17話「君たちって恋人関係なんでしょ?」
扉を閉め、ワインレッドの絨毯が敷き詰められた廊下へと出る。
時間が時間だけあって人影はほとんどない。
帳が降りた夜の静けさと、天井に等間隔で設置された人工的な灯りがやわらかくあたりを包んでいるだけだった。
「今さらなんだが、迷惑じゃなかったか?」
ずらっと両サイドに部屋部屋が並ぶ通路を並んで歩きながら、オレは悠璃に問いかける。
「? なんのこと?」
「いや、その、なんだ。勝手に婚約パーティーに参加させるつもりで行動しちまったからさ」
「ああなんだ。そんなこと」
隣を歩く悠璃は視線をオレから前へと移すと優しい声で答えた。
「嫌などころか少し感謝しているくらいだわ。君たちがいなかったらきっと私はイベントに参加できず、またお兄様に詰られていただろうから」
深夜帯だから弱めに調節されている照明に照らされ、金髪のポニーテールが揺れる。
苦笑いを浮かべながら話す悠璃は寂しさと悔しさが滲んでいるようだった。
悠璃の兄でありリュートリア王家の第一王子、ケーニヒス・シュトゥール・リュートリア。
一体どんな人物なんだろうか。
「それにしても不思議ね」
「なにが?」
今度はオレが悠璃に聞き返す。
「だってそうでしょう? 君たちは今日出会ったばかりの私のために、こんな夜遅くまで頑張ってるんだから」
「護衛が護衛対象のために必死になるのは別におかしなことじゃないだろ。それに頑張ってんのは緒見坂一人だ。オレはただ付き合ってるだけだよ」
事実、緒見坂がいなかったら婚活パーティーに参加しようとは思わなかっただろう。
ギルドに登録することもなければ、そもそもこの世界を訪れることすらなかっただろう。
「……恋はすごいわ。皮肉じゃなく、ああいう風に感情に任せた思い切りの良い行動は私には真似できない」
尊敬や憧れすら入り混じったような口調で悠璃はつぶやいた。
彼女が言っていることは痛いほどわかる。
緒見坂の行動力への称賛も、自分は決してああはなれないという部分も
オレほど極端ではないだろうが、おそらくは悠璃も理詰めで考えるタイプだ。
物事において真っ先に全体の作業量と優先順位付けを行い、自分の能力や様々な要素に基づきそれを行うことのリスク計算と損得勘定を行い実現可能か、現実的かを見極める。
悠璃のことだ。婚活パーティーの件だって緒見坂が提示する前に参加する選択を一考しただろう。
だが開催日が明日なことや、自分自身の立場や能力から参加するわけにはいかないという結論をだしたのだ。
「ねぇ、深町くん。ちょうど二人きりだし、この際だから聞いても良い?」
「クラスに好きな子とか、いない、の? とか聞くなよ」
「もう生徒会長の話はいいわよ……」
こちらをジト目で睨みつける悠璃。
「その割にはまだポニーテールのままなんだが」
「こ、これは、その……ちょっと気に入っちゃったのよ。悪い?」
「いや別に……」
むしろ似合いすぎてて良いまである。
シニヨン、ポニーテール、そのままおろしたストレートロング。
全部可愛いってどういうことだよマジで。なんなのこの第三王女。
オレからの指摘に顔を赤くしていたユーリはコホンと咳払いし、仕切り直す。
「聞きたいのは恋のことよ」
「緒見坂のこと?」
「ええ。深町くんを男に戻すために必要な要素に『恋愛』『ハーレム』ってあったでしょ?」
「ああ。あったな」
「あれの相手って恋じゃ駄目なの? 君たちって恋人関係なんでしょ?」
「………………なんでそうなるんだ」
あまりにも不意打ちすぎて返答に窮してしまった。
そうか、中途半端に事情を知る人間からはそう見えてしまうのか。
確かに偽装結婚というか義理の恋人関係築いているからその印象は間違いではないんだが、勘違いは払拭しておいたほうがいいだろう。
「あのな、オレとアイツはただの先輩と後輩で、別にそういう羨ましい関係ではねーよ」
「え、違うの? 二人のやりとりを見ているとすごく息があってて、私が入っていけない時があるからてっきりそうだと……」
「恋人がいるなら護身の話なんてしないし、そもそも『恋愛』や『ハーレム』が必修項目になったりしないだろ……」
