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35 激突 善悪のタクティクス4

 ゴンザの指先が、シュバルツァーさんからあたしへと切り替わる。


「動くなと言ったはずだ!」


「待て! いつ俺が動いた!?」


「てめぇは息をした。そしてしゃべった。約束を破った報いだ!」



 ゴンザの指先から炎が放たれた。

 それはあたしに一直線に向かってくる。

 あたしはほんの数センチも、足をあげることすらできない。

 

 動けよ! 動け、この体!


「え?」

 

 目の前にシュバルツァーさんがいるのです。

 あたしをかばうように立っています。



 二重詠唱が間に合わなかったの?

 背中が焼け、黒い煙が上がっている。



「ど、どうして? シュバルツァーさん!?」


「ふ……。野郎の攻撃などよけるまでもなかっただけさ……」



 さっきまでとは様子が違う。

 明らかに大ダメージのようだ。

 片膝を落としかけたが、なんとか奮い立ち、ゴンザに向き直る。



「ククク。アハハハ! バカな野郎だ。お前の闇魔法はほんのちょっぴり俺の頭を傷つけた。長期戦に持ち込めば、万に一つ、いや億に一つの確率で勝てたかもしれねぇってのに。

 それをたった今、放棄した。

 それが正義の限界ってやつだ。

 悪こそ最強、悪こそすべて、最後に笑うのは悪を極めた俺様って訳だ」



「ふ、お前は悪じゃねぇ。

 ただのヘタレだ」



「なんだと。

 往生際が悪過ぎるぞ。

 お前のHP残量は、もはや一桁なんだろ?

 俺が軽くどつくと消し飛ぶ。

 それなのに、まだ負け惜しみを言うのか?」



「悪の権化ってのはな、正義を語る野郎を徹底的にビビらせるからそう呼ばれているんだよ。てめぇはタダの卑怯者だ。

 もし俺が徹底的な悪ならば、弱った敵を生け捕りにして、そいつが好きだった者の前に連れて行き無残に切り刻むだろう。

 お前は俺達が怖い。

 ビビっている。

 だからこんなに弱っていても、ちゃんと殺してしまわなくてはならないんだろ?

 お前が最も恐れている伊藤先生の前で、俺達を処刑する勇気がない。

 だってお前は最弱だから。

 寝首をかかれちまうもんな」


 

「ククク。

 そうやって小賢しい知恵をフル動員して、寿命をほんのちょっぴり延ばす魂胆なんだろ?

 俺には分かる。

 お前はそうやって言葉巧みに厳しい戦況を打破してきたんだろ?

 だが相手が悪かったな。

 そこまで言うのなら、やってやろうじゃねぇか。

 だが生かしはしない。

 俺を誰だと思っている?

 営業妨害タクティクスを極めた天才策士ゴンザ様だ。

 殺して生け捕りにすることくらい容易。

 死んだお前らを伊藤の前でもう一回殺して、あの野郎にも精神的打撃を与えてやる。

 見るがいい。

 どうやって殺して生け捕りにするのかを!」




 ど、どうして!?

 シュバルツァーさんは、またしてもゴンザを挑発した。

 ゴンザの指先が紫に光る。


 シュバルツァーさんは、あたしの前に立ったままだ。



 ダメェェ! よけて!


 

 ゴンザの放った閃光が、シュバルツァーさんの胸部に命中した。

 その部分から白く硬質化していく。


 もしかしてゴンザが放ったのは石化魔法なの!?



「ククク、完全に石化されると心臓が止まり死亡する。石化したお前らを伊藤の前で無様に粉砕してやるのさ。

 死んだまま生け捕りにするとは、こうやるのよ。

 どうだ? 恐怖したか! 俺に逆らった罪をその身で受けるがいい」



 シュバルツァーさんは諦めたの?

 目をゆっくり閉じていく。



「……無念だ」



「ギャハハ! やはりハッタリだったか。

 俺が狂うだと?

