2話「ちょっとくらいはさわっても、ナイショにしておいてあげますから」
正直、驚きのあまり咄嗟に声が出なかった。
絶句ってのはこういう時に使うんだろうな。
桜ノ宮魔法高等学園。
HeDDと呼ばれる魔法発動装置を体内に宿す生徒が通う魔法試験校。
“固有魔法”とは生まれつきHeDDに記録されている魔法の通称で、HeDDを介すことで発動できる。
問題は、なんでオレのHeDDに記録されている魔法を、この女子力と引き換えに偏差値犠牲にしてそうなゆるふわが知ってるかだ。
「フフン、優秀なわりには案外カンタンに動揺するんですねー。そんなに知られたくないんですかー? 自分が本当は優秀だって」
オレの余裕な態度を崩せたのが嬉しかったのか、緒見坂がここぞとばかりにニヤニヤと攻めてくる。
そりゃ脳内ドヤ顔で「護身完成! 敗北を知りたい(キリッ」とか思ってたんだから滅茶苦茶動揺するっての。
ホントなんで知ってんだよコイツ。
オレのストーカーかなにかなの?
「わたしが見る限り、センパイなら勉強も運動も魔法ランクもかなり上までいけると思うんですけど、隠してるのにはなにか理由があるんですか?」
「……さぁな。というかそれは質問の答えになってねーよ。仮にオレが実力を隠していたとしても現実のランクは底辺よりちょっと上ってとこだ。親説得する恋人が欲しいならもっと上の方から見繕えばいいだろ」
「今は、ですよね?」
「は?」
「ほら、リレーだってビリからゴボウ抜きしてトップゴールしたらめちゃくちゃカッコ良いじゃないですか」
またワケのわからんこと言い出したなコイツ。
偽装結婚の話してたのになんで急にリレーの話に飛ぶんだよ。
偽装なのに子供生んでに命のバトン繋げちゃうの?
などと呆れ顔を浮かべたのもつかの間、すぐさま緒見坂の思い描いているシナリオが頭に浮かぶ。
「お前、まさか……」
「学園内ランク底辺でダメダメなセンパイ。でも大好きな後輩のためにこのままじゃダメだと思い立ち、デキる自分に生まれ変わるために努力を重ねていくんです!」
オレへの返事もせずニッコリ笑い、おっそろしく身勝手なサクセスストーリーを語りだす緒見坂。
頭痛が痛いケータイ小説並に色々とツッコミたくなったがぐっと堪える。
そもそも底辺じゃなくて底辺よりちょっと上だっての。
底辺だとかえって目立つだろ。
「おたがいに支えあいながらランクをひとつずつ上げ、ランク上位になったセンパイはわたしにこういいます『これでようやく胸を張ってお前に好きだって言えるよ。恋(←名前呼び////)、オレたちの関係を認めてもらうため、ご両親に挨拶へ行こう!』」
「うんうんわかったわかった、わかったからもうやめろやめてくださいお願いします」
緒見坂が「誰だお前」ってレベルのイマジナリー俺を演じ出したところで強制終了させる。
いやホント誰だよ。
互いに支えあってる過程で間違いなく洗脳されてるだろそのオレ。
「えー、これからが良いところなのにー。まぁ続きは本番でやってもらうからいっか。ってなわけでそういうカンジでよろしくです」
「よろしくですじゃねぇよ……」
うん。聞かなかったことにしよう。
知らない。わからない。オレじゃない。
もうホント頼むからそういう怖いことをさらっと言うのやめてくんないかな。
突発性の難聴患ってるハーレム物の主人公演じて現実逃避するしかなくなるだろうが。
まぁそれはさておき、例えはアレだったが緒見坂がやろうとしていることはいわゆるギャップ効果だろう。
普段チャラついた奴がスーツを着てピシっとしたり、ボーイッシュなボクっ娘がデートの時だけフリフリのドレスを着て髪伸ばしたり、悪党が気まぐれで動物や子供助けたりとかああいうの。
確かにただの優秀な男よりも、娘への愛で優秀になった凡人のほうが間違いなく両親への心象は良くなる。
