僕は断りきれないハーレム高校生。
※※
渚がはじめての“お願い”を発動させたのは九年前、小学二年生の時だ。
あの頃は幼馴染み三人で行動する事がとても多くて、学校が休みの日にも度々顔を合わせていた。もう飽きるほどに。
親同士の仲が良かったこともあって、夏場にはキャンプやプールに訪れた事もある。宿題なんて二の次で、頭の中はどう遊んでやろうかとそればかりを考える毎日だった。
特によく遊んだ場所は学校の裏山にある秘密基地だ。秘密基地と言っても、誰も使わなくなった小屋をそう勝手に呼んでいるだけなのだけど、それでもそこは僕らにとっては秘密の場所であった。
ここでよくやる遊びがある。
『ただいまーかえったよー』
『おかえりー』
昆虫採集から帰ってきた宗を迎え入れる。宗は言わば一家の大黒柱、お父さん。僕と渚は養子で引き取られた兄妹役だ。基本的に基地で絵本を読んでる渚と、ゲームをしてる僕。外で何かしら暴れている宗と、三者三様自由に動いている。
これぞ《リアル家族ごっこ》だ。名前の通り家族のようなかりそめの生活を送るフリをする。現代の仮面夫婦みたいなものだ。
僕ら幼馴染み三人の絆はここから形成されていた。友人関係を超えたホントの家族のような存在だった。
『きょうはたいりょうだった。りょうりしてくう?』
『む、むしはたべたくないよぉ……!』
『でも、いがいとうまいかもだぜ? ほれ』
『ひ、ひぃっ……!』
コガネムシを持ち上げてヘラヘラと笑う宗。昆虫が苦手な渚は涙目になって、僕の腕に抱きついてくる。そんな二人の様子を見ながら、僕は一人今日の晩ご飯はなんだろうと考えていた。
『なぎちゃんはこわがりだなぁ……。このくらいのりょうりもできないと、しょうらいお嫁さんになれないぞ?』
『ママはなれるっていってたもんっ……!』
『なぎちゃんのママも、むしりょうりできるから。だからお嫁さんになれたんだよ』
『えー、そうなのっ……?』
悪ノリをして相手を困らせるのが好きな宗は、今でも何も変わっていない。何故かゲームをしていた僕に尋ねてくる渚も『蒸し料理食べたいな』と思ってしまった自分も、当時から何も変わっていない。
『でもしんぱいしなくてもいいぜ。おれと結婚するなら、なにももんだいない』
宗はよくこうやって渚をからかっていた。本人曰く、反応が面白かったからだという。
『しゅうくんはやだ! わたしはぜんいちくんがすきだもんっ……!』
『うわーふられたー。いっちー、なぎちゃんが好きなんだって』
話を振られて、僕も何気なく答える。
『呼んだ? そうだな、僕はハンバーグかな』
本当に晩ご飯のことばかりを考えていた。
『いっちー、ちがう! たべものの話はしてないから!』
『後はオムライスも好きだ』
『ちがうって! めしからはなれろ!』
当時[お嫁さん]とか[政略結婚]とか[トツギーノ]だとかの言葉は知っていたが、意味までは理解してはいなかった。だから、あんな約束を気軽にしてしまったのだろう。
『ぜ、ぜんいちくん。”おねがい”がありますっ……!』
腕に抱きついていた渚が離れて、立ち上がる。急に何を思い立ったのか、自分の両手をギュッと握りしめていた。
『わ、わたしはっ……ぜんいちくんのおよめさんになりたい! いつか結婚してね……?』
彼女のお願いとは、僕との婚約だった。
※※
渚からの頼みごとを今まで断った試しがない。なんでもかんでも引き受けてしまう。結婚の約束なんて、重要な事柄でさえも。
だから僕は彼女が覚えていない事を願うばかりだ。あんなの若気の至り、過去の産物なのだと。約束を守る保証なんてできない。
『いいよ』
『ほんとっ……? やくそくだよ?』
『うん。僕は約束を破らない』
……一昔前から何も変わっていない。無責任な言葉を並び立てるのが、どうしてこうも上達してしまったのか。
逃れたいだけなのだろう。安穏を譲ってしまった情けない自分でも、彼女はきっと受け入れてくれるだろうから。単に甘えたかっただけだ。
だから、差し伸べられた手を掴んだ。大切な幼馴染みのお願いは聞かなければならない、という大義名分に則って。頼みごとを聞き入れた。
