善一とのどか。
身体を鍛えておいて良かったと、心からそう思う。いくら筋肉をつけようとも、部活動以外では必要ないと思っていたけど、まさかこういう時に役立つとは。明日から毎日筋トレしよう……。
足に力を入れて、坂道を登る。
背中の上には最愛の人、安穏のどか。すっかり疲弊していたらしく、肩に手を掛けて、身体全体を預けてきていた。うなじに鼻先が触れていて、とてもくすぐったい。こやつ、メロメロの実の能力者だな……!?
「……」 「……」
……ごめんなさい。こんな時にどんな会話をすればいいか、わからないの。
自分からおんぶを提案したクセに、まさかまさかの安穏がそれに乗ってくるとは思わなかった。二つの意味で。
心臓が早鐘を打っている。しかし、あんまりモゾモゾと動いてしまうのもアレなので平静を装っておこう。いや、でも、この状況下で冷静になれって方が難しいか……。
「…………」「…………」
恥ずかしい。いや、本当に恥ずかしい。誰にも見られていないから良かったものの、頭は沸騰直前だ。てか、安穏の太ももに触れてるんだけど……触れているんだけれども!!
ジャージの長ズボン越しでも、感触がモロに分かってしまう。なんていうか……その……下品なんですが、フフ……興奮……しちゃいましてね……。
って、ダメだ! ダメだ!! 紳士だろう! お前は!! 【ゼンイチアラガキ】たるもの、好きな人を背中に乗せている以上、最大限の注意を払わなくてはならぬ! 集中だ。集中。
(プシューーーシュコォォーーー)
(プシューーーシュコォォーーー)
(プシューーーシュコォォーーー)
心の中で数回深呼吸をする。気分はダースベイダー。フォースと共にあらんことを。
「つ、月が綺麗だよな」
このままだと肉体が沸点に達して、蒸発してしまいそうなので、どうにかして体温を下げておきたかった。得意分野である星の話でなんとか間を持たせようとしたのだが、安穏に返事はない。
……眠っているのだろうか?
人肌に触れて安心しきっているのか、ずっと鼻先をうなじに引っ付けたままだ。ショッピング帰りの子供かよ。
動かない彼女を背負いながら、静まり返った山道を歩いていく。とりあえず一度、渚たちと合流しなくては。それから帰る手段を考えよう。
そういえば、夏目宅の漱石さんは「アイ・ラブ・ユー」を「月が綺麗ですね」と和訳したそうだ。日本人は愛情表現が下手だからと。なんともまぁ遠回しな言い方だよな。
春月に想いを馳せて、僕は呟く。聞こえているかも分からない肉声を、君に向けて。
「……好きだよ、のどか」
※ ※ ※ ※ ※
「ん……。ごめん、寝ちゃってたみたい」
「お? あぁ、おはよう……!」
僕が脳内で怪獣とヒーローを闘わせていた頃に、ようやく安穏が目を覚ました。肩から手を離して、地面に降りる。
「おはよ。……へいき? 重くなかった?」
「うん。むしろ軽すぎた」
「それって、渚ちゃんよりも?」
「ノ、ノーコメントで」
真顔で尋ねてくる安穏相手に、コメントを差し控えさせて頂く僕。ちなみに渚と比べるとサイズ感の違いなどもあるので、安穏の方が軽かったのは確かだ。デリカシーないとか言われるから、黙っておくけど……。
木の階段を最後まで降りていくと、途中で安穏が何かに気付いたように立ち止まった。
「……どうした?」
「これって、今どこへ向かってるの」
「え、渚たちと合流しようと思って」
「渚ちゃん、たち?」
聞き返されて戸惑う。迂闊だった。レンがいるってのを気にも留めず、普通に合流しようと思っていたぞ。流石に、安穏はレンと会いたくはないだろう。
だけど、来た道を戻るしか帰る方法が……。
「うわっ!」
刹那、鋭い光をどこからともなく浴びせられる。野生の動物が遂に発光能力でも得たのかと一驚していると、草むらを影が割った。何かがそこを動いている。
「なんだ!?」
即座に懐中電灯で照らすと、見覚えのある二人が眼前に突っ立っていた。
「うるせぇよ! このヘタレ野郎ッ!!」
