僕はマネージャーの身体をお触りしたくてたまらないハーレムサッカー部員。
次の日。
重い足取りで部室まで向かうと、既に明希が到着していた。
青いペットボトルを水飲み場に並べている。
「おはよう」
東の空の日差しを手で隠しながら、右肩に背負っていた鞄を下ろす。
イヤホンを外して挨拶をすると、ピンクのリボンを首元につけた彼女が、こちらに振り向いた。
「おっはー! ガッキー。眠そうだねー」
「ああ、うん。昨日は夜更かししちゃって……」
「今日も暑くなるみたいだよ。スポドリいっぱい作っておくから、足りなくなったらまた言ってね!」
「……サンキュー」
まだ朝早くてボソボソ声でハッキリとは喋れない僕と違って、彼女はいつもみたいに元気いっぱいだった。優しい彼女は相も変わらず、僕ら部員たちのために仕事をこなしてくれている。
「あれ、安田くんはまだ来てないのか?」
「やっすん? んー、そうだねー」
「おかしいな。LINEしてみるか」
あの関西男、寝坊でもしたのか?
「手伝うよ」
「ん」
腕をまくって、水のみ場へ。
以前の明希なら「全部、自分でできます! 子供じゃないもん」と僕のお手伝い依頼を、申し訳なさそうに拒否するところではあったが、最近は慣れてきたのか様々な業務を任されるようになっていた。
明希センパイ、営業ガンガンとってきますんで、令和もよろしくお願いいたしますッ!!
「あ、でも、ちょっとお仕事多めかも」
「というと?」
「洗濯とかやらなきゃなの」
「おお、マジか。そりゃ大変だな」
「手伝ってくれてありがとね。なら、早速ガッキーにはなにをお手伝いしてもらおっかなー」
「なんでもいいぞ」
そう答えると、明希は「んーと」と唸りながら、パタパタとジャージの上着を扇いだ。
「えっと、じゃあね! まずはビブスをあっちのカゴに置いてあるから取ってきてほしい。で、そこに洗濯機が二つあるじゃん? 手前側の方にもう水を溜めてあるから、洗剤を入れてスイッチ押しといてー。洗剤は下のところにあるよ。終わったら干すんだけど、洗濯バサミが部室の戸棚の二番目の引き出しの奥にあるから、先に取っておいた方がいいかも。あ! 忘れてた! 備品の片付けもしておかないといけないんだった! それじゃ、洗濯バサミはあたしが取っておくから、部室の掃除を頼んでもいいー? ごめん。箒とちりとりは準備しておくから、おねがいー。やってくれるとすっごく助かる! それからそれから……」
「り、りょうかい」
So Many!!!!!!!!!!!!!!!
※ ※ ※ ※ ※
「ボール拾い?」
「そうそう、西先輩がさ。『僕らは基礎ができていない』って言って、もしかしたら練習をさせてもらえないかもしれないんだ。安田くんたちも結構文句を言ってたみたいだし」
洗濯機がぐるぐる回っている。
「えー、でもボール拾いなんて、あたし一人でもできるよー? 西先輩に伝えておこっか?」
「あー……それはいいよ。明希に迷惑をかける訳にはいかない。基礎が足りていないってのは事実だし、練習に身が入っていないという西先輩の言い分もわかるしな。ただ、なんというか、お互いのコミュニケーション不足だと思うんだよ。西先輩だって本気で言っているとは思えないし。それに、ほら」
その後の言葉は出てこなかった。
全校選であっけなく惨敗したことを、今になって蒸し返したくはない。
「やっすんから連絡は来てないのー?」
「うーん、来ていないな……。寝坊ならいいんだけど」
取り巻きの部員たちがいないのも、少し気掛かりだ。
「は! もしやズル休み!?」
「……あり得る」
先日の【Mr.&Mrsドーナツ】で語っていたことを思い出してしまう。
不安要素は確かにある。
俄かには信じたくはないけれど……。
「えええええ! やっすんたち部活辞めちゃうのかなー!? それは絶対にいやだよー!」
「僕だってイヤだよ。そうなればちゃんと説得する」
流石にそこまでいくとは思わないが、可能性は高い。あの調子だと、半年も持つかだ。
安田くんたちは西先輩を嫌っていたけれど、僕はどちらかというあの人の肩を持ちたいと思った。それは感覚的な話であり、説得なんてできないけれど、どうしてか直感ではそう感じた。
あの人を擁護するのであれば、きっと本気で言っているのではないと思う。「ボール拾いからやり直せ」というのは実際にボール拾いだけをさせるのではなくて「本気でやらないのなら、ボール拾いからやらせるぞ」という意味の忠告だろう。
個人的には安田くん側に問題があると思っている。