 狂っていたのはお前の方さ。

 てめぇは気持ちよくラリッていただけだ」



「……ゴンザだったな。

 お前は紛れもなく最強だ」



「死を目の前にして、ようやく悟ったか」



「……やっぱ俺は死ぬのか」



「あたりめぇだろーが!」



「ククク、アハハハ」



「どうした? 何がおかしい? 俺が狂うとか言っていたが、やっぱりキサマが狂ったか。哀れな奴よ」



「ハハハ、そうじゃねぇさ。一つだけお前が悔しがることを教えてやる。俺には世界の果てに逃げようとも見つけ出すことができる優れた感知能力と二重詠唱のスキルがある。お前、スキル略奪ができるんだろ?

 それを奪えなくて残念だったな」


「なんだ。

 そんなことか。

 最初からお前からは略奪なんてできねぇ。

 条件を満たしていないからな。

 戦士のオヤジも同様。

 だから心置きなく殺せる。

 唯一満たしているのはノエルだけだが、ノエルなんて吸収したらエルフのように色白になってしまうかもしれねぇ。折角こんなにカッコよくなれたのに、台無しじゃねぇか。

 よっぽどノエルにすげぇ能力があれば考えてやってもいいが。

 さぁ、これで思い残すこともなく心置きなく地獄へ行けるだろう」




 シュバルツァーさんは悲しそうな顔であたしに視線だけ向けた。



「なぁ、ノエル」



 何?



「伊藤先生ってどんな人だい?」



 ……伊藤先生。

 黒いスーツが様になる、スタイリッシュなお兄さん。スマートなメガネをかけていていつも優しく微笑みかけてくれる。



「そうか……

 死ぬ前に会ってみたかったな……」




 ……死ぬなんて言わないで……

 とめどなく涙が落ちてくる。



 あれ?

 あれれ?


 もしかしてあれ、伊藤さん?



 遥か前方の空を、黒いスーツを着た男性が物凄い勢いでこちらに向かって飛行しているのです。



「……ノエルにも見えるのか? 俺にも見えるぞ。

 もしかして奇跡ってのが起きたのか?」



「そうだよ!

 伊藤さんはいつもあたしを助けてくれた!

 ゴンザなんてやっつけて!」



 ゴンザの目が大きく見開き鋭い形相へと変わる。

 伊藤さんのてのひらから、赤い弾丸が放たれた。

 それはゴンザの頭部へ激突する。


 ダメージこそ受けていないが、ゴンザは明らかに焦燥している。



「い……伊藤……。

 てめぇ!

 どうやって檻から抜け出した!?

 それにてめぇ、商人なのに、どうして魔法が使えるのだ!?

 も、もしや、てめぇもスキル略奪ができるのか?

 そ、そんな筈は……

 だが、てめぇが魔法を放ったのは紛れもない事実。

 あ、伊藤、てめぇ、どこへ行く!?」



 伊藤さんはグルリとUターンをした。



「もしかして俺に攻撃が通用しなかったから、更にスキル略奪へ向かうつもりなのか?

 行かせるか!」



 その時だった。

 カトリーヌが叫んだ。



「パパ! 約束したよね!

 伊藤さんをもう苛めないって!」



「あんなの嘘に決まっているだろうが!

 それにお前には分からないのか!

 伊藤はスキル略奪能力を持っているのだぞ。

 俺がやべぇじゃねぇか!

 まだ野郎は弱い。

 仕留めるなら今しかねぇ」



「パパ! もうやめて!」



「バカか。

 これからじゃねぇか!

 俺は最強になったんだ。

 これから俺に逆らうクズ共を全抹殺して、俺に逆らう国は焦土と化して、俺に逆らう種族は根絶やしにして、そして俺は天を握る。

 そうしたらお前だって幸せになれるんだぞ。

 すぐにそのありがたみが分かるだろう!

