悪ノリ少年とぼく。
「ぼくは魔女じゃないよ」
「んなこと、わかってるよ」
アイスクリーム柄のTシャツを着た少年がボールを蹴り上げて、するすると木から降りてくる。
地面に降りてから、上空から落ちてきたボールを足元でキャッチした。
そのまま、ニヤッと笑う。
「おまえのねーちゃんだよ。知らないのか? おまえのねーちゃん、まじょってよばれてるんだぜ」
「おね、……あ、じゃなくて、姉貴は魔女じゃないよ」
「よばれてるだけ。みんな、本当にまじょだとはおもってねーし。おまえ、ばかなの?」
「……バカだよ」
しゅんとしてしまう。当時の僕は泣き虫だったので、この時もすぐに凹んでしまった。
「えっ、ないてんの? まじょの弟のクセになさけねーな」
「……ごめんなさい」
「あやまらなくていいって! ごめん。俺もわるかったよ。ほら、泣くな。ガムあげるから」
「ガム苦手」
「めんどくせーなおまえ!」
彼は名前を玉櫛 宗と言った。サッカーボールを片手に荒っぽい言動をする少年はどこか大人っぽくて、とても同い年には思えなかった。
「飴がいい」
「もってねーよ! そんなの! なら、だがし屋いくか?」
「駄菓子屋?」
「おやつ売ってるところ! え、そんなのもしらないの?」
「わかんない」
「おーけー。安心しな。この玉櫛さまはむちだからといって、みくだしたりさべつをしたりはしない主義のにんげんさ。故にだんでぃだぜ!」
「わー。よくわかんないけど、かっこいい!」
「だろぉ?」
彼の背中はすごく大きく映って見えた。
幼稚園の頃、誰とも馴染めなくて、友達がいなかった僕にとって、はじめてできた友達が彼であった。
「おまえももっとだんでぃになれよ。今の泣き虫こぞうだと女子にすかれないぜ。しゃべりかたも子供っぽいし、声もちいさいし、なんにもかっこよくない! もっと“しんし”になれよ」
「紳士?」
「おう。しんしだ。男たるもの、しんしであれ!」
「わかった。頑張ってみるね!」
憎たらしい顔をしてるのに、思った以上にいいやつである。
「みるね!って言いかたが女子っぽくてキモいぞー。なんか、もっと、ないのか?」
「わかんないよ……ごめんなさい」
「すぐにあやまらなくていいから! どうどうとすりゃいいのさ」
「堂々と?」
「そう。あと、おまえ、人の言うとおりにばかり動いてたらなんにもできなくなるぞ」
「……なんにもできないよ」
「なんで」
「だって、ぼくは姉貴の奴隷だから」
本心である。
「ごめん。ちがうんだ。ええっと、なんにもできなくなくはない」
「??」
「こきゅうもできてるし、歩けているだろ? そのじてんで、おまえはなにかをできている。だからその、なんにもできてないってのは、まちがい!」
「ぼくも、なにかできてるの?」
「できてるとも! できてるから、おれとおしゃべりができているんだろ? だから、大丈夫。きにしなくていい」
彼がぶっきらぼうに笑って、手を差し伸べてくる。
僕も握り返した。
ギュッと掴んだ掌は、なんだか温かい。
「よーし、せっかくだから、この玉櫛さまが! おまえに“だんでぃ”な男の遊びかたっぅーもんをおしえてしんぜよう! ついてきな!」
「うん!」
「あ、その前におまえの名前きいてなかった。なんだっけ?」
「えっと、ぼくは……新垣 善一だよ」
「まてまて。さっきいっただろ? 堂々とだ!」
「堂々とってどうやるの?」
宗は少し考えてから答える。
「そうだな。たとえば、しゃべり方を変えるとか? 『だ』とかいいきってしまったほうがだんでぃさはあがるぞ。おれなら、こういうかね。『俺の名前は、天才・玉櫛 宗さまだ』みたいな?」
「なるほど〜」
宗は当時からマセていた。
言われた通り、僕はやってみることにした。
映画の字幕にあるようなキャラクターの口調を真似て、精一杯背伸びして、胸を張って、普段は使わないセリフを、出来る限り太い声で………………
「僕の名は──新垣 善一だ」
※ ※ ※ ※ ※
それからというもの、僕と宗はよくつるむようになった。
家が近所なので“幼なじみ”としての要素は強いのだが、それよりは僕らの関係は普通の友人というほうが近かった。
出会い方が親関連ではない、というのが大きかったのかもしれない。
だって、それってなんかお見合いみたいだし。
宗はアウトドアな性格で室内でゲームをすることはほとんどなかった。どちらかといえば、外で暴れているタイプでーーというか、きっと彼の当時のブームが《昆虫採取》と《サッカー》ということも大きかったのだろうけど、なんにせよ外で遊ぶことは多かった。
家にひきこもりがちだった僕にとっては、宗の存在は(健康面なども考慮して)価値のあるものであった☺︎
「いっちー、おまえさ、むしきらいなの?」
「虫は苦手でな……」
「うーん、いっちー。そのしゃべりかたとても“だんでぃ”だけど、ちょっとちがうかなー」
「虫はやや苦手だ」
「ややついちゃってんぞ」
「虫は大嫌いだ」
「お、おう。それでいいや……」
いつからか宗は僕のことを[いっちー]とそう呼ぶようになっていた。
そしてまた僕も彼のことを[宗]と呼んでいた。
実のところ、最初は漢字を読み間違えて【宗】だと勘違いしてたけど。
「カブトムシ、ほれ。さわってみ?」
「むりむりむりむり! むりだよ!!」
「……もとにもどってる。いいから、さわってみ!」
