僕は夜の森で幼なじみと迷子になる高校生。
「……ハァ……ゼェ……」
「ぜ、善一くん。だ、大丈夫っ……?」
「へ、平気だ……ふぅ」
その場に座り込む。乾いた土の地面には葉っぱだけの感触しかなくて、意外と座り心地は良かった。ジーパンを履いてきて正解だ。
蛾は嫌いだ。チョウのように鮮やかな羽など持っていないのに、深夜のコンビニ硝子に必ずと言っていいほど張り付いていて、さも自慢気に身体を見せつけてくるから嫌いだ。
苦手な虫ランキング(私的調べ)では常に上位に食い込んでいるつわものである。ブヨブヨとした肉腹と、せわしなく動かされる触覚を、思い出しただけで冷や汗が出てくる。
……随分と走ってしまった。前方には連なった木々。取り込まれていて道はない。まるで森の主が「侵入者ノ立チ入リヲ禁ズル」と警告しているようだ。深淵を覗くと深淵もまたなんとやら。
懐中電灯も途中で落としてきてしまって、明かりもない。悲鳴も聞こえない。おまけに誰もいなくなってしまった。
「渚、悪い話がある」
「ど、どうしたのっ……?」
僕は額の汗を拭き取りながら、答える。
「僕らは道を間違えた。迷子らしい」
……さて、どうしたものか。
※ ※ ※ ※ ※
迷子である。迷子だ。迷子になってしまった。
なぜ迷子になってしまったか、それは明らかに道が広がっていないからである。さっきまで火の玉のようなランプが道案内をしていたというのに、そこから外れてしまった。
人気のない暗くて窮屈な場所に、渚と二人ぼっち。完全に僕の過失である。
「えへへ……迷子だね」
「……うん、迷子だな」
「……」
「……」
蛾め……やってくれよったな。
「とりあえず……歩いてみる?」
「そうだな……」
行く宛もなく、僕と渚は真っ直ぐに歩いてみることにした。身体を寄せ合って、手を繋いで。
こういう場合、役に立つのがスマホなのだが、肝心な時に携帯は圏外であった。繋がりやすさNo.1でもダメらしい。どうする? もういっそのこと、ゆるっとキャンプ△でもする? いや、そういう気分でもないか……。
コンパスのアプリも恵方巻きを食べる時くらいしか使わないし、今手元にあるのは[虫除けスプレー][スポーツドリンクの入った水筒][柳葉のタオル]のみ。
……情けない。何をやっているんだ、新垣 善一。不甲斐なさ過ぎる。
「…………」
気持ちを入れ替える為に、頭にタオルを巻き付ける。気合いを入れよう。先に進むしかない。
適当に草むらを掻き分けて進んでいく。すると、唐突に呼びかけられた。
「あら、善一くん達じゃない。こんな所で何をやっているの?」
「え?」
見ると、木々と木々の間から、白い顔を出した桜先輩が顔を出していた。はい、ひょっこりはん。
※ ※ ※ ※ ※
「うわ! ビックリした!」
「ひ、ひぃ……!」
あまりに急に登場するものだから、思わず声を上げてしまう。この人気配もなく現れなかったか?
「何をやっているの、こんなところで」
「そういう桜さんこそ……」
迷子になっていた僕らと違って、櫻木先輩はどこか辺りを警戒してるようにも思えた。身体を小さく隠して、しーっと口元に指を添える。
耳にはイヤホンを装着していて、首元には小さなマイク。インカムというやつだろう。
「見てわからない? 肝試しのお化け役よ。ここで待ち構えて、帰り道のターゲットを驚かせているの」
そう言って、桜さんはイヤホンに触れる。どうやら何かしら指示を受け取ったらしくて「はい」と返事をしていた。
「……了解です。ターゲットE合流ですね」
聴こえてきた会話は「スピーカーが不調だ」とか「ランプの点滅が早い」とか、機材がどうのこうのとかそういう話。ターゲットとは参加していたカップルの事だろうか。
しばらくの間、通話をしていたが唐突に僕の方を見た。マイクを切ってこちらに向く。
「今、奈々美さんに連絡を入れたわ。全くどこをどう間違えたら、こんな所に辿り着くのかしらね」
「す、すいません……」
冷たい視線が浴びせられる。明かりがなくて気付いていなかったが、桜さんは特殊メイクを施していた。口裂け女役なのか、口紅が耳の付け根まで引かれている。
身に纏うは白無地の和服。セッティングにかなり時間がかかってそうだ。
「……罰を与えてあげましょう。コレで」
桜さんが持っていたナイフをわざとらしく見せつけてきた。本物じゃないよな?
