19 営業妨害タクティクス 中級編
あたしの寝床は天井の屋根裏部屋です。
こんなあたしにもお友達がいました。
蜘蛛さんとネズミさん。
だけどねずみさんに話しかけても、チューチュー言って走り回るくらいです。
今まではお腹がペコペコでなかなか眠れませんでした。
そして朝起きるのが怖かった。
誰よりも早く起きてお掃除を済ませておかないと、女将さんに怒られてホウキでたたかれてしまいます。
毎日遅くまで働かされているのに、藁の寝床に行くと急に目がさえてしまいます。
折角、今日一生懸命頑張ったのに、また明日はご主人様や女将さんに叱られなくてはなりません。
明日なんて来なければいい。
でもとにかく早く寝ないと、寝坊しちゃいます。
だけどそんな日々は終わりを告げたのです。
この日からでした。
あたしが寝るのが好きになったのは。
朝が来てお店のお掃除が終わったら、営業妨害タクティクス中級編を実行するために毎日のように伊藤さんのお店に行けるのですから。
営業妨害タクティクス補講編という名の、個別レッスンを受けています。そしていつも伊藤さんは美味しいお菓子とジュースをふるまってくれます。
先日は文字を習いました。
営業妨害するのに、文字すら読めないなんてお話にもならないですよね。今日は居残りをしてください、と大義名分を言って、あたしに羽ペンの使い方から文字の書き方、語源まで教えてくれました。
語源を知ると、文字の面白さが膨らみ、あたしは夢中で伊藤さんのお話に集中しました。
そういえばお嬢様も塾で勉強をしているそうです。
かなり高額なエリート塾だそうです。
確か勇者お嬢様塾という名前だったと記憶しています。
「おい、ノエル、お前は字すら書けないんだろ?」
ちょっとは書けるようになりましたが、このことは内緒です。
「うん、書けない」
「あんたはバカだから仕方ないね。
私はね、文字はもちろん難しい数術だってできるのよ。
3×1=3!
あなたは私が何を言っているのか、さっぱり分からないでしょ?
おバカだから仕方ないわね
これがエリートの実力よ!」
数学でしたら伊藤さんに教えてもらいました。
まったく無駄のないスタイリッシュな授業運びで暗算のコツまで教えてくれ、文字すら書けなかったあたしが、たった3週間で2ケタ×2ケタの掛け算ができるようになったのです。さらに二次方程式や微分積分、三角関数まで解けるようになりました。
お嬢様は自信満々に胸を張って続けます。
「いい。これには続きがあるのよ。
3×2=6
3×3=9
3×4= えーと、えーと、3を4つかけるんだから……あ、34!
エリートの私にとって超簡単よ!
3×5=35
3×6=36
3×7=37
3×8=38
3×9=39
3×10=30
やった! 全部言えた。
なんか途中で減っちゃったけど、九九はロマンだからそんなこともあるわ。
どう? あんたは私が何を言っているのかさっぱり分からないでしょ?
これがエリートと貧民の違いよ。
まぁ勇者お嬢様塾6年生で、ちゃんと九九ができるのは私しかいないけどね。
とにかく、あ、ん、た、は、底辺!」
正しい答えを教えてあげたかったけど、折角お嬢様がご機嫌のようなのでそっとしておくことにしました。
お嬢様はまだ戯言を続けています。
「ところでね、私、カノン先生にセンスあるって言われたのよ。
カノン先生って知っている?」
知りません。
「先月から赴任してきた美人講師よ。
九九もカノン先生に教わったんだからね。
カノン先生はすごいのよ。
たった2年で勇者のライセンスをとって、たったのレベル3で勇者の道を卒業して、今では勇者お嬢様塾の人気講師。
その人に、私は超イケテルって言われたのよ!
