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善一と菜月③

 廊下に出ても彼女の姿は見当たらなかった。


 きっと走って帰ってしまったのだろう。流石は”神速の星”。恐るべきスピードだ。まだ昼過ぎだというのに随分と早い下校である。


 何故あそこまで追い詰められていたのか、正直何も分からなかった。


 ただ一つ僕を駆り立てているのは、とにかく引き止めるということ。理由がどうあれ、辞めさせるのだけは絶対に阻止しなければならない。



『わかった。じゃあ、僕に任せてくれ』



『全部僕がなんとかしてやる。だからさ、安穏も……もう一度だけ頑張ってみないか?』



 ……よくもまぁそんな無責任なことを言ったもんだ。



 海島の気持ちなんてまるで考えてもいないのに、勝手に分かったフリをして、ただ彼女を助けるという自分の正義感に酔っていただけ。


 だから金的キックを食らったんだ。当然の報いじゃないか。


 他の教室がまだ授業の真っ最中にも関わらず、僕は走った。廊下を走るのはいけないことだと知っていたが、全力で走った。


 あいつの家なんて知らないし、降りる駅だって知る由もない。だから何とかしてそれまでに追い付くのだ。



『俺らにできる事なんて、何もないんだよ』



 先日の宗の言葉が脳裏に蘇る。あぁ、その通りかもしれない。



 けれど、そこで諦めてたまるか。



 僕は踏み出し続けるのだ。あの子の笑顔を取り戻す為にも。



 ※※※



『安穏、放課後少し時間あるか? 頼みがあるんだ』


『んー、大丈夫。新垣くん部活は?』


『休みだよ』


 咄嗟に嘘を言った。部活と友達を天秤にかけて、どちらを優先すべきなのか、そんなものわかりきったことじゃないか。


 その日は放課後に会う約束をして、少しだけ海島の話をした。



『なっちゃん……やっぱり部活はもうやらないって』


 

 安穏はそう重苦しく語った。多分、聞きたくても追及出来なかったんだろう。既にもう諦めたような素振りを見せていた。


 サッカー部から見える陸上部。時々、彼女の事をふと目で追っているのだが、最近はその様子も発見出来ない。


 安穏自体も休みがちになっている事は明白だった。今日も恐らくは活動があったにも関わらず、サボっているのだろう。



『そ、そうか。でも信じて待っていれば戻ってくるかもよ!? それに僕は安穏が走っている姿をたまに見かけるんだけど……とても素敵だと思うし。なんかキラキラしていて!』



『ありがと』



 必死に励まそうとするも愛想笑いで返される。元はと言えば、僕が勝手に始めたことなのだ。諦めろ、なんて言えるハズもない。



『大丈夫だ。全部なんとかする。きっと救ってみせる。だから、教えてくれないか? 中学時代の海島の事をなんでも!』



 ※※※



 そこで僕は話を聞いたのだ。中学時代のアイツの事を。



 ①中学ではじめて二人は知り合ったこと。


 ②何度も安穏は辞めようとしていて、その度に海島に励まされていたこと。


 ③海島は一年生から部活の新エースとしてレギュラー入りを果たして注目されていたこと


 ④安穏は”神速の星”に憧れを持っていたこと、まで。



 語れば長くなってしまうくらい内容の濃いエピソードの数々であった。



 そして安穏は最後、こんな言葉で締めくくった。


 

「いつも困ってる私を助けてくれた。だから続けられたんだよ。中三で突然辞めた時も……最初は驚いたけどね、私は最後まで頑張れたんだ」



 数多くの思い出話を聞いていると、ある程度の人物像が見えてくる。



 宗の言ったようにアイツは【人を助けようとはするが、自分の助けを求めない】タイプなのだろう。



 だからずっと悩みを誰にも相談せずに一人で抱え続けたのだ。


 弱みを見せるのが怖いから。


 自分は強いと言い聞かせ続けて、遂に限界が来てしまったのだろう。


 感情的になりやすい女の子だ。今、すごく辛いに違いない。



 ならば僕の出番だ。副委員長が困ったのならクラス委員長がなんとかしないと。





「逃がすかァァ!!!」




 喉が枯れるくらいバカみたいに声を出して、階段を駆け下りた。校舎の出口まで辿り着くと、校門前にお馴染みのポニーテールの姿を発見した。



 ……追いつけるか?



  相手は短距離走の王者。ブランクはあると言えど、元陸上部のエースだ。競争だと確実に勝てない。


 一方の僕は中学の時から短距離よりも長距離向きであった。だから突発的な速度よりも、耐久力などのスタミナ派。運動能力では互角だろう。



 ───よし、勝負だ。



 靴紐を結んでクランチングスタートからのスーパーBダッシュ。クラウチングスタートしたのには特に意味はない。



「うみしまぁぁあぁああああ!!!!!」


 

 勢いよく校庭を横切る。腕を必死に振り上げて全力の猛ダッシュ。変に叫んでしまったせいで、校舎の窓がパラパラと開く音がした。あぁ……また注目の的になっちゃった。



「き、きゃあっ! こっちくんなぁっ!!!」


 

 勿論、めちゃくちゃヒビられたのは言うまでもない。



 彼女はこっちを振り返って、すぐに走り出した。可憐なフォームで颯爽と学校の敷地外へと飛び出して行く。まるでエムバペである。えぇ……全然衰えてないじゃん。まだこっちは無駄に広いグランドの半分も行ってないのに……。