これまで数々の少し努力しただけで褒められる凡人を目にしてきた、ただの優秀な男であるオレが言うんだから間違いない。
つまりコイツは吟味に吟味を重ねてオレを選んだのだ。
ストレートに優秀な人間を選択することを避け、自分の目的を遂行するための、偽の恋人として最も効果的で効率的なパートナーを。
「わたしがセンパイを選んだ理由、わかっていただけました?」
「……まぁな」
気のない返事をしつつも内心、感心していた。
見た目も言動もゆるふわビッチで一見、頭悪そうな印象を受ける。
いや、実際に感情の赴くままに行動してそうだし、頭悪そうなこと言ってるんだけどコイツの行動は理に適ってるというか、理屈が通ってんだ。
目的はどうあれそういう考え方は嫌いじゃない。むしろ共感すら覚える。
「じゃあ、わたしと偽装結婚してくれますよね?」
「いやそれは無理」
だがそれとこれとは話が別だ。
「な、なんでぇ!? ありえない! 断るとかマジありえないっ!! だって偽装とはいえわたしと結婚できるんですよ!? 結婚ですよ結婚! こんなに可愛いわたしと結婚!」
婚約を確信した、自信満々な微笑を浮かべていた緒見坂の表情が一変する。
ケッコンケッコンうるせぇな。ニワトリかお前は。わかりましたから落ちついてください。
というかどんだけ自己評価高いんだよコイツ。
確かに可愛いし良い匂いがするし小柄な割にそこそこ大きかったけど。
「も、もーだめだなぁセンパイは。よぉーく考えてください。結婚すればわたしは許嫁を回避でき、センパイはわたしに秘密をバラされずに済むんです。ほら、とってもwin-winな解決策じゃないですか♪」
うん……?
オレの頭が悪いだけなのかもしれないけど、それって要するに「秘密をバラされたくなかったら言うとおりにしろ」ってことじゃないのかな……。
グーグル先生に聞いても「もしかして:脅迫」って言われると思う。
優秀な脳みそで優秀な思考を優秀に繰り返してみても、優秀なオレにとってのメリットが欠片も見つかんねぇ。
「アホくさ。勝手にやってろ。一応忠告しとくが、今さらオレが本当は優秀だって触れ回っても無駄だぞ。信じる信じない以前に『……誰?』って反応されるからな」
「はっ! い、いわれてみれば確かに誰に聞いても知らなくて、ここにいるのを見つけるのにもかなり苦労しましたー……」
「フフフ当たり前だ。そうなるようにオレは普段から“努力しないための努力”を重ねてるんだからな」
ドヤ顔で強がってみたが内心ちょっとショックだった。
やだ、普段のオレ忍者すぎ……。
誰一人知らないとかなんなのマジ。
このままだと職業適性テストで『あなたに向いている職業:忍びの者、歌舞伎座の黒子、ウォーリー』みたいな結果が出て三者面談が大変いたたまれない空気になってしまう。
影の薄さを活かすために今からバスケ部入って間に合うかな……。
「う~ん、じゃあこうしましょう。結婚してくれたらわたしがなんでセンパイの実力を知っているのか教えてあげます」
このままじゃオレに逃げられるとようやく理解したのか、ウェーブがかかった長い栗色髪を指でくるくるいじりながら緒見坂が提案する。
今後も当り障りのない平穏な学園生活を望むオレにとって確かにそこは気になるが、やはりまだ交換材料としては弱い。
他の人間には今まで気付かれなかったことを考えるに、恐らくオレの情報を知りうる手段は緒見坂以外には実行できないものだと推測される。
だとしたら知ったところで防ぎようがないだろうし、彼女にしか出来ないのであればやはり放置してもさほど問題ではないだろう。
などとオレがリスク計算と損得勘定を並行して行っていることに気付いたのか、困った顔で緒見坂が先に口を開く。
「あのー……もしかして、まだダメだったりします?」
「しますねー」
ちょっとだけ口調を真似て返事をする。