あんたは可哀そうだから勇者お嬢様塾でお勉強したことをちょっとだけ教えてあげるわ。
本来なら高い受講料を払わないと教えてもらえないノウハウなんだけど、今日は特別よ」
伊藤さんに勉強を教わっている方が楽しいです。
あんまり教えて欲しくありませんが、断ると大変なので「うん」と頷いておきました。
「カノン先生はこうおっしゃった。
勇者とはボロい商売と知れ。
勇者の9割は、わりと一生懸命頑張って、勇者全体の評価を上げている。
賢い者はその勇者の看板を徹底的に利用しろ。
冒険に出なくても、勇者ってだけでちやほやされるからその特権をフル活用しろ、と。
私、勇者になったら危なく冒険に出るところだったわ。
適当なおバカに勇者だと名乗って、高価なアイテムを貢がせればいい。
それが賢い勇者のスマートな生き方なのよ。
こんなことを聞けるなんて、私は超ラッキー。
一度プロになった人が、講師として教壇に立つと説得力が全然違うわよね」
なんか伊藤さんに聞いたことがあります。
お名前まで言われませんでしたが、勇者免許を振りかざして好き勝手やっていた人が最後にはしっぺ返しを食らったというお話なのですが、まるでそっくりです。
お嬢様が心配になり、「ダメですよ。いつか痛いしっぺ返しがありますよ」と教えてあげました。
「何、この子。
バカのくせに超生意気。
まぁいいわ。
あんたには学がないから、私の言っていることが全く理解できないのね。
そういや、あんた、餌はまだだったね。
豆だ。食え」
そう言ってお嬢様はポケットから豆を取り出して、床に落としました。
今日は伊藤さんのお店で、とってもおいしいビーン入りシチューグラタンをいただき、作り方まで教わりました。
とにかく豆はいっぱい食べたのです。
お気遣いは結構です。
だからあたしは床に落とした豆を拾い、洋服の端で丁寧に拭いて、お嬢様に差し出してこう言いました。これは伊藤さんに「営業妨害タクティクス補講編サブ講師です」とご紹介していただいた珍念様に教わった言葉です。
珍念様も素敵な方でした。
「お嬢様、食べ物を粗末にしたら罰が当たりますよ。
仏様は見ています。
あたしが代わりに綺麗に拭いておきましたので、ポケットにしまってください」
「あんた、生意気!」
お嬢様に平手打ちされ、あたしは床に転げました。
「ふん、クズ。
死ねばいいのに。
なんでパパはあんたなんかを飼ってるんだろ」
床から這いあがり、叩かれた頬に手の平を添えました。
まだ、ジィーンと痛みます。
口の中を切ったみたいです。
血の苦い味がします。
ちょっとだけ泣きそうになりましたが、悔しくなんてありません。
可哀そうなのはお嬢様の方だから。
あたしなんかより遥かに恵まれた裕福な家庭に生まれたのに、お嬢様は不幸になる生き方をしている。
夜になると屋根裏部屋に入り、この日も差し込んでくる月明かりでペンダントの写真を見ました。
――お母さん。
写真の裏には文字が書かれています。
前はなんて書いてあったか分からなかったけど、今は読めます。
『リオン=シューナルディー=エルティネール』
きっとお母さんの名前だ。
伊藤さんにリオンさんって知りませんか、と聞いたことがあります。
伊藤さんは物知りだから、もしかして……そう思って。
伊藤さんは静かにこう言いました。
「ノエル様。あなたがもしそのペンダントに認められる人になることができれば、その人とお会いできるかもしれません」
伊藤さんはお母さんを知っているの?
やっぱりお母さんは生きているの?
なら、どこにいるの?
それを知りたかったけど、どうしてもそれ以上聞くことができませんでした。
今のあたしは、まだペンダントに認められていないから。
きっとまだお母さんに会う資格がない、伊藤さんがそう言っているような気がして。
ペンダントに認めてもらえるように、明日からも頑張らなくちゃ!
おやすみなさい、お母さん。
次回はいよいよ営業妨害タクティクス上級編です
ついに悪行商人 VS スタイリッシュ商人 の熱いタクティクスが激突します
そしてノエルは自分の使命を知ることになるのです
その時ノエルは涙します
立ち上がれるか、ノエル!?
何とか本日中に更新したいと思いますので、何卒よろしくお願いします m(__)m