 まぁもうすでに魔道士は死んでいるし、残り雑魚二匹も麻痺したままだ。

 ちょっと出かけるが問題ないか」



 ゴンザは飛空魔法を詠唱し上空へ舞い上がると、伊藤さんの追随を始めた。





 伊藤さんが、あたし達を助けてくれた。

 きっとシュバルツァーさんの祈りが奇跡を起こしたんだ……

 シュバルツァーさんの全身は白く硬質化している。





 完全に石化した。

 あたしを守るために……





 その時でした。

 シュバルツァーさんを覆っていた石にヒビが入り、破裂した。



「ふぅ。

 うまくいったようだ。

 野郎は俺のリクエストに応え、石化魔法を詠唱してきた。

 だから俺は、野郎の石化魔法を食らう前に、俺自身に、身動きが取れなくなるが物理攻撃・魔法攻撃共に無効化する高等防御魔法ミスリルガードを念唱していた。

 野郎は石化魔法を使うのは初めてだったんだろうな。

 石とミスリルの区別もつかないとは、どうしようもない間抜けだ。

 だが間抜けで助かった。

 続いてノエルに伊藤先生の特徴を聞き、闇魔法イリュージョンで伊藤先生に似せた幻影を生み出し、ゴンザに向けて炎の弾を発砲した。

 あんまり近づくと偽物だとばれるので、即座にUターンさせた。

 あの野郎、伊藤先生をよっぽど恐れているんだな。

 真っ赤な顔でトチ狂い、偽物の追随を始めやがった。

 ここまでジャスト45秒。

 予告通り、奴は混乱して戦闘を放棄した」



「そこまで計算していたんですか」



 シュバルツァーさんはガクンと両膝を地につけて、苦しそうに呼吸をしている。



「だ、大丈夫ですか?」



「……はぁ、はぁ……


 すまねぇ。

 最初から俺ではあの野郎に勝てねぇって分かっていた。

 チェスで例えるなら、全ユニットを5万セット持っている敵陣に、キングのみで戦うようなものだ。

 だが敵が1手打つまでに、俺は2手打てる。

 それが唯一の俺の武器。

 だからその間、俺はゴンザの驚異的能力であるスキル略奪の性質を暴くことに専念した。


 スキル略奪のタイプはいろいろ考えられる。

 まずは単に技だけを吸い取れるタイプや、吸い取る上限数が決まっているタイプ、いくらでも吸い取れるが平準化してしまうタイプ等様々だ。

 上記の場合なら単に吸い取ればいいってもんじゃない。

 場合によっては弱体化してしまう。

 だが、奴のHPや魔力は人間の限界を遥かに凌駕していた。

 つまり吸い取れば吸い取るだけどんどん加算されていく、一番やっかいなタイプだと推測できる。

 

 だったら見境なく吸い取ればいい。

 だが俺から吸い取ろうとしない。

 だからカマをかけてみたら、案の定だった。


 奴のスキル吸収には条件が必要だった。


 俺とおっさんからは無理で、ノエルからは略奪できる。

 盗賊団だったゴンザの手下からも略奪可能だ。

 俺とおっさんの共通点は、ゴンザと初対面。

 初対面は無理ってことなのか。

 いや、それはない。

 伊藤先生は初対面って訳でもないのに、スキルを略奪しようとしない。

 殺したい程憎いライバルなら、スキルを奪えば簡単に勝てる。

 だけどそれをしない。

 いや、できない。

 つまり伊藤先生からは奪うことができない。

 これら共通点から憶測できるのは、ゴンザは自分の弟子からスキルが略奪できる」



「あたし、ゴンザの弟子なんかじゃない」



「すまん、言い方が悪かった。

 ノエルはゴンザに育てられたんだろ?

 ゴンザの酷い扱いに耐えて、そんなにちっちゃいナリをしているのに誰にも負けない鋼の精神力を身に付けた。

 今のノエルを形成しているのは、伊藤先生とゴンザだ。

 伊藤先生が光の師なら、ゴンザは闇の師。いや、反面教師か……

 とにかく俺は見破った。

 奴は東洋に伝わる勾玉のようなものを左手にはめている。

 それを時折眺めていた。

 表面を8回指でさすり俺に掲げようとしてきたので、思わず転移魔法でかわした。

 そのままカトリーヌの方へ向きかけたので、奴は咄嗟に方角を変えた。

 それ以降、勾玉を俺に向けることはなかった。

 きっとそうすることで、勾玉の力を引き出すことができるのだろう。

 だからあの勾玉の表面を摩りだしたら気を付ければいいだけだ。

 ……うぅ……」



「ム、ムリしちゃいけないよ!」



「はは、大丈夫さ。

 ……だが……少々飛ばし過ぎたかな……

 最後のイリュージョンの魔法が、かなり効いちまった。

 お前の戦いに最後まで付き合ってやりたかったが、どうやら俺はここまでのようだ……

 急げ!