「はぁ…………ゼェ……。流石に、速すぎ……だ………」



 距離がどんどん開いていく。僕はまるで追い付けなかったアルゼンチンのDFのように一旦膝をついた。呼吸を整えて、少し速度を切り替える為にもう一度いきり立つ。


 舐めていた。地球は広かったと改めて実感する。これぞ世界の壁か。



 ……そりゃ誰も、勝てないワケだ。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 シャツがびっしりと背中に張り付いてきた。学ランで走るのは無理があるか。額の汗を手で拭き取り、一息つく。



「はぁ……くっそぅ……」



 信号で立ち止まったのが痛手だった。さっきまで背中にピッタリ重なってスリップストリームの要領で走っていたのに、今は完全に見失ってしまった。



 ……てか、ここはどこだろう。



 立ち止まって、携帯を開く。位置情報を調べようとしていたのだが、そこで着信があったことを知る。誰の番号だ?



「……ふぅ。もしもし」



「『新垣くんですか? 今は一体どちらに」



 急いで掛け直すと、井口くんの声がした。あれ、電話番号教えたっけ。



「それが追いかけている内に迷子になったんだ。アイツもどっか行ったし……」



「『貴方は何をやってるんですか。全く……。そこから何が見えますか?』」



 授業中だというのに一体どこで話しているのだろうか。周りの声は聞こえない。ずっと小声で尋ねてきている。



「えっと、焼肉屋ブヒちゃんの看板が見える。駅とは反対方向だと思うけど……」



「『あぁ、大体分かりました。では今から言う場所に向かってください。恐らくそこに居るはず』」



 井口くんが早口で指示をしてくる。このあたりの土地に詳しいのだろうか。というか、意外と優しいな。



 ここである住所を教えられる。携帯でメモをして、位置情報で検索すると近くだということが分かった。本当にここにいるのだろうか。



「『現在、教室はパニックになっていて授業もままならない状態です。とにかく、海島菜月さんを絶対に連れ帰ってください! いいですか?』」



「あぁ、分かってる。これは僕の責任でもあるからな」



 学ランを脱いで、シャツのボタンを上から二つまで外す。少しだらしないが、今はしょうがない。



「『そして最後に、彼女について重要な情報をこれよりお伝えします。ひとまず歩きながら聞いてください』」



 僕は携帯をイヤホンに繋ぐ。音量を最大にして、画面に表示された場所へと走る。校則違反なんて今更気にする必要はないだろう。



そして、ようやく僕は知る事になる。海島が隠し通そうとしていた過去の真相を。



「『彼女はずっと【嫌がらせ】をされていたんですよ。陸上を辞めなければ友人にも危害を加えると、そのような脅しまで受けて』」



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



そこは河川敷であった。ドラマの撮影とかで使われそうな景色。大きな橋の掛かった道路の下には草木が生い茂っていた。


 なるほど、ここなら黄昏れたくなる気持ちも分かるな。


 川のほとりで誰かが体操座りをしているのを確認できた。暑かったのかブレザーとネクタイを外して、シャツを捲り上げている。


 階段を降りて、広々とした緑地に足を踏み入れる。いつかこんな所で子供とキャッチボールでもしたいものだ。



「やっと会えたな、海島」



 声をかける。彼女はもう抵抗は諦めたように、大きな溜め息をついていた。



「……なにしに来たのよ。アンタ、どういうつもり?」



 その言葉にはいつもの覇気は感じられなかった。疲れているのか、硬い姿勢のまま動こうともせず、また前へと向き直っている。



「どうつもりかって? 連れ戻しに来たんだ。ウチの副委員長を」



 雑草を踏みつけて海島の元へと近づく。弱っている生物を狩るハンターのように、ゆっくりと歩く。大樽爆弾でも仕掛けようか。



「勝手な行動はしない方がいい。学校を辞めるのであれば、まずは先生に話すのが常識だ。そうやって逃げるのは卑怯だぞ」



 挑発的な言葉を投げかける。もはや戦略なんてない。今自分に出来ることは全力で彼女を説得する、ただそれだけ。



「さ、帰るぞ」



 肩に触れようとした時、砂を顔へとぶつけられた。ちょっ! 口の中に入ったんだけども!



「うるさい! 近づいてこないでっ! 大体全部、アンタが悪いんでしょ!?」



 顔についた泥を拭き取ると、海島菜月はようやく立ち上がって僕の方をハッキリと睨みつけた。拳を硬く握り、歯を食いしばっている。やはり凶犬だな。



「あぁ、そうだよ。僕も悪かった」



「開き直る気!?」



「いくら謝ったって許してくれないだろ。慰謝料を払うと言っても、お前は受け取らないじゃないか」



 僕のせい、僕が悪い。責任転嫁にも思えるその言葉はある意味では正しい。僕が何もかも引っ搔き回さなければ、事態は闇の中へと葬ることが出来たのだ。


 けれど、もう遅い。今更引き返されない。レールは動き出したのだ。止まることはない。



「海島菜月、よく聞いてくれ。僕はお前の気持ちなんて全くわからない。そして力になってあげる事も出来ない。学校を辞めたいなら、辞めればいいとも思ってる。今ここにいるのは委員長としての義務だけだ」



 もう躊躇も迷いも無かった。眼前の彼女にただ、本心をぶつけるだけである。

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