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門の番人  作者: 成田チカ
2/6

Chapter 2

 初めての