「……じゃあ、何で二人で行動してるの?」
悠璃が疑問と不審を織り交ぜた視線をオレへと送り、足を止める。
ちょうど売店があるロビーへと差し掛かったところだった。
ここで悠璃に全ての事情を話してしまうのは簡単だが、それでは緒見坂のプライバシーに触れてしまう。
緒見坂自身が悠璃にその話をしていないことから考えるに、許嫁や家の問題はきっとアイツの中でデリケートな部分なんだろう。
普段はあんな感じの緒見坂にだって知られたくないことや触れられたくないことはある。
ならばオレの口から事細かに話すのはやめとくべきだ。悠璃には悪いが。
それに、言い方はいくらでもある。
「オレが男に戻るために行動しているのと一緒で、アイツにはアイツで目的があるってだけだ。別に深い意味はねーよ」
「ふぅん。目的、ね」
その言い方でオレの思考を察したのか、悠璃は目的の詳細について聞こうとはしない。
売店に並べられた飲料類の中からテキパキと人数分を取り、会計を行う。
意外か当然か、買った商品はスーパーやコンビニで見かけるビニール袋ではなく、木製の買い物カゴに入れられていた。
旅館の名前が書かれたその買い物カゴを悠璃の手から受け取ると、静かにオレたちは部屋へと歩き出す。
なぜ、緒見坂はオレを選び異世界でまで行動を共にしているのか。
この旅館に来た時にも同じことを考えた。
緒見坂には緒見坂の目的がある。
悠璃にはそう言ったものの、その目的、オレを義理の恋人にして許嫁との結婚を避けるというのは既にその優位性を失っている気がしてならない。
となれば、緒見坂にはオレも知らない別の目的があると考えるのが自然だ。
結局のところ、オレも悠璃にちゃんと説明できるほど緒見坂について知らないのだ。
オレがそんなことを考えながら歩いていたせいもあってか、行きとは打って変わって帰り道は無言が続いていた。
ま、あって間もない緒見坂や悠璃とオレとの距離感はこんなもんか。
「深町くん」
もうすぐ部屋へとたどりつきそうな地点までやってきた時、不意に悠璃が立ち止まり、声をかける。
オレも足を止め振り返った。
「君が何を考えているのか、そして恋の目的がなんなのか、それは私にはわからない。でも君はやっぱり恋を相手に『恋愛』『ハーレム』を目指すべきよ」
「いや、だから――……」
「理由は簡単」
またその話題かと反論しようするオレを遮り、悠璃はニッと笑って言葉を紡ぐ。
「好きでもない相手とあんなに楽しそうに笑いながら旅することはできないわ。どんな目的があろうとね。きっと恋は、君が好きなのよ」
いつしか全ての事象には明確な根拠や理由が存在するものだと決めつけていた。
人の行動を全て理屈やロジックで考えるようになっていた。
自分自身を守るため、他人との接触を必要最低限にまで狭めていた。
そのせいだろう。
“好きだから”“やりたいから”“興味があるから”
ただそれだけの単純な感情で。
誰しもが持つ人情や好奇心で。
人間はいくらでも行動する、行動できるということを、オレはいつの間にか忘れていた。
「さ、帰りましょう」
話すだけ話すと悠璃はオレを追い越し部屋への歩みを進めていく。
彼女の言う“好き”はもちろん“Love”ではなく“Like”の方の意味合いなんだろう。
だけどそれで十分だった。
変に捻くれ、練り固まっていたオレの頭の中を晴らすには。
悠璃を追ってオレも歩き出す。
あまりにも当たり前のことを失念していた恥ずかしさと、身近な女の子に好意的に思われているという客観的事実に、不覚にも口元がに緩みそうだった。
「……ま、理屈は通ってるしお前の言うことも一理あるかもな」
またしても変な強がりを言い、オレは平静を保とうとする。
「素直じゃないわね」
「お前にはあんまり言われたくないなそれ……」
仮に緒見坂に別の目的があったとしても、それはそれで構わない。
悠璃の印象どおり、緒見坂がオレと一緒にいて楽しいように、いつの間にかオレもアイツと一緒にいて楽しいと感じるようになっていると気付いてしまったから。
部屋に戻ると話題の張本人であるゆるふわ髪のしたたかな後輩は、ノートをベッドに広げたまま、幼気な寝顔を見せていた。