Chapter 4
僕の家族は、僕が四歳の初夏にこの町に引っ越してきた。その前に住んでいた町の記憶は、僕には無い。その頃の僕の家族は四人家族。父、母、姉、そして僕。
始めの頃は幸せだったと思う。家は古かったけど小綺麗で住みやすかったし、庭でバーベキューやったり、水遊びしたりして、楽しかった記憶がある。
そのうち、父が忙しくなったのか、家の中で滅多に顔を合わせなくなった。夏が過ぎ、秋が来て、姉が小学校に通う間、僕は母に外で遊んでいろと言われることが多くなった。母がそう言う時は、大抵見知らぬ車がうちの前にやって来た。
やがて冬になって、外で遊ぶのも大分辛くなってきた。僕は動いている方がマシだと思って、当ても無く歩き始め、知らないうちに森の中に入っていた。あれほど怖いと思っていたのに、入ってみると、意外と森の中は色んな物が転がっていて楽しかった。
僕は木の枝や枯葉や木の実を必死になって集めていた。何のために集めていたのかは、全く覚えてない。そこに転がる全てのものを自分のものにしたかったのかもしれない。
「ねえ、あなた、どこの子?」
突然声を掛けられて、僕はビックリして顔を上げた。そこには、ビックリした僕にビックリした女の子が両目を見開いて立っていた。
「ジェニー? どうしたの?」
遠くから、優しそうな女の人の声がした。ジェニーはハッとして後ろを振り向くと、その声に向かって大きな声で答えた。
「マミー。ここに、男の子がいるの」
「え?」
ジェニーの言葉に驚きながらやって来たローラは、僕を見るとさらに驚いた。
「あら。あなた…。確か、ウィーザーさんのところの男の子ね? えっと、ダニー君、だったかしら?」
僕は当時、母にダニーと呼ばれていた。僕は全く知らなかったのだが、ジェニーの家族が一度うちに挨拶に来たことがあって、僕はその時、庭で穴を掘って遊んでいたらしい。
「まぁ、そんな格好で、寒いでしょう? こんなところで何をしているの?」
ローラは彼女が着けていたマフラーを取ると、ローラの問に何て答えたらいいのか分からずにモジモジしていた僕の首に巻いてくれた。吐く息が少し白くなるほどの気温だったのに、僕はジャケットも着ずに外にいた。マフラーは柔らかくて、何だかいい匂いがした。
「あ、ありがとう、ございます…」
お礼を言った僕に、ローラはニッコリと微笑んだ。
「まあ、礼儀正しいのね。ジェニーもダニーみたいに素直にお礼が言えるようになるといいのにね」
ローラの言葉に、ジェニーが少し赤くなりながら両頬をぷーっと膨らませた。
「い、いいじゃない!」
「はいはい。ダニーは一人でここまで来たの?」
ローラの問に、僕はこっくりと頷いた。
「あら、そうなの。じゃ、うちに寄って行きなさい。一緒におやつの時間にしましょ? その後で私がお宅に送り届けてあげるから。ね、そうしましょ?」
「え、で、でも…」
僕がまごまごしていると、ローラが僕の右手を取った。
「ほら、手もこんなに冷たいし。お腹、空いてない? 今日は少し冷えるから、あなたを一人でここに置いて行くわけにはいかないわ。さ、いらっしゃい?」
「う、うん…」
僕が頷くと、ジェニーが嬉しそうに僕の左手を取った。フワリと何か甘い臭いがした。
「じゃ、行こ! ジェニーね、今日、マミーと一緒にクッキー焼いたんだ!」
ああ、クッキーの匂いか。でも、クッキーの匂いって、こんなに美味しそうな匂いだったっけ…? それに、クッキーって、家で焼けるんだ…?
