僕は純粋無垢なハーレム高校生。
「『彼女は教室を飛び出していく際に[神速の星とは呼ばないで]と口にしてはいませんでしたか? あの言葉が妙に気になって、先ほど検索してみたのです』」
井口くんの言葉を整理しながら、僕は頭を抱える。ある程度の予想はしていた。なんらかの精神的ストレスが原因だと。しかし……嫌がらせって。
「『キーワードは“神速の星 引退”です。このように検索をかけてみると、【神速の星、謎の引退】〜部内での嫌がらせが原因か?〜と表示された記事がトップを飾ります』」
一旦、足を止めて道路脇で自分の目で調べてみる。車が通るのもやっとの狭い路地。中々繋がりにくい画面に少しムシャクシャしてきた。
「『内容を要約します。【神速の星こと海島菜月(15)さんはその容姿や可憐なスタイルから多くのファンを持っていた。一般人でありながら、紛いファンクラブも結成されており、そこでは多くの画像が流失していたという】……調べてますか?』」
「あぁ、今ちょうど出てきた」
ようやく画面に記事が現れる。スクロールをしていくと、モザイクの入ったアイツの下着写真が早速現れる。なんでもありじゃないか。
「見つけたよ。【しかし人気の反面アンチも増えていた。これは投稿されたTwitterの呟きである。一部抜粋したものだ】……なんだよ」
謎の匿名垢の投稿。沢山の画像と共に、このような暴言が綴られていた。
『天狗になってる性悪女』『少し足が速いだけで持て囃されるバカ』『なんでこいつ生きてんの?』『サバサバ風マジキモい笑』『調子にのんな』『可愛くない、嫌い』『存在するだけで苛々する』『さっさと引退しろ』
……見るだけで胸糞が悪くなってくる暴言のオンパレード。あまりにも不快ですぐにサイトを閉じる。
これを本人がずっと耐え続けていたのなら、そのストレスは相当なものであっただろう。誰でも批判に強いワケじゃないしな。
しかも相手はまだ中学生。しかも芸能人でもないただの一般人。……ここまで嫌われる理由があるのか甚だ疑問である。
「『この匿名アカウント。現在は削除されていますが、記事によると同一人物だったようです。恐らく熱狂的なアンチ活動を行っていたのでしょう。それにしても、下着画像って完全に盗撮ですね……』」
「……例の窃盗犯かな」
「『私は違うと思います。盗撮となると、学校に侵入するリスクを伴います。犯人は関係者、つまり学校内のモノではないかと。そして安穏さんに対しても……』」
推理が冴え渡る井口氏。脅すような事をしたのに、ここまで協力的になってくれるなんて感謝の気持ちしかない。
「ありがとう、井口くん。もうすぐ例の場所に着きそうだ。後は本人から聞いて見るよ」
「『いえ……私も同じような記事を投稿しましたからね。貴方の事も推測で色々と面白おかしく書いてしまいました。申し訳ございません。……せめてもの、贖罪です』」
改心してくれたように謝っていて、僕は何も言えず電話を切った。河川敷にはあのポニーテールの女の子が、悲しげに座っているのを発見したからである。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「海島菜月、よく聞いてくれ。僕はお前の気持ちなんて全くわからない。そして力になってあげる事も出来ない。学校を辞めたいなら、辞めればいいとも思ってる。今ここにいるのは委員長としての義務だけだ」
傷口に塩を塗る行為だと自分でも思う。
これだけ悲しんで、学校を辞めるとまで追い詰められた彼女に酷い言葉を言うのは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
だけど、強気な態度でなくてはいけない。こうでもしなくては、感情的になったこの子を止められない。
「……アンタも結局そうなのね。味方のフリをして、ホントはどうだっていいんでしょ! あたしの事なんて!」
地面に落ちていた土を掴み、またしてもこちらに投げてくる。手で払うが少し口の中に入ってしまった。……おっふ、苦い。
中々の攻撃である。目とか入ったらどうするんだ。どこのラージャンなのか。これでは会話のキャッチボールならぬ会話のトスバッティングだぞ。
「言われなくてもっ! 辞めてやるっての! 別にっ! 分かってほしいとか助けてくれなんてっ! 言ってないしっっ!!」
何度も何度も投げてきた。僕が距離を取って、両手でガードをしているのにも気付かないくらいに、海島は手を真っ黒にしながら、終いには雑草まで投げて目の前に散らしていた。