よく知りもしない相手と結婚させられるのには少しだけ同情するが、オレはこのまま安定した学園生活を、もっといえばロウリスクロウリターンな人生を歩み生涯を終えるつもりでいるから協力はできない。
悪いな緒見坂、この人生ゲームひとり用なんだ。
「というか、普通に嫌だって言ってみればいいだろ。お前の話だと両親に相談する前に諦めてるようにしか聞こえないんだが」
「……普通に言ってもゼッタイに聞き入れてもらえないからこうしてるんです。うちの家って色々とめんどうなんで」
自嘲気味に話す緒見坂の表情は情欲すら覚えるほど憂いを帯びており、とても先ほどまで喚き散らしていた少女と同一人物には見えなかった。
それが再三に渡りオレに婚約を拒否されたから生まれたものなのか、自らの家庭を顧みて生まれたものなのかはわからない。
考える間もなく緒見坂は表情を元に戻すと、大きなため息を吐く。
「はぁ、しょうがないなー。センパイ、ちょっとわたしの前に座ってもらってもいいですか?」
「え、なんで」
「いいからお願いします」
また突然なにを言い出すんだコイツは。
まぁ、偽装結婚するよりは全然マシなので仕方なく言われるがままに緒見坂の前に座る。
「そのまま動かず、じっとわたしのことを見つめていてくださいね」
オレの前に立ち、こちらを見下ろす緒見坂の表情に先程までの微笑はなかった。
それどころか眉をハの字に顰め、りんご飴のように顔を真っ赤にしている。
「な、なんなんだよ一体」
「黙っていてください。見ていればわかります。……んっ」
今度はなにを企んでいるのやらと思っていると緒見坂が信じられない行動に出た。
「お、おいっ!?」
まずはストッキングだった。
軽く足を開くとセーラー服のスカートの中へ腕を差し込み、俺に魅せつけるかのようにゆっくりとずり下ろしていく。
そうしてあらわになった緒見坂の細い足は、下げられた黒色のストッキングに映えるほど白く、綺麗だった。
「どうですかせんぱい……わたしの足、キレイですか?」
熱っぽい表情の緒見坂が囁いてくるもオレは答えられなかった。
外気にさらけ出された少女の柔肌に優秀で強固な理性が揺さぶられる。
心臓はバクバクいってて、喉はカラカラだ。
まばたきを忘れた両の目は完全に目の前の少女、緒見坂恋に奪われてしまっている。
たとえ演技だったとしても、たとえ計算だったとしても、たとえオレに協力させるための策略だとわかっていても、抗えない。
何故なら、彼女が次に行おうとしている行為に期待してしまっているのだから。
「お願いします……どうしてもわたし、せんぱいの助けが必要なんです。そのためなら……」
思ったとおり緒見坂は止まらなかった。
再びスカートの中へと手を入れると少し屈み、黒いストッキングの下に履いていたものにまで手をかける。
「あーあ、今日、何色の履いてたかなぁ……」
心底恥ずかしそうに呟きながら緒見坂はもぞもぞと両手を動かし、セーラー服のスカートの中からしっとりとした薄桃色の布をずり下ろしていく。
くびれた腰。柔らかそうな太もも。細い足首。
緒見坂の下腹部に密着していたソレは二本の足を焦らすようにすべり、やがてストッキングが待つ足元へと到達する。
実際には数秒も経っていないのだろうが、オレにはその動作のひとつひとつがスローモーションに見えた。
「お、おいお前、何やって、んだよ……っ」
「――――もし、せんぱいがわたしに協力してくれるなら、トクベツに、この中、ぜんぶ見せてあげてもいいですよ♡」
桃色の口唇をぺろりと舐めて濡らし、いやらしく微笑む。
「ほら、こんなに可愛い子の“ココ”を見られる機会なんてめったにないですよ? どうします? みたいですか?」
たくし上げるようにスカートの両端をつまみ、己の下半身を覆っていた黒いタイツとピンク色のショーツをずり下ろした状態で緒見坂が尋ねてくる。
誘う瞳。紅潮した頬。
エスカレートしすぎて発情しているのか、呼吸もやや荒くなっていた。