 ノエル。

 イリュージョンはもうじき消滅するぞ。

 そうすれば奴は伊藤先生を見つけ出そうと必死になる。

 本人はまだ檻の中なんだろ?

 見つかっちまうのは時間の問題だ……

 なぁに。

 ノエルは絶対に勝てる。

 営業妨害タクティクスひのきの棒編は最強なんだろ?

 お前の尊敬している伊藤先生がそう言ったんだろ?」

 

 

「うん……。あんな奴なんかに負けない!

 でも……

 でも、どうしてシュバルツァーさんは、あたしなんかの為にそこまでしてくれるの?」



「ふ……

 ノエルは言ったよな。

 俺がカトリーヌを救ったって。

 違うよ。

 カトリーヌを救ったのは、ノエルだ。

 俺はきっかけを与えたに過ぎない。

 カトリーヌは親父とカノンの徹底的な悪の英才教育を受けて育ってきた。

 普通なら悪一色に染まっていてもおかしくねぇ。

 真の悪なら、カノンが捕まろうが自業自得程度にしか思わないだろう。

 お前がいたからカトリーヌは、優しさを知ることができたに違いない。

 彼女は心のどこかで、悪と戦ってきた。

 だけど、どうやって戦えばいいのか分からずにいた。

 ……ふ、偉そうな事を言ったが、俺だってそうさ。

 悪い女に騙されたくらいで、やさぐれていて自暴自棄になっていた。

 この世なんてなくなってしまえばいいと思っていた。

 そんな俺に一筋の光明を見せてくれたのがお前だ。

 営業妨害タクティクスひのきの棒編の存在を知ることにより、ストーカーの可能性を教えてくれた。営業妨害やストーカーっていう世間様から言えば、後ろ指さされそうな能力だが、正義の為に使えば、こんなにすばらしい力であることを教えてくれた。

 今の俺はストーカーである自分を誇らしく思っている……

 俺に生きる道を指し示してくれたのが、ノエルと伊藤先生だ。

 だって、ノエルはマジですげぇよ。

 お前にとってのカトリーヌは、俺にとってのカノン。

 俺はカノンを地獄に落とすことだけを考えてきた。

 だがお前は違った。

 カトリーヌの幸せを考えていた。

 彼女のことを友達だと言った」




 でも……

 カトリーヌは最後に裏切ったよ……




「そうか?

 毒を盛ることだってできたのに、どうして痺れ薬なんだ?

 ゴンザの野郎は、極度に努力を嫌ってきた。

 もうちょっと真剣に魔法の実験をしていたら、俺に騙されずに済んだのかもしれない。

 そんな奴だ。

 痺れ薬なんて面倒なことしなくても、毒殺すればいいだけ。

 なのに、どうして?

 それはカトリーヌがお願いしたんじゃないのか?

