僕は夜の森で幼なじみと手を繋ぐ高校生。
誰かに名前を呼ばれる。
体操座りの姿勢のまま、声の方を見る。頭を上げると、渚が眼前に突っ立っていた。
「そ、そんなところで……どうしたのっ……?」
胸に手を当てたまま、心配そうに顔を覗かせている。僕を探していたのだろうか。
「……なんでもないよ」
ならばこそ、余計に本音は言えなかった。なんでもないと嘯いて、罪悪感から逃れる為に目を逸らす。今更、行きたくないなんて言える筈もない。
僕は“約束を守る人間”なのだから。
×××
「ジュクダンボーシ! ジュクダンボーシ! ジュクジュクジュクジュクダダダダダダダダダボーシッッ!!」
どこかで聞き覚えのない虫の声がした。
鬱蒼とした森の中を、僕と渚は二人きりで歩いていた。目的は《最奥部の祠》に行くこと。手に持った懐中電灯だけを頼りに、奥へと進んで行く。
この辺り一帯は須賀原市に位置する森林地帯だ。人の寄り付かない秘境とも言われており、昔は温泉街もあったとか。噂によると、近くの熊ヶ谷山では【野生のクマ】も生息しているという。遭遇しないように警戒しておこう。
「……」
「……」
僕らの間に会話はない。
渚はさっきからずっと静かで、袖を掴んだままぴったりと付けて歩いている。もう背後霊かっての。
重たい空気の道すがら。足元の草が微かに揺れる。
「ど、どうしたのっ……?」
「え? あ、いや……」
渚に肩を支えられる。無意識にフラついていたらしい。授業中に睡魔に襲われて意識を失い、首がカクリと動くように。
「……悪い、ぼーっとしていた」
振り向かないで再び歩き出す。色んなことがあって、身体も精神も、疲れきっていた。出来ることなら、今すぐ部屋に戻って、暖かい布団に包まりながら寝床につきたかった。
「眠いのっ……? ごめんね、急に誘っちゃって」
僕があまりにもぶっきらぼうに返答したせいで、袖から手を離される。お互いの距離が開き、余計に気まずくなってしまう。
「……」
「……」
ただただ、苦痛の時間が続く。
楽しいハズのオリエン合宿なのに、どうしてこうも胸が張り裂けそうに痛むのか、理解に苦しむ。
はぁ、と息を吐いて彼女へと振り返った。渚は自身の両手をギュッと握りしめていた。
「ううん、眠くないよ! ほら、こうやって渚と二人で歩くのなんて久しぶりだからさ。ちょっと緊張しちゃって……。楽しみだよなぁ。姉貴たちはどんな仕掛けで僕らを脅かしてくれるんだろう?」
膝を曲げて、目線を合わせる。震える両手を手で包み込みながら、無理やりテンションを上げて笑う。感情は押し殺した。
渚の手は温かった。冷え性の自分と違って、元々の体温が高いのだろう。これでパンを作れば、きっと良いパン職人になれると僕は思う。
「ほ、ほんとぉ? なんだか元気がないように見えたから……」
「何を言ってるんだよ? 僕はいつも元気100倍さ! 元気じゃないときは、雨の日くらいかな。顔が濡れると力が出なくて」
「ふふ……良かった。いつもの善一くんに戻った……!」
落ち着きを取り戻したようで、彼女の両手の震えが止まる。
いつもの僕とは一体なんなのだろう。
「じゃあ、一つだけ“お願い”してもいいっ……?」
指を絡ませて見つめ返される。このタイミングでの上目遣いは卑怯だ。そんな甘えた声を出されてしまっては、どうにも断りづらくなる。
「……良かろう。では、願いを言いたまえ。どんな願いも、僕の可能な限りで、一つだけ叶えてやる」
神龍の声真似をすると、小さく手招きされる。耳を貸して、ということだろうか。
「なんだい?」
差し出すと息を吹きかけられた。聞き取れる限界ギリギリの声で、こんな要求をされる。
「善一くんっ……手ぇ……繋いでいこっ?」
あまりにも愛らしくて、くすぐったい声。脇腹を指でなぞられたかのように、もぞもぞと動きたくなる。内心、悶えた僕がいた。
なんだよそれ……可愛いな、もう。
どんぴしゃり、お願いが叶った。
※ ※ ※ ※ ※
「ホーホーホーホー、ホーホケキョ! ホーホーホーホー、ホーホケキョ! ホッホッホッホッ、ホェエエエーホケキョキョョョ!」
どこかで聞き覚えのない鳥の声がする。
夜も更けてきたからか、先に進むにつれて、森の闇も深く濃くなってきていた。
隣の葉がガサガサと揺れる度に、ビクリと反応してしまう。今にも、やせいのポケットなモンスターがGOしてきそうだ。ここはトキワの森かな?
