49 ニートタクティクスの歴史
最強の名を欲しいがままにした伝説の兵法家、孫子。
孫子が残したという、幻の兵法術を受け継ぐ種族がいた。
強大な力を持つ彼らは、決して歴史の表舞台には現れない。
世界を裏舞台から支え、常に時代を正しい方向へと導いてきた。
奴等は圧倒的な力を内に秘めているというのに、どういうわけか闇を好み、人知れず息を潜め、時に草の根をかじりながら生きていた。そして常に裏舞台に身を置き、時代に必要とされてきた圧倒的存在であった。
そして時は流れる。
いつしか奴らの噂を耳にしなくなった。
そんな頃だった――
よく似た種族が湧いて出てきた。
奴らは、孫子の兵法を自然体のまま日夜問わず実践している。
奴等は圧倒的な力を内に秘めていると勘違いをしているのに、闇を好み、人知れず息を潜め、時に親の脛などかじりながら生きている。そして常に裏舞台に身を置き、時代に不要とされてきた微妙な存在であった。
奴らの名をニートという。
クリスタルドラゴンを倒した俺に、伊藤さんは静かに語ってくれた。
「お分かりいただけましたか?
ニートとは、つまり封じられた最強のタクティクスなのです」
いいえ。
まったく。
だが俺は、その後、次々と実践を重ね、最後には龍族最強の流星号という怪物にニートタクティクスで挑み、圧勝したのだ。
孫子の兵法書、軍争篇の一節にある、わりと有名な和風ソードマンの武田氏も使ったと言われている『風林火山』も、ニートタクティクスで代用できてしまった。
無敵の四大要素。
風林火山。
それは――
疾風のように行動するかと思えば
林のように静まりかえり
烈火の勢いで襲撃するかと思えば
泰山のように微動だにしない。
暗夜ひそかに行動するかと思えば
雷鳴のようにとどろき渡る。
まさにニートの日々であった。
親が階段を上がってくる事を察知する速度は、まさに迅速なる風だ。
例えさっきまでベッドで漫画を読んでいても、親が部屋に入ったと同時に疾風の如く押入れに身を隠す。
押入れの中に隠れれば、林のように静まり返り、親が去れば烈火の如く行動を再開する。
たとえ働いてくれと親が泣こうとも、泰山のように微動だにしない。
暗夜ひそかに行動するかと思えば、雷鳴のようにとどろき渡る。
ニートの日常は、すなわち風林火山そのものである。
シューティングスターを、ニート奥義――風林火山で倒した俺とお姫様は、「あれ、伊藤さんは?」と辺りをキョロキョロした。
伊藤さんは、小高い岩山に座っていた。
「どうして最強の兵法術を手にした種族は滅んだと思いますか?」
え?
いきなり問答ですか?
「えーと……。それは欲望に負けて、自分勝手に悪い事を始めたからではないのですか?」
俺は漫画でよくありそうな解答を述べたが、伊藤さんは首を横に振った。
「悪帝でも勝てば時代を支配できます。そして黒い歴史を白に塗り替えて、堂々と君臨し続けることだってできます。
それが歴史の常。
実は、孫子の兵法には致命的な弱点があります」
「弱点?」
「はい。そうです。
圧倒的、致命傷です。
兵法はあくまで敵ありき。相手を倒すこと前提に作られています」
伊藤さんは何を言っているのだろう。
敵を倒さない兵法なんて、なんの意味があるんだろう?
「では、これから戦術指南上級編に突入します。
もしこの弱点に気付かなければ、おそらく破滅することになるでしょう。
ですがこれを乗り越えたら、あなたは向かうところ敵なしの完全無欠なニートになれます。どうされますか?」
どうもこうも、たった1日で俺はレベル75になれたんだ。
もはやフロイダなんて敵じゃねぇ。きっとカルディアとだって、正々堂々と正面衝突をしても倒せる気がする。
カノンさんを救出することだって、クリスタルドラゴンやシューティングスターを倒した今の俺にならできるはずだ。
俺の目的は2000万ゴールド稼ぐことだけど、もうその必要がない。
だって、これだけの力を手にしたんだ。
何とでもなる。
極論、闇金の奴等をぶったたけばいいだけだ。
そもそも、いくらなんでも薬が2000万ゴールドのはずがない。
あまりにも法外すぎる。
きっと金利が膨れ上がっただけだ。
だったら闇金の連中へ力づくで示談に持ち込めば、この戦いはフィニッシュを迎える。
だから、これ以上無理をして、試練を受ける必要なんてないだろう。
「伊藤さん、ありがとうございます。俺……闇金の連中に話し合いを……」
その時だった。
さっきまでポーカーフェイスだった伊藤さんの表情が、冷たく変わった。静かだったはずの夜空は、いつの間にか雷鳴がとどろいている。
「いいのですか?