「すごいね、ジェニーはケーキ屋さんになれるね」
僕がそう言うと、ジェニーがはにかんだように笑った。
「なれないよ。だってジェニー、クッキーに飾り付けただけだもの」
「飾り?」
クッキーに飾りなんてあったっけ? そう思いながら首を傾げている僕を見て、ローラが笑いながら言った。
「あら、ダニー、よかったらやってみる? 飾りつけの済んでないクッキーがまだ沢山残っているし」
「いいの?」
「もちろん。いいわよね、ジェニー?」
「うん。じゃ、ジェニーもやる!」
「あらあら。さっきは飽きたから外に行こうって言い出したのにね」
僕らは笑いながらジェニーの家に到着した。
ジェニーの家は僕らの家と同じように古い家だったけれど、二回りくらい大きな家で、自然光が差し込むリビングがとても暖かい場所に感じられた。
暖炉の上には家族の写真が沢山飾られ、沢山の笑顔に包まれて、そこには確かに「幸せ」があった。
僕はジェニーと一緒にクッキーにピンクや黄色のアイシングを塗り、チョコレートやカラフルな色のデコレーションを振りかけた。
出来上がったクッキーをジェニーと一緒に食べていると、キッチンからローラが首を傾げながら出てきた。
「おかしいわねぇ。ねえ、ダニー。あなたのお母さん、おうちにいらっしゃるのよね? さっきから何度かお電話してるんだけど、全然お出にならないの」
「うん。僕に、お客様が来るから外にいなさいって。僕が外で遊んでたら、お客さん、来たよ?」
「その方と一緒に、外に出掛けてしまったのかしら…?」
「…知らない」
僕がそう言うと、ローラが困ったような顔をして微笑んだ。
「そう。じゃ、もう少しうちでジェニーと遊んでいなさいね?」
「いいの?」
「ええ」
それからしばらくして、やっと僕の母親と連絡が取れたローラは、僕を車に乗せて送ってくれることになり、ジェニーが余ったクッキーを綺麗な色の花のプリントが入った紙に包んで「お土産ね?」と言って僕にくれた。
日も沈んだのに、僕の家は電気もほとんど付いていない状態で、何だか薄暗かった。
ローラが玄関のベルを押すと、しばらくしてから僕の母がドアを開けた。
「こんばんは。お電話させていただいたオルセンです。ダニー君を送ってきました」
ローラがニッコリと微笑みながらそう言うと、僕の母は無表情のまま「そりゃどうも」と言って僕の腕を掴んで家の中に入れた。
「え…?」
あまりの勢いに、僕は何が起こっているのかさっぱりわからなかった。
「あ…」
何とか振り向くと、ローラが何かを言いかけたまま、玄関のドアが乱暴に閉められた。
母は僕の腕を掴んだまま薄暗いリビングまで僕を連れて行くと、パッと手を放した。その反動で僕はよろけて、手に持っていたジェニーから貰ったクッキーの包みが僕の手を離れて床に転がり落ちた。
「あ!」
それはリビングでテレビを観ていた姉の足元まで転がり、姉が包みを拾った。
「何これ?」
「…クッキー。ジェニーにもらったんだ」
「ふーん」
姉はそう言いながら、僕に取られないように包みを高く持ち上げた。僕は一生懸命にジャンプをしたけれど、どうしても手が届かなかった。
「返してよ。それ、僕のだよ?」
「へえー」
姉は包みをしばらく眺めていた後、おもむろにそれを床に落とした。僕がそれを拾う前に、姉は包みを思いっきり踵で踏みつけた。バリバリとクッキーが砕ける音がリビングに鈍く響いた。紙の包みが破け、クッキーの欠片が床に散らばった。
「な、何するんだよ!」
「あら。クッキーなんて虫歯になったり、太ったりするだけよ? そんなもの、いらないじゃない」
「僕のだぞ!」
「へえ?」
「返せ!」
「じゃあ、持ってけば? そこにあるじゃない」
姉は床の上にグチャグチャになった包みを見下ろしながらクスリと笑うとソファに座り直し、またテレビを観始めた。
僕は涙目になりながら包みを床から拾い上げた。中のクッキーは粉々になっていて、包みの裂け目からパラパラと欠片が零れ落ちていく。
