かかる世の古言ならでは
源氏物語 第二十五帖 蛍(玉蔓十帖の第四帖)より、光君が玉蔓に語る「物語論」の部分を意訳してみました。
光君がここで語る「物語論」こそが源氏物語が書かれた原動力でもあり、千年を経ても変わらない「物語ることへの欲求」のように思います。
かかる世の古言ならでは、げに、何をか紛るることなきつれづれを慰めまし。
六条院 西の対にて
長雨の季節のなぐさめに物語を好むところを、光君はあからさまに悪しざまに申されたので、玉鬘はすっかり機嫌を損ねてしまいました。
玉鬘の気色が面白くなさげになったのをごらんになって、光君は、こうすぐに胸のうちを見透かせるなど可愛らしいものだと思いながら、取りなすように申されました。
「おやそんなお顔をさせてしまうとは、せっかくお楽しみだったところに水をさしてしまったようだ。まあもう少しお聞きください。私はこうも思うのですよ。」
光君は鷹揚に笑みを浮かべると、その辺りにとり散らかしてあった草子を手に取られました。
「遠い神代の昔からこれまで、この世で起こったできごとがめんめんと綴られているとして、およそ教養を心得た誰もが、史書を学ぶことこそがめでたき学問と称えますね。けれども実のところ、日本紀などの史書は、起こったできごとのほんの一部分を記すに過ぎないのではないか、とね。」
その声音には、玉鬘も背けた視線を戻さずにはいられない響きがありました。
振り向いた玉鬘の視線をとらえて、光君は
「これはだれそれが伝え記す、なぞとあらわにしていなくても、こうして巷で語られている物語にこそ、ほんとうの意味での歴史が残っているのかもしれません。」
と申されました。
物言いたげに開いた口許に慌てて手をやった玉鬘のかたわらへ、光君はすいと寄って腰を下ろされました。
「日々起こっては過ぎてゆく、多くの善いことや悪いことが人の目に写るでしょう。見ても見飽かぬ美しいできごとや、一人で聞くだけでは憎み足りないできことに出会うと、誰もがひとり胸のうちに留めておくのが難しくなって、誰かに聞いて欲しいと思うのではありませんか。」
光君が玉鬘の見開かれた眼を覗き込んでみても、玉鬘はこれほど身近に光君がおいでなことに気づいてもいないようでした。
「そういったことがらが語り伝えられて、やがて当世の人が知るだけでなく、後々の世まで伝えたいと思う人が現れて、物語というものが書き始められたのでしょう。」
光君の語る表情やお声の響きはいつになく真摯で、玉鬘はすっかり光君の語る言葉に引き込まれておりました。
「分かりやすく、伝わりやすくと思うから、よいとされることは誇張してみたり、また一方を引き立てるために、他方を極端に悪く仕立てあげてみたりもするでしょう。まったくありもしないことではなくて、人ならば誰の中にでもある、美しいところや欠けているところが書かれているのが、物語というものかもしれませんね。」
玉鬘が、小首をかしげて聞き入って、自分の語る言葉一つ一つに目を輝かせたり、ため息をつくさまを見ながら、光君はまたなんと素直で可愛らしいところのある方よと、生まれや来し方が、この方の心根を損ねなかったことをありがたいことだと思っていました。
「海の向こうの文学者が書き記すものは広大ですし、この国のものでも、昔書かれたものと近ごろ書かれた物語とは違う趣があるでしょう。書かれていることの深さ浅さに違いはあるでしょうが、どれも皆嘘であるなどと言い切ることはできますまい。」
一言も聞きもらすまいと、ひたむきに見上げてくる玉鬘の愛らしさは、お綺麗な女君を見慣れた光君でさえも、いったいどうして自分は、このままこの愛らしい方にむざむざ他の男君を通わせようなどと考えているのかと、一度は定めたはずの心根まで覚束なくなるほどでした。
「み仏の正しいお心で説かれた経典の中にも、方便というものがございましょう。悟るところ少ない者は、そういったものを見るとこれは真実正しいものか、悟りなど実はありはしないのではないかなどと迷うところかもしれません。方等経などにはことに方便が多く用いられておりますが、その実よく読めば、どんな教えも行き着くところは同じで、すすんで菩提心を持ち、煩悩を退けなさい、ということが得心できるものでしょう。」
み仏の教えなど持ち出してみたところで、一度光君のお心の内に思い出された、玉鬘を惜しむ想いが散じるでもございません。
さて我が心ながら、なんと思い通りにならないものかと、光君はひとり胸のうちで可笑しく思われておりました。
「ですから、物語の中で善悪を描くのも同じことと言えましょう。」
手にした草子を何とはなしに開いて見ると、そのしぐさにつられて、玉鬘もごく自然にその開いた草子を見るように身を寄せて来ました。
「それにしても、いかがです?。」
不意に光君は草子から顔をあげて、身を乗り出してきた玉鬘の顔を覗き込みました。
「当世風でなく堅苦しく古さびた物語の中にでも、どれほど冷たくあしらわれても愚かなまでに生真面目で不器用に心変わりしない、私のような男がおりましょうか。とても本当とは思われないような物語の中の姫君にも、あなたのように恋い慕う殿ばらに冷淡で、相手の想いをそ知らぬ顔で踏みにじるような冷たい方はいらっしゃいますまい。」
光君の声音はいつのまにやら、日頃のみやびおの口説に変わっており、玉鬘は気色ばんで身を引こうとしましたが、一息早く、光君にその手を取られてしまいました。
まあ口惜しいこと、やはりこういう方なのに、ついつい心を許してこれほど身近に招かれてしまったとは。
取られた手を振りきるすべもなく、そのまま光君に引かれて懐へとおさめられながら、玉鬘はどうやってこの場を切り抜けたものかと、めまぐるしく頭を働かせながら、せわしなく打つ胸元には冷たい汗をかいておりました。
「想う方も想われる方も、こんなに珍しい二人はまたとありますまいよ。いっそのこと、あなたと私を物語にしたなら、誰の耳目も驚かせる物語になるかもしれませんね。」
懐のうちで身を固くした玉鬘の小さなつむりを撫でながら、光君は悠々とおっしゃって、今や深窓の姫君にも優るかと思われるほど、長く美しく伸び整った玉鬘の髪の冷たい手触りを楽しんでおりました。
細い首をすくめるようにして、くぐもった声で玉鬘は「物語なぞにおさせにならないでも、このようにあさましい振る舞いは、すぐさま人の口の端に上って語り草になりましょう。」 と答えました。
「その冷たいおっしゃりようこそが、私にこれほどあさましき振る舞いをさせておいでだとは、夢にも思わないと仰せなのですね。さもありなん。なぜ私はこれほど省みてくださらぬ人に、こんなにも焦がれてしまうのでしょう。」
まるで本当にうちひしがれたような光君の声音に騙されまいと、強いて聞こえぬ振りを装いながら、そのくせ光君の一言一句に、逸る胸がいちだんと高鳴るのはどうしたことかと、玉鬘の困惑は自身にも深くなっていくのでありました。
光君の詠まれた歌 思ひあまり昔の跡を訪ぬれど 親に背ける子ぞたぐひなき
玉鬘の返した歌 古き跡を訪ぬれどげになかりけりこの世にかかる親の心は
ずいぶん以前に試みとして意訳してみたものですが、思うところあって投稿してみました。
源氏の現代語訳は多くの先生方が成し遂げられておいでですが、お一人ごとの個性が現代語訳にも現れて、読み比べてみるとさらに源氏の味わいが深まるように思います。
素人の真似事ではありますが違いをお楽しみいただければ幸いです。