 ノエルを殺さないで欲しいと。

 俺たちはバトルでゴンザに集中していたが、その間、カトリーヌも戦っていた。

 必死に父にやめるように、訴え続けていた。

 だってカトリーヌは、逃げもせずお前をじっと見ているぞ。

 頬を濡らした跡がある。

 お前の為に泣いた跡だ」




 カトリーヌ……




「お前は俺を救ってくれた。

 もう十分だ。

 今度はカトリーヌを救ってやれ。

 これは、ほんの礼よ。

 ……だけど俺にできる精一杯の礼……

 ……俺はお前の心にマジで惚れた。

 まっすぐで純粋な正義の心に。

 真のストーカーってのは、惚れた者の為なら命をも喜んで懸ける。

 ……最後に俺にしてやれることといったら、こ、れ、く、ら……い……だ……」



 シュバルツァーさんは指で逆三角形を作った。



「……俺は闇魔法専門。

 回復系の魔法は苦手だ。

 だがどうしてもやれと言われたら、できなくもない。

 全HPを消耗しちまうが……

 状態完治魔法……ヒーリングステー……タス……」



 シュバルツァーさんの黒かった髪は真っ白に変色し、重力に従うように地面に崩れ落ちていく。



 あたしはガクンと膝をついた。

 全身を雁字搦めに縛っていた痺れが消滅した。



 そのまま真っ白に燃え尽きているシュバルツァーさんにしがみついた。


「死んじゃダメだよ、死んじゃダメだよ……。なんでだよ、なんで……」



 ダンさんも麻痺が完治したのでしょうか。

 涙ながらに駆け寄ってきて、シュバルツァーさんの肩を抱きかかえる。

 

 

「……シュバルツァー!! おめぇはマジですげぇ奴だ!

 俺はお前を心から尊敬する。

 ……ノエルちゃん。

 ここは俺がなんとかする。

 だから行くんだ!」



「え?」



「分からないのか!?

 シュバルツァーはノエルちゃんを進ませるために、力を振り絞ったんだ。

 こいつの漢気を裏切る気か!?」



「……で、でも……

 あたし……」



「厳しいことを言ってすまない。

 だけどシュバルツァーの事を思うなら、進むべきだ。

 こいつが言っていた通り、悔しいが俺は足手まといにしかならない。

 正直、ゴンザに勝る武器が何一つない。

 俺はここで戦いを離脱する。

 本音を言うと、俺もノエルちゃんの手助けがしたい。

 だが……。

 俺が行けばノエルちゃんに迷惑をかけちまうのは分かっている。

 でも安心しな。

 俺は俺にしかできない戦いをやるつもりだ。

 俺は命に代えても、こいつを絶対に死なせないから!

 すべての病院を這いずり回ろうが、絶対に救える医者を探しだしてやる。

 俺の血を全部こいつにやっても必ず救ってみせる。

 だから思いっきり戦ってこい!」



 ダンさんはシュバルツァーさんを抱き上げると、街の中へと走っていった。


 ダンさんは足手まといと言ったけど、全然違うよ。

 シュバルツァーさんとダンさんがいたから、あたしはここまで来られた。



 あたし……絶対に信じている。

 だってシュバルツァーさんは無敵だもん。

 最強のストーカーが、こんなところで死ぬわけがない。


 いつまでも泣いてなんかいられない。

 これはシュバルツァーさんが命がけで切り開いてくれた道なんだ!

 彼の想いに応えるには、歩みを止める訳にはいかない。



 


 カトリーヌはまだあたしをじっと見ている。



「ノエルは強いんでしょ。お願いだから伊藤さんを救って!」


「何を言っているの! あんたが嘘つかなければこうならなかったのよ! これを持って」



 あたしはダンさんから受け取った天使のオルゴールをカトリーヌに手渡した。



「この重みが分かる?

 これはあるパパが自分の子どもの為に買ってきたの。

 だけど悪い怪物に殺されてしまって、もうあげることができないのよ。

 分かる?

 そのお父さんがどんな気持ちなのかが。

 あなたのお父さんがこのまま悪い事を続けていたら、この悲劇の連鎖は止まらないのよ!」


 


「だって、パパが……。パパが……」



「パパ、パパってあなたはパパの言う通り動くおもちゃなの?」



「違う。

 私はおもちゃなんかじゃない!

 私はみんなと仲良くしたいだけ。

 それだけなの……」



 カトリーヌの涙であたしは思い出した。



 壮絶なるいじめの日々で、記憶から失っていた遠い思い出。



 彼女は決していじわるな子ではなかった。

 あたしがゴンザに売られた日。

 カトリーヌはあたしの手を取りニッコリ笑って言ってくれた。


「いっしょに遊びましょ」って。


 お気に入りのお人形をあたしに抱かせてくれた。


 その後ゴンザにこっ酷く叱られて泣いていた。


 こっそりとパンをくれたこともあったけど、またゴンザに見つかって叱られて泣いていた。



「ノエルが、お腹が空いて可哀そうだと思って」


「バカか。哀れな奴に恩を売ってどうなる? 恩を売るなら、もっと裕福な野郎に恩を売れ。じゃないと見返りなど貰えないぞ」


 と怒鳴るゴンザに、まだ幼いカトリーヌは、「見返り? ノエルは何も持っていないんだよ! そんなのいらないよ」と言って泣きじゃくっていた。


 するとゴンザは優しい声で、「すまん、すまん。お前は優しい子だ。だがこの世の中は過酷なのだぞ。そんな考えだとすぐに食われる。ノエルを見てみろ。不幸だろ、哀れだろ、こうなりたいか?」