「ペアか。……わかった。よろしくな、渚」
その言葉にどれだけ深い意味があろうとも。今も昔も、考えようとすらしていない。
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肝試しが実際に夜の森で行われると聞いて、自室で色々と準備を整えた。虫除けスプレーを鞄に詰めて、大きめのパーカーを羽織る。虫よけ対策と冷え予防である。ついでに柳葉に借りていたタオルも持って、再度ホテルのロビーまで戻った。
時間も遅いからか、参加者は意外と少なかった。
数名のカップルに囲まれながら、渚の到着を待つ。先着順にスタートするので、僕らの順番は最後の方だ。
受付の説明によると《森の奥の祠》でお守りを貰って帰ってくればいい、とのこと。青少年の条例に基づいて、一応の時間制限も定められているらしい。そこまでの長丁場にはならないみたいだな。【最恐戦慄迷館】を経験した後だと、余裕すらも感じてくる。
……まぁ、アレは安穏がいてくれたお陰というのもあるけど。
いつでも俊敏に動けるようにと準備体操をしていると、隣にレンが立っていた。安穏のことを待っているのか、腕を組んで携帯を触っている。
「……」「……」
横顔もやっぱり男前だった。僕でさえそう思ったのだから、彼女もきっと同じことを思うだろう。
あの話を聞いた後だとどうしても印象が変わってくる。一見女慣れしたような行動も、相手に好かれる為にわざとやっているとしたら、本来の彼は一体どこに在るのだろうか。
「……」
「……」
近くにいたら集中力が途切れるな。こっちは股関節屈伸運動をしているってのに……。
もぞもぞと動き始めたので、僕も体操をやめて時計を見る。途端に声をかけられた。
「……善ちゃん、ありがとうな」
「え?」
「のどかちゃんとの事を応援してくれて」
その言葉は嘘か真か。思わず聞き返した僕にお礼を言って、レンは胸ポケットに携帯を入れる。
エレベーター前に安穏が立っていた。今到着したようで、キョロキョロと誰かを探している。その相手が誰なのか言うまでもない。
「それじゃ───貰っていくから」
歩き出す直前、耳元で皮肉を囁かれる。
悔しいが何も言い返せない。
急ぎ足で向かって。
強引に安穏の手を握る。
僕はそこで、見るのをやめた。
×××
風を浴びたくなって外に出た。
独りになりたくて、建物の陰に座り込む。
オリエン合宿ではカップルの成就率が38.5%と比較的高い数値が出ていると聞く。実際、その通りなのかもしれない。
きっと、今日という日をきっかけに、二人は付き合うことになるのだろう。
レンの告白に安穏がオッケーしてめでたしめでたしのゴールイン。
晴れて美男美女カップルの誕生だ。
卒業して何年も過ぎた後に、あの手を繋ぐ二人の間には子供が出来ちゃったりして。SNSのアイコンが変わったことでようやく気が付くのさ。
あぁ……もう遅いんだなぁって。
同窓会で久々に再会した時には「今がとっても幸せ」って安穏は笑うんだよ。薬指に指輪をはめながら。
結婚式には呼ばれるだろうか。
呼ばれたのなら僕は、心からのエールを二人に送れるのだろうか。
いや、きっと……その時も同じように。
───後悔しているんだと、思う。
風が吹いた。ひどく荒れるような風が。
上空の星空はあんなにも輝いているのに、どれも全然綺麗と思えなかった。手を伸ばしても決して届かない真上にある。あれは一体何万年前の光なんだろう。
結局の所、僕は星に向かって「綺麗だ」と言っていただけなのだ。女なんて星の数ほどいるって? 星に手は届かない。
「……僕はなにを浮かれていたんだ」
一緒に観覧車に乗ったくらいで、付き合えるなんて夢を見たのか? 本当に単純バカだな。馬鹿も休み休み言え。
当たって砕ける勇気もない愚か者。
挙句の果てには嘘をついて、アイツに嫉妬なんかして……最低だ。
考えれば考えるだけ、己に苛立ってくる。
後悔なんてしないと思っても、心に嘘はつけなかった。
視界がボヤけてきて、涙が出そうになる。
だからそこで、目を閉じた。
「ぜ、善一くんっ……?」