39 遊び人のエリック
今回のお話はエリックの視点です。
喧騒で溢れ返るカジノ。
カジノ独特なリズミカルなピアノの旋律は、今の俺にとっては腹立たしいだけの何ものでもない。
カジノで遊んだ奴は、ビールがタダで飲める。
腹いせにバニーガールからジョッキを奪い取り、一気飲みをしてルーレットの台をガンと叩いた。
今日も負けたのだ。
全部すった。
働いていないのに全財産失った。
俺は本職ニート。
本気を出せばいつでも勇者にでも賢者にでもなれる。
俺には才能がある気がする。
今日は負けたが、たいした勉強をしていないのにカジノで勝率はいい方だ。
俺は天才だ。
凡人には負けないスキルがあると思う。
いつか頑張ろう。
そう言い訳をしながら、俺は安い酒とくだらない博打で大切な時間をダラダラと過ごしていた。心の奥では分かっていたのかもしれないが、それを言うと、自分のすべてを否定してしまいそうで怖かった。
俺はすげぇ奴だと虚勢を張って、毎日のようにカジノへ入り浸っているニート。
*
俺の自宅は貧乏長屋。
世間でいう負け犬の檻らしいが、寝られればどこだってかまわない。
だって今の俺はかりそめの姿だからだ。
本気を出せば、俺はすごい奴になれると信じている。
自宅に帰った俺に、おふくろがニコニコ話しかけてくる。
「職は見つかったかい?」
親父はまじめな役人だったらしいが、その昔、重装兵団とかいう軍隊の指揮するエルフ狩りに反対をして惨殺された。
その罪で家も財産もすべて没収され、俺はおふくろに育てられた。
おふくろは今年で55歳になる。
おふくろは文句ひとつ言わないで内職をしている。
親父のせいでこうなった。
親父が国の偉い人に文句を言わなければ、俺も親父のようにエリートコースへ進めたに違いない。
俺は天才だ。
両親がしっかりしていれば、今頃俺は勇者か賢者だったに違いない。
家が貧乏で、俺はまともに勉強させてもらえなかった。
そんな俺に就職させて稼ぎを家に入れて貰おうなどと、なんてふざけたやつなんだ。
白髪交じりのおふくろを俺は憎んでいた。
この時の俺は、本気でそう思っていた。
そんな俺の腕にはレアアイテムがある。
『ニートの腕輪』という、ニートなら誰でも絶対欲しがるすごいアイテムだ。
あまり知られていないが、天下一ニート選手権という超マイナーな大会がある。
もちろんおふくろには内緒で出場した。
俺はトップで予選を突破してシード権を獲得し、最強ニートの名声を欲しいがままにした。
これは呪いのアイテムのようで、はめたら最後、外すことができないみたいなのだが、その効果はとにかくすごかった。
だから俺は迷わずはめた。
どういうことかと言うと、働いたら激しい動悸が起こり、最後には吐血して死ぬというペナルティーがあるものの、ニートに必要な神の加護があるのだ。
たとえば腕輪をしていると毎日3ゴールドから10ゴールドくらい拾える。多い日になるとゆうに100ゴールドを超える。それは修行を積んだ和風僧侶のスキル『托鉢』を軽く超える。努力なしでゴールドを入手できるのだ。
それを元手にカジノで増やしている。
おふくろは金を家に入れて欲しいのだろう。
俺に就職するように言うが、無視を貫いた。
カジノで勝つと、遊び仲間と派手に豪遊した。
だから金が手元に残ることはなかった。
俺は気づき始めていた。
きっと俺はクズなのかもしれない。底辺と呼ばれる人種なのかもしれない。
何かを生み出す訳ではない。
でも、もういいんだ。
だって俺は誰にも迷惑をかけていない。
親父はエルフ軍討伐を拒否して、処刑された。
家族以外のたくさんの者達にだって迷惑をかけてきた。
それに比べたらマシだ。
それに俺は、ニートの腕輪から金がもらえる。
今日もニートの腕輪の加護で、散歩中に5ゴールドを拾い、それを元手にカジノで勝負した。
*
この日はどういう訳か派手に勝ち、懐が温かくなった。いつもなら頑張った俺へのご褒美で消えるのだが、たまにはおふくろを喜ばそうと思った。
だが、白髪のおふくろの顔を思い出した途端、その考えをキャンセルした。
だって、おふくろは朝から晩まで働いているのだ。
それなりに金を持っていると思う。
なのに俺に小遣いをくれない。
家賃や飯代に消えているのだろうが、俺は学校に行っていない。
学費がかかっていないのだから、少しくらい小遣いをくれてもよさそうなもんだ。
家に帰ると、強面の見知らぬおじさんがいた。
「おい、いつになったら金を返すんだ!?」
おふくろは金を貯めていたはずだ。
なのに借金までしていたのか。
どうしようもないな。
その時の俺はマジでそう思っていた。
「必ず返します。だから待ってください」
「この前もそう言ったよな! 俺たちは慈善団体じゃねぇんだ! 期日を守れないんだったら、出るところに出たっていいんだぜ?
