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18 営業妨害タクティクス 初級編2

「いらっしゃいませ。わたくしは伊藤と申します」


「あ……うん」



 店内の様子を見て、思わず言葉を失いました。


 本当にひのきの棒しかないんだ……。

 

 まるで宝石でも飾るかのように、ひとつのガラスケースに一本のひのきの棒が入っています。そしてカウンターの向こう側には、キリッとした黒いスーツを着こなした男性がいます。

 右手を胸の前に掲げ丁寧にお辞儀されました。



 この人が伊藤さん……。

 スタイリッシュでシャープな眼鏡がよく似合うカッコいいお兄さん。

 それがあたしの第一印象でした。

 頭はすごくよさそうだけど、温厚で優しそうです。

 悪いことをしそうなイメージはありません。


 だけど、そういう人こそ裏でとんでもないことをしているとご主人様はおっしゃっていました。

 悪に屈してはダメだ。

 ノエル、勇気を出して!

 頑張っていちゃもんをつけるのよ。

 


 どきどきしながら、それでも手をぎゅっと握って唇を開きました。

 

「ひ、ひ、ひのきのぼーくだちゃい」


 あ、噛んじゃった……

 顔がものすごく熱いけど、もじもじしちゃダメ。


「申し訳ございません。新規のお客様は1日3名様までとさせていただいております。すでに3名の方にお売りしており、大変恐縮ではございますが、本日お売りすることができません」



 そう言って深々と頭を下げられました。



 え?

 いきなり門前払い。

 もしかしてクレーマーということがばれちゃったの?


 ご主人様は壁に耳を当てて、中の様子を聞いています。

 無理やりにでも強行突破しなくては怒られてしまいます。



「お父さんが急病で、どーしても、ひのきのぼーいるの! お願い! 売って頂戴!」



 頭がパニックになって、思わず変なことを言ってしまいました。


 ひのきの棒でどうやって病気を治せばいいっていうのよ。

 言った自分でも意味不明です。

 


 だけど「そうでしたか。そのような理由がおありなら仕方ありません。分かりました。特別明日の新規枠を本日使用させて頂きます」



 やった!

 なんか突破できたよ。


 いよいよだ。

 あとは、いちゃもんをつけるだけ。

 頭が真っ白になりそうだけど、しっかりと意識を持ってご主人様のアドバイスを思い出した。


『ククク。ノエルよ。

 クレームなんて超簡単だ。

 武器を破損させちまうといい』


『で、でも……どうやってやるんですか? あたしが壊したところで、クレームを受け付けてくれるでしょうか?』


『大丈夫だ。

 言っただろ、営業妨害タクティクスには死角なんてねぇ。

 いいか、お前が受け取るまでは、武器屋のものだ。

 受け取る瞬間に落とせばいい。角がかけちまえば、もう商品じゃねぇからな』


 

 たしかそう言いました。

 落ち着いて、ノエル。

 握ったふりをして、伊藤さんが手は放したと同時に、あたしも手を離せばいいだけよ。



 ご主人様に教えてもらったとおり、先にお金を支払います。

 これで『金は払っただろうが、どうしてくれるんだ!』という言葉を発する権利を行使できるそうです。


 これはお母さんの5ゴールド……

 だけど、これでもう逃げるわけにはいかない。

 頑張れ、あたし。

 そしてあとは――



 う……。




 伊藤さんは片膝をついて、ひのきの棒を両方の手のひらの上に乗せている。このポーズだと、あたしがひのきの棒を握って持ち上げるまで、伊藤さんの手から離れることはない……



 これではタクティクスが発動できない。



 しぶしぶとひのきの棒を手にしたあたしは下を向いてしまいました。


 ど、どうしよう。

 とにかく難癖をつけなければ……


 難癖、難癖……

 目をくるくる泳がせながら必死に考えました。


 そうだ、お嬢様だ!


 お嬢様は難癖の達人です。

 いつも仕事の邪魔をして、女将さんに言いつけて、あたしが怒られているのを見て笑っています。

 あたしはお嬢様にされた嫌なことランキングを思い出していきました。


 だんだんと悲しくなってきました。

 何でこんなことをやっているんだろうと思うと、目の奥が熱くなります。

 涙がぽつりと床を濡らしました。



「大変失礼いたしました。申し訳ございません」



 え?

 伊藤さんが頭を下げて謝っている。

 あたし、何もしていないのに。



「お客様のお父様はご病気。

 だからわたくしの勝手な判断で、ひのきの葉を乾燥粉砕させて練りこんだものをご用意してしまいました。さわやかなひのきの香りには、癒しの効果がございます。リラックスして安眠できる他にも、抗菌、虫よけ作用までございます。

 ですが、こういった特別な効用のあるアイテムは、体質的に合う合わないがございます。どうやらあなた様のお体には、受け付けなかったようですね。

 これはわたくしのミスです。

 心からお詫び致します。

 お詫びの品をお持ちしますので、もしよろしければあちらのテーブルにおかけになってお待ちいただけないでしょうか?」

 

 

 

 

 え?

 え?

 ええええ!!



 もしかして、あたし、やったの!?

 あたしはタクティクスを成功したの!?



 伊藤さんが奥の部屋に入ったのを見計らって、ご主人様が窓から顔をのぞかせました。


 何やら口でサインを送っています。



『おっし! さすがノエルだ。見どころがあるじゃねぇか。

 それにしても伊藤はバカだな。

 自爆してやんの。

 ま、俺のタクティクスが最強なだけだがな、ククク。

 ノエルよ。後はふんだくれるだけふんだくれ。全身がかゆくなった、どうしてくれるんだ! とでも言えば青天井だ!

 もう心配いらないようだから、俺は先に帰るからな』





 あたしはちょこんと椅子に座りました。

 しばらくすると伊藤さんは、ジュースとケーキを乗せたお盆を持ってやってきました。



「お待たせして申し訳ございません。

 お詫びの品はもう少しお時間がかかりそうなので、よろしければその間、クルミのケーキでもいかがでしょうか?

 体質改善の効果もございますよ」



 あたしはケーキを見た途端、珍念様が配っていたパンを思い出しました。


「……そ、それには……し、し、白い粉が入っているの?」


「はい。たっぷりと」



 やはりそうでした。

 伊藤さんは、めんどくさい客のあたしに麻薬を盛ろうとしています。



 ……でも……。

 


 きっとこれは罰が当たったんだ。

 伊藤さんも悪いですが、あたしだって悪いことをしました。

 些細なことかもしれませんが、お母さんは『正義の名の下に戦え』と言っていました。

 お母さんの顔に泥を塗るような行為をした。



 だから……。

 でも……これで楽になれる……



 あたしは絶望的な毎日を過ごしていました。

 だから、なんだかもうどうでもよくなってきました。



 甘い香りに誘われて、ケーキを一口食べました。



 すごく幸せな味がします。

 甘くておいしい。

 ほっぺが落ちそうです。


 

 あたしの食事は床に落とされたカビの入ったパンや、硬い豆ばかりでした。

 こんな美味しいものを食べたことがありません。


 悪い薬が入っていることは知っていても、スプーンは止まりません。

 あっという間に完食してしまいました。


 伊藤さんのケーキを食べ終わると、幸せな気持ちになってほっと胸をなでおろしました。

 多分これから、いちゃもんをつけた報復で、恐ろしい思いをすると思います。

 だけど、あたしはあたしなりのやり方を見つけたのです。



 正直に言おうと思います。

 あたしは悪いことをしました。

 もうしません。

 だから伊藤さんも悪いことはやめましょうって。



 きっとその後、殺されます。

 お母さん、ごめんなさい。

 でも、これでお母さんに会えるかな。



 そんな気持ちで伊藤さんを待っていました。



 伊藤さんはやってきました。


「仕込みは終わりました。

 もうしばらくお待ちいただけますか?」


「はい。

 何時間でも構いません。

 あたしは伊藤さんにお話したいことがあります」



「残念ながら、わたくしは麻薬の売人ではございませんよ」



 え?

 ど、どうして。

 しかも、あたしの心まで読まれている……



「白い粉と聞かれましたので、はいと言いました。

 小麦粉が入っていますから。

 アレルギーを気にされた場合にしても、白い粉とは言わないでしょう。

 白い粉といえば、大抵アレと相場は決まっています」




 そこで伊藤さんは眼鏡を曇らせました。

 眼鏡の真ん中を指で支え、小さな声音で、



「わたくしは商人。

 心の傷まで探ることは領域外です。

 それは僧侶の役目。 

 ……でも……。

 ……本当にかわいそうに……」



 伊藤さんは何を言っているの?

 かわいそう?

 それ、あたしのこと?


「ご安心ください。

 あなたはもう、わたくしのお客様です。

 お客様には、成長率1000000%圧倒的に幸せになってもらうことがわたくしのポリシーです。

 と言って、安心されるハズもありませんね。

 だからあなたの告白を聞かず、こちらから一方的にお話することをお許しください。

 相手のお話をしっかりお聞きすることも大切な仕事ですが、かみ合わない言葉のキャッチボールになるでしょう。

 わたくしの方からお話しした方が、信用されるまでの時間が16分47秒早くなります。

 あなたはお金を渡すとき、手が震えていました。

 それはやましいことをしているからです。

 逆に言えば、悪いことを悪いと自覚されている。

 つまり誰かに強要されている。

 そしてお金を渡そうとしたとき、一瞬躊躇した。その後、しばらく握りしめたまま放さなかった。

 後ろめたいことをしているのに、どうしてこの場面で固まるのでしょうか。

 本来ならサッとお金を払って、こんな危ない仕事、早く終えたいと思うのが心情です。

 ということは、わたくしに渡したお金は、紛れもなくあなたにとって大切な5ゴールドです。

 何かを成し遂げる為に頑張って貯めた大切なお金。

 だからわたくしは受け取りました。

 あなたはわたくしの大切なお客様です。

 あなたが不幸になることはわたくしが許しません」




 ……。

 


 

 もしかしてだけど……。

 ご主人様が近くにいたことも気づいていたのでは。

 だからご主人様を早く帰らせるために、時間がかかるようなことを言った。

 そうなの? 伊藤さん。



 もしそうなら……あたし。



「あたしはノエル……」



 伊藤さんはにっこりと笑ってくれた。

 その笑顔であたしの緊張がふわりと溶けた。



「素敵なペンダントをしていますね」



「あ、これ、お母さんの……」



「やはりそうでしたか。

 身なりを見れば、おおよそ推測できます。

 非情な主のようですね。

 ですが、そのペンダントだけ売却されずに済みました。

 つまりあなたの主はまったく目利きのできない商人。

 商人以外の者なら二束三文でも、ダメもとで質屋に持っていくはず。

 それをしないということは、一定以上の鑑定スキルがあり、彼の眼にはあなたのペンダントはガラクタに映ったということです。

 ですが、ということは同業者。

 わたくしの店にあなたを派遣した理由は、きっと妬みによるものでしょう。

 そのような努力をする前に、ご自身の鑑定スキルを磨けばいいものを。その方のお客様が可哀そうです」



「あ、あの……。

 伊藤さん、このペンダント。そんなにすごい物なんですか!?」


「はい。

 わたくしのひのきの棒と互角に渡り合えることができる数少ない幻の神器です」



 ひのきの棒って……

 持ち上げてくれましたが、やっぱりガラクタということですか。


 でもお母さんのペンダントが褒められて、何だかうれしい気持ちになりました。



 でも。

 現実を思い出すと、悲しくなります。

 もう少ししたらご主人様のところに帰らなくてはなりません。

 また伊藤さんのお店に遊びに来たい。

 でも、あたしが来ても伊藤さんは迷惑するだけだと思います。

 そんなことを考えていたら、ついついあたしは、すべてを暴露してしまいました。

 

「あの……。あたし……。実は営業妨害タクティクス初級編をやらされているんです。あたし、どうしたら……」





「ノエル様は見事わたくしから謝罪を勝ち取り、営業妨害タクティクス初級をクリアされました。きっと次は中級編に入るでしょう」



「はい……。

 そうだと思います

 やりたくありませんが、ご主人様に逆らえばあたし……」



「逆らう必要などございません。

 次は中級編で挑んでください。

 あなたが営業妨害タクティクスを無事卒業できるようにお手伝いいたしましょう。

 試験結果を見て、場合によってはわたくしが補講して差し上げます」



 え!?

 伊藤さんは心の痛みの分かる素晴らしい方だと思っていました。

 それなのに、悪いことの手伝いをしてくれるって?

 伊藤さんが、あたしに営業妨害タクティクスの補講をしてくれるってどういうことなの?



 すぐにその意図が分かりました。

 また来てもいいよ、って言ってくれているのだと思います。



 そういえばさっきからいい匂いがします。

 ケーキを食べたのに、お腹がグゥとなってしまいました。


「さて、時間がきたようです。

 奥にあるオーブンで、特性なめらかソースのクリーミーチーズグラタンを作っていました。これは謝罪の品です。

 どうかお持ち帰りください」



 

 謝罪もなにも伊藤さんは悪いことなんてしていません。

 それに折角もらっても、ご主人様達に取られちゃうだけです。


 何だか悲しい。


 うつむいているあたしに、伊藤さんは、


「遠慮なくお持ち帰りください。

 ノエル様が最初に食べることができます。

 これはアツアツが一番おいしいですから、頑張られた役得です」



「え。

 そうならないよ。

 ご主人様も女将さんもお嬢様もみんな意地悪ばかりするんだよ!

 全部、取られちゃうよ」



 悔しくて思わず感情的に叫んでしまいました。



「ノエル様の主は、わたくしの事を薬の売人だと思っているのですよね?」


「……はい」


「でしたら、ノエル様は毒味をさせられます。

 わたくしを信じたあなたの圧倒的勝利です」



「……そこまで考えてくださっていたんですか。でも、こんなあたしなんかに、どうしてそこまで親切にしてくださるんですか……」



「いえ、わたくしは商人。

 損得でしか動きません。

 これが三者にとって最高の形なのです。

 あなたは戦利品を持って帰ることができ主に顔が立ちますし、主は一戦勝ち取った喜びを手に入れることができます。

 そしてわたくしはあなたに謝罪できる」



「謝罪も何も、伊藤さんは何も悪くないよ」



「いえ。

 わたくしは罪を犯しました。

 あなたを泣かせてしまうという罪を」



 あたし……。

 泣いているの……?



 ……あたしは今までこんなに優しくされたことなんてない。

 ご主人様や女将さん、お嬢様は、毎日あたしを苛める。

 こっそり隠れて毎日泣いていた。


 

 伊藤さん、違うの。

 この涙は、そんな涙じゃないの。

 うれしくて、うれしくて。

 ただそれで……

 


 この思いを言葉にしたかった。

 ちゃんとお礼を言いたかった。

 だけどヒックヒックとしゃっくりが邪魔ばかりする。

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