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短編集 【青林檎】

悲恋鬼火

作者: 大西ピコ

 鍛冶屋の与作は、堤燈を片手に河原を歩いていた。さっき村の寄り合いがあって、ほろ酔いのいい気分、ふらつく脚をどうにか真っ直ぐ立たせた。

「人か?」

 川面にぼんやりと二つの灯りが浮かんでいる。

「おかしいなぁ。川の上を人が歩くわけもねぇ」

 やがてそれらはもつれ合い、川の底に沈んでいった。

「なんだ、気のせいか」

 鼻歌を歌いながら、家を目指していると、自分の影が道に伸びた。

「おりょ? もう夜明けかい?」

 そこで、我に返る。そんなはずはない。今は亥の刻。真っ暗な道中を歩いてきたではないか。

「た、たすけてくれーーー!!」

 与作は必死に逃げ回り、とうとう川へ飛び込んだ。二つの火の玉は与作の頭上をくるくると回り、すぅっと消えていった。


「じゃんじゃん火が出たんだ」

 翌日の話題はそれで持ちきりだった。仕事場の皆が身震いしながら、事の次第に耳を傾ける。

 あれからずぶ濡れの与作が家に転がり込んで帰り、布団に蹲ったまま動かなかったと、女房が笑いながら言った。

「おい、おめぇら、じゃんじゃん火はな、悲劇だぞ。ありゃあ、心中した男と女の魂が彷徨ってるんだ。あんまり面白おかしく言うと呪われて川の底に引きずり込まれちまう」

 一番年老いた職人が、ゆっくりと、低い声で言った。




 お市は、ずっと待っていた。川面には揺ら揺らと星明りが漂っている。もうじき、亥の刻。生ぬるい夜風が肌にまとわり付いてくる。太兵衛よ、早く来い、と心の中で願い続けてどのくらい経っただろう。愛しい眼差しが甦ってくると、体の芯が熱くなった。時折小川で小魚が跳ねてぴちゃんと音を立てる。その度に、気ばかりが焦るのであった。

 暗闇の中、柳の木陰に、太兵衛が現れた。お市の胸は締め付けられるように高鳴った。

「待たせたな。悪かった」

 骨ばったその腕に抱きしめられ、自然と涙が頬を伝った。


 

 

 つい十日ほど前。着物問屋の大店『夕月』では、盛大な婚儀が行われた。白無垢に身を包んだ跡取り娘のお市は、浮かない顔をしていた。母が心配して声を掛けるけれど、その声はお市の耳には届かなかった。頭の中は、太兵衛のことで一杯だった。結ばれないとは分かっていても、許されないとは分かっていても、この世で好いた男は彼だけだった。隣で微笑む旦那となる男は、老舗料亭の次男で、いかにもおぼっちゃんという風で、もやしのようにひょろ長く、頼りなさそうで、太兵衛とは正反対。今夜にでもこの男に抱かれることを思うと、自害した方がましだと思えるほどだった。太兵衛は、武家の息子だ。小松家の跡取りとして、立派に育てられた、強さの中にもしなやかさを持った、逞しい人。そうであるか故、二人の淡い恋は決して実らないものだった。


 出会いは、一年前の夏。弟達を連れて、川へドジョウを採りに出かけていた。はしゃぐ子供らを眺めながら河原に腰を下ろし、鼻歌を歌っていた。お市は、歌が好きだ。偶然通りかかった二本差しのお方に、はっと身を竦め、地面に両手を付いた。

「よい、面を上げなさい」

 恐る恐る顔を上げると、美しい、整った面がこちらを見下ろしていた。

「美しい声だ。もう一度お聞かせ願いたい」

 気持ちのよい笑顔を作り、お武家はお市の隣に座り込んだ。

 そしていつしか二人は打ち解けて、こっそりと逢瀬を重ねていった。


 初夜も、その次の日も、体調が悪いと偽って、お市は旦那に身を許さなかった。三日目の夜。投げ文があった。太兵衛からだった。

『七日後の亥の刻 小川の畔で待っている』

 太兵衛も、眠るに眠れぬ夜を送っていたのだ。



「じきに追っ手がやってくる」

 お市を抱きしめたまま太兵衛が言った。

「もう、戻るつもりはありません。覚悟はできています」

 これほどの幸せがこの世にあるだろうかと、固い胸に顔を埋めながら、時間を噛み締める。

「幸せになろうな、お市」

「はい、太兵衛様」

 二人は紐で互いの手足を括り付け、川へと進む。その後姿は、なんとも美しく、悲しい幸せに満ちたものだった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 時代劇は大好物なのです。 ホラーというので手が鈍りましたが、読んでみれば悲恋もの。 これなら安心して寝る前に便所へ行けます。 [一言] 時代劇には環境の自由度があると思います。 どうか、…
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