僕はエリート家系の長男坊ですが、なにか?
勉強が進まない。
勉強が進まない。
勉強が進まない。
頑張ろうと思っても、すぐに集中力が途切れてしまって、気がつけばテレビを見てしまっている。
塾で教わったところを復習して、次回やるところを予習して、そうやっていつも少しずつ進めてきていたのに、現状は何も手についていない。完全に詰んでいる。
いつの間にか夏が終わり、秋がきた。
中学3年の最後の秋。これが過ぎると冬になり、受験が本格的に開始される。
「合格判定D。厳しい……か」
姉貴が生徒会長を務めている学校なんて行きたくなくて、ハゲダニよりも上の高校を受験しようと豪語していたのに、結果はこのザマである。
あまりにもざまぁな結果に思わず笑ってしまった。
「だっさいなぁ……僕は。姉貴に勝とうなんて思ってさ、どれだけツケ上がってるんだよ。あんな天才に勝てるわけないのに……バカだよ、本当に。愚かにも程がある。所詮、僕は姉貴の劣化品。天守閣の上で高らかに笑っている彼女をさ、親指を咥えながら見ている農民だよ……。あー、楽しい。人生って本当に最高だよなあ」
髪を掻きながら、ポツポツとつぶやく。
自分の部屋で一人、愚痴を吐き捨ててゆく。
「なんなんだよ、本当に。順風満帆のヤツを見ていると酷くイラつくよ。苛立ちが抑えきれ無いよ。なんでアイツらはいつもうまくいってるんだ? なんで僕は器用に生きれないんだ? なんでアイツらは運が良くて、いろんな人に囲まれて、愛されて、慕われているというのに、僕はずっと運が悪くて、誰にも相手されなくて、嫌われているんだ? ずるくないか。ずるいぞ。不平等にも程があるだろうよ」
あーあーと声を出しながら、部屋を歩いてゆく。
「成功者はいいよなあ。成功者は羨ましいなあ。辛いとか、悲しいとか知らないんだろうな。本当の地獄を経験したことないんだろうなあ。そりゃ、そうだよ。勉強をサボって遊んでばっかりいて、努力なんてしてこなかったんだから、こうなることは目に見えてるよ。終わってるよ。終わってる。……人生終わってるなあ」
ガンと机を足で蹴りつける。
頭の中をよぎったのは柊さんの悲しそうな表情だった。
僕は彼女を傷つけてしまった。
この罪は、きっと重い。
「ああああああァァアアアアアアアアア!!!!」
机の上に置いてある筆記用具を床にぶち撒ける。
全てがイヤになってきた。本当に全てがイヤだ。
──こんな世界、壊れてしまえばいいのに。
※ ※ ※
「新垣ってなんかウザいよな。性格悪いし、つまんないし、態度悪いし、見ててすげーイライラするわ」
クラスの陰口が聞こえてくる。
あ? なんだよ。お前ら。お前ら如きが僕に嫉妬しているのか。嫉妬をしているのかな? ああ、知ってるぞ。羨ましいんだろ。天才の姉貴がいて、優れた家族の長男坊だから、僕が羨ましくて、羨ましくて、仕方ないんだろ?
はっはっは、情けないなぁ。
あまりにも雑魚すぎて、底辺のゴミすぎて、反論する気にもならないな。
所詮お前らはそうやって、ネットの海に放り投げる愚痴みたいなことを飲み会でこぼしながら、どーでもいい奴らとどーでもいい仕事をしながら「しんどいー疲れたー女好きー」なんて言いながら、くだらない人生を真っ当に過ごしておけよ。
その間、僕は先に行くからな。
僕がどんどん先に進んでゆくのをそこで見とけよ。
ばーか、ばーか。
疎まれの声をなんとか自分の中で処理して、幼稚な反論を繰り返しながら、我慢をする。
これでいい。相手にしなくていい。
所詮、相手にする価値もないゴミなんだから。
あんな連中を相手にすると、僕の価値が下がるだけ。
「なぁ、玉櫛。お前も昔は新垣と仲良くなかった? やっぱりアイツがウザくて縁を切った感じ?」
「いやぁ……うーん」
「最低だもんなアイツw 柊さんを泣かせてさ、まぁ結果的には柊さんも新しい彼氏が出来たみたいでよかったけど」
「……」
「ただの親の七光りだよな。あ、この場合は姉の七光りか」
教室の隅っこで宗がヤンチャな連中に絡まれている。
僕は机に突っ伏しながらそれを聴いている。
