善一とのどか③
「ありがとうございました〜!! またきてねっ♪」
店員さんに見送られて、お店を後にする。
ポケットには丸められた一枚のチラシ。手にはラスクの袋を掛けている。
振り返って、豆電球が点灯している店内を眺めると、先ほどの女性店員さんが手を振っているのが見えた。
ちゃんとお辞儀をする。
ラスクのサービスありがとうございました。
【Vekery】だっけ? 覚えたぞ。
必ず、また来よう。
「……なにを楽しそうに話していたの?」
お店の看板の前に安穏が立っている。
ピンクの唇をむっとさせて、紺のスカートをバサバサと動かしている。
拗ねているのだろうか。
「ちょっとした夢の話だよ」
「夢?」
「うん。将来について思うことがあってな、相談してもらっていたんだ。ゴメン、待たせてしまって」
平謝りをしてから、再び来た道に戻ってゆく。
ビルとビルの隙間からの橙色の光が差している。
空はすっかり薄暗くなり始めていた。
西の水平線に、夕陽が沈みかけている。
「将来について悩んでいるの?」
「少しだけな。高校生活もあっという間に終わりそうだって考えてたら、油断はできないと思って」
頭の中で、先ほどの店員さんの話を思い返す。
あの人は夢を叶えたのだろう。自分の小さなお城を構えて、好きな人に美味しい料理を振る舞うという夢を。どちらも叶えたのだろう。
成功者であることに違いない。
僕もいつか考えるようになるのだろうか。結婚や、将来に向けたことを、アレやこれやと。
自分は将来、何になりたいのだろうか。
「善一くんは偉いね。もう将来のことを考えているんだ。……私は全然だ」
両手を後ろにやって、安穏が空を眺める。
時間が刻一刻と過ぎている。
人生で一番幸せだった時間がーー終わろうとしていた。
どの人間にも時間は平等に訪れる。永遠ではない。
だからこそ、今を必死に生きていかなければならない。
「夢なんかなーにもないよ。将来やりたいことなんて一つもない。結婚できればいいかなって、そんなくらいのことしか思わない」
歩道に影が二つできている。
今ならかげおくりができるかもしれない。
ぜんいちーちゃんのかげおくりである。
「こ、子供は欲しいと思ったりはしないのか?」
「ん?」
「子供とか……」
ふと尋ねてしまう。この影と影の間に、子供を挟んで歩いてみたいと思ったからだった。
別にイヤらしい意味で聞いたわけではない。
大体、子作りをイヤらしいモノとして捉えること自体が変ではないのだろうか。
子供が欲しいと思うことは、人間として健全な欲望だろう。
「うーん」
前から人が歩いてきたので、左右に動いて避けた。
安穏がまた僕の隣にやってくる。
「そりゃ思うけど、まだそこまで考えたりはしないかな。でも、賑やかな家庭を築きたいって気持ちはあるよ」
「……いいじゃないか。それも立派な夢だ」
「あ、そっか」
論破するつもりではなかった。
ただやりたいことが何もないのは少し寂しいかなと思っただけである。彼女の夢を無理やりでも引き出してやりたかった。
別に「夢」だからといって、世界征服をしたいとかそんな大層なモノじゃなくてもいいハズだ。
彼女が夢を持つのなら、その夢を是非とも応援したい。
賑やかな家庭を築きたいだって?
任せてくれ。僕が一生養ってやる。
「善一くんの夢はなに?」
「ぼ、ぼくか?」
「うん。教えてー」
人にはあれこれ言うくせに、いざ自分が聞かれると答えに迷ってしまう。
「僕はそうだな……」
なんだろうか。なにがやりたいのだろう。
別に大金持ちになりたいわけじゃない。
だからといって、不幸にもなりたくない。
ふつうでいいのだ。ふつうで。
波風を立たせずに、好きな人と一緒に生活をする。それだけでいい。
「……好きな人と、結婚したいかな」
ボソッとそんなことを告げてしまった自分に酷く驚いた。
僕は結婚したがっているのか?
本当に?
それは芸能人の婚約ラッシュに便乗してとかじゃなくて?
本気の本気で?