「気は済んだか?」
ガードをほどいて、シャツの泥を払う。目の前にいる彼女は俯いたまま、両手で顔を覆っていた。辛いのだろう。辛くてしょうがないのだろう。
……分かっているさ。僕だって胸が痛い。
アイツは何も言わなかった。腕で目をこすり、ただジッと時が過ぎるのを待っているようだった。
「……帰って」
橋の下から小さなボートが通り過ぎていた。そろそろ定時か。業務を終えたサラリーマンたちが帰宅を始める時間。
「イヤだ。帰らない」
他の人からすればじゃれあってるカップルのように思われてるかもしれない。痴話喧嘩もほどほどにしろと。でも、誰かに注意されたとしても僕はもう止まらない。
海島は少し落ち着いたように顔をあげる。目はすっかり涙で濡れていた。
「お願いだから、帰って!」
「イヤだ」
目を合わせてハッキリと否定する。このまま見捨てて帰るなんて選択肢は無い。
「どうして!」
「お前を連れて帰らないと、クラスのみんなが悲しむからだ」
あくまで冷静に対応して、自分の役割を全うする。今の自分に出来ることはそのくらいだから。
「……全部のどかの為でしょ。あの子に頼まれたからやってるだけ。あたしに近づいたのもそれが理由じゃない。もうほっといて!」
「ほっとかない。これは全部僕が自分勝手にやっている事だからだ。意地でも連れ帰る。その為に来た」
ゆっくりと前に進む。もう攻撃してはこないだろう。今度はこっちのターンだ。エンドフェイズは済ませたよな。
「本当に何もわからないんだよ。聞いても教えてくれなかったからな。だから“今は”力にはなれないかもしれない。でも分かりたいとは思ってる。こんなに苦しんでる君を、助けたいって本気で思う」
ライフポイントは既にギリギリだ。手札にも良いカードはない。あるのはただの、薄っぺらい正義感のみ。
「だから、教えてほしい。……一体何があったかを」
距離を詰めて手を差し伸べる。そろそろ決着をつけよう。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『善一、酷い事を言う人が世の中には沢山いる。時には嫌な思いをする事もあるだろう。でもな、その人達だって本当は辛いんだ』
幼い頃の記憶が蘇る。大好きな両親。尊敬してる父さんはそうやって僕の頭を撫でてくれた。
懐かしい。どうして今それを思い出してしまったのか。
『自分の苦しみとか痛みを誰かに分かってほしいのさ。誰からも理解して貰えないのは、生きた心地がしないからね。いいかい、よく覚えておくんだよ』
僕の頭に手を置いて、父さんはニッコリと微笑んだ。全てをくっきりと鮮明に思い出してはいないけれど、眩い太陽の下でこんな言葉を言われたのをよく覚えている。
『誰かの心に寄り添える人になりなさい』
海島は手を取ろうとはしなかった。動揺しているのか、視線が泳いでる。そういやウチの妹はスイミングスクール習っていたっけ。
彼女は強い。弱い自分を見せずに友達を助けようとする。辛いことがあっても、自分一人でなんとかしてきたのだろう。ずっとこれまで、そうやって。本当は内柔外剛。中身は脆く、傷つきやすい人であるのに。
必死に気持ちを押し殺してまで、海島菜月は守り通そうとした。強い自分を無理に演じて、安穏という大切な友達の為に装っている。誰にも心配をかけられたくないからだ。いつまでも強がり続けている。
「大丈夫だよ。どうにかなる。辛い時はムリをせずに、辛いと言っても良いんだよ」
穏やかな言葉をかける。彼女を助けるには閉じこもった檻から出してあげなくちゃならない。自由にしなくては。これ以上、自らを戒める必要はないんだって。教えてあげないと。
海島はまだ迷っているように必死で地団駄を踏んでいた。
「う、うるさい! 大体アンタには関係ないでしょ!? 一体、なんなのよっ!」
「ただのクラス委員長だよ。副委員長が困った時に何とかしようとする、そんな単純バカさ」
笑いながら答える。普通なら照れ臭い言葉も今はすんなりと吐き出すことができた。もう日も沈み始めたし、早く帰らないとな。
「海島……いや、菜月。僕は安穏だけじゃない。菜月とも友達になりたいと思ってる。これからもわかりたいと思っているんだ。だからこの手を掴んでくれ!」
胸を張っても一度強く手を差し伸べる。何度も、何度でも言うぞ。
「───君の助けになりたいんだ」