――あ、お前」
男は俺の顔を見て、ニカリと笑った。
「お前、エリックだろ?
大きくなったな」
どうして俺の名前を知っているんだ?
「大きくなったんだから、そろそろ母ちゃんの手伝いしなくちゃな。
お前には母ちゃんの借金を返す義務があるんだよ」
この人は何を言っているんだ?
おふくろはうつむいたままだ。
「お前の母ちゃんはな、まだ幼いお前の病を治すために高額の薬がどうしても必要だった」
え?
そんなの聞いてない……
「でもこんな貧乏人に誰が金を貸すっていうんだ。だから俺達のようなアウトローに借りるしかなかったんだ。ククク。どうしてもお前に知られたくなかったようでな。
だけどお前の母ちゃんは、どうやら体を壊してな」
おふくろ……
病気だったのか!?
ど、どうして俺に何も言ってくれなかったんだ!?
……そっか。
言える訳ないよな。
だって俺はクソの生き方しかできないニート。
おふくろは、俺の為に薬を買って、こんなクソのような俺を育ててくれた。
そんな俺には、ニートの腕輪がある。
毎日、それなりの金が入ってくる。
「……あ、あのぉ。
俺、返します!」
「ほぉ、ただのクソニートと思っていたが、わりと根性あるじゃねぇか。
じゃぁ、これ借用書。
続きはおたくが返してね」
俺は唖然とした。
借金額は、なんと2千万ゴールドもあるのだ。
ニートの腕輪でなんとかなる金額を遥かに超えている。
「……エリック。
大丈夫よ。
お前が手伝ってくれると言ってくれただけで、ゴホン……、ゴホン……」
バカな俺にだって分かる。
その咳の仕方。
ただの風邪ではない。
俺は目の奥が熱くなった。
全力で働いて何とかしてぇ。
だけど俺の腕にはニートの腕輪があるのだ。
ガチで働いたら死んでしまう。
おふくろをこんな体にしてしまったのは、愚かな俺だ。
おふくろの髪をあんなに白くしてしまったのは俺だ。
すべて俺だ。
俺がもっとしっかりしていれば……
そんな俺にごろつき共はとんでもないことを言ってきた。
「でもどうせ返せないんだろ? 分かっているから、お前の母ちゃんは連れて行くね。ババアでも買ってくれる人身売買屋があるからさ」
「待てよ!
ふざけたこと言うなよ!
俺が返すって言ってんだろ!」
ニートの腕輪の呪いで、働いたら吐血する。
でもやるしかない。
この身が砕け散ろうが、俺が働くしかない。
俺の目からはとめどなく涙が流れていた。
自分が情けない。
こんなになるまで、母の苦悩が分からなかったなんて。
俺は死んでもいい。
母さんだけは!
ここまで苦労をかけちまった母さんだけは、何としてもこれ以上不幸にするわけにはいかない。
心配する母に、「なぁに、俺が死にもの狂いで働けばいいだけさ」と笑顔を作って言った。
「お取込み中、申し訳ございません」
こんなむさ苦しい長屋にあまりにも似合わない清潔感あるシャキッとしたスーツを着こなした男やってきた。
見たことがある。
伊藤という名の武器屋のオーナーだ。
俺は昔、彼の店からひのきの棒を買ったことがある。
その頃はまだ俺は純粋だったのかもしれない。
アルバイトで手にしたお金で母に何かプレゼントをしようとしていた。ふと何気なく孫の手がいいかなと思った。でも、どうも気に入ったサイズがなかった。
そんな折に通りがかったのが、彼の店だ。
「エリック様。その節はひのきの棒をお買い上げくださいましてありがとうございました」
「あ……。あぁ……」
「エリック様にひのきの棒のご使用方法をお伝えしようと思いましたが、そんなの分かるよと告げて出ていかれました。その後、気になっておりました」
「……あ、まぁ……。
ひのきの棒なんて、使い方を聞くまでもない。
それよか見て分かるように、悪いけど取り込み中なんだ」
「はい。
あなたは借金に困られているご様子。
そこの借金取りのお方」
「なんだ?」
「返済を一年待っていただけませんでしょうか?」
「は? バカ言っちゃぁなんねぇぞ! 一年待ってどうなる? どうせ、こいつ、逃げるに決まっている。だったら母親は変態に、小僧はマグロ船に売った方が得だろ。俺達は商売でやっているんだ。あんたも商売人なら分かるだろ? 人情より損得だ」
「はい。
わたくしも商人。
損得でしか動きません。
だから言っております。
一年待った方がお得です。
彼はニートから人望熱き大社長へと転身を遂げ、圧倒的な財力を身に付けるでしょう。
わたくしが保障します」
「は?
おめぇバカか?
こいつ自分がクソのクセに世間のせいにするダメダメニートなんだぜ?
