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テガミ  作者: 蒼原悠
二〇一五年十一月二十三日。
4/23

Re:bound





 次の日の、朝が来た。


 よっぽど疲れていたのか、安心したのか。七時を過ぎ八時近くになっても、タクマくんは起きてこない。朝ごはんを食べてお弁当も詰めて服も着替えた私は、彼の眠る部屋をそっとまた覗いた。

 わ、すごい。私より何倍も寝相がいい。ぐっすり寝付いているみたいだ。

「……朝ごはん、机の上に置いておいたからね」

 静かに呼びかけると、私は扉を閉めた。書き置きまでしてあるし、さすがに分かるだろう。

 教科書、ノート、筆箱に財布。忘れずにお弁当も入れて。カバンを担ぐと、私はアパートの外に出た。秋の空気が、肌に冷たい。道路に重なった落ち葉が、よけいに哀愁を誘う。

 行ってきます、と後ろのアパートに言うと、自転車に飛び乗る。

 高校までは、ほんの少しだ。




◆◆◆




 私の住むここは、東京都武蔵野市と名付けられている。

 十四万人もの人々が、大して広くもない市域にひしめいている町だ。人口密度の高さは、都内の市では一番を誇っている。誇っていい事なのかは知らないけど。

 東西に長い市の東側には、多摩地区でも有数の商業集積都市・吉祥寺がある。繁華街が続くのは中央部の三鷹駅までで、西側にある武蔵境駅周辺は閑静な住宅街が延々と広がっている。緑も豊富に残っていて、田舎と都会が隣り合って共存しているような──そんな場所だ。


 私が独り暮らしをしているアパートと通っている都立高校は、そんな穏やかな空気流れる武蔵境駅の北側の家々の中にある。

 制服がなく、全体的に自由な校風のこの高校は、雰囲気ものびのびしていて好めるなって思う。立地とお金の安さでしか選んでないけれど、それだけの条件でもいい学校がたくさんあるのがここ武蔵野だ。

 今日は、月曜日。一週間の最初の日。





「あーもう!」

 現国の授業が終わったとたん、前の席の子が大声を上げた。

「もうやだ、あたしこの教科嫌い! ぜったい嫌い!」

「一学期は逆のこと言ってたじゃない、有沙(ありさ)

「一学期は小説だったからよかったの! なに、論説文って?あんなの読んで何が楽しいの!?」

「……先生、まだそこにいるよ?」

「知るか! だいたいテーマだって面白くも何ともないじゃん! 戦時下の軍需工場のことなんて勉強したくなんて……あ痛っ! あああっ先生! 何でも! 何でもありませんからあっ!」

 つかつかと歩み寄ってきた現国の先生に、教科書で頭を小突かれてる。あーあ、だから言ったのに。

 この騒がしい子の名前は、久保(くぼ)有沙。頻繁に話すという定義で言うのであれば、数少ない私の知り合いだ。

「ねーちょっと、咲良はあたしと同感じゃないの? 咲良、文芸部員なんでしょ? 論説文は小説の敵でしょ!? だよね!?」

 いきなり矛先を向けられて、ちょっと返事に困る。

「え……。そりゃ私、小説は書いてるけどさ。論説文だってそこまで嫌いじゃないよ」

「裏切り者ー!」

 勝手に裏切られて勝手に沈んでゆく有沙。

 有沙の言う通り、私は文芸部に所属している。中学生の頃に小説を書くようになった私は、高校に上がったタイミングで文芸部に入る事を決めた。今は何の運命か、副部長まで務めさせてもらっている。有沙は料理部だから、活動日も時間もバラバラだ。

「むしゃくしゃする。なんか作りたい」

 机に突っ伏したまま、有沙が呻いている。

「今日、咲良の家行っていい? キッチン借りてお菓子でも作りたいよー」

 私は即答した。

「今日はダメ」

 今日はというか、当分ダメかもしれない。

 今家に入られたら、タクマくんがいるのがバレてしまう。それだけは防がなきゃならないだろう。

 それに、有沙にキッチン使われると使われっぱなしだし。もっとちゃんと片付けてほしい。

「けちー、ばかー!」

 低レベルな貶し文句を並べ立てる有沙をよそに、私は日の傾いた秋の空を眺めていた。


 タクマくん、ちゃんとご飯、食べたかな。お昼の分まで用意しておいたんだけど。

 昨日はああ言ったけど、いざ今日になってみても具体的な対策が思い浮かぶ訳でもなかった。結局、問題を先送りしただけだ。私は何をしたらいいのだろう。

 そんなことばかりを思っていたせいか、今日の授業はちっとも頭に入ってこない。


「後で、図書館に寄ろうっと」

 風のような囁きが、窓の外へと吹き出していった。





◆◆◆




 記憶喪失。

 正しくは、「全生活史健忘」と言う。自分や自分に関わる情報が、どうしても思い出せなくなってしまう病気だ。

 原因は大概の場合、心理的ストレス。稀に、頭部に外傷を負った時に脳震盪を起こし、それで記憶が吹き飛んでしまうケースもあるみたい。話を聞く限り、今回タクマくんが陥ったのはこの場合なんだろう。