「……」


「俺がお前を立派な悪に育ててやるから、何も心配するな」



 

 ある日から、カトリーヌは床に豆を落として「食え」と言いだした。

 それは決まって夕食を食べさせてもらえなかった翌日に。

 もしかしてゴンザの目をごまかして、あたしに食事をくれるために。

 

 冷たく、いじわるな顔をして言わなければ、ゴンザに怒られてしまう。

 だから苦肉の策で、あなたはあたしに食事を与えてくれた。

 あたしの食費が高いとボヤくゴンザに、ノエルは豆が好きだよと言った。

 もしかしてあたしに何かを食べさせないといけないと思い、必死に考えてくれたの?




 そうなの? カトリーヌ。




 カトリーヌが一人、納屋で泣いていたのを思い出した。


 

「ノエル、可哀そう」


 声を押し殺して、小さくそう言っていた。


 ポリッと固い物を噛むような音がした。

 きっとカトリーヌは誰もいない納屋で、固い豆を食べていたに違いない。

 あたしの心が知りたくて。

 あたしの境遇に自分を重ねて。




 そうなの? カトリーヌ。




 初めて会った日、あたしと友達になりたいと言ってくれた。

 そんなカトリーヌは、伊藤さんのお店の前であたしを嫌いになれて良かったと言っていた。

 心の葛藤を誰にも打ち明けることができず、それでもカトリーヌは一人で戦ってきた。



 そんなカトリーヌは、勇者になりたかった。

 誰かを救う力を手にしたかったのかもしれない。

 だから勇者お嬢様塾へ通っていた。

 そこで出会った講師のカノンは、勇者の看板をちらつかせ他人を利用してでも自分が幸せになることこそ勇者の道だと言って回っている。

 


 違う。

 そんなの勇者でも何でもない。



 知恵も力もなく誰一人味方のいないカトリーヌは、あたしの幸せを考えてたった一人で戦ってきた。悪いことしか言わない恐ろしい大人達から、こっそりあたしを守ってくれていた。

 


 シュバルツァーさんは、あたしがカトリーヌを救ったと言っていたけど、そうじゃなかった。


 あたしを助けてくれたのは……

 あたしがここまで生きてこられたのは……

 

 


 カトリーヌがあたしを守ってくれていたから……

 



 とんでもない悪の父親から、人知れずあたしを救ってくれていた。



 小さな勇者、カトリーヌ。



 カトリーヌは天使のオルゴールを手に取った。



「ノエル。

 私にもできることがあったわ。

 それは、パパの心を変えること。

 このオルゴールを見せて、こんな酷いことをしたらダメって言ってあげる。

 パパは私の言うことなら、ちょっぴりなら聞いてくれるから。

 だからパパが何て言おうとも、一生懸命、死にものぐるいで言ってやる。

 パパ、その考え、間違っているよ、と教えてあげる。

 化け物になっちゃったパパ……

 でも、もうこれ以上悪い事をしたらダメだよって言ってあげる。

 それは私しかできない事。

 伊藤さんはあなたが救って。

 私がパパを救うから」



「カトリーヌ、もしそれが出来たら、あなたは世界を救う真の勇者になれるわ」


「違う。私は勇者じゃない。勇者はノエル、あなたの方よ」


「あたしは勇者なんかじゃない。あたしはただ、お母さんに認めてもらいたいだけ。誰よりも強く気高いエルフの女王に」



「分かったわ。プリンセス、ノエル」


「えぇ、勇者カトリーヌ」




 世界一貧しいエルフの王女は、世界一非力な勇者と固い握手をしました。

 この二人なら世界を救えると信じて。



 胸のペンダントがまた一段と白く輝いた。

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