「ね? ちょっとくらいはさわっても、ナイショにしておいてあげますから」
たくし上げられたスカートが眼前へと迫る。
緒見坂の体温や体臭が感じられそうな、少し屈むだけでスカートの中が覗けそうな距離。
――――断るのが正解だ。首を横に振ればそれで終わる。
またこれまでと同じ目立たぬ平凡な学園生活へと戻ることができる。少し考えればわかることだ。
しかし今のオレの思考回路は緒見坂ウイルスにより異常をきたしており、正常な解答を導き出し、それを身体の各部所へと伝達する能力を失っていた。
両の目はそよ風で悩ましげに揺れる黒色のスカートへと釘付け。
心拍数は興奮状態。
下半身に血液が集まっていくのを感じる。
一時的な欲に流され判断を誤るなど愚の骨頂と鼻で笑っていたが、今まさに、オレは間違いを選択しようとしていた。
「あはっ、やっぱりセンパイはヘタレですね……でも早く決めてくれないとわたしのココ、せんぱい以外の誰かに見られちゃいますよ? ねぇ、はやく~……」
恥ずかしそうに急かす緒見坂の甘ったるい微熱声により、残されていた理性が簡単に砕け散る。
己の愚かさへの後悔と緒見坂の狡猾さへの賞賛、そして眼前に広がる欲望の捌け口への期待が頭の中でぐちゃぐちゃに混ざり合い、完全に思考が停止し本能のまま口を開こうとした時だった。
「きゃっ……!」
「――――!?」
それまで凪いでいた春風が突然態度を変え吹き荒れる。
気まぐれな突風はあろうことかふよふよ揺れていた緒見坂のスカートを大きくめくり、奥に隠れていたものを完全に露出させる。
そしてオレは見た。
左右に可愛らしいフリルがついた、ライムグリーンの下着を。
「………………」
「………………」
「……………………さいってー」
緒見坂がスカートを抑えながら真っ赤な顔でオレを睨みつける。
涙目になってるあたり今度は素で恥ずかしがっているらしい。
「いや最低なのはお前だろ。二枚履きってなんなの……?」
コイツほんっと末恐ろしい奴だな。どこまで想定してオレに声かけたんだよ。
「………せんぱいのばかっ…ヘタレっ…もうかえるっ……ぐすっ…」
綿密に立てた作戦が風ひとつで無残に崩され心が折れたのか、緒見坂はダボつかせた袖口でぐしぐしと涙を拭きながらダミーの下着とストッキングを上げ立ち去ろうとする。
えっと……オレ悪くないよね?
護身の一環でぼっち飯食ってるとこにイキナリ偽装結婚を迫られた挙句、公然わいせつされただけだよね?
なのにめちゃくちゃ罪悪感に苛まれてるってことは、ひとえに天使すぎるオレの良心が激ぉこして呵責ってるんだろうか。
オレの良心なのにオレに厳しすぎだろ。全然天使じゃねぇな。
とはいえ、さすがにこのまま何もせず見送るのはどうにも後味が悪いと引きとめようとした時、
「お、おいちょっと待てよっ」
声が、聴こえた。
<< 己の身体を使ってまでした女の子のお願いごとを無下に断った。 マイナス100ポイント >>
<< それによって女の子を泣かせた。 マイナス200ポイント >>
<< これまでの合計マイナス10054ポイント。少々目に余るレベルに達しているため、ここで転換プログラムを起動します >>
男か女かもわからない、それでいて機械的ではなく頭の中に直接響くような声。
こちらの呼びかけに振り向いた緒見坂が、精神異常者でも見るような顔でオレを見つめている。
どうやらコイツには今の声が聞こえていないみたいだ。
発言者、発言元、発言内容、すべてが不透明で、不明瞭。
クソ、頭を悩ませることばかり起きやがる。
「なんだってんだよ一体……」
心の中で舌打ちをしつつ、努めて冷静に情報を整理しようと右手でこめかみを抑えるのと同時に、
世界が、ブレた。
まるでジャミングをかけられた映像データのように。
視界に元の鮮明な風景が戻ってきた時、オレは美少女になっていた。