結婚を夢にするのであれば、誰かとお付き合いしなければならない。
ハードルは低いようで、意外に高い。
というか、こんなことを言って引かれたりはしないのだろうか。
結婚を視野に入れて、学生カップルがお付き合いするなど、あまりにも重すぎる気もする。
……いや、でも、さっきの店員さんは学生時代から付き合っていた人と紆余曲折あって、いまああやってお店を切り盛りしているほどだもんな。
実際に結婚しているかは想像でしかないけど、でも、うーん……。
「結婚?」
「あ、いや……違うんだ。ふとぼんやりと思っただけで、深い意味はない! なんというか、その、夢だよ!? 夢! そうそう、夢! まだ高校生なのに、バカみたいなこと言ってるよな。ごめん!」
自分がすごく気持ち悪い発言をしてしまっていたことに気付いて、すぐに釈明をした。
好きな人と結婚したいとは言ったが、それは純粋な気持ちであって、特定の誰かを指し示しているわけではない。
安穏とお付き合いしたいとか、そういうキモ重たいアプローチをしたかったのではない。
今の質問が安穏でなくても、同じことを言ったまでだ。
「し、将来な!? 誰かと結婚できればなぁって、ふと思って……。ごめん、笑えるよな? 笑って流してくれたら助かる……」
ホントに純粋な気持ちで、本音が出てきてしまっただけである。
安穏とお付き合いしたいだとか、そんな烏滸がましいことは……願っていない。
ただの夢。
そう、叶うわけのないちっぽけな夢だ。
「なんで笑うと思ったの?」
安穏が子犬のような瞳をこちらに向けた。
立ち止まってしまう。
「笑わないよ。笑ったりなんかしない」
「……」
「それも立派な夢じゃん」
「そ、そうかな?」
「うん。笑わない。冗談としても面白くないし」
安穏が淡々とそう言って、左足を前へと踏み出した。
……この子はなにを考えているのだろう。
「お、おう。ありがとう」
「どういたしまして」
僕の前をスキップをするように歩いている。
もちろん、冗談なんかではない。
ただ、少しだけ臆病になっただけである。
安穏のどかという女性とお付き合いしているという状況があまりにも想像がつかなくて、言い訳をついつい並べたくなった。
一途な男になりたいとか、夢は叶うとか、覚悟を決めておいて、また悩んでしまう。
……難しいな、恋愛というのは。
「あ、そうだ……。店員さんからラスクをサービスしてもらったんだけど、よかったら食べる?」
「えー、いらない」
「特別に試作品のらっきょ味も入ってるってさ」
「らっきょ? それはヤダな。なんか美味しくなさそー」
袋を開けて、らっきょ味のラスクを手に取る。
一口かじると酸味が口を刺激した。
「美味しいの?」
「……あ、うん。甘くないから大人の味だけど」
「だったら、ソレちょーだい」
ぶっちゃけいうと不味かった。全然美味しくなかった。吐きそうなくらいだった。
口がパサパサとして気持ち悪くなった。
なんでラスクとらっきょを混ぜようと思ったのか……。
新品のラスクを手渡そうとするが、それは受け取らず、安穏は僕の食べ残しを右手から奪い取った。
関節KISSとかそういうことをあまり気にしないのか、それとも地雷を踏まないようにひとつ丸々を食べないようにしたのか、定かではないが、かなりドキッとした。
「いただきまーす……」
長い髪を耳に引っ掛けて、舌を伸ばす。
白い歯がラスクにかじりつく。
と、途端に彼女の顔が豹変した。ゴホゴホと咳払いをする。
「ちょっとこれ! 美味しくないよ!?」
「……あ、うん。安穏でもムリだったか」
「ぜんぜん美味しくないじゃん! もーー……最悪」
「ハズレだったか……」
大人舌の安穏でも厳しかったようだ。
プンスカと怒る彼女を目で追いながら、夕空の下を歩く。
僕らはそうやって駅までの道を過ごしたのだった。
※ ※ ※ ※ ※
「じゃあ、私はこっちだから」
駅まで到着すると、彼女はそう言った。
どこかデジャブを感じる。
ああ、そうか。梅雨の日に一緒に帰ったときも、こんな感じで終わったっけ。
家まで送るよと言ったけど、断られたんだよな。
「ああ……うん。気をつけて」
「善一くんもね」
「ええっと、今日は一日付き合ってくれてありがとう! 楽しかった。菜月もきっと、喜んでくれると思うよ……」
「そうだね。またなにかあったら連絡してね」
「も、もちろん!」
隣を歩いていた安穏が徐々に距離を空けてゆく。
やっぱりデジャブだ。
なんだろうか。この気持ちは一体なんだ。
駅の改札口からたくさんの人が下車してくる。日曜日でも仕事をしている、いわゆる社畜というサラリーマンたちだろう。本当にお疲れ様です。
バイトへ向かうであろう大学生たちも、イヤホンを耳に刺して出てくる。
みんなこれから帰るのだ。帰っていくのだ。
別になにもない。ふつうに帰るだけ。
友達なのだから当たり前だ。
ーーそう、僕らは“友達”なのだから。
「あ、安穏……」
「ん?」
帰ろうとしている彼女を呼び止める。
僕はどこまで寂しがり屋なのだろうか。こうやって引き止めて、安穏の心を掴もうとする。
依存体質の自分が嫌になる。
自意識過剰な己が嫌になる。
「……」
「どうしたの?」
「あ、いや……その」
「?」
首を傾げられるのは当然だ。
僕はずっと期待していたのだ。きっとこのまま長く関係が続けば、良い感じになって、いつか自分の都合の良いような結果になるんだろうなって。
ただ、ちょっと待ってほしい。
おかしいとは思わないだろうか。
僕は思っている。
ほんの数時間前から、疑惑はあった。
安穏はずっと避けようとしている。
僕から遠さがろうとしている。
さっきもそうだ。店員さんに「カップルですか?」と話しかけたとき、すぐに「友達です」と拒否していた。
僕が突発的に告白したのも、軽くスルーした。
デートでテンションが上がっていると伝えても、それ以上なにも聞いてはこなかった。
いや、違う。
僕が気付いていない、だけ?