一年かそこらで何ができるんだ?」
伊藤さんの男気は分かりました。
正直うれしいです。
でも、ここは情で動いてどうなるものでもありません。
そりゃ、俺だって頑張りたい。
なんとかしたい。
でも……
俺……
母親の愛情すら気付けずにいた、ただのクソニート。
もう終わっている……
それなのに伊藤さんは涼しい顔のままなのです。
男からすれば、俺が逃げたら伊藤さんから取り立てればいいだけの話。まぁいっか、と言ってこの場を後にしました。
伊藤さんは分かっていません。
俺にはニートの腕輪があるのです。
働いたら、その呪いで死ぬのです。
抜本的に返済なんて無理です。
「あの……
俺……
実は……」
「なるほど、ニートタクティクス、働いたら死ぬ編ですか……
なにも問題ございません。
あなたが持っている腕輪なんて、所詮ただの飾り。
人は変われるのです。
呪いなどその気になれば、打ち破れるのです。
実はわたくし、先日、すばらしい女性と出会ったのです。
かつて彼女は自分を勇者だと偽り、悪事の限りを尽くしてきました。
そんな彼女は投獄され、今は囚人として罪を償っています。
それが今では、最後の天使、生まれ変わったジャンヌダルクと呼ばれ、多くの人たちに希望を与えているのですから。
彼女は通称、快適勇者タクティクスという自分さえよければいいという自分勝手な女の子でした。
ですが、ある日を境に彼女は変わりました。
彼女は収容所の中にいます。
でも、どうしても気になり、役人の許可をとり塀の外から彼女の様子を見させていただきました。
わたくしは正直、感銘を覚えました。
彼女とはかつて一度、とあるパーティの戦術指南中に出会ったくらいです。
その時はあまりいい印象を受けませんでした。
ですが、彼女は生まれ変わったのです。
わたくしも投獄された経験がありますから分かりますが、正直、収容所の中は凄惨なものです。
罪人だから仕方ないという方もいますが、彼女はこう断言しました。
それもムチで叩かれていた老いた罪人をかばうように、彼の体に覆いかぶさり、役人からムチを浴びながらです。
彼女は女性。
それもレベルはたったの3。
ムチの破壊力で、皮膚は破け、血が飛び散っていました。
それでも彼女は、懸命に真正面に役人の目を見て言ったのです。
一字一句覚えています。
――予は弱い。そなたが本気でムチを打てば、予は気を失うだろう。こんな体になったから初めて分かった。
予は人が好きだ。
いや、好きになった。
とある者に感化され、予は人の心を知った。
わたくしには分かります。
少女は今まで持っていたプライドという厚い殻を破り捨てたということが。
でも少女から発する言葉には、今までにない覇気を感じました。
変に聞こえるかもしれませんが、そのセリフを言ったときの少女の顔をとても美しく感じました。
今まではいつも誰かを軽視していたまなざしでした。
ですが、今ではそれがまったくありません。
おそらく彼女の言葉にでてきた、『とある者』の影響なのでしょう。
その者をわたくしは知っております。
詳しくは言えませんが、彼はとある異世界の住人。
わたくしを参謀にしたくて、ことある度に近づいてきました。
とあるきっかけで撤去作業に従事し、彼女を救い、彼女の心を変えたのだと思います。
彼は自分のことを予と呼んでいました。
だから彼女の彼をまねて、自らを予と呼んでいるのでしょう。
ムチを持った兵士を前にして、彼女の感動の熱弁は続きました。
――予は知った。
深い英知を持つ人とて、まだ完璧ではないということを。
その心に光と闇を宿している。
この収容所はまさに闇。
この檻に入れられた者は、確かに罪を犯しただろう。
だがその罪を許し、再生する為にこの施設があるのではないのか?
お前たちは、どういう気持ちでこの無力な老人にムチを浴びせたのだ。
ただ、自分たちが気持ちいからではないのか?
そのようなことをして喜ぶのは、古い世代の魔界の怪物のみで十分。
今、世界は変わろうとしているのだ。
この老人は罪を犯した。
もちろん予も。
そして、そなたもだ。
だから一緒に変わろう。
世界が一つにつながる日を目指そうではないか――
かつては自分の欲の為にのみ歩いてきた少女だったのです。
とても彼女の言葉には聞こえませんでした。
でも彼女は言い切ったのです。
その日は監守にムチで叩かれました。
白い肌には、無数の赤い線が生まれていました。
それは凄惨なものでした。
彼女はうめき声ひとつ立てず、じっと我慢しました。
ですが翌日、その男は彼女にムチを差出して、自分を叩いて欲しいと涙ながらに言ったのです。
その時彼女がとった行動は、わたくしを驚かせました。
監守の手を取り「ありがとう。予の声に耳を傾けてくれて。だから人は好きなんだ」と言ったらしいのです。
わたくしは深い感動を覚えました。
彼女の名はカノン。
かつて多くの者をたぶらかしてきた悪女でした。
そんな彼女は、今では檻の中のジャンヌダルクと呼ばれています。
だから人は変われます。
エリック様。
だからあなたは、ニートという冷たい監獄の中で戦うジャンヌです」
伊藤さんの話に出てきた檻の中のジャンヌダルクはすごい女性だと思いました。
どんな局面に陥っても、人は輝ける。
信念を貫ける。
檻の中のジャンヌとあざなされる鋼の少女カノンさんは、そう言っているのだと思います。




