいあい。じゃねっー!るーちゃん!」
「はーいっ↑↑↑」
ニンマリと笑顔のシールを貼り付けて、化け狐は逃げてゆく。柳葉はすっかり騙されたようで、感嘆の声を上げていた。最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。ちょっとどころではない。
……人間って変われるモノなんだな。勉強になります。
「よーし、そろそろ始めるか」
勉強と言うワードで、本来するべきことを思い出した。立ち上がって、背中を伸ばす。いい加減、待ちくたびれた所である。
テーブルを四人で囲み、お菓子やジュースを中央に置く。寝ていた渚を起こし、教科書を広げた。
時刻は15時半。まだ三時間近くは余裕がある。安穏は遅れて来てくれることだろう。
用意すべきは問題集と授業中のノート。後は数枚のルーズリーフだ。シャープペンシルに、補充用の芯、消しゴムも忘れずに。
僕らの勉強会がようやく開幕する。
×××
テーブルに広げた五冊の教科書。古文・数学・英語・化学・歴史。
ハゲダニ高校の中間テストは、基本的な五科目から出題される。授業では特に新たな部分を含めることはなく、ほとんどが中学の時の復習のようなものになっていた。
「さて、何を勉強しようか。やっぱり僕は古文かな」
僕はどちらかと言えば、文系の問題が得意だったので、国語から取り組むことにした。長所を伸ばしていこう。好きこそものの上手なれとも言うしな。
「うーんっ……」
本日は口数の少ない渚氏。彼女は日本史大好きっ子で、特に幕末にハマっている所謂『歴女』である。ただ、今は化学の問題と向き合っているみたいだけど。
「なら、あたしは数学。ま、別に何でもいいんだけど」
菜月は苦手を克服する進研ゼミ手法を用いて、数学問題に挑むようだった。意外と勉強熱心なのか、スラスラとペンを走らせ始めている。偉い、偉い。菜月は偉い子。
一人ずつ教科書を手に取り、勉強を開始していく。その場に残されたのは、ただ一人。柳葉 明希だ。
この子は全くやる気がないのか、英語の教科書と睨めっこばかりしている。
「範囲はLesson1からLesson6までだね。『トム、学校に入学する』から、えっと6までだから『トム、食堂の焼き鳥丼に目を付ける』まで。はいはい、了解でぇーす」
ページをめくりながら、声に出して内容を読み上げていた。この英語の教科書はわりと変な部分があるが、気にはしないでおこう。
柳葉が教科書を閉じる。ニコニコと意味深な笑みを浮かべた。え、急にどうかしたの?
「できるかぁああああ!! 英語なんて嫌いだぁあああああ!!!!!!」
「ええっ!?」
バンと机に教科書を叩きつける彼女。その表情は鬼神の如く。
「日本語で書いてよ! アイアムジャパニーズ! ドント スタディ イングリッシュ!!」
ドンと胸を張り告げる柳葉。急にそんな事を言われても、それは英語の教科書だからどうしようもないぞ。
ギャーギャーと騒ぐ柳葉はまるで子供だ。しょうがない、僕が面倒を見よう……。
×××
「ガッキー、なんであたしたちは日本人なのに英語を勉強しないといけないのー?」
ペンを鼻の下で器用に持ちながら、柳葉が僕に尋ねてくる。
英語が苦手な人の常套句だよな。まずは苦手意識を無くすことから始めないと。
僕は知っている範囲で、その理由を説明する。
「それはだな、柳葉。国際社会である現代、英語という世界共通の言語が非常に重要視されているからなんだよ。日本人の英語力は世界でもワースト二位だから、先進国としては恥ずべきことなんだ。海外の人に舐められたくない為にも、きちんと学習しておかないと。それに英語を話せたらカッコいいぞ? トムクルーズとも会話できるぞ?」
そう、英語を勉強することはとても大切なことなのだ。
僕は父の仕事の都合で、何度か家族でヨーロッパに旅行に行った事があった。その時に重要だったのは英語が話せるかどうかだった。
大概の場合、現地の人は僕らを見ると英語で話しかけてくれる。あちらの人たちは常識のように身につけているからだ。その時に返答できないとやはり辛い。
だから海外に行くのであれば、英語の勉強はしっかりしておきましょう。
僕が説明すると、柳葉は口からペンを離して、きちんと手に持った。
『わけわかんないー!』とさっきまで文句タラタラだったのに、急にやる気を出したように英単語をノートに綴り出す。
「むー、ガッキーの言うことには一理ある……。悔しいから勉強する。あたしヒュージャックマンとお喋りしたいし!」
「おぉ、流石だ! 柳葉。やれば出来る子じゃないか」
「まあ、あたしは褒められて伸びるタイプなんで」
凄まじいドヤ顔を浮かべながら、柳葉は大嫌いな英語に挑んでいく。
やる気を出してくれる彼女に涙腺を緩めながら、塾のバイトでも始めようかと考える僕であった。
×××
シャーペンの芯がゴリゴリと白紙の上を踊っている。勉強会を開始して早一時間。そこにはほとんど無駄な会話はなかった。
「善一くん……ここ、教えて?」
「いいぞ。どこだ?」
化学式に躓いた渚の隣に座る。さっきからこうやって渚の勉強に連れ添っていた。
本当は恒例の宗との闘いもあるので、自分の勉強に集中したかった。だが、こうも悩める子羊がいたら、家庭教師をトライしてみたくもなる。
「……なによコレ。意味わかんない」
舌打ち混じりの声が聞こえる。菜月の手が止まっていた。難しい問題に手こずっているのか、酷くイラついている。
僕は彼女の問題集を覗き込む。
「菜月、ちょっと見せてみろよ」
「は? ちょ、なによっ!」
どうやら円周率の問題らしい。あー、慣れないと面倒だよな。でもこれは公式があればある程度は理解できる。
「円周率ってのは直径と円周の比率のことなんだ。だからπは……」
「ちょ、ちょっと待って! あんた、なんなのよ!?」
僕がそう説明しようとしたのだが、急に驚かれた上に、距離を置かれた。菜月が目を開いたまま、僕を指差す。
「アンタがなんでわかるのよ!? 理数系じゃないじゃない! それに難しいし」
「そうか? そうでもないぞ。難しそうにみえて、わりと簡単な」
「じゃなくてっ!」
……なんだろう。急にどうかしたのか。僕に教えて貰うのがそんなに屈辱なのか?