「せっかく、僕に、くれたのに…」
クッキーの包みを持ったまま立ち尽くしていると、キッチンから出てきた母が忌々しげに「あーあー。こんなに散らかしてくれて。後で自分で掃除しといておくれよ?」と溜息を吐きながら言うと、気だるそうにそのまま二階へ上がっていった。
僕は言われた通りに床を片付けると、キッチンで包みにかろうじて残っていたクッキーを食べた。クッキーは甘くて美味しかったけど、僕の気持ちは沈んだままだった。
それから四年後、母が突然姿を消した。男と逃げたらしい。
それから二年後、父が再婚して義母と義妹がやって来た。
それから五年後、義母は義妹を連れて出て行った。
年を重ねる毎に、この家からは幸せが零れ落ちていく。あの日、僕の手の中から零れ落ちていったクッキーの欠片のように。
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ジェニーの父、マイクから同居の申し出を受けてから、十日が過ぎた。
それまで家やオフィスに何度も電話しても全く捕まらなかった僕の父が、その日は勤務先に電話を掛けたらやっと捕まった。僕の家族は誰も携帯を持っていないから、こういう時に本当に不便だ。
「何か用か? 金なら、今無いぞ?」
電話口で開口一番に不機嫌そうに吐き捨てられた。これが久しぶりに会話する父からの第一声とは、本当に情けない。
「お金のことじゃないんだ。僕、オルセンさんから彼らの家に一緒に住まないかって誘われてるから、行くね」
「は? オルセン? うちの近所の?」
「そう」
少しの沈黙の後、父がブツブツと言い始めた。
「―で、俺はいくらオルセンに払わなくちゃいけねーんだ?」
「は?」
僕は父の言っている言葉の意味がよくわからなかった。僕が困惑したまま沈黙していると、父が溜息を吐きながら言った。
「だーかーら。オルセンは、お前をヤツラの家に住まわすのに、一体いくら金を要求してんだよ」
(ああ、そういう意味か)
理解できたのは嬉しいけれど、その内容は全く嬉しくなかった。
僕は父に聞こえない様に溜息を一つ吐くと、「タダだよ」と答えた。
「はあ? 『タダ』って言ったか? お前」
「うん。気にするな、遠慮するなって言ってくれてる」
僕がそう言うと、途端に父の声色が明るくなった。
「なあんだ。そうか。なら、とっとと行け。じゃあな」
「あ、ちょっと待って。一筆サインして欲しい紙があるんだけど」
「…何だよ」
父の声がまた不機嫌に戻った。
「僕がオルセン家に同居することを、父さんが許可したっていう覚書だよ。ほら、僕、一応まだ未成年だから。ちゃんと、オルセン家での生活には父さんは一切関与しないって書いてあるから、安心してよ。お互いを守るためにも、サインして欲しいんだけど? 忙しいなら、オフィスに今から持って行くけど?」
「はあ。あー、まぁ、わかった。なら、オフィスにとっとと持って来い。その場でサインしてやる」
「オーライ。じゃ、今から寄るね」
電話を切ると、横で会話を聞いていたジェニーが小さな溜息を吐いた。
「相変わらずねぇ~。じゃ、今すぐ、おじさんのオフィスに行くのね?」
そう言いながら車のエンジンを掛け始めたジェニーに頷きながら、僕はジェニーに借りていた携帯でマイクに電話を掛けた。すぐに電話に出たマイクに、これから父のオフィスに向かうことを告げると、マイクと向こうで落ち合う段取りを整えた。
電話を切ると、僕はジェニーに携帯を返しながら言った。
「さて。これで準備はOK。僕としては、今すぐサインしてもらいたい気分だよ」
「そうね。じゃ、行きますか~!」
ジェニーは笑顔で車を走らせ始めた。
僕の父が勤める会社のオフィスは、町のダウンタウンのオフィス街から少し外れた場所にある。色んな家電製品を修理する仕事をしている会社だ。父は昔はコピー機などのオフィス機器を扱う仕事をしていたらしいけれど、酒癖と女癖の悪さが原因でクビになったそうだ。その後も色んな会社に勤めては、同じような理由でクビになった。母や義母も逃げるわけだ。
