19話「乳ソムリエかお前は」
「そうかいそうかい。春海ちゃんはまだ17歳か。若ぇなぁ~」
「ええ、まぁ、はい……」
「なんでその若さで冒険者になろうと思ったんじゃ? 冒険者なんぞにならんでも、春海ちゃんくらいの歳なら他にいくらでもやりたいことがあるだろうに」
「それはその、なんというか、成り行きで……」
いやホント、なんでこんなことになったんだろう。
今、自分が置かれている状況の把握が追いつかぬまま死の森に足を踏み入れたオレは死にそうな顔で相槌を打っている。
どうやら早くも死の森がもたらす不思議パワーによって生きる活力を奪われているようだ。
きっとそうに違いない。
「冒険者になってどれくらい経つんじゃ?」
「どれくらいっていうか、昨日ギルドに登録したばかりです」
「なんと。そりゃ正真正銘の素人、いや、新人冒険者というべきか」
「ええ、まぁ、はい……」
「怖がらんでもええ。ベテランのわしがしっかり守ってやる。ついでに冒険者としての手ほどきも色々してやろうかの。ふひひっ」
隣を歩くスケベそうなご老人、クラウドさん(80)。
額から後退した頭に左右に残された白髪。手には杖。
白地に薄く細い青線が入ったストライプシャツを来たベテラン冒険者。
うん。
確かにオレはオレを守ってくれそうな凄腕、いわばベテラン冒険者を所望した。
しかしこれはいささかベテランすぎやしないだろうか。
あまりの年齢差に援助交際カップル通り越して介護交際カップルに見られるレベル。
ここまでくるとカラダ目当てのじーさんというより、遺産目当ての少女という印象が勝つんじゃねぇかな。
色んな意味でオレへの被害がでかすぎる。
今さっきも転ぶフリしてスカートの中覗かれそうになったし。
オレがクラウドさん(80)と運命的な出会いを果たした直後、最初に呼ばれたペアから順に森へ入るよう促された。
イベントの内容は至ってシンプル。
くじ引きで決まった相手と2時間、死の森で行動を共にする。
それだけであった。
それだけであった。
……つまり2時間もの間、この杖をついたジジイと死の森で生き延びろと?
死の森の効果か、頭のなかに走馬灯のように二人の少女の顔が浮かぶ。
緒見坂恋とユウリィ・アクアレリスト・リュートリア。
オレとクラウドさんのペアが誕生した際の彼女らの表情は忘れられない。
すべてを察したような、悟ったような、諦観がにじみ出た寂しげな表情。
緒見坂に至っては敬礼までしていた。
生きて帰ったらとりあえずアイツは一発叩こう。
森に入って十分ほど歩いただろうか。
幸いなことに未だ人喰い植物モンスターとは遭遇していない。
つまり当面の敵は先ほどからオレの胸をただならぬ眼光でガン見しているこのジジイか。
「………………」
食い入るように、何かに取り憑かれたように、歩く度に揺れる二つのふくらみを見つめるクラウド(80)。
完全に視姦である。
完全に遠慮なしである。
そして完全にノーブラである。
やっべぇなぁ。
放置してたノーブラ問題がまさかこんな形で降りかかってくるとは。
とは言っても異世界ですぐにブラジャーとか調達できるわけないし、そもそも金がないからどうしようもなかったんだが。
オレが冷静に状況を整理している間もセーラー服で隠された美乳を凝視し続けるクラウド(80)。
その瞳はさながら少年のような輝き。
ここが現代ならノータイムで通報されて牢屋にぶちこまれてるレベル。
「……なぁ春海ちゃん。仮に、仮にじゃ」
急に立ち止まったクラウドさん(80)に合わせ、オレも立ち止まる。
もしやようやく自分の行いが犯罪だと気づいてくれたのだろうか。
「なんですか?」
振り向き、答える。