「いや、だから!えっと、つまり……アンタ、もしかして賢いの……?」
賢いと言われればどうだろうか。この問題は中学三年レベルなので解けただけであって、賢いわけではない。KKEではない。
「いや、僕は賢くなんかないぞ。むしろ、姉貴とか宗とかのが勉強できるわけだし」
「何なのよ、アンタら。わりと高スペックね……」
「……そうか?」
実際、姉貴とか宗のが凄い。僕はまだまだだ。でも高スペックと言うのならば、いつかはスペックホルダーを目指したいものである。
菜月は黙って説明を聞いてくれた。ただ、僕の教え方が悪かったのか、不満げに机をペンで叩いている。
「違うわよっ! ここがわからないの!」
「そこが肝な。僕は解答までは教えないぞ」
助言は簡潔にだ。全てを事細かに教えてしまうと能力が向上しない。大切なのは答えを知ることではなく、自らの手で導き出すことにあるのだから。
「……ケチ。ふんッ、自分が賢いからって、良い気にならないでよねっ!」
ベーと舌を出して威嚇される。そのくらいの問題で良い気になってたまるか。
「で、柳葉はなにをやっているんだ」
「ふぇ!? えっと、休憩……?」
マンツーマンで指導していた新垣塾、最後の生徒は問題児である柳葉 明希だった。英単語を覚えるのに飽きたのか、鼻の下にペンを挟み遊んでいる。こらこら、勉強会だぞ?
「サボるなよ。ほら、問題集貸して」
「むぅ……」
注意を促して、本を拝借する。中身を確認すると、一応はちゃんと取り組んでいるようだった。どこがわからないんだ。
……どれどれ?
──────────────────
[問題]
・次の日本語を英文にしなさい。
《彼女は脚がとても速い陸上部員の一人だ》
【柳葉 明希の解答】
『ツッキー』
──────────────────
「???」
瞼を擦って、もう一度刮目する。解答欄の言葉は変わらない。英訳問題なのに、カタカナに伸ばし棒だ。しかも個人名をあだ名で。
え? ……え?
「柳葉。ツッキーってなんだ……?」
「ツッキーはツッキーだよー。ガッキー何言ってるの? なっつん脚速いでしょ!」
「それで、菜月か……」
「そうそうー!」
……ええっと、どこから突っ込めばいいのかしら。
きちんと問題文は読んでいるのだ。しかし、根底が間違っている。捉え方はある意味では正しい。確かに菜月は《脚がとても速い陸上部員の一人》だ。けど……いや! もうこれはアレだな!? うん!!
「これも──正解だッッッッ!!」
「やったぁー!」
……柳葉 明希、侮れぬ女子よのぅ。
※ ※ ※ ※ ※
午後17時を過ぎると、雨は次第にその勢いを弱め始めた。依然として風は強いままではあったが、これも数時間経過を待てば収まっている事だろう。菜月たちは濡れずに帰宅できそうだ。
ただ、不安材料はもうひとつある。
「なぁ、菜月。安穏からなにか連絡来ていないか?」
「来てない」
「そ、そうか」
勉強会を開始させて数時間。彼女からはずっと音沙汰なし。ここまで来ると、流石に心配になってくる。事件や事故に巻き込まれていなければいいが……。
「なぁ、菜月。安穏になにか連絡してくれないか? 心配なんだ」
「自分で連絡しなさいよっ」
「LINEをまだ知らないんだ」
先ほど柳葉がおふざけで解答した問題を解きながら、赤ペンで正解・不正解の判断をする。Lesson5は『トム、寿司を素手で触るという行為に対して、生理的嫌悪感を覚える』だった。変なタイトルだな。
しばらく待つも、彼女からの返答はない。集中しているのだろうか。
「は?」
菜月が手を止めた。キョトンとした表情で、口を半開きにさせている。ビー玉を投げ込みたい。
呆然とした様子で、問い直してくる。
「アンタ、のどかの連絡先知らないの? 聞こうと思わなかったの?」
「聞こうとは思ったよ。でも、時間がなくてさ。後日テストが終わって落ち着いてから、教えて貰うことにするよ」
「え? なら、あの子にどうやってココの住所を伝えたの……?」
「僕は教えてないぞ。菜月に聞いてくれとしか言ってない」
「はぁぁ……?」
今度は半分どころか舌が見えるほど口を開けていた。ピンポン玉を放り込みたい。
便乗して手を止める。え、もしかして、僕またなんかやっちゃいました……?
「え? まさか菜月! 安穏に住所を教えてないのか!?」
「教えてないに決まっているでしょ!? そんな話、はじめて聞いたし!」
「えぇ……」
不運か、不幸か、それとも必然か。
結局その日、最後まで安穏が現れることはなかった。