「ちょっ、ちょっと、投げないでよ!?」
「へへへ、さわらねーとおまえの自転車のなかにほりこむぞ? もしくはせなかに幼虫いれてやる!」
「こいつは最悪だ!!」
彼は昔からブレない。単なるクソガキである。
僕らはよく小学校の裏山で遊んでいた。
これも全部、宗が「景色の良いところがあるぞー!」と言ったからである。
人気の少ない場所に小屋を見つけて、よくそこを隠れ家にしていた。
幼い頃に読んだ「IT」という本に影響を受けたのだ。
宗はその秘密基地のことを「ルーザーズクラブ」から取って「ウィナーズクラブ」とそう呼んでいた。だが、途中からややこしくなって、ソーセージ畑と呼ぶようになった。
どこにも原型がない。
「くぅ〜。きょうはよくはたらいたなー。サイダーのみてぇー」
「大人だ。なんだかビールみたい」
「ビールでもいいけどなぁ。でも、あれ、まずいだろ?」
「飲んだことあるの!?」
「あるよ。とうぜんよ」
未成年飲酒を堂々とやってのける宗は、やはり当時から生意気なクソガキだった。
ウヘヘヘヘと白い歯を見せながら、Tシャツを肩までまくって「マッスルぅぅうっっ!!」とやってくる彼は、やはり当時から生意気なクソガキだった。
でも、当時の僕からしたら憧れるべきクソガキだった。
「……さすがだよ、宗。さすがは僕の友達だ」
「くされえんだろ?」
「……すごいなぁ。そんな言葉も知ってるだなんて」
「まあ、天才なもんで」
二人で笑う。そんな宗との日常はそれなりに楽しかった。
※ ※ ※ ※ ※
夏休みは共に過ごすことが多かった。お互いの家を行き来したこともあった。
宗には弟が二人と妹が一人いる。おまけにペットとして犬と猫もいる。玉櫛家は大家族なのである。
そんな大家族の長男坊として産まれた彼は、様々なことを知っていた。
駄菓子屋だったり、小さな遊園地だったり、フードコートのあるデパートだったり、それなりになんでも知っていた。
僕らは都心部から離れている田舎町に住んでいたので、都会の子供たちの遊びはほとんど経験したことはなかった。ここにはカフェやカラオケなどもなかったのである。
でも、宗は遊び場を自分の手で作り上げていた。彼は田舎町を自らのテーマパークに変貌させていた。
宗と一緒にいて、退屈することはなかった。
× × ×
宗と出会ってから三年の月日が経過しようとしていた。
それは小学校二年生、初夏のこと。
「いっちー、おまえそれあつくねーのか?」
「暑い」
「なんできてんの」
「アイス食べすぎてお腹冷やしたら嫌だから」
「やっぱ単純だなー、いっちーは」
その日も、半袖半ズボンに虫網を持ってる宗に冷やかされながら、蒸し暑い夏の日にパーカーを着ながら、僕らはとほとぼと通学路を歩いていた。
「はらこわしたくらいでなんなんだよ。うんこなんてあいどるだってしてんぞ」
「僕はアイドルじゃない。うんこもしない」
「あっそ。なあ、いっちーはさ。“カレー味のうんこ”と“うんこ味のカレー”どっちをくう?」
「僕はカレーなら何でも食べるぞ」
「うわー、うんこもくうんだー! きもちわりぃー。ぷーくすくす」
よくわからない話をされながら、路地の電柱付近にまで辿り着いたとき、見覚えのある顔を発見した。
母さんだった。
母さんが手招きしている。
「あ、おったおった。ぜんいちー! 宗くんー! ちょっと来てやー」
「あ、母さんが呼んでる」
「ん? だれ、あの小さいの」
みるともう一人女性と、小さな女の子がちょこんと隣に立っていた。
前髪パッツンのサイズの合わない黒縁メガネをかけている少女。
女性の後ろに隠れながら、ぴょこんと顔を出している。
「挨拶できてなかったんやけど、ご近所の葵さん。で、こっちが渚ちゃん。仲良くしたってなー」
「ほーん。女子か。よろ宗」
鼻くそをほじりながら宗はその手で女の子に触ろうとする。
もちろん、僕はそれを食い止めておいた。
流石に失礼だったからだ。
ちなみに彼は学校でもよくこういった悪戯をしていたので、クラスでは“悪ノリの帝王”として崇められていた。
そんな宗を押しのけて、僕が代わりに挨拶を交わす。
「はじめまして、新垣 善一です。こっちが友達の玉櫛 宗。君は?」
笑いかけながら堂々というと、女の子はわかりやすく動揺をはじめた。
目線をぶらぶらと動かしながら、手をぷるぷる震えさせている。
「…………っっ…………!」
目を伏せている。
一体、どうかしたのだろうか?
「ごめんなさい……。この子、緊張しやすくて。恥ずかしがり屋なんです」
「あ、そうなんですか!」
僕は近づいて、警戒心を解くように接することにした。
女の子と接するときには、堂々と。
紳士的に。
紳士アラガキとして。
「ごめんね、怖がらせちゃったかな?」
笑いかけて、頭を撫でる。
ちなみにこの当時、僕は渚を完全に歳下だと思って接してしまっていた。
瑠美と同じ幼稚園児くらいの年代として。
とても同い年には思えなかったのである。
頭を撫でたとき、彼女はびっくりしたようにビクッと震えて、すぐに目を瞑った。
すぅーすぅーと呼吸をして、息を吐く。
両手をギュッと握りしめながら、首を振っている。
しばらくしてから、ギョッと目を見開いた。
「えっと、その……わ、わたしは」
少女が上目遣いになる。
「あ、葵 渚ですっ……!」