声の主は神妙な顔つきをしてこちらを見つめていた。
しわがれた顔と声が醸し出す雰囲気に、少しだけ緊張が走る。
「もし仮に、わしが定期的に女性のおっぱいを触らないと死に絶えてしまう奇病にかかっていたとしたら、どうする?」
「呑気に婚活パーティーに参加している場合じゃないので、今すぐ森を出て病院に連れて行きますかね……」
「ならもし、そんな時間がないほどタイムリミットが迫っているとしたら?」
「いい加減にしろよジジイ……」
はじめて味わう同性からの明確なセクハラに耐えかねつい口調が荒くなる。
このまま速やかに森を出て、このジジイを牢獄か隔離施設にシュートしちゃダメかな……。
なんならトライでもタッチダウンでもホームランでも良い。
異世界なんだから老人ホームの他に老人アウェイくらいあるだろきっと。
「…………ぐっ……」
「は?」
歳の離れた少女からの辛辣な言葉に傷を負ったのか、クラウド(80)は胸を抑え俯いていた。
さすがに懲りたのだろうか。
これで少しは冷静になって脳が理性の存在を思い出してくれればいいんだが。
「良いねぇ……春海ちゃんのその睨んだ目。赤い顔してそんな侮蔑混じりの瞳を向けられると年寄りにはたまらんぜ……」
心底満足そうな下卑た笑いを浮かべながら、80代の性犯罪者予備軍は荒い息をついていた。
おい理性。仕事しろ。
よし、今後このジジイ相手に敬語使う必要ないな。
オレは心の中で固くそう誓った。
* * *
「おっ、春海ちゃん! モンスターじゃ!」
クラウド(80)が威勢よく叫ぶ。
視線の先を追うと歩くハエトリグサのような生物が口をパクパクさせ触手をにゅるにゅるさせていた。
どうやら今度は本当にエンカウントしたらしい。
ちなみにここに来るまでジジイによる「伏せろ! モンスターじゃ!」や「避けろ! モンスターじゃ!」などの故意的な勘違いにより胸や尻を3、4回ほど揉まれた。
いくらオレが男でもいい加減セクハラが無料な状況に殺意が湧いてきたところだったので、ここは是非ともあのモンスターにジジイの討伐を頑張ってもらいたい。
「どうするじーさん? 食われるか? 締め付けられるか?」
「え、なんでわしが一方的にやられるの前提なの」
「自分の胸に聞いてみろよ……」
「どうせ聞くなら春海ちゃんのおっぱいに聞きたいなぁ」
言いながらまたしてもジジイの手がオレのふくらみをくにょくにょと揉んでいた。
甘い刺激が少女になった身体に走る。
腹立たしいことに一連の動作があまりにも自然すぎてガードできない。
「だから触るなって!」
殴るように腕を振るも軽く避けられる。
「うむ。健康的な張りと脳が蕩けそうなやわらかみ。極上の感触だぜ、春海ちゃんのおっぱいは」
先ほどまでオレの胸部をまさぐっていた右手を握り開きしながら、クラウド(80)は慈しみの視線を向けてくる。
乳ソムリエかお前は。
本気であのモンスターとタッグを組んでこのジジイから先に地に返したい。
「まぁそこで見てな春海ちゃん。かつて“銀の剣狼”と呼ばれたわしの実力、見せてやるぜ」
オレがモンスターの方を応援しているなどつゆ知らず、オレより数歩前に出て杖を構えるクラウド(80)。
“銀の剣狼”がなんなのかはわからないが、その姿はなかなか様になっていた。
オレのパンチを幾度と無く交わした身のこなしはただものじゃなかったし、多少は期待していいだろう。
なにより揉むだけ揉んで働かないくそジジイじゃなかったことに少しだけ安堵。
したのも束の間だった。
「がっ…ァッ……………ッ!」
「へ?」
戦闘が始まる前に苦しげな声をあげ硬直するクラウド(80)。
一体なにが起こったというのか。
まさか、植物モンスターによる花粉攻撃?