オフィスの駐車場に車を停めて待っていると、マイクの車が現れた。マイクの車には、マイクともう一人スーツ姿の男性が乗っている。今回の書類を作ってくれた弁護士さんで、実は門の番人の一族の人間だそうだ。
僕らはジェニーを車に残してオフィスに入った。小さなオフィスだけれど、ちゃんと入口に電話番兼受付のオバサンが座っている。父の名を告げると、彼女は面倒臭そうに電話を取って内線を掛けた。
しばらく待たされた後に、父がようやく姿を現した。昔は僕みたいに背ばかり高かったらしい父も、今ではすっかり腹も出て、作業着のボタンがかろうじて留まっているような状況だ。
「よお」
「久しぶり、父さん」
父は僕の後ろに立つオルセンさんと弁護士を見ると、少し眉間に皺を寄せた。
「ああ、ウィーザーさん。お久しぶりです。マイク・オルセンです。この度は、こちらの無理を聞いてくださって、ありがとうございます。あ、こちらは今回の書類を作ってくださった弁護士さんです」
僕の父の警戒心を見越したマイクが朗らかに挨拶をした。父は「あ、どうも」とかモゴモゴと歯切れの悪い挨拶を交わし、弁護士が差し出した名刺を片手で受け取ると、それを見もしないでさっさと胸ポケットに突っ込んだ。弁護士はそんな父の横柄な態度にも顔色を変えず、手際良く書類を受付カウンターの上に広げた。受付係のオバサンが不快そうに片眉を上げたけれど、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
弁護士が、落ち着いた穏やかな声で説明を始めた。
「では、今回、ダン君がオルセン家に同居するに当たりまして、彼はまだ未成年ということですので、こちらに保護者であるウィーザーさんに同意をしていただきたいと思います。サインの前に、何かご質問はございますか?」
「いや、別に」
父が面倒臭そうに答えると、弁護士は事務的に頷きながら書類のページをめくった。
「では、こちらと、こちらに御署名を」
二組の書類を示された父が、怪訝そうな顔をした。
「あん? 二つもあるのか?」
「一つは父さんの控え。もう一つはオルセンさんの控えだよ。どっちも中身は同じものだよ」
僕の答えに、父は「はあー」とか言いながら書類に目を通さずにサインをし始めた。
「なんだよ。御大層な契約書みてーだな」
(似たようなものだけどね)
そう思っても、口には出さない。この書類は、実は未成年の僕の保護者を代えるためのものだから。父がサインすると同時に、僕の保護者はオルセン夫婦になる。
「では、オルセンさん、あなたも御署名を」
弁護士に促され、父がサインをした書類に今度はマイクがサインを始めた。マイクは既に弁護士とこの書類の内容についての話を終えているから、彼もあっと言う間にサインを終えた。その後に弁護士が確認し、彼が立会人としてサインをした。これで完了だ。
「では、こちらがウィーザーさんの控えとなります。ダン君が成人するまでの間、大切に保管しておいて下さい」
弁護士が書類を三つ折にして封筒に入れ、父に渡した。父はそれを無造作に作業服の胸ポケットに突っ込んだ。ポケットの歪みで、書類が中で折れているのが見てわかる。
「じゃ、後はこいつを好きにしてくださって結構なんで」
父はやっと解放されたと言わんばかりにひらひらと手を振りながらオフィスの奥へと去って行った。
父の姿が見えなくなった後、弁護士はもう一つの書類を封筒に入れ、それを自分の鞄に丁寧に仕舞った。
「ここではなんですから、駐車場に移動しますか?」
「ええ。そうしましょう」
弁護士に促され、僕らはオフィスを後にした。駐車場では、ジェニーが車の側で僕らの帰りを待っていた。
「あ、おかえりー。サインしてもらった?」
「うん」