「善一くんがここまでの最低野郎だったとはね。万死に値するわ。覚悟しなさい」
「ちょっ、え? そ、それだけは! まだ死にたくないですって!!」
呆れたように微笑して、先輩はナイフを振り上げて迫ってくる。さ、刺すの? 刺されるの僕!? 殺されるの!??!
新垣 善一、死す。その背中には逃げ傷しかない。
「うふふ、これで死ぬかしら」
振り上げていた刃物でザクザクと背中を突かれるが、痛くはない。やっぱりレプリカだった。
「驚かさないでくださいよ……」
「本物はこっち」
「銃刀法違反じゃないですか!?」
帯の結び目から二本目のナイフが登場する。もう何百年も前に廃刀令が公布されたってのに……悪い人だ。
※ ※ ※ ※ ※
「夜の森だからって浮かれるのは仕方ないけれど、それも程々にしなさい」
櫻木先輩に案内してもらい、出口である森の祠へと向かう。
弁明する言葉も出てこなかった。しかもお化け相手にじゃなくて、蛾だし……。
「頭にタオルなんか巻いちゃって。変な格好。ソレ、似合っていないわ」
「……気持ちですよ、気持ち。桜先輩の格好は似合っていますね。自前ですか?」
「ふふっ、当然よ」
褒められたことがよっぽど嬉しかったのか、先輩は満足そうに鼻を鳴らす。
雪のような着物は自前らしい。そこから伸びた透き通るような肌の四肢がすらりと長い。
まじまじと眺めていると、視線に気付いたのか立ち止まってモデルポーズまでしてくれた。あ、そこまではしなくていいです。
「そんなにエロい目で見られると、なんだか身体が火照ってきちゃう。汗で 濡・れ・て・く・る」
「蒸し蒸ししていますもんね」
「違うわ。身体が喜んでいるの」
うっとりとした顔で、胸元をパタパタしてくる。目を逸らして注意して進むことにした。危ない、危ない。ココは誘惑の森だな。
僕を弄ぶ桜さんだったが、もう一方の渚にはほとんど声をかけていなかった。渚も桜さんに気を遣っているのか、会話を持ちかけたりしない。袖を掴んで後ろを歩くだけ。なんだか様子が変だ。
と、ここで櫻木先輩を振り返る。誘惑して遊ぶのは飽きたのか、こんな質問を投げかけてきた。
「それにしても、葵さんって怖いの苦手じゃなかったかしら? それなのにどうして、善一くんを誘ったの?」
「ええっと……それは……」
「そんなに二人で肝試しに行きたかったの?」
全てを言い終わる前に、別の質問をする。渚は困ったように両手を抱きしめていた。こうなってはもうどうしようもない。ここは僕が答えよう。
「あ、僕と渚は幼馴染みなんです。だから誘いやすかったのかもしれません」
「あら、そう。つまらないわね」
急に不機嫌になったのか、ハッキリと吐き捨てられた。退屈そうな横顔に、ひゅうと風が舞って溶けてゆく。つまらないと言われましても……。
「ステキな関係ね。幼なじみって」
桜さんは笑っていなかった。手に持っていたおもちゃのナイフの柄をグッと握りしめて、囁くような言葉を紡ぐ。
風が走って、梢が揺れた。
「とっても仲良しの兄妹みたい」