冷たい風が時折り頬を撫でる午後23時。頭上の月明かりが雲に覆われていて、先があまり見えない。足元を懐中電灯で照らし、注意しながら歩いてゆく。
「なんだか、何も出てこないな」
「う、うんっ……! あんまり怖くない、かも」
お手手とお手手を繋ぎっこ。こうしていると、渚の熱が皮膚を通じて伝わってくる。
『怖くない』と口では言いつつも、意外とさっきから握っている力は強めだ。おまけに手汗まで。おーおー……身体は正直みたいだなァ……?
「てか、渚は大丈夫なのか? お化け屋敷の時もそうだったけど、こういうの苦手だと思ってたよ」
思えば昼間の遊園地の時も、僕を盾代わりに後ろに隠れていた気がする。それなのにまた肝試しに誘うなんて変な話だ。
「苦手だよっ……? でも、そのぶん興味もあってね……」
「ほー。怖いものみたさ、か」
苦手ではあるけど、興味はあると。こわい、こわいと言いつつも、内心では楽しんでいる。饅頭こわい病的なものか。
「それにね? 一緒に行きたかったから……」
「お、おう。そうか……」
……これは、ノーコメントで。
ともあれ何も出てこないのなら、なんら心配する必要はない。
てっきり、不気味な音楽が奏でられていたり、竿の先にぶら下げたこんにゃくでほっぺを撫でてきたり、骸骨に仮装して驚かせてくるものだと思っていたから肩透かしを食らった気分だ。
お化け屋敷と比べると大したことないか。あの姉貴であっても。
「……え?」
余裕綽々に闊歩しかけて、ふと足を止める。一瞬、何かが目の前をすーっと通ったのだ。赤い炎のような物体が揺らいでいた。
「ひっ……ひのたま」
隣の渚も同じように気付いたようで、口を開けて息を呑んでいる。いやいや! 見間違いだって。
「あ、あり得ないさ! だって火の玉なんて架空の存在だぞ!? あれはランプだよ! ランプ。ランプに決まってる!」
とりあえず、見てなかったことにした。現代に火の玉だなんて、絶対におかしい。空想化学読本だったら否定しているに違いない。
「い、痛いっ……! 善一くん」
「あ。ごめん……」
おっと、力んでしまった。反省。僕がビビってるって? そ、そんなことねーし!?
『あ゛ぁ゛っ……み、水をく゛れぇ゛……』
「うおっ!?」「え? え?」
男の唸り声がして、懐中電灯をその場に落とす。辺りを見渡すも森だけだ。今度はなに!? 今の誰だ!?
「……やだぁ、こわいよぉ」
渚が咄嗟に豊満な胸を押し当てるように身体を寄せてきた。僕の右腕が胸の谷間にすっぽりと挟まる。まるでテトリスの凸凹が重なったように……。少し、恐怖が収まった。
「聞こえたか? 水をくれって言ってたぞ……」
「の、喉乾いてるのかなぁ……?」
「どうなんだろうか……」
深刻そうに呟くが、勿論、頭の中は挟まれた胸の感触でいっぱいいっぱいだった。あー、こわい……。肝試しこわいなぁ……。
無自覚なのだろうか。渚はこういう事を平気でしてくるから困るぞ……。とほほ。
いや、勘違いしてほしくないのだが、僕はラッキースケベが嫌いな方ではない。むしろ好きな部類だ。好きだけど、好きではあるけれど、今この状況ではご所望でないだけだ。
「ん?」
……おや、なんだろうか。急に後頭部に違和感を覚えたぞ。何かが蠢いているような。
変な感覚があったので、左手の親指と人差し指を駆使して取ってみた。頭の上に乗ってるモノを掴んで確認する。
菌を振り撒くような長い羽に触覚。身動きが取れずに、脚をバタバタと暴れさせている生き物。えっと、これはもしや……。
「蛾だな?」
蛾だった。
「がぁあああっーー!!!」
「ぜ、善一くんっ!?」
左手に持っていた蛾をその場に捨てて、前方へと退避する。がぁあああっーー!!! がぁあああっーー!!!
いや、勘違いして欲しくないのだが、僕は虫が平気な方ではない。むしろ苦手な部類だ。触りたくないし、触られたくもない。もう色々と勘弁してほしい。苦手、苦手、蛾とかほんと苦手っ!!! ご所望じゃない!!
全く、肝試しなんて大嫌いだ!!!!