「よかった!」
喜ぶジェニーに頷くと、ポン、とマイクが僕の肩を叩いた。
「さて、と。じゃ、これでダンはいつからでも、うちに引っ越せるね?」
「はい。これからジェニーにうちに寄ってもらって、今日中に残りの荷物を運ばせていただきます」
「わかった。ローラに知らせておかなくっちゃな。あいつも喜ぶよ。じゃ、また後で家でね」
「はい。今日はわざわざ、ありがとうございました」
僕がマイクと弁護士の二人に頭を下げると、二人は笑顔で手を振りながらマイクの車に乗り込んだ。
マイクと弁護士を乗せたマイクの車が去ったのを見届けてから、僕はジェニーの車に乗り込んだ。エンジンを掛けながら、ジェニーが言った。
「結構遅かったから、心配しちゃった」
「父さんが出てくるのが遅かっただけだよ。来た後は、さっとサインしただけだったけどね」
「ってことは、中身を読まなかったの? おじさん」
「読むわけ無いだろ、あの人が。普段新聞だって読まないのに、法律関連の書類なんて、最初の1行でアウトだよ」
「後で文句とか言ってこなけりゃいいけど」
「『好きにしてくれ』って言ってたから、それは無いよ。文句言われたとしても、もうサインしちゃってるわけだし。しかも、弁護士の立会いで」
「まぁ、そうだよね」
車が動き出した。もう、全てが走り出しているんだ。
「でも、間に合って良かったよね。検定試験、もうすぐだし」
「うん」
僕らが他愛の無い話をしている間に、車が僕の家に到着した。
僕はジェニーにすぐ戻ると言って、一人で家の中に入った。僕の部屋はとっくに片付けてあってガランとしている。元々、持ち物がそれ程多くはない。僕の荷物のほとんどは本だったけれど、それもほとんどを町の古本屋に持って行って売った。だから、ジェニーの家に持って行くものは着替えくらいしかない。それも少し大きめのボストンバックに全部収まってしまう程度の量しかなかった。
自分の部屋に戻って荷物の入ったボストンバックを担ぐと、僕はほとんど生活感の無くなった僕の部屋を見渡した。十年以上住んだこの部屋にいい想い出はほとんどないけれど、いざ離れるとなると、少し寂しい気もした。でも、これは僕の選んだ道だ。
僕は部屋のドアを閉めると、階段を降り始めた。相変わらず嫌な音を立てて軋むこの階段も、通るのはこれが最後だと思いたい。
酒臭いリビングを抜けて、玄関に辿り着く。ドアをこじ開けて外に出ると、妙に風が心地良かった。
僕は後ろを振り向かずに、そのままジェニーの車に乗り込んだ。
「行っても、大丈夫?」
ジェニーが心配そうに僕を見た。そんなに心配しなくても、僕はこの家に何の未練も無い。
「うん」
僕が微笑みながら頷くと、ジェニーが安心したように微笑んだ。
「それじゃ、出発!」
車が動き出した。
開けた窓から流れ込んでくる空気が、僕の心を軽くしてくれた。
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その次の土曜日。
いつもの修練を済ませると、僕とジェニーはジェニーの両親と一緒に町の小さなモールに買い物に出掛けた。前日に支払いが入り、僕も仕事に応じて支払いを受けたから、前にジェニーとした約束通り、僕の服を買いに行こうかという話をしていたところ、僕の誕生日が近いからということで、マイクとローラが僕に服をプレゼントしてくれると言うことになった。
「でも、悪いですよ、そんな…」
「あら。洋服くらい、大丈夫よ? だから、今日もらったお金は、何か別に自分のことにお使いなさい?」
「は、はあ…」
そんな会話を交わしながら、僕らはモールに到着した。モールは意外と混んでいた。
「何か混んでるね、今日」
「プロムが近いからじゃない?」
あっさりと答えたジェニーの言葉に、僕は納得する。
「あ、そっか」
「ダンも断らなかったら、今頃プロムの準備に忙しかったのにねぇ…」
「冗談じゃないよ。断って良かったよ」