 全生活史健忘はほとんどの場合、自然に記憶が回復することで終了するのだという。催眠療法を用いることもあるけれど、普通は記憶の手掛かりになりそうなものに少しずつ接触させることで回復させるやり方を取るみたい。急激に回復する場合もあれば、何ヵ月もかかる場合もある。どちらにしろ、いつかは治るんだ。



 枯れ葉の雨の中を自転車を漕ぎながら、私はさっき図書館で捲った本の中身を思い返していた。

 決めたのだ。タクマくんの記憶を早いうちに取り戻す事で、早期解決を図ることに。ならば私のすべき事は明瞭、記憶喪失をどうにかする方法を調べる事のみだ。

 この記述通りになるのだとしたら、タクマくんもしばらく大人しくしていれば治るのかな。それだと楽でいいんだけど、時間がかかったら困るな……。

 澄み渡った武蔵野の秋空は、黙って見上げているだけでなんだか心が洗われそうだ。この景色が好きだから、この長閑な街並みが好きだから、ここに残ろうと思ったんだっけ。懐かしい日の自分に、私は思いを馳せる。

 帰ったらまず、どうしようかな。昨日は一文字も執筆進めてないし、小説の続きでも書こうかな。

 暢気に口笛を吹きながら、自転車をアパートの前に止めた私は二階に上がった。背後を、別の自転車が走っていく音がした。







 ドンッ!





 えっ?

 今の音、部屋の中からだった?

 間違いない。断続的に響く音は確かに、金属扉の向こうから聞こえてきてる!

「ちょっと、タクマくん!?」

 私は急いで取り出した鍵をドアに突っ込み、回して引き開けた。

 途端、何かが唸りを上げて飛翔してくる!

「わっ!?」

 必死で前に突きだした腕が、それを掴んでいた。ってこれ、私のぬいぐるみっ……。

「来るなぁっ!!」

 その時、向こうから金切り声が飛んできた。あの声、タクマくんだ。

「こっちに来るな! 来るなって言ってんだろぉっ!!」

 叫ぶタクマくんの手を離れたモノが、次々に飛んでくる。上着、クッション、本……!

 どうしちゃったんだろう!? こんなこと、する子じゃなかったのに!

「やめて! 投げるの、もうやめてっ!」

 私も叫び返しながら、ぬいぐるみで何とか投擲攻撃を避け続ける。ああ、私の部屋、もうめちゃくちゃだ……!

「止めるもんかっ!」

 暴風の中、タクマくんが怒鳴った。怯えきったその目が、私をぎらぎらとした光で睨み付けている。

「お前、僕のことを捕まえに来たんだろう! そんなことさせない! 僕にはまだ、探さなきゃいけない物があるんだぁあっ!」



 怖い。


 目と目が合った瞬間、私の身体の中を電流が駆け巡った。

 怖い。その時、本気でそう思った。



 そこまで叫んだところで、急にタクマくんの上半身がふらりと浮いた。力を失ったように、そこに倒れ込む。

 よかった、下は布団だ。ぬいぐるみをそっと床に置くと、私は動かないタクマくんのもとへと走り寄った。

「大丈夫!? どうしたの!? 何があったの!?」

 喉が裂けそうなほど叫んでやっと、タクマくんは目を開けた。

 もう、普通の目に戻っていた。

「あ……れ、僕……」

「どうして? どうして突然、あんなことしたの?」

 問いかけが、うまく声にならない。手で身体を支えてあげると、タクマくんは身を起こして頭を振る。

「……おかしいな、そこに警察がいたんですけど……」

 警察……? この部屋の中に?

「いないよ」

「そんなはずないです、見たんです。最初はそこの窓から警官が自転車で走ってるのが見えて、そしたらその音が玄関に回り込んできて……!」


 混乱してるんだ、タクマくんは。

 取り敢えず、私はそう結論を出した。きっとタクマくんは、相当な心理的ストレスを溜め込んでるに違いない。頭を打って全生活史健忘に陥ったのも、それなら頷けるもん。

 ドアの外を覗いても、やっぱり警官なんて見当たらない。あれだ、私が自転車を停めた時に後ろを通過してった、あれが警官だったんだ。

 見えないところでこっそり、私はため息をついた。この有り様じゃ、記憶が戻ったって警察には引き渡せそうにないな……。


「大丈夫だよ。君のこと、誰も捕まえには来ていないから」

 そう告げると、へなへなとタクマくんは床に座り込んでしまった。「……すみません、誤解しちゃって……。僕、僕…………」

……何だか私も、疲れちゃったな。黙ってタクマくんの横に座ると、私もそっと目を閉じた。

 急に色んな音が聞こえはじめてきて、しかもそれがどんどん耳へと迫ってくるような感じがする。


 警察の姿が見えただけで、ここまで恐怖心を抱くなんて。ちょっと異常じゃないかとさえ感じる。過去に追い回されたりでもしたんだろうか、って思うくらいだ。

 こんな環境にタクマくんを置いた私も、悪かったんだな。でも一体、どうすれば……?



「……落ち着いたら、ちょっと出掛けよっか」

 その言葉に、タクマくんは静かに頷いた。






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