このままだと、あなたはニートの腕輪に心を奪われてしまいますよ」
ニートの腕輪。
いつもお小遣いをチラつかせて誘惑ばかりしてくるちょっとおちゃめなアイテムだ。
そんな腕輪に心が奪われるって、それは一体どういう意味なんだ!?
伊藤さんのその言葉で、ニートの腕輪が不気味に輝いたように思えた。
なんとも言えない恐怖感に襲われる。
「これからあなたが駒を進めていけば、あなたがいずれ戦うでしょう運命のラスボスは、あなたが一番戦いたくない相手になりますよ。
あなたが最後に戦う相手。
それは今まで出会った如何なる敵よりも、強大でかつ尊大です」
「どこのどいつです!? 俺のレベルは75。そしてニートタクティクスもあります。簡単には負けませんよ」
「どうでしょうか?
ニートタクティクスなど、弱点を突けば、なんとももろいものです」
「ど、どうしてですか!?」
「あまりにも相手が悪いからです」
「だから誰ですか?」
「……檻の中のジャンヌダルク」
――カノンさん……
ど、どうして彼女と戦う必要があるってんだ?
カノンさんは、俺が最も尊敬している人だ。
綺麗で気品もあり、弱者の味方で、老人をかばって鞭で打たれても、いつも笑顔で……そんな彼女は目が見えないんだ。
なのに、どうして!?
てか、伊藤さんは何を言っているんだ!?
「伊藤さん、悪い冗談なんてよしてよ! いくら俺でも、さすがに怒りますよ」
「そう。
全てを知れば、あなたは奮起するでしょう。
それだけでは済まされない。
如何なる汚い言葉を吐いても、その絶望を飲み込む事ができず、そしてニートの腕輪に心を奪われる。
だからあなたは次の試練を乗り越えなければなりません」
「伊藤さんが何を言おうとしているのかさっぱり分かりません。とにかく俺はどうしたらいいんですか!?」
「次の試練。
それは、お姫様の願いを受け入れることです」
「だったら簡単だよ。
だって彼女は俺の従業員だ。
従業員の幸せを叶えるのは、雇用主の務めだ」
「果たしてそうでしょうか?
お姫様の正体を知って、本当に同じセリフが言えるでしょうか?」
さっきから伊藤さんは何を言っているんだ。
お姫様も急に黙り込んで。
どうしちまったんだ。
ぽとり。
最初の雨が鼻梁を濡らした。
俺は優しく聞いた。
「リディス王女。
あんたの願いってなんだ?」
「……
もういいの」
もういい?
「フロイダ様のことなんて、もうどうだっていい!!」
「いいって?」
「……だって、私はフロイダ様にかけられた呪いを解きにきたの……。本当は呪いを解いてあげたい……。で、でも……」
フロイダに呪いなんてかけられていない。
あいつは素で腐っている。
だけど、どうしたのだろう。
お姫様の顔が透けている。
気のせい……なのか……??
いや、どうもさっきから時折、お姫様の後ろの景色が見えているような気がした。
目の錯覚かと思っていたが、どうもそうでもないようだ。
伊藤さんは静かに告げた。
「だから言ったでしょう。
お姫様は自宅に帰ったら、消されてしまいます、と。
こちらの世界にいる意味が無ければ、帰るしかありませんから」
「それはどういうことなんだよ!」
「言葉の通りです。
それがあなたの次なる試練です。
こうなることは分かっていました。
だから1万ゴールドを手にするように、あらかじめ予告しておきました。
それ相応の価値の物をたった数日で手にするには、お姫様があちらの世界から持ってきたエクイアルサファイアを取り戻すしかありません。
エクイアルサファイアは、月刊誌『スタイリッシュガールズ4月号』で登場したはずなのに、どういう訳かそれが収録されたコミック『スタイリッシュ悪役令嬢の逆襲、第24巻』で姿を消しています。
ご存知でしょうか?
