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03.聖樹の精霊

 手の平サイズの「聖樹の精霊」キコキコが、ツクヨ大陸東沿岸部、聖樹の林で生を受けたのは今から百五十年前。


 当時、この大陸は今よりも、もっと多くの聖樹で溢れ、エメラルドグリーンの大地として輝きを放っていた。


 トウゲン島の神殿から発生するエネルギー「聖力」が大地に降り注ぐ際、その聖力を蓄え大地に還元するのが、各大陸に根を張る「聖樹」の役割である。


 聖力による術、つまり「聖術」は、あらゆる分野で人間の生活に「神」の恩恵を齎せていた。


 巨大な岩を簡単にどけることも、空を飛ぶこともできるし、怪我や病気を治すことすらできた。また、パンを増やすこともできるし、水を清らかに戻すこともできる。国に認められた上級聖道士にだけ許された権限ではあるが、人の心を読んだり、百キロ離れた場所に一瞬で移動することもできた。


 また聖力を纏った一般兵士は、聖術を会得している「聖道士」ほどではないにせよ、生身の兵士の十倍の働きをする。聖力は生活にも、国防にも大いに役立った。


 だが、聖樹は周囲の土や空気の性質を変化させてしまうため、他の植物に悪影響を及ぼすという負の側面もあった。


 大昔に、ある農家が「作物を守る聖術」を使い、聖樹が屹立する不毛の地の一角を耕し、楽園麦の種を蒔いたことがあったが、最初の一年は持ちこたえたものの、二年目からは聖樹が与える悪影響と、楽園麦に供給する聖力のバランスが崩れ始め、三年目には芽が出ることはなかった。


「参ったな。聖術でも及ばないことがあるか」


 増えすぎても困るが、少なすぎても困る。これが聖樹の繊細なところだった。


 いたる場所で聖樹を生やしっぱなしにしておくわけにはいかないが、多くの聖樹を失えば、大陸の聖力が減少し聖術が使えなくなり、生活基盤が揺らぎ、あらゆる危機を招きかねない。


 よって国の政策、人々の生活にあわせ、聖なる力が失われない程度に、ほど良く聖樹を間引きをしなければならないという結論に至る。


「なぁに。トウゲン島の大天使イザナギ様やイザナミ様だって楽園麦やらトウゲン葡萄の木を育てる為に、場所によっては聖樹を切り倒してるってきくぜ。おれらは何も悪いことはしてないさ」と誰かが言った。皆もそれに頷く。


「わしゃ、ここで野菜を育てたいのです。ブラフマー様、ヴィシュヌ様、お恵みの聖樹を、少しだけ切り倒すことをお赦しくだされ」


 人々は約六千年間、知恵を働かせ、神の恵みと折り合いをつけて生活していた。



 だが、今から二十年前。


「聖樹は、この大陸に必要がない。もはや聖道による不思議な術も必要がない。広大な土地を占領した挙句、人の心を怠慢にさせるだけだ」と言い始めた者がいた。


 ツクヨ大陸一の権力者、チパンジ帝国の聖帝ハヌマだった。年の頃、二十五。病没した先帝から皇位を継承したばかりの若者だった。


「四大陸が、相互不干渉条約を結ぶきっかけとなった大戦から、もう千年。他大陸からの侵略される怖れがない今、武力としての聖道の必要性はなくなった。仮にいざ戦をする場合も、剣と弓矢、鉄砲、大砲があれば事足りるであろう。我が大陸の兵は常にその腕を競い、怖れるものがないほどに強さを身につけた」


 ハヌマは、自らの「聖帝」の称号を棄て「皇帝」と改め、聖道を重んじる枢機卿団を解体した。


「聖樹は作物を枯らす。人を怠慢にさせる。我らが崇めるは、ブラフマー、ヴィシュヌではなく、悟りの道を示してくださるブッダ様だけで良いのだ。聖力など不要だ、どんどん伐採せよ」


 ツクヨ大陸一の権力者の言葉に、チパンジ帝国の衛星国であったレスミレ王国、ヴィオーラ王国の国王も従った。


 五年ほどで、聖樹はかつての十分の一にまで減少した。


 それは今よりちょうど十五年前、七人の魔王が地獄から現れた頃と重なる。



 沿岸の、聖樹に代わった松林。


「身の程知らずなバカ息子が聖帝になっちまったな。こっちはとんだ迷惑だ」


 聖樹の精霊の間でそんな囁きが聞こえた。キコキコもその一人である。棲みかを追われ、他の精霊同様に、松の木にしがみつくようにして生き抜いた。


 大きさは人の手の平ほど。普段は透明で誰の目にも映らないが、精霊がその気になっている間だけ姿を確認することができる。


「このご時勢、精霊の子供はしばらく生まれてない。聖獣なんざ、この大陸にはもういないだろう…いや、待てよ。オーケスの森だけは国境だから、誰にも手をつけられず、まだまだ聖樹が残ってると聞いたな」


 キコキコは呟きながら、今日も松の樹液を、自前のストローで吸った。身なりと言えば、二頭身を葉っぱで簡単に包んだだけの服装で、クセの強い金髪だった。


「松の樹液は、十五年ずっと吸ってるが慣れない。やっぱりまずいや」


 視線の先、松林に影響を与えない程度離れた場所に、貴重な聖樹が一本だけ屹立していた。だが、そこには年功序列で数人の長老たちが居座っている。


 精霊の百五十才といえば人間の十五才にあたる。まだまだ童顔のキコキコに比べ、約六千年間、生きている長老たちには風格があった。


「じい様たち、おいらに…ちょこっとでいいから、聖樹の樹液、吸わせてくんねぇか」


「ならん。若者は贅沢をするでない」


 長老の中で最も権力をもつハスハスが、厳しく言い放つ。


「キコキコ!長老さまにムリ言って抜け駆けしようとするな!」


「松の樹液で我慢しろ!」


「おれらだって我慢してるんだ!」


 などと、他の若い精霊たちが、キコキコを詰った。


「じい様たち…あと二千年は、あそこに居座るんだろうな」とキコキコは肩を落とす。


「もう、分かった。おいら、ここを離れる。聖樹がいっぱいあるオーケスの森を目指す」


 キコキコは涙の滲んだ目で、松の木から軽やかに飛び降りる。


「好きにせい。ここはいいとしても場所によっては魔導が横行しておる。そこには樹液を吸える木などないぞ。我らにとっての毒を含む魔樹しかない。じゃが、旅の途中で野垂れ死ぬのも、おぬしの自由じゃ。勝手に行け」


 ハスハスをはじめとした長老たちは、キコキコに対し、これ見よがしに聖樹の樹液をストローで吸い始めた。


 横暴な年寄りに、若者は腹を立て拳を握る。


「なんだい、なんだい。ひでぇな!引きとめもしないのかよ」


 キコキコは涙を拭いてから葉っぱに荷物を包むと、偶然通りかかった仲のいいツクヨザルに旅の仲間になってくれないかと申し出た。


「ん~、まぁいいぜ。オーケスの森なら、数日で着くだろうし、おれも暇だしな」


 ツクヨザルは真っ赤な顔をくしゃくしゃに歪めて笑った。


「んじゃ、行って来る!二度とこんな場所に戻るか!くっそじじぃども!」


 キコキコは毒づくと、ツクヨザルの背にぴょんと乗った。精霊仲間たちのブーイングが背後から追いかけてきた。



「行ったのう」


 精霊の長老ハスハスが、聖樹の一番上の枝の上で言った。


 彼の身なりといえば上等な葉っぱで身を包み、タマネギのような髪型に、顎鬚は足まで届く長さである。


「いくらなんでも、冷たすぎはしなかったですか」


 別の長老ジメジメが言った。二番目の枝に乗った彼は口ひげが立派な精霊だ。


「あれで、いいのじゃ」


「今回も、数年前に他界した、最長老さまの予言どおりになりましたな」


 ジメジメは、腕組みをしながら問いただす。


「ああ。あの方はわしよりも数年早く生まれ、三神の戦いを目撃なされた唯一の精霊じゃった。最長老さまの予言は、ヴィシュヌ様が遺されたお言葉を、そのまま伝承したものと言える」


 ハスハスの言葉に、ジメジメは何かを思いあぐねるような仕草をした。


「最長老さまは、新聖帝ハヌマの(めい)によってツクヨ大陸の聖樹が減少し、大陸が危機に瀕することも予言されてたと聞きますが…それを防ぐ手立てはなかったのでしょうか」


「ジメジメよ、おぬしがここにやってきたのは、ちょうど大陸中の聖樹が減少した十五年前じゃったな…おぬしは知らぬだろうが、あの当時のことは、思い出すだけでも悔しい。わしらが、どう手を尽くしても結局は予言どおりになりおった…審判の日より前の予言はすべてが覆らないというのは本当じゃ」


 ハスハスは聖樹の頂上から見える、水平線の向こうを見つめながら答えた。


「では…これより先に訪れる、審判の日以降の未来は白紙ということですな」


「そういうことになるな。しかし、言い換えるならば、審判の日-以前-は、予言どおりに事態が進みながらも、運命に導かれし者たちの直面した状況によって、微妙に彼らの心の在り方が変わってくる…。つまり、審判の日-以降-の未来の鍵は、今この瞬間の偶然も深く関わっていると言えるじゃろう。よって、わしらの役目は、導かれし者たちを遠巻きに誘導してやることのみ…」


「キコキコに冷たくされたのも、そのお考えあってのことですかな」


「現実に憤慨する若き精霊の旅立ち、というのも予言のうちじゃ。あやつが、わしらに甘やかされれば、旅立ちはするものの、心の在り方は違うものとなって…」


「…審判の日、以降の結果にも影響を及ぼす、ということですな」


「とはいえ、わしら以外にも導かれし者たちに影響を与えうる存在は沢山おる。世界そのものが未来に干渉を齎す…わしらは、希望にかけるしかないのじゃ」


「では、お互い世界の存続を願いましょうぞ」


 そう言うとジメジメも、ハスハスと同じく水平線を見つめた。あの海の向こう「はじまりの地」とされたトウゲン島を思いながら、じっと目を凝らした。


「むむむ!なにやらあちらから聖力の反応がありますぞ。いったい、どこの誰がこの大陸にやってくるというのでしょうかな。予言には何と?」


 ジメジメの言葉に、ハスハスは意味深く頷く。


「やって来たのは、これも予言どおり、ヴィシュヌ宝玉の持ち主が一人…。予言の少年、彼でしょうな」



 ツクヨザルに乗ったキコキコは、森の獣道を進みながら、そう遠くない波の音に耳を済ませていた。そこかしこで潮風に強い照葉樹林が蔽い茂り、聖樹は一本たりとも見かけない。


 チパンジ帝国の聖帝…改め、皇帝ハヌマの意向は、たった数十年でこんな辺鄙な森のあり方まで変えてしまったのかと思うと、残念でならなかった。


「百五十年前は、聖樹の樹液なんざ、腹いっぱい吸っても余ってたのによ」


 ふいに涙が零れ落ちた。


「ハヌマなんざ、無視すりゃよかったのによ…ええっと、ここの森は誰のものだっけか…え~っと、え~っと」


 精霊にとって森の環境がすべてであり、その地帯がどこの国に属するかは問題ではないものの、キコキコはこの森が「レスミレ王国の領土」であることをやっと思い出した。


「たしか国王のセプトは、悪いヤツに幽閉されてるとか、ツクヨガラスのクロベェに聞いたことがあったな…まぁ、おいらには関係ないけどよ」


 その時、ツクヨザルが歩みを止めた。背中にしがみついていたキコキコは「どうした急に」と叫ぶ。


「おい、何だあれ。キコキコ、分かるか」


 鷲の頭と翼の生えたライオンの身体…最近ここらでは見なくなった聖獣グリフォンが倒れていた。


「グリフォンじゃないのか?なぜあんな場所に…」


 キコキコはツクヨザルに教えてやった。十才そこそこの猿にとっては生まれてはじめる聖獣だったのかもしれない。「あれがグリフォンか」と、とても驚いていた。


「火傷してるじゃないか」


 ツクヨザルはグリフォンに近づき、言った。


「おい!降ろしてくれ!おいらなら治せる」


 キコキコは、ツクヨザルから飛び降りるとグリフォンの上に飛び降りた。とはいっても、小石が落ちた程度の重さなのでグリフォンに迷惑がかかることはない。


「イ…イサム…ほかの女のオッパイなんて…さわっちゃ…ダメ」


「なんだ、なんだ?イサムだ?彼氏の名前か?頑張れよ…ここ最近、松の樹液しか吸ってないから、あんま力を出せないけどよ…死ぬんじゃないぞ」


 朦朧とした意識で呟くグリフォンに向けて、キコキコは両手を翳す。眩い光の粒子が集まり、彼女の火傷を照らす。


「回復聖術…治癒(ヒーリング)



「あたし…なんで、こんなとこに…そうだ、悪魔に襲われて!」


 数分後、グリフォンは目覚め首を上下に動かした。


「おう、気がついたか」


 キコキコは彼女の目線に近づくため、ツクヨザルの背に飛び乗り答える。


「火傷が治ってる!あんたが治してくれたの?ありがとう!あたしの他に誰か見かけなかった?青い髪に緋色の瞳をした人間と、真っ白な毛むくじゃらのイエティ」


「いいや見てないな。しかし、さっき寝言で連呼してたイサムってのは彼氏の名だと思ってたが、人間やイエティじゃ種族がまるきり違うし、恋人じゃないよな」


「なに言ってるの、バカ」


 グリフォンは右翼でツクヨザルの背に乗ったキコキコを吹き飛ばした。


「いてて…なにすんだよ。ま、まぁ、聖獣は人と結婚すれば、人間になることはできるって話だけどよ、まぁいい、人の恋路にゃ興味ない。おいら、もう行くぜ」


「どこ行くの」


 土の上に落下したキコキコを見下ろすようにしてグリフォンが訊ねる。


「オーケスの森ってとこさ。ちょっくら聖樹の樹液を吸いたくってよ。ここからだいぶ離れてるけど、まぁ気長に行くさ」


「そのお猿さんに乗っていくの?」


「ああ、そうだが」


 キコキコはぴょん、とツクヨザルの背に飛び乗り答えた。


「人さがし…、イサムとチュッティを探すの手伝ってくれるなら、そこまで私が連れていってあげるわよ。病みあがりの私より精霊さんの方が、他人の聖力を探す感覚が研ぎ澄まされてると思うの。だから、力を貸して欲しいな。お猿さんなら数日かかる場所でも、私なら数時間でいけるわ」


「本当かい」


 グリフォンの申し出にキコキコは思案する仕草をした。


「キコキコ、悪い話じゃないと思うぜ。実はおれ、やっぱ帰りたいと思い始めたところでさ。やっぱり外の世界はいろいろと物騒で怖いしよ。空から行った方が、いくらか安全なんじゃないか」


 ツクヨザルは、自分の背に乗ったままの小さな友人に向けて本音を言った。


「そうか。それも、そうだな。よし!グリフォンの姉ちゃん、その話、乗ったぜ!おいらはキコキコ、よろしくな!」


「あたしはグリミ。頼りにしてるわよ」


 キコキコが背に乗ると、グリミはさっそく羽ばたいた。

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