「ちょっとのどか! アンタ、どこでなにやってんのよっ!?」
──怒鳴りつけてくる影の主。玉櫛 宗と海島 菜月が揃って登場する。
× × ×
× × × × × × ×
……頭が痛い。今日は疲れた。
髪を洗い終えて、鏡の前の自分を眺める。よく見ると腕は傷だらけだし、顔も酷くやつれている。一日で色んな事があり過ぎた。
菜月たちと別れてホテルに戻ってきた時には、既に時刻は0時を過ぎていた。
勿論、先生方にはすぐに自室に戻るように叱られた。そりゃそうだ。他の生徒達は就寝時間で床に就いているのだしな。
『彼女には話が。生徒会長も一緒に』
ホテルに戻ってきた直後、担任教師の西田先生を筆頭に、集まっていた教師陣は安穏と姉貴を呼び出した。僕も同行するように頼んだが、許可してはくれなかった。
安穏達に何があったのか、結局のところ分からないままである。予想が当たってるとも限らないし。
『……ごめ……んッ……な……ぁ』
レンこと源 蓮十郎は、酷い怪我のようで、一人部屋へと先に移された。治療の為、明日の早朝には帰宅するとの事らしい。
元々生徒会が『グループに馴染めない人専用』という目的で準備されていた一人部屋。
井口くんのキャンセルがなければ、余りも出なくて抽選になっていたそうだ。応募者が殺到していたという。それだけ誰もが人間関係に悩んでいるという事なのだろうか。
「ふぅ……」
誰もいない浴槽に浸かって、ため息を零す。なんとも後味が悪い。
レンのことを好きにはなれなかったけれど、一応は仲間だった。幾ら何でも、オリエン合宿を途中離脱しなくちゃいけないのは可哀想だ。
そもそも、レンにライバル視されていた自分にも責任があるのではないだろうか。目を付けられなければ、アイツが安穏とトラブルを起こす事もなかった。
つまり、あぁなってしまったのは、最初から僕の──。
「……やめよう」
取り留めのない不安が灰汁のように出てきたので、故障している掛け湯の方へと向かう。今は冷水で、少しでも嫌な気分を洗い流してしまいたかった。
※ ※ ※ ※ ※
「本日二度目のお風呂とは羨ましい。就寝前までならいつでも入浴可能というルールが功を奏しましたね。今のご気分はいかがです?」
「あんまり良くないかな。というか、まだ起きていたのか、井口くん」
「ええ、私は基本的に夜型人間ですので、逆に眠れないのですよ。それに、夜は静かで好きです」
自室に戻ると、部屋の明かりはまだ付いていた。ヨッシーが豆電球を点灯させたまま、ブルーライトのPC画面を見つめている。そんなに近くで見ていたら、目が悪くなるぞ。
「なにをやっているんだ?」
「ブログ記事の更新でも、と」
「ブログ……?」
「あ! い、いえ……! あのような下劣なサイトはもう管理していませんよ!? 別です! もっと健全な方です!!」
妙に焦っているヨッシーはこちらを警戒しつつ、手元を隠しながら作業を行なっているようだった。とてもとても怪しいけれど、彼を信じることにしよう。
レンがいない三人部屋。パジャマに着替えて、寝支度を済ませる。ベッドの脇のゴミ箱には“千味ビーンズ”の袋が捨てられてあった。宗と井口くんは肝試しの最中、トランプでもしていたのだろうか。
「そういえば宗は?」
「知りませんよ。死んだのでは」
「……呪われていそうだな、この部屋」
レンがいない現状、その冗談はあまりにもブラックジョークがすぎる。まぁアイツの事だから死んではいないだろうけど、行方不明はもう勘弁してくれ……。
宗の鞄の方を見ると、大きなダンボールが置いてあった。確か姉貴から貰ったレクの景品だったっけ。箱の中身はなんだろな?
少し気になって手を伸ばす。すると、部屋のドアが乱暴に開かれた。
「オイ、お前ら! 祝杯あげようぜ!! 生意気なチャラ男がくたばりやがった記念によぉ! ガォオーーーー!!!」
静かな夜に不似合いな男がジュースを片手に、悪意のある叫び声をあげている。呆れて物も言えない僕らを前に、宗は舌を出しながら、大袈裟に中指を突き立てていた。