宗は笑っていた。
「あーはっはっは!こりゃ、傑作!!」
宗が手を叩いて笑っている。
ヤンチャな奴らは自分らのジョークで笑ったと思い、肩に手を回した。
だが、宗はそれを振り解いて、壇上へと向かった。
「おい……自分らがモテないからってイッチーに嫉妬か? 流石は非リア不細工陰キャラ童貞ども。知能がチンパンジー以下のクセに一丁前に異性との交尾を望むたぁ、こりゃ盛大に笑えるな!?」
休み時間の教室。宗はそうやって、そいつらを敵に回す発言をして、案の定、教室から浮いた。
だけど、その言葉に僕は少しだけ救われた。
※ ※ ※
本格的に冬になった。
帰り道、たまたま前を宗が歩いていたので、こちらから声をかけることにした。
「……この前は、その悪かった。ちょっと言いすぎた」
「いやー、俺のほうこそ悪い。なんか余計に敵を作っちまったな」
そうやって二人で話をした。
彼は気まぐれに「どこ受験するの?」と聴いてきた。僕はとっさに「ハゲダニ」と答えた。正直、今のままではハゲダニに入るのはかなり厳しい状態だった。成績が落ち込みすぎている。もう一度、頑張り直さないといけない。
「そうか。だったら、俺もハゲダニいこうかな。多分、どこでも狙えてたけど、別に行きたいと思うところなかったし。そうだ!……あ、やっぱりいいや」
「ん、どうした」
「なんでもない。忘れてくれ」
彼は両手を広げて笑う。
そして「また今度、一緒に勉強しようぜ」と声をかけてくれた。
※ ※ ※
宗との仲が良くなってきたこともあり、僕は少しずつ古垣と距離を置くようになっていった。
つい、先日。塾で会った時「なんで無視するの?」と詰められた。僕は生活が忙しいからと逃げたが、彼女は僕を逃す気はなかったらしい。
ひどいね、ひどいよ新垣くん。今になって、私を捨てるんだ。ふーん、と言葉を並べて責め立ててきた。
それがあまりにも怖くて、仕方なく無視はやめることにした。
「今度さ、君に良いものを作ってあげるよ。合格祈願ってやつだね。楽しみにしていてよ。私、手芸が得意でさ」
公園のベンチで、古垣は僕の肩に身を寄せながら、手首につけているミサンガをまじまじと見せつけてきて、そんなカップルのような言葉を並べるようになっていた。
オシャレだってするようになってきたし、多分きっと客観的に言うのであれば「恋をして女性が綺麗になった」というヤツなのだろう。そこに医学的根拠はない。
彼女が僕に恋をしている、というのはあまりにも自意識が肥大化しすぎてはいるけれど、でもここまでくるとそれを認めてもいいだろう、という段階にまで来ている気がした。
出会ったばかりの彼女はこんな緩いことを言う人ではなかった。
過激で、ぶっ飛んでいて、いつだって社会を憎んでいて、誰もが言いにくいような皮肉を言い、華麗に世論を切って捨てていた。だけど、もうこんなにも丸くなってしまった。
僕のせいである。僕のせいだ。
僕がいたからこそ、彼女がダメになってしまった。
世間的にはいえば良い方向に働いている、という状態なのかもしれない。だけど、そうなってしまえば、責任を負わなくてはいけない。彼女をこうしてしまった責任を。
それがとても嫌である。
彼女自身は自分で勝手に結論付けて、それを受け入れたのかもしれないけれど、僕は全く納得していなかった。
勝手に変化してくれるなよ。
僕だけ取り残されたみたいだろ。
ふざけんなよ。いつもみたいに文句を言えよ。
カップルなんて全員消えちまえ、って愚痴を吐けよ。
何をつまんない生き方をしてんだよ。
結局、お前は誰かに相手をしてもらいたかった、自分を認めてもらいたかっただけなのか?
そんなのでお前の“心の闇”とやらは晴れたのか?
そんなものでお前の病みは簡単に治療できたのか?
責任なんて負いたくないよ。
プレッシャーに弱いんだよ、こっちはよ。
自分のことで精一杯なんだよ。
そんなに優しくすんな。僕はそんな良い人間じゃない。
勝手に僕を理想化させて、お前の都合のいい存在に作り上げてくれてんじゃねぇよ。
お前は勉強もせずに、僕とダラダラ遊んでただけだろ?
