夕空。ー The Sunset ー
「あがるねー。やっぱり高いなー」
揺れ動くゴンドラ内で、向かいに座っていた安穏のどかは感嘆の声を漏らす。
彼女は外の景色に向けて身体を乗り出していた。さながら水族館のお魚を夢中になって眺めている幼女みたいだ。童心に返ったようにも映る。そんな新たな一面の発見に、僕は少し得した気分になる。
「なんか久々。こうやって誰かと一緒に乗るのなんて」
以前は誰と来たのだろう。
そんな些細な好奇心を押し殺して、僕は黙って両指を組んで俯く。手の震えが止まらない。高所恐怖症? 否、これは単なる緊張だ。
狭い空間に好きな異性と二人きり。そんな状況にまだ身体が慣れていないだけ。経験した事がないしな。どどどど童貞ちゃうわ!
ここは『ラスベガスタウン』の【Rainbow】。煌びやかな街並みを一望できる本日最後のアトラクション。
急用という言い訳を用いて、グループを抜け出してきた僕たち。遂に待ち望んでいた『どっきどき(以下略)作戦』がようやく実を結んだのである。それなのに、気が動転して喋れなくなるとは一体どういう事態か。
……情けない。情けないぞ、新垣 善一。
「そそ、そうなんだ」
相槌は打てたものの、呂律が全然回っていなかった。うまく言葉が出てこない。
ああぁぁぁ……! もうっ! どうして気の効いたことを言えないのか! おバカさんめ!
地上にいる時は普通に話せたのに、なんだこの体たらくは。もしや電波が届いてないからだとか? あぁ、圏外か。それならば仕方ないな。無線LANの範囲外だもんね。
「……」
「……」
ま、まぁ、そりゃこうなるよな……。
ジッと黙ったまま銀の取っ手を掴んでいる彼女と、なんとか話題を絞り出そうと奔走する僕。
聞こえるのは互いの息遣いと、風に吹かれて振動する機械音だけ。
小刻みに足元が揺れている。いつの間にか随分と高くまできたようだ。遠くの方に【あかんやないけ】が見える。アレは本当にあかんかった。もう二度と乗りたくない。
……そういや、菜月もビビっていたっけ。
振り返ってみると、今日はアイツといちばん長く一緒にいた気がする。
連絡先の交換、作戦会議に加え、意見の食い違いからの喧嘩もした。その後は仲直りもしてホットドッグを食べ合ったし。
結果として協力体制は終了したけれど、今まで通りなのは変わらない。現在もクラス委員長と副委員長の仲として、友好的な関係を結べている。
「善一くんに聞きたいことがあるんだけど」
不意に安穏が言う。
思わず瞳孔が開いた。顔をあげると、膝に手を乗せたまま安穏がこちらに身体を向けていた。虚ろな彼女とやっと目が合う。
「好きな人はいる?」
「え?」
何もかもを見透かされたような発言に思わず戸惑ってしまう。え、え、なんだこの急展開!? き、聞いてないぞ……。
もしやバレていたのだろうか。隠していたつもりなのに。
「い、いや……ど、どうなんだろうか……。いるっちゃいるかもな……」
しどろもどろになって答えると、安穏はフッと息を吐いて「じゃあ」と言葉を続けた。
「なっちゃんのことをどう思ってる?」
×
「菜月……?」
「うん。最近、仲良いよね」
予想外の名前に困惑する。なんだ告白されると思って身構えてしまった。自意識過剰過ぎたな。でも淡い期待くらいしたっていいじゃない! 人間だもの。
「ま、まぁ、クラス委員同士だからな。ただ、今日も水を掛けられたりと無茶苦茶されたし……嫌いではないけれど、そういうところが正直面倒だと思う事はある……。怒ると中々に厄介だしさ」
「そっか」
安穏は軽く返事をして、再び外を眺めた。
もうすぐ頂上。いつの間にか空がオレンジ色に染まり始めている。
「なっちゃんはね。すっごく怖がり屋さんだから口には出さないけど、ホントはとっても善一くんに感謝していると思うよ。相性だっていいと思うし、これからも仲良くしてあげてね」
僕も外を眺める。指の震えは収まっていたが、胸にざわめきが走った。どうしてか嫌な方向に話が進んでいる気がする。
安穏のいうことには一理ある。流石は長年深い関係を築いてきた仲だ。僕以上に彼女のことを理解しているのだろう。アイツが見栄っ張りで、すっごく怖がり屋さんなのも分かっている。でも、一つだけ違う。
僕に感謝するなんてお門違いもいい所だ。
実際の所で自分は何もしていない。櫻木先輩に咎められたが、それは事実である。
窃盗犯という濡れ衣を着せられて、先輩たちに嫌がらせをされていた彼女。その犯人は顧問の先生だったなんて、信じ難いショックに違いないだろう。
それで僕はなにをした? 学校を辞めたいと言ったあの子を追いかけた、それがなんだ? そんな事でアイツを救った気でいるのか。
自分勝手な理由で菜月を追い詰めたのは、そもそもが僕が元凶なのに。安穏に陸上部を勧めたのも、自分の都合。なんとかすると言い放ったのも、己の罪悪感を埋める為。最終的に姉貴に面倒事を押し付けて、本当は考えるのを避けたかったんだろ?