「あら~、ダン、プロムのお誘いを断っちゃったの?」
僕らの後ろを歩いていたローラは、僕らの会話を聴いていたらしい。
「あ、え、まぁ…」
僕が言葉を濁していると、ジェニーが意地悪そうにニヤリと笑って言った。
「母さん、ダンね~、ダンを誘った上級生の女の子に『無理』って言って、一言で断ったのよ? 酷くな~い?」
「あらあら」
「い、いいだろ、僕のことは!」
「はいはい…。あ、あのお店はどう? ダン、あそこのTシャツ、好きでしょ?」
「あ、うん」
「じゃ、入ろ!」
僕らは外で待つと言うローラとマイクと別れ、最近流行っている店に入った。先にさっさと入ってしまったジェニーとは別に、一人で服の掛かったラックの合間を歩きながら、あれこれと見て回っていると、誰かが僕に声を掛けた。
「きゃあ! ダン! 奇遇~! 今日はお買い物?」
最近学校で僕にやたらと付きまとってくるクラスメートの女の子だった。彼女の側には、彼女といつも一緒にいる女の子達がいる。
「あ、やあ…」
「もしかして、一人…? だったら私達と一緒に買い物しない?」
「え、えーっと…」
僕が返事に困っていると、横からよく通る声がした。
「ダン。ジーンズはどっちの色がいい?」
女の子達が一斉に声の方を向く。そこには、全員の予想通り、両手にジーンズを掲げたジェニーが満面の笑顔で立っていた。
「私はこっちの方が似合うと思うんだけど、ダンはどっちが好き?」
「あ、僕もそっちの方が好きかな」
「じゃ、こっちにしよっか。サイズは念のため、2サイズ試した方がいいわよね?」
そう言って微笑むと、ジェニーはさらに僕の後ろにいる女の子達に向かって晴れやかな笑顔を向けた。
(おい。こら、ジェニー。確信犯かよ…)
案の定、女の子達はかなり焦った顔をして、僕に詰め寄ってきた。
「ダン。もしかして、ジェニーとデート中…? やっぱりあなた達、付き合ってたの…?」
「えっと、デートってわけじゃないんだけど…」
僕がそう言っていると、後ろから声がした。
「ダン。私達ちょっと食器を見に…って、あら、お友達?」
「あ、ローラ。えっと、彼女達は学校のクラスメートです」
ローラは「そう」と言うと、ニッコリと微笑んで「初めまして。ジェニーの母です」と挨拶をした。それがさらに女の子達を圧倒する。ジェニーのお母さんだけあって、ローラもかなりの美人だ。
ローラは唖然とする女の子達を尻目に、普段と変わらない調子で僕に話しかける。
「ダン。私とマイクはその辺りのお店を覗いているから、決まったら携帯に連絡してね?」
「あ、はい。わかりました」
ローラが満面の笑顔で「じゃあ」と言って立ち去ると、女の子達はローラに引き攣った笑顔で手を振り、ローラが見えなくなると僕に「またね」と言ってそそくさと去って行った。
「何だ、ありゃ?」
女の子達の不可解な行動に首を傾げながらジェニーを探して歩くと、試着室の前でジェニーが両手に山のように服を抱えて待っていた。
「もう。遅いよ、ダン。あの子達と何話してたの?」
「何も? ジェニーと付き合ってるのかって訊かれて、すぐその後にローラが僕に声を掛けたら、何か、さーっといなくなった」
僕の答えに、ジェニーはニヤリと笑った。
「ふーん。で、何て答えたの?」
「へ?」
「だから。私と付き合ってるのかって訊かれて、ダンは何て答えたの?」
「別に…?」
途端に、ジェニーがムッとした顔になった。ジェニーは僕に服の山を押し付けると、「とっとと試着してきなさいよ!」と言って僕の背中を乱暴に押した。
…わけがわからない。
何だかんだでジェニーに押し切られた形で、僕は大きな紙袋2つ分も服を買ってもらってしまった。恐縮しまくりな僕とは対照的に、ジェニーとローラは満足気だ。他人の物でも、買い物は女性にパワーをくれるものなんだろうか。
四人でそのままモールの中を歩いていると、遠くに思いがけない人を見かけた。
(あれは…?)
