善一と菜月 final
それから二人並んで体操座りをしながら、ぼんやりと夕空の照らす河川を眺めていた。なんか急に恥ずかしくなったというのもある。お互いに会話はほとんどしなかった。
隣の海島が突然落ちていた小石を拾って川の方に投げた。あまり距離が出なかった投石は、落下の瞬間に微かな音を鳴らして沈んだ。彼女はその結果に不満だったのか、再び拾い上げて今度は大きく振りかぶって投げた。目標は真っ正面に浮かぶあの太陽だろうか。
力が強すぎたのか、今度は突拍子もない方向に飛んでいく。思わず笑ってしまった。球技の才能はないらしい。天は二物を与えずだな。
自分も真似をして投げてみたら、思いのほか距離は伸びた。隣に向かって遠くに飛んだことをジャスチャーして伝えたら何故か睨まれてしまった。
しょうがないだろ……男女の筋肉量の差があるんだから。
彼女は身長も比較的高いし、む、胸の発育だって……まぁ女子高生の平均がどんなものかなんて? 分からないけども? そ、それなりにはある方だ。
男勝りで来るものを全力で拒む竹を割ったような性格の持ち主。だけれども、それでもか弱い女の子なのだ。
さっきこの子を抱きしめて、はじめて知った。こんなにも女性は身体が華奢で、柔くて、脆弱なんだなって。
小さな体で抱えてきた大きな悩み。これ以上、言動の強くない弱ってる海島の姿なんて見たくない。
「……新垣、ゴメン。この前はその、蹴っちゃって。酷いこともいっぱい言ったし」
「え? あ、アレ? 全然平気だったから気にしなくていいよ。大丈夫!」
ほら、今や謝罪してくるレベルだ。こんなのらしくない。海島菜月は睾丸キックの常習犯。M男たちの強い味方で在れよ。
「それにしてもよくココにいるって分かったわね」
「あ、あぁ。適当に彷徨ってたら……たまたま発見したんだよ。それも運良く」
井口くんの名前はまたしても伏せておいた。どう調べたのかは少し気になる。GPSでも取り付けてたのかな。
アップルティーのような光が大河から反射している。キラキラと眩しい。アニメのエンディングにありがちの景色。もうすぐ今日も終わりか。
「ココね、中学時代のどかと練習してた場所なのよ。一通り走った後にこうやって休憩してた。入学したての、丁度今みたいな時期かしら」
小石を拾う海島。また投げるのかと思いきや、今度はただ触っただけのようですぐ地面に戻す。
「あの頃が一番楽しかったわ」
小石はかつての想い出と共に置いて行くのだろうか。僕も相槌を打って、中学サッカー部時代の宗との思い出を振り返ってみる。
①宗が練習中に悪戯で僕の短パンをずり下ろして、監督にこっぴどく叱られたこと。
②宗が試合中にファールを取られなかった選手へと、故意にボールをぶつけたこと。
③宗が二軍の試合中にベンチで居眠りぶっこいて、監督にこっぴどく叱られたこと。
……うん、ロクな想い出なかった。
「のどかがいたから頑張れたのかも」
腰掛けて彼女は本音を漏らす。ここまで素直になった海島を僕ははじめて見た気がする。
「それ安穏も同じことを言ってたよ。なっちゃんがいてくれたお陰で最後まで続けられたんだって。二人とも知らず知らずのうちに互いを助け合っていたんだ」
不意に言いたくなって僕は告げる。海島は分かっていたのかもしれない。うんうん、と頷くだけだった。
「学校辞めないでくれよ。安穏も悲しむぞ」
「……今は言わないで」
感情的になってしまった自分を悔いているのだろうか。これ以上、踏み込むのは無粋だな。目を伏せる姿を見てそう判断し、僕は立ち上がる。
「そろそろ戻ろうか。日も暮れて……ん?」
見覚えのある姿が遠くの方に見えた。二人の男女がこちらに向かって走ってきている。すぐにでも誰か判断できた。
「アレは宗と、安穏か……?」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
野原で安穏と菜月は語り合っていた。海島はようやく自分の友人に全てを打ち解ける覚悟が出来たようだ。
ここから先は彼女たちの問題なので、僕らは遠くの方で成り行きを見守っていた。メキシカン映画のフィナーレみたく夕陽が眩しい。カスカベボーイズだ。宗も口笛を吹いている。
「で、お前はなんでココに来たんだ」
「おいおい、イッチーくん。酷いことを言ってくれるじゃないの。全部俺が影の立役者として色々と手を回してやったってのによ」
いかにも楽しげに笑っている。どれもこれも彼の手中の内だったらしい。これでようやく辻褄が合う。安穏を連れてきて井口くんに連絡させたのも、この大親友の仕業らしい。
何もできないとか言ったクセに、そりゃないぞ。
「報酬分はまた後日頂くからな。それにしても……百合展開って萌えるわぁ……」
宗がなにやら気持ち悪い事を呟いている。二人が抱き合う光景でも見たのだろう。どちらにせよ、コイツに助けられたのは事実。僕一人だと海島を見つけるまでにも至らなかった。