あぁ、そうだ。そうに決まっている。
僕は心配しているポーズを取っていただけだ。本心ではどうでもいいと思っている。
だからそんなモノ必要ない。
こんな僕に──恩義など感じてくれるな。
『そうやって逃げるんだ。君は卑怯だね』
『……さよなら』
拳をグッと固める。……最悪だ。今、それを思い出すか。
菜月のことをどう思うのか、それを聞く意図はなんとなく察しはついていた。
あの例の件が終わって、菜月との関係は大幅に縮んだ。それは誰であろうと一目瞭然。特に親しい安穏ならすぐに分かることであろう。
きっと、こう思ったに違いない。
『二人はお似合いじゃないのかな』と。
ならば、自らの手で根本から否定してやる。嫌いなんだ、そういうの。
「……安穏、聞いてくれ」
自分でも見当違いで大きく間違っているかもしれない。けれど、何もやらないで誤解されるよりかは百倍マシ。
「嘘をついた。本当は好きな人がいるよ。けど、それは菜月じゃない。それに安穏が思っているほど、僕とアイツの相性は良くない。単なる誤解だ」
強風でも吹いたのか、観覧車が一瞬大きく揺れた。会話が止まる。安穏がまた視線を外して、外を眺めた。もうすぐ頂上だろうか。
「だから僕は……」
間が崩れたせいで、不自然なところで言葉が途切れてしまう。誰かが「これ以上はやめておけ」とでも言ってるかのように、心拍数が上昇する。
──ダメだ、ハッキリと言え。踏みとどまるな。未然に防いでおかないと、また痛い目を見るぞ。
臆病な自分にムリヤリ鞭打って、僕は彼女に向けてこう宣言する。
「だから僕は、菜月に異性としての好意なんて……全く抱いていない」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「やっぱり、好きな人がいたんだね」
「そう、だな」
二人して俯く。流石に気まずい。
フォローを入れようと「でも、嫌いってわけじゃなくてだな!」みたいな事を言おうとして、今度は踏み止まった。
「その子はどんな人?」
「す、好きな人のことか?」
「もちろん」
笑いかけられて目を合わせられる。どんな人って……目の前にいるあなたなんですけども。本人の前で発表するとか、それどんな羞恥プレイだよ……。
「えっと、そうだな。とても優しくて、友達想いだよ。なによりも相手の事を思いやれる心の綺麗な人、かな」
あー……恥ずかしい。言ってるこっちが照れてしまうぞ。
「本当に素敵な人なんだね、その子。善一くんにそこまで好かれるなんて幸せものだよ」
「そう言われると、なんだか照れるな……」
ましてや安穏も自分の事だとは思っていないだろう。
「うまくいくといいね」
今度こそ目を逸らしてしまう。照れ臭いだのなんだので、頭がいっぱいいっぱい。ここまで応援されているって意外と好感度高めな感じか? お? いっそ告白してしまおうか。
……はい、ごめんなさい。ヘタレです。
「そういや、安穏は好きな人とかいるのか……?」
咄嗟に聞いてしまう。
が、その質問には応じずに彼女は外を指差した。
「あっ、見て。頂上だよ」
「ん? おぉ、本当だ」
彼女が座席の上に膝をついて立ち上がったので、僕も同様のことをする。
既に観覧車は頂上まで辿り着いていた。園内全体を見渡せる高さに、さっきまで確認できなかった海岸線まで見えてくる。
光が、空のグラデーションを塗り替えていた。マリーゴールドから完熟トマトに。明るい昼間が終わりを告げて、これから夜になっていく。
アトラクションや街並みを赤く染める。まるで暖炉に残された火のようだ。
雲の切れ間には数羽のカラスが上空を滑空していた。狂詩曲でも唄っているのだろうか。
「……いい眺めだな」
僕はつい見とれてしまう。こんなに感動したのは『ミュウと波動の勇者ルカリオ』を鑑賞して以来の出来事だ。
「あ、なっちゃん達いた。見て」
「どこ?」
「ほら、あっちの【コーンポッター】の方に」
指差した方向に目を凝らしても全然見当たらない。世界がとても小さく映る。人がゴミのようだ。
というか知らず知らずのうちに、安穏のパーソナルスペースに侵入しているし……。頂上記念にトドメの接吻でもしたいところではあるけれど、それはまたの機会にでも。
「こうして見ていると、私たちはとてもちっぽけな存在に思えてくるね。今にも消えちゃいそう」
そう微笑する彼女の表情はなんだか寂しげで。
「本来、世界は広いからな。皆はその事に気付いていないんだよ」
「うん、確かに。みんな気付いてない」
黄昏時の光を浴びて、女神様は手のひらを夕陽にかざしていた。透かして眺めているのは、自らの血潮か。
それから地上に着くまで、僕らの間に会話はなかった。
でも、それでいい。それがいい。
ちっぽけな存在の僕ら。何十億人もいるこの広い世界で、彼女と巡り会えたこと自体が奇跡に等しい事象なのだから。
同じ景色を見て、同様の感動を共有する。これ以上の幸せは他にない。
外の景色に釘付けになっている安穏の横顔を見つめながら、僕はそう思う。
少しだけ、ほんの少しだけ……彼女との距離が縮んだ、そんな気がした。