僕が見ていると向こうも気付いたようで、彼女は驚いたような顔をしたまま僕を見つめていた。小柄なその中年の女性は最後に会った時よりも元気そうで、僕は声を掛けるかどうか、躊躇った。
「マミー、お待たせ!」
元気な明るい声がして、女の子がその人に駆け寄った。その子はすぐに彼女の母親の様子がおかしい事に気が付いて、その視線の先を見つめた。そして、僕と目が合った。
「ダンお兄ちゃん…?」
女の子が僕の名を呼んだ。
僕らの様子に気付いて少し心配そうな顔をしていたジェニー達に断りを入れて、僕は彼女達に近付いて声を掛けた。
「ハイ、アンジー。久しぶり。キャリーは、随分背が伸びたね?」
笑顔でそう言うと、アンジーは少し安堵したように微笑んで僕をそっと抱き締めた。アンジーは僕の義母だった人で、キャリーは彼女の連れ子だ。僕らは2年前まで「家族」だった。あれ以来、会うのは今日が初めてだ。
「元気そうね、ダン。今日は、お買い物?」
アンジーが僕と僕が持っている買い物袋を交互に見ながら尋ねた。
「うん。オルセンさん達、覚えてるでしょ? 僕、今、彼らの家でお世話になってるんだ」
「え…?」
アンジーは驚いて僕を見つめた。僕は笑顔で頷いた。
「うん。家を出たんだ。とは言っても、つい最近のことだけど。そっちはどう? 二人とも、元気そうだね」
アンジーはフッと微笑むと、ゆったりと頷いた。
「ええ。私達は元気でやっているわ。最近、何とか生活にも余裕が出てきたの。キャリーも色々手伝ってくれてるし。助かってるわ」
ダナの言葉に、キャリーが照れくさそうに俯いた。十歳になっても、少し照れ屋なのは相変わらずらしい。
「それなら良かった。少し心配していたんだ」
「まあ。連絡できなくて、ごめんなさいね」
「ううん…。じゃ、僕、オルセンさん達を待たせてるから」
僕が行こうとすると、アンジーが僕を引き止めた。
「あ、ダン、ちょっと待って。これ…」
アンジーはバックからカードを出して僕に差し出した。アンジーの名刺だ。
「私の連絡先。携帯も持ってるから。番号はここ。もし何かあったら、頼ってくれて全然構わないわ」
「…ありがとう、アンジー」
僕はアンジーの頬にお礼のキスをした。すると、下の方から小さなブーイングが聞こえた。
「キャリー?」
義妹のキャリーが膨れっ面をしながら僕を見ていた。
「何?」
「キャリーも」
「は?」
「キス!」
キャリーはそう言いながら、自分の右頬を指差した。僕は「はいはい」と言いながら、そこに唇を落とした。
「じゃ、キャリーもお返しね!」
キャリーがお返しに僕の頬にキスをした。屈まなくちゃいけないから、結構辛い。でも、こんなのは久しぶりだから、悪い気はしない。
「キャリーは相変わらず、ダンが好きねぇ…」
アンジーが笑いながらそう言うと、キャリーが顔を赤くしながら少し俯いて、上目遣いで僕を見ながら言った。
「ダンお兄ちゃん、また会える?」
「うーん。会いたくても、キャリーの家は遠いからなぁ…。ま、そのうちね?」
「ええー」
僕の言葉に、キャリーは両頬をぷうと膨らませて口を尖らせた。こういう仕草は、昔から変わらない。
「ほら、キャリー。ワガママ言わないの。ダンも行かないと」
アンジーが少し離れた所で僕を待っているジェニー達をちらっと見てから僕を促した。
「うん。じゃ、また」
そう言って歩き出すと、後ろからキャリーの声が聞こえた。
「ダン、またね!」
僕は振り返って、二人に微笑みながら手を振って別れた。
二年前に、まるでフェードアウトしたかのようにあの家から消えた二人と、またこうして再会できるとは思わなかった。しかも、同じ町で…。ずっと会うことも無かったから、二人はどこか遠くへ引っ越してしまったのかと思っていた。
人って、繋がってるようで繋がってなくて、繋がってないようで繋がってる。そんなものなのかもしれない。