『善一くんの方がモテるじゃん』
『私は一途な人がいいかな』
『私って、優しくないからさ』
『どうして、友達になろうと思ったの?』
『私は、最低なの』
『彼氏はずっといないよ』
『実は私、あの人に告白されたんだ』
『友達だったら一緒に帰るのがふつうだよね』
わからない。全くもってわからない。
彼女の真意はわからない。
間違っているのは、僕かそれとも彼女か。
「……大丈夫?」
「……あ、うん」
「私、帰るよ?」
「あ、それは……ちょっと待ってくれ」
か細い声で引き止める。
理解はできないだろう。僕自身も混乱しているから。
わからない。全然、わからない。
だが、ひとつだけ確かなことがあった。
揺るぎない信念が僕の中にはあった。
『……誰かさんがずっと私を喜ばせようとしてくれているからかな?』
『独りぼっちは寂しいもんね』
『善一くん優しいからついつい考えすぎちゃうんだよね』
『笑わない。笑ったりなんかしない』
『……元気でた?』
僕はこの子のことが大好きだ。
そのためなら、全てを失ってもいい。
どれだけ崩れてしまいそうになって、その想いだけは変わらない。
『だからこそ、後悔しないように生きてほしい。失敗は後から取り返せますから。歩み続けるのだ! 若者よ!』
逃げるのはもうやめだ。
なにが、友達のままでいいだ。そんなのは言い訳だ。全てから逃げるための、自己防衛だ。
僕は最初から目的を持とうとはしていなかった。なあなあでやっていけば、何もかもが上手くいくとそう思っていた。
でも、そうはならないのだ。
表面的に変わっているようで、全然変わっていない。おそらくだが、きっと、このままなんだろう。
僕が、それを望んでしまったから。
自分はどうしたい? それも言ったよな。好きな人と結婚したいと。じゃあ、なぜそれをやらない。どうしてないものねだりができる。
いつまでもこのままでいいのか?
海合宿に行くからと言って、未来に可能性を託して、じゃあ海合宿のときにも同じことを考えるんじゃないのか? 新学期でいいや。やっぱり、冬休みでいいや。大晦日、彼女の誕生日のときでいいやって。
そうやってずっと先延ばしにして、答えを出すことから逃げ続ける。
そんなの、相手に申し訳ないだろう。
安穏が可哀想だ。僕がしっかりしていないから。
彼女を変えたいのなら、まずは僕が変わらなくてはならない。
じゃないと、一生このままだぞ?
「……」
待て、それもダメだ。
同じことの繰り返しだ。じゃあ、いつそれをやる? 今か? 迷っているときに? この状態で?
せっかくのデートに泥を塗る気か。
もっと相手の気持ちを考えなくては。
思いやりを持たないと。
前を向いて、勇気を持って、歩み続ける。
覚悟はできた。でも、きっと今はまだだ。
ずっと先延ばしにしてきた。それをダメなことだって、否定し続けた。
じゃあ、僕は一体どうすればいいんだ。
誰か助けてくれ、誰か。誰か。
『答えが出ねぇことをアレやコレやと考えても疲れるだけだろ。考えるなら複雑化せずに、単純でいい。大体、イッチーのような単純バカがなんでそんな難しいことを言ってんだよ。お気楽、お花畑脳で、安穏とのデートを普通に楽しめよ』
あの男は、僕にそう言った。
デートが終わったら、報告してこいとそう言った。
彼に頼ってみるのも、いいかもしれない。
だったら、布石だけ打っておこう。
どうせ悩むのだ。オチだけを先に決めてしまえばいい。
今まで先延ばしにしてきたのだから、あと少しだけ待ってもいいだろう。
僕は少し、焦りすぎたのかもな。
でも、答えは決まった。
それでいいじゃないか。
「えっと、最後にひとつだけいいか?」
ポケットの中にはチラシが一枚入っている。
拳をグッと固めて、彼女に告げる。
「安穏! もしよければ、僕と───」
[質問リスト]☆complete!!☆
・将来の夢は?→賑やかな家庭を築きたい。