僕だけが合格してやる。
僕だけがハゲダニ高校に入学してやる。
お前はそうやって、誰かに依存して、地を這うように底辺のまま勝手に生きてゆけよ。
「新垣くんと……一緒に合格したいな」
「僕も古垣と一緒に行きたいと思ってるよ」
肩を寄せ合って、冬の空を眺める。
僕は内心冷め切ったような笑みを浮かべながら、心の中に殺意だけを芽生えさせていた。
死ね、古垣 眞礼。
さっさと死んでしまえ。
お前が散々足を引っ張ったせいで、僕は堕ちてしまった。
絶対に許さない。許してやらない。
だから、僕は先にいく。
新垣 悪一はお前を見捨てる。
地獄へ堕ちろ──古垣 眞礼。
くだらん恋愛脳に取り憑かれた哀れな怨恨弱者め。
※ ※ ※
古垣と付かず離れずの一定の距離感を保ちつつ、成績も順調に回復しだした頃、僕は彼女に呼び出された。
彼女の手には「成績表」があった。
判定は「F」。圏外だった。
「私……ハゲダニ合格できないかもしれない。どうしよう、新垣くん」
「……」
かける言葉はなかった。自業自得である。
僕が図書館で勉強してたとき、一人携帯を触りながらスマホゲームをしていたのはどこの誰だろうか。
僕がカフェで勉強を教えるといったとき、一人携帯を触りながらスマホでYouTubeを見て「もー、勉強なんか後でいいじゃーん」といって、何もしなかったのはどこの誰だろうか。
それが現実である。
お前が目を逸らしてきた真実がそこにある。
現実は厳しいぞ。残酷だぞ。
世の中、そんな上手くいくわけがないだろう。
生きることを舐めるなよ──クソ女。
「ねぇ、新垣くん。私のためにもう少し下のランクの大学に一緒にいかない? いいでしょ?」
「……それはちょっと厳しい。ハゲダニに願書を出してしまったし」
「……ふーん、私を見捨てるんだ。ひどいね」
彼女が目を覆って、泣き出す。
恒例のパフォーマンスである。
だから僕はいつものように頭をポンポンして、彼女を慰める。
そうすれば彼女はスイッチを押されたように泣き止む。
「……わかった。滑り止めにもう一つ受けるよ。でも第一希望はハゲダニ高校だ。だから、古垣も勉強頑張ってくれ。きっと大丈夫だから」
「……うんっ、ありがと!」
笑顔を向けられるも、上手く笑えなかった。
嘘をついているのがバレたのかもしれない。
「ねぇ、私たちってずーっとこんな関係じゃん」
「そうだな」
「そろそろさ、発展させてもいいと思うの。もうすぐ中学だって卒業だし」
義務教育の終わり、それはある種の自立を意味していた。
「どういうことだ?」
「いやだから」
古垣眞礼が僕を見つめる。
「ねぇ、付き合おっか? 私たち」
それは人生初の異性からの告白だった。
しかし、僕にとってそれは渇いた言葉に過ぎなくて、心には何も響いてはこなかった。
流れて消えてゆく、白く冷たい息のようで。
「……」
僕は答えることができない。
沈黙を利用して逃避する。
なにも聞こえない。なにも届いていない。
「……友達になりたいって」
それが冗談と思いたくて、言葉を連ねる。
「あー、アレか。そう言っておけば、打ち解けられると思ってね。最近は奥手な男の子が多いし。え、まさか、本気にしたの?」
彼女はブルブルと肩を震わせていた。
泣いたり怒ったり笑ったりと、感情表現が豊かな人だ。
僕とはまるで違うな。
アレコレ考えて、悩んだりしないんだろうな。
両手でギュッと飲み物を握りしめる。
未開封の缶コーヒーは既に冷えきっている。
「知ってる? 男女間に【友情】なんてものは存在しないんだよ。世の中、肉欲まみれ。そんなのを信じているのは、コウノトリが子供を運んでくれると勘違いしてる夢見がちの少年少女だけ。早く、大人になりなって」
黙れ、黙れ、黙れ、黙れ。
じゃあ、なんだったんだよ。
わざと泣いていたってのかよ。最初から全部嘘だったのかよ。僕に接近したくてやっていたのかよ。
だったらお前も柊さんと同じじゃないかよ。
それなのによくあんな酷い言葉を言えたな。
よく柊さんを泣かせることができたな。
あれのせいで、僕がどれだけクラスで嫌われたと思っているんだよ。
彼女だなんて嘘をついて、マウントを取りたかっただけかよ。
自虐を並べて「私はこんなにも不幸」とのたまい、それを武器にして、そんなに自分を自分で認められないのか?
そんなに一人で生きていくのが怖いのか?
なんなんだよ、お前は本当によ。
どれだけ気分屋なんだよ。
どれだけ自己中心なワガママ女なんだよ。
「……なんで付き合わないといけないんだ」
冷たい空気が肌を傷つける。
空虚な心が全てを拒絶している。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
せっかく築きあげてきた関係もこんなので終わってしまうのか。
だったらいらないよ。いらねぇよ、こんなもの。
何が恋愛だ。
何が恋愛だ。
なにが恋愛だ?
お前らいう恋愛ってのはそんなに素晴らしいものなのか?
勝手に好意を抱いてきて、こんな一言で関係が変化して、こっちがどう思っているのかなんて何も考えなくて、それで全部が終わっていくんだろ。
『新垣くんと、友達になりたかったです』
あの子の感情や想いは本物だったぞ。
その純粋な感情をお前は踏み躙ったんだ。
そして僕もそれを止めなかった。
だからここで償おう。
お前がそれを否定するであれば、僕が彼女のために全力で肯定しよう。
罪を償い、仇を打つ。
僕が新垣 善一。
お前にとって都合の良い彼氏では決してない。
僕は僕だ。
てめえなんて、もう僕の世界に必要ねぇよ。
「友達のままでいいだろ」
──あぁ、本当に、気持ちが悪い。