帰りの車の中、後部座席でそんなことを考えながら窓の外を眺めていると、隣に座っているジェニーがコツンと自分の頭を僕の肩に乗せた。ジェニーがこうする時は大抵、僕のことを心配してるけど何も訊けない時だ。だから、僕は自分から口を開いた。
「僕なら、大丈夫だよ?」
「そう?」
「うん」
「なら、良かった」
無言になった僕らは、そのまま寄り添いながら少しの間眠った。
車は静かに、僕らの家へと帰って行った。
その二日後、ローラの手作りケーキと共に、僕は17歳の誕生日をオルセン家で迎えた。
ケーキの上のキャンドルを吹き消すなんて、何年振りだったのだろう…。
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門の番人になるための検定試験は、協会から派遣された試験官二人の立会いの下で行なわれる。僕の試験日の二日前に、彼らはオルセン家にやって来た。
一人はカリフォルニア州、サンディエゴからやって来たというメキシカン系のアンガス・ロペス。三十代半ばくらいの彼は少し小柄だけど骨太な体格で、カウボーイスタイルの服を着ているのがジェニーの叔父であるハンターのアルを彷彿とさせた。人懐っこい笑顔が温かい人だ。
もう一人はニューヨーク市からやって来たという黒人女性、ティアナ・ジョンソン。年齢はよくわからないけど、スラリとした長身に長いドレッド・ヘアがよく似合うカッコいいタイプの人で、大きな瞳が印象的だ。
僕らが学校から戻ると、彼らはリビングでジェニーの両親たちと何やら話し合っていた。
「あら、おかえりなさい。今日は遅かったのね」
僕らに気付いたローラが立ち上がりながらそう言うと、見知らぬ二人も立ち上がった。
「えーっと。あ、もしかして?」
「初めまして。あなたがダンね? 私は協会から派遣されてきたティアナ・ジョンソン。こちらは同じくアンガス・ロペス。私達があなたの試験官として、あなたの番人としての能力と適正を確かめます。よろしくね?」
ティアナはそう言いながら僕に右手を差し出した。挨拶をしながら二人と握手を交わすと、二人は同じようにジェニーとも握手を交わした。僕は他の門の番人と沢山会ったわけじゃないけれど、この二人からはとても強い覇気を感じた。
「二人とも、とりあえずは座りなさい」
マイクに促され、僕らは空いている席に座った。
「…で、何が起こっているの?」
席に付いた途端、ジェニーが何かを探る様にそう言った。僕にはわけがわからない。
「ジェニー?」
何のことだかさっぱりわからない僕をよそに、ジェニーが試験官達に向かって言った。
「たかが見習い番人の検定試験に、どうして上の人がわざわざ遠くから来るわけ? おかしいじゃない」
ジェニーの言葉に、僕はキョトンとしながら試験官の二人を見比べた。「上の人」?
だが、二人は動ずることもなく、ただニッコリと微笑んでジェニーに言った。
「それは、長老からの命だからです」
ますますわけがわからない。「長老」…?
だが、ジェニーは不機嫌そうに胸の前で腕を組みながら尋ねた。
「私の様子も見て来いってこと?」
「ええ。その通りです」
二人がそう言って頷くと、ジェニーが大きく溜息を吐きながら言った。
「ご苦労様」
それを見ながらローラとマイクは困ったような顔をしているが、ジェニーは一向にお構い無しだ。
少しの沈黙の後、ティアナが言った。
「まぁ、貴女がお気づきの通り、それだけではありませんが」
「…そう」
ジェニーはそれだけ言うと立ち上がり、脇に置いていた荷物を担ぐと自分の部屋へと行ってしまった。僕は呆気に囚われながら、ジェニーの後姿を見ていた。
(何なんだ…?)
僕が困惑していると、いつの間にか僕の隣に来ていたマイクが僕の肩をポンと叩いた。
「あれのことは、今は気にしなくていい。それよりも、君の試験について、説明をしようか」
「あ、はい…」
こうして一抹の不安を残しながら、僕の検定試験は始まった。