大体、先輩が嫌だからといって、練習をズル休みするのはどうなんだろうか。先輩に刃向かうのが怖い気持ちはわかるし、本音でぶつかりあうのはできないかもしれないけど、陰口を叩き、行動で復讐するのは違うと思う。
ボール拾いという地味な仕事を何度も繰り返して行うことで、いずれは重要な仕事を頼まれるようになっていく。
それをキツいからといって、逃げてしまえば、楽しいところまで到達できずに終わってしまう。せっかく入ってきたのだから、三年間続けたほうがいい。一緒に頑張ろうと伝えたいものだ。
「……よし」
時計を見る。まだ時間は充分にあった。
「少し、休憩しないか?」
※ ※ ※ ※ ※
「うへぇー」
「……」
「およー」
「……」
「ぐへへー」
「……」
「おろろー」
……漫画かよ。
ベンチに座った明希の肩を揉む。やっぱり随分と凝り固まっているようだった。ここ最近は荷物を片手に、よく走り回っている姿を見かけていたしな。
マネージャーは朝早くから来て、僕らよりも遅くまで残って仕事をしている。
ブラックですね。
「身体熱いぞ。ここもカチカチだし」
小さな出っ張りに優しく力を込める。マッサージのコツは姉貴に教えてもらっていたから、結構知っていた。新垣家のマッサージチェアと呼ばれていたしな。いや、それはウソだ。呼ばれたことない。なんだチェアって。椅子なのか。僕は椅子だったのか。おい!
「うへへ〜。触り方えっちだね、ガッキー」
「そんなことをいうなら、もうやらないぞ」
「うそうそー。気持ちいいですよー」
肩を揉み終えると、トントンと叩くことにした。拳を二つ固めて、上下に振る。力の加減が難しい。
「ちょっとくらい休んだっていいんだぞ。明希がムリする必要はない」
言ったものの、返事はない。
んー、とマッサージに身体を委ねたまま、恍惚な表情を浮かべている。
僕らしかいない部室前。
セミの声だけが、そこら中をこだましている。
「ムリしなくちゃだめなの。あたしがいないとさ、みんなピリピリして楽しくなさそうだから、頑張らないとだめなの」
「どうして」
「……マネージャーあたしだけなんだよ? そんなの、あんまり休んではいられないって。自分は見ているだけなんだからさ」
「それだと、疲れちゃうだろ」
「慣れっこだよ。我慢するのは得意よー」
それはもしかしたら、中学の頃のこともあるのかもしれない。
あんまり深く聞けないので、憶測になるが。
「せっかくみんなで今からがんばろうーって時期なのに、このままじゃダメな気がする。だから、あたしががんばるの。休んじゃおけませんよ! ダンナ!」
「そうか。じゃあいっぱいマッサージしておくよ、マイハニー」
トントンとリズムよく肩を叩く。
叩き終えると、今度は寝転ぶように言った。
腰のあたりをグリグリと押さえる。
「ガッキーにおーそーわーれーてーる」
「本当に襲ってやろうか」
「そんな度胸あるのー?」
「ないとは言わない。くらえ」
背中のツボを押すと、アッキーはニヤニヤと笑い出した。なんだかとても楽しそうだった。
はたからみるとカップルがイチャイチャしているだけなので、安田くんが来ていないことに、そのときばかりは安堵した。
また弄られると面倒だしな。
「暗い話やめよーよ。別のお話しよ!」
「たとえば」
「最近のニュースとか?」
「ノートルダム大聖堂が大火事になったんだって」
「それも暗い話じゃん!もーーー」
再建まで十年かかるらしい。
頑張ってもらいたいものだ。
僕らのチームも再建することができるのだろうか。いや、やるしかないのは理解しているし、このままだといけないことも知っているがーーなにからやればいいかはわからない。
現状のままだと、チームは崩壊する。
西先輩と安田くんも自らの信念に従って行動をしている。二人が分かり合えることは難しい。先輩は高圧的な態度を振りかざして話を聞こうともしないし、安田くんも安田くんで相手を一方的に決めつけるばかりで、耳を傾けようとする気がない。歩み寄りが足りていない。状況は最悪だ。
だが、諦めるわけにはいかない。
マネージャーが苦悩しているのに、選手がなにもしないだなんて馬鹿げた話である。
「ん、そろそろ動き出そうか。管理人さんがこっちを見てる」
「……お恥ずかしい限りですな」
管理人さんの視線を感じながら、明希が立ち上がる。
彼女は立派だ。小さな身体で、誰よりも一番頑張っている。
だからーー背後から、そっと肩を抱いた。
耳元で囁く。
「……大丈夫だよ、明希。僕がきっとなんとかしてみせるから」
そんな言葉も、きちんと寄り添えて。