リディス王女という、たった3コマしか登場しなかったサブサブサブサブサブヒロインのことを」
あ。
いた!
こんな顔の王女だった。
「フロイダ氏は、人気投票で唯一彼女に票を入れた『スタイリッシュ悪役令嬢の逆襲』の熱烈なるファン。巻末にあるファンレターには、いつも彼の名前がございましたから、しっかりと記憶しております」
リディス王女は、漫画の世界の住人だった……
そうなのか……
だから彼女の故郷には、祭りもイベントもないのか。
作者は脇役の故郷のイベントまで作り込まないもんな。
……でも
だから、あれほどヒロインの座に固執していたのか……
「で、でも……百歩譲って、漫画の住人が、どうやってこっちの世界にやってきたんだよ!」
「自分に票を入れてくれた読者に会いたい一心で、こちらにやってきたのでしょう。事故で死んだだけで異世界や漫画やゲームの世界に迷い込む話題が多い昨今、あまり珍しい現象ではないと思いますが。
少なくともひのきの棒のジョイントに比べて、発生率はまぁまぁ高い気がします」
……もう訳が分からんが、なんか、妙な説得力がある。
こんな理論で俺は納得してもいいのだろうか。
だがお姫様がこちらの世界に来た理由。
それはフロイダにかけられた呪いを解き、目覚めさせたい。
お姫様は、そう言っているのか?
だけどそいつは無理だ。
だってフロイダには、呪いなんてかけられていないじゃないか。
「フロイダ様は可哀そうな呪いがかけられています」
「だったら本人から聞いただろ。あれは呪いじゃない。言いたかないが、あれが奴の本心なんだよ」
「いえ、恐ろしい呪いがかけられています。
フロイダ様にかけられた呪い。
それは、他人を騙してでも自分さえよければいいと思えてしまう呪縛に憑りつかれていること。だから私は、その呪いを解いてあげたい。優しい心へと目覚めさせてあげたい」
お姫様は泣いていた。
自分に一票を入れた憧れの王子が、実は正真正銘のクズだった。
だけどそいつを更生してあげたいって涙ながらに言っている。
俺はどうしたらいいんだよ!
あんな奴なんて、どうなろうが知ったことじゃない。
むしろ逆だ。
地獄の底に落とすべきだ。
俺は伊藤さんを見上げた。
答えを求めているのかもしれない。
だけど伊藤さんは残酷な一言を投げかけてきた。
「あなたはニートです。
ニートとは、世の中に不要とされてきた存在です」
そんなこと、分かっているよ。
伊藤さんまで何を言い出すんだよ。
「先程お話しした孫子の弟子は、圧倒的力を持ち、世の中に必要な存在とされていました」
……そりゃそうだろう。
あっちは本物。俺は偽物。
「彼らはいつしか世の中から消えていきました」
それはさっきも聞いたよ。
「実は違うのです。
その圧倒的強大な力を恐れられ、二つのパワーを奪われたのです。
一つは夢、もう一つは勇気。
孫子の兵法を受け継ぐ、時代に必要とされてきた種族。
彼らをニードと呼びます。
その存在を恐れた時の支配者は、ニードから夢と勇気を奪い、無気力にしました。
それがニートなのです。
ニードから二つの力を取り除けば、ニートとなるのです。
そしてエリック様。
キングオブニートの力を持つあなたは、紛れもなく孫子の正当なる後継者。
あなたは決してニートのカシラなどではありません。
時代に必要とされる真の王者なのです。
あなたが夢と勇気を取り戻したとき、ニートのしがらみを打ち砕けます」
半透明になったお姫様の手を取ったのは言うまでもない。
不要(NEET)が夢と勇気を持てば、孫子の正当継承者、絶対無敵・圧倒的必要(NEED)な存在になれると言ってくれた。
いいさ。
分かったよ。
こちとら、腐ったニートに忘れ去られたシンデレラだ。
そんな二人だからこそできるって言ってくれたのだから、なんだってやってやるさ。
どうしようもないあの野郎を、俺達が救ってやる。