その原因を突き止めるため、オレはジジイのそばへと急いだ。
「おいどうした! しっかりしろ! 変態ジジイくそジジイ!」
オレはここぞとばかりにジジイをdisった。
が、どうしたことだろうか。
先ほどとは打って変わって罵倒に悦ぶ様子は見られない。
オレの声に答える余裕もないほど荒い息をつき老体を硬直させている。
「ぎ……ギックリ腰……っ」
ギックリ腰。
腰に急な負担がかかることによって起こる。
腰椎がずれ、腰の筋肉が負荷に耐えられなくなりひどい痛みが伴う症状。
その痛みはファイアーボールなどの低級魔法20発分の痛みに相当するという。
※ジジペディアより抜粋。
「ちょ、ちょっと、か、肩貸してくれんか春海ちゃん……ッ」
「もうほんと何で婚活パーティーに参加したんだよアンタ……」
「すまん。すまん春海ちゃん……かつて“銀の剣狼”と呼ばれたわしも歳と性欲には勝て、ん……っ!」
「性欲には勝てよ……」
色々とどうしようもないやるせなせが体中を駆け巡ったが怒るに怒れないオレはクラウド(80・腰痛持ち)を運び、横に寝かせた。
ギックリ腰なら仕方ない。
ギックリ腰なら仕方ないが状況は最悪だった。
なにしろ、これでオレがあのモンスターと戦わなければならなくなったのだから。
「さて、と。マジでどうするかなー……」
視線をジジイから植物へと移すと、ハエトリグサ型モンスターは親切にも未だこちらの様子をうかがっているだけだった。
いっそのこと呆れてどこかに行ってくれていれば良かったのに……。
「春海ちゃん、逃げろ、逃げるんじゃ……わしのことは、構う、な……」
腰からくる激痛でしゃべるのも辛いのか、クラウドさんは息も絶え絶えにオレへと訴えた。
「じーさん……」
「いや、待てよ……逃げずに戦ったら、あの触手でヤられちゃう春海ちゃんが見られるかもしれないのか……」
「わかったからもうホントに寝てろ」
無論、真っ先に逃げることも考えはした。
が、いくら老人とはいえ女の力で人一人を抱えるのは難しいだろう。
仮にできたとしても、決定的に機動力に欠ける。
追いつかれて背後からやられるのがオチだ。
なら、残された選択肢はひとつ。
戦って、アイツを倒すしかない。
性根の腐ったオレだが、倒れた老人を見捨てるという選択肢は持ち合わせていなかった。
「オープン、電子魔導書」
己を鼓舞する意味も込めて、少し気取った台詞混じりに電子魔導書を呼び出す。
真正面から対峙してあらためてわかる人間サイズのモンスターから受ける威圧感、圧迫感。
サイレント・オークの時とはわけが違う。
あの時は悠璃と緒見坂がいたが、今はオレひとりしかいない。
正真正銘、異世界にきてから初めてやる命のやりとり。
赤いショートカットからのぞく細い首筋に嫌な汗が流れる。
ふわっとふくらんだ二つのふくらみの奥では心臓がドクドク鳴っている。
セーラースカートから伸びる弱々しい足は、もしかすると震えているかもしれない。
だがそれでもやるしかない。
今この場面で戦えるのは、後ろで横たわる老体を守れるのはオレしかいないのだから。
慣れ親しんだ元の身体ならまだしも、今の少女の身体でどれほど戦えるのかはわからない。
わからないが、闘うための力は持っている。
この世界で得た電子魔導書と、
生まれた時から持っていた、HeDDに宿る魔法を。
「再起動」
以前、緒見坂が固有魔法を使った時と同様に、その命令文を唱える。
次いでオレは、オレだけが持つ魔法の名を口にした。
緒見坂に見抜かれ、悠璃に問われたその魔法の名を。
「虹色の脅威<セブンス・メナス>――ッ!」