「ありがとう、宗。助かった」
「おっ、じゃあ俺らもハグいっとくか?」
「しない」
「外堀埋め作戦成功記念じゃん。ほれ」
「やらない」
両手をどんなに広げられても絶対にそんな展開だけは阻止する。同性同士なんてどうせいと。てか、外堀埋め作戦とか嫌らしい言い方をしないでほしいものである。
「それにしても、急に学校を辞めるって飛び出したのは驚きだったな。そこまで追い詰められたのか、海島のヤツは」
「うん、そうだと思う。僕が根掘り葉掘り聞きだそうとしたから、嫌気が差したってのもあるかもしれない……」
反省すべきところが沢山ある。一方的に問い詰めたりする行動は、相手の気持ちを全く配慮していないデリカシーの欠けるものであったから。
「まー、いいんじゃねぇの? 結果オーライだろ。問題も解決したし」
「いや、解決した訳じゃない。むしろ重要なのがまだ残っている」
問題は未だにあった。海島は言っていたのだ。例の窃盗犯じゃない何者かが、先輩のユニフォームを盗んだのだと。嫌がらせの元凶となった問題の根本を解決しなくては意味がない。
「……なんにせよ、俺はもう手伝わねーからな。ネットの嫌がらせとか、窃盗犯とか、小さな問題じゃなくなってきているんだぜ? それこそ警察の手でも借りない限りは」
頭の後ろで手を組んで宗が何気なくそう言った。本当に考えがあったのかはわからない。が、思わぬ言葉に閃いてしまった。
警察? おいおい、それなら身内にいるじゃないか。
「宗、本当に良いことを言ってくれるな。感謝する。やっぱり一回ハグしてみるか?」
「冗談だハゲ。性転換して出直してこい」
普段のゲスさ以外はイケメンのそれに近い我が大親友。よし、早速帰って相談してみよう。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その日の放課後、僕はコン研の部室にいた。井口くんと事件の内容について整理する為である。PCを開いて彼は眼鏡をクイッと押さえる。うわ、なんかカッコいい。
「昨日、凌空中学校の教師[高橋信広(42)]が逮捕されました。彼は陸上部の副顧問という立場を利用しながら、常習的に女子生徒の下着姿画像や動画をネットに投稿していたようです。自宅からは画像などだけでなく、女子生徒のユニフォームや下着なども発見と。……完全な模倣犯ですね」
今朝のネットニュースを井口くんが読み上げる。犯行の動機などはまだ語られていない。今後取り調べをすることによって、判明していくのだろう。
「これでハッキリと彼女は犯人じゃないと立証できましたね。匿名垢も投稿削除されたようです。しかし、下着泥棒を働いていた上に、嫌がらせを煽っていたとは……教育者としてどうなんでしょう。どうします? 彼女にはお伝えを?」
「いや、いいよ。多分いずれ嫌でも知ることになると思うし」
無理に過去のトラウマをほじくるワケにはいかない。この犯人は相応の罰を受けることになる。きっとその時には動機も語られるであろう。
「それにしても納得いきませんね……。先輩たちにも、なんらかの制裁を与えないと。私がネットに個人情報をばら撒きましょうか? 同じ事をやり返さないと気が済みません」
「ダメだ。先輩たちも一応被害者なんだから」
「違いますよ、気に入らない後輩をイジメてた加害者です。こういうのは粛正しないとまた同じことを繰り返すんですよ?」
「ダメだって。それとこれとは別だ。ネットリンチなんてなんの解決にもならない」
マウスを奪ってタグを閉じる。デスクトップには獣耳の幼女画像が大きく映し出されていたが、見ないようにした。
先輩たちを晒しあげたところで、アイツが喜ぶとは到底思えない。彼女はもう忘れたいのだ。同じことを部外者がやり返したところで、何の意味も持たない。
「人が良いですねぇ……新垣くんは。それにしてもどうやって警察を焚きつけたのですか?」
「あぁ、それはだな。ウチのとんでもない姉貴に少し頼み込んだだけだよ」
※※※
あの日の夜、父さんは出張で家にいなかった。自宅には母さんが料理をしていて、リビングには風呂上がりの姉貴が長い脚を組みながら爪を切っていた。おっさんみたいだな。
『お、どうした。善一。そんなうじゃけた顔をして。何か大事な悩み事でもあるのか? この私が話くらいなら聞いてやっても構わないが』
それは一体どんな顔だよというツッコミはさておき、僕の思考をある程度予測しているあたりマジでエスパーなのかもしれない。
本当は警察官である父さんに相談したかったのだが、居ないのだったらしょうがない。
という事で姉貴に全てを話したのだった。
クラスメイトがかつて嫌がらせを受けてたこと。ネットには誹謗中傷の画像や投稿が未だに残っていること。そして、窃盗犯と勘違いされて、真犯人はまだ明かされていないことまで。
詳細を全て教えると、姉はニンマリと笑っていた。こっちに来いと手招きまでされて、近づくと頭を撫でられる。こら、触るな!
『はっは! なるほどな。流石は自慢の弟だ。よくやったな! よし、任せろ。ウチの生徒が困っているのなら、生徒会長である私の出番じゃないか』
高らかに笑う姿は全然クールじゃなかった。てか、どこかクールビューティなのか。むしろ姉貴は人間じゃないと思う。カイドウとサシで渡り合えそう。
ポキポキと肩を鳴らして、僕の姉貴は最後にこう告げる。
『正義の名の下に──生徒会を執行しよう』
どこかで聞いたことのあるような、ないような、そんな台詞を吐き捨てて部屋を出て行く。一体何をしたのか、正直知る由もない。
※※※
「さて、と。教室に戻るよ。なんかオリエン合宿の準備とかしないといけないみたいだし。“菜月”を待たせるワケにはいかないしな」
「“菜月” ですか?」
「あぁ、そう呼ぶことにしたんだ。おかしいか?」
別にそこに深い意味はない。せっかく委員長同士なのだ。下の名前を呼び合うほど仲良くなっても、構いはしないだろう。
それにせっかく菜月は学校を辞めずに済んだのだ。事情は安穏だけに教えていて、クラスメイトと先生には謝罪をしただけで適当な嘘を言っていた。なんにせよ、今は元の生活を送っている。ひとまずは一件落着かな。
「いえ、まるで恋人同士だと思いまして。まー、私は恋人も友達もいないのでよく分かりませんが」
カタカタとキーボードを乱暴に叩いて、自嘲気味に笑う。そんな寂しい事を言うなよ。
「あぁそうだ、ヨッシー。オリエン合宿の時に同じ班になろうよ。宗とは約束してるんだけど、まだ欠員が二人いて。どうだ?」
「よ、ヨッシーって。私のあだ名ですか?」
「うん。井口義雄だから、ヨッシー」
「……なるほど。どうしてもと貴方が懇願するのならば、べ、別に構いませんよ!」
「どうしてもだよ」
言うと、少し照れ臭そうにヨッシーは頭を掻いていた。これを機にクラスのみんなとも仲良くなって貰いたいものである。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
コン研を出て教室へと向かう。
西田先生と菜月が教室で待っている。オリエン合宿の話をする為にも。これ以上は怒られそうだから急ぎ足で行こう。
窓からは校庭の桜が見えた。まだ春の真っ最中。花見とかしてみたい季節だな。
桜の下で、安穏と出逢ってから少しずつ何かが変わってきている気がした。オリエン合宿では一体なにが待っているのだろう。楽しみだ。
そして確か今日だったっけ。菜月が陸上部に入るって言ってたのは。“神速の星”復活記念に何か奢ってあげようか。帰りにアイスはどうだろう。
半笑いを浮かべながら、教室の扉を開く。もう既にあのポニーテールの少女は待っていたようで、不満そうにこちらを睨んできた。
いつもの調子で、いつもみたいに、菜月は強気な態度で僕に言うのだった。
「遅いっ! 西田なら帰ったわよ。アンタをしょーがなく待ってあげたんだから、後でなんか奢りなさいよねっ! 善一!」