チョコもどきでバレンタイン 2015 「闘神」
忍は悩んでいた。ハイドウェル家の自室で、1枚の紙を睨みつつ。悩み小さく唸り、かれこれ15アド。同じ部屋に居るミイドと獣神達には、彼女が何に唸っているのかが分からないでいる。その紙に何のまとまりもなく綴られているのは走り書きした日本語であり、彼らには異世界の日本語など解読出来ない。獣神が理解出来るのはオリネシアの会話と文字であって、異世界の言語は範疇外だ。
『うーん……』
〈何を悩んでいるのだ?〉
『シノブさん?』
〈主殿?〉
頬杖を付きうんうん唸ってばかりの忍に声を掛ければ、彼女は理解不能な文字だらけの紙をつついた。
『もうすぐさ、バレンタインデーなんだよねぇ』
〈うん?〉
『ば、ばれん……??』
『バレンタイン。日本では2月14日で、この世界だと……薫花の2月14日かな。日本ではちょっとした記念日なんだ。女性が好意を寄せる男性にチョコレートってお菓子をあげて『好きです』って伝える日なんだよー』
のんびりと間延びした答に、慌てたのは男共である。
『なっ、シノブさん好きな奴が?!』
〈主殿の心を奪ったやつがいるのか!〉
ミイドは密かに想う彼女を奪われる、白貴もまた変な輩が出てくるのではとふためいたが、忍当人はそこに恋愛感情など込めたつもりは更々ない。皇雅はそれを感じ取り何も言うことは無かったが、初耳の『バレンタインデー』なるものに興味を惹かれていた。そんな周囲に気付くことなく、忍はバレンタインについて語る。
『でも他の国ではチョコレートじゃなくて花束を贈ることもあるらしいし、それこそ男女関係無く自分が想っている相手に好意を伝える所もあるらしいんだ。ほら、国が違えば習慣も異なるから。
日本はあれだよねぇ。製菓メーカーの戦略だよね、絶対さ。チョコレート売りたいからってわざわざイベントにまでしちゃってさ……』
はあぁ、と盛大な嘆息。忍は今まで、バレンタインなる日を楽しみにしたことは1度もない。あげる相手は居なかったし、くれる相手は『先輩!』と慕ってくれる女子の後輩だった。
『せいか……?いべんと?』
〈戦略とは……戦でも起こるのか、そのバレンタインデーとかいう日は?〉
聞き慣れない『チョコレート』『バレンタインデー』、そして『戦略』に『製菓メーカー』。忍にはお馴染みの単語でも、彼らにはちんぷんかんぷんでしかない。
〈それで、シノブ。一体何を悩んでいるのだ?〉
『んー?ああ、これは日本独自の文化なのかもしれないんだけどね?その日相手に渡すチョコレートには種類があるんだ。恋慕の想いを伝える為の『本命チョコ』、友人に『これからもよろしく』って伝える為の『友チョコ』。程々に付き合いがある相手に贈る『義理チョコ』……中身はみんな同じチョコレートなんだけど、その種類によってその込められた思いが変わるの』
〈ふむ?〉
『でね?私には『本命』はないけれど、とても大事な人達にはあげたいなぁって。『いつもありがとう。これからもよろしくお願いします』って気持ちを込めて。……でも、問題があって』
忍はまた紙をつつくと頬杖をし直す。
『材料がね……無い気がするんだ。東地方の森でも見たことは無かったし。作り方はわかるけど、あれは既に加工品だしなぁ……』
科白の中程から、最早独り言のようにぶつぶつ唸る。『加工品』とはなんぞや。やっぱりミイド達には理解出来ない。
『皆も加工品なら見たことあるよ?そこらじゅうに溢れてるじゃない。お茶だって加工品だし、干し肉だって加工品だと思うし。要は自分達が食べる為に、食べられる様に手を加えたものの事を『加工品』って言うんだ。流石にお肉を生のままでは食べないでしょ?』
くすくすと愉しげに笑う彼女だったが、ふと何か思い出したように思案する。
『そういえば……あの森、豆科群生してたっけ。地中海原産のも幾つか見つけたし、うーん……あるかな?いや、でもまず許可貰いに行かないと……』
暫くああでも無いし、こうでも無いしと悩んでから、忍は決めた。東地方の森へ探索に行くことを。
***
3日後。
忍と皇雅、白貴にミイドの4人の姿が白貴が土地神である東地方の森にいた。今回はミイドの愛馬とトゥラはハイドウェルの屋敷で留守番である。皇雅に2人乗りをし、馬神としての能力を発揮したのだ。白貴は言わずもがな、ひと足先に森に戻っている。
『僕も行く。シノブと遠乗りしたいんだ!』
そう意気込んでいたイーニスには悪いことをしたと忍は思う。だが仕方がない。現時点で唯一皇雅に付いてこれる馬トゥラはミイドの愛馬であり、イーニスを乗せないのだから。
『で、何を探すんだ?シノブさん』
『えっと、豆科のキャロブって植物なんだけど』
キャロブの特徴を伝え、皆で広大な森を探索していく。キャロブは地球の植物だ。地中海付近で栽培される豆科植物で、栄養価も高い。が、今回シノブは栄養価云々で探していたわけではない。
実はこのキャロブ。チョコレートの代用品として利用できるものなのだ。いくら忍が植物に造詣が深いとはいえ、もし見つかったとしてもカカオを加工する事は流石に出来ない。ならば代わりになるものはと頭の引き出しをあちこち探った中で引き当てたのが、キャロブだった。
白貴の2匹の息子達も手伝い、運良く見つかったは良いのだが、その量は実に大量。レモンバーム並みに群生していたのだ。更に言うと、地球でいう砂糖に当たるトウキという植物まで発見した。見つけたのは白貴の息子達だ。お手柄である。
そうしてたくさんのキャロブの実と、トウキを携えハイドウェルの屋敷に戻って来た忍達は、料理長アルヌの助けを借りて厨房でチョコもどきを作り始めた。
トウキから抽出した液糖を加えたり作り方を変えてみたり、現代日本知識を頭から引っ張り出しては試行錯誤する。
アルヌにとっても見たことが無いトウキやキャロブに驚き、そしてその利用方法に刺激を受けていた。
そうして来たる薫花の2月14日。
『え!俺達にもくれるんですか?』
『僕に?シノブ、ありがとう』
『おや、私にもくれるのかい?シノブは面白いものを作る。……甘いな。苦味もあるが中々良い』
イーニスやダウエルといった面々にキャロブのチョコもどきを手渡し、忍は日頃の感謝を伝えていった。
それをどこから聞きつけたのか、『俺も食いたい』とアルダーリャトやハッサドが忍に手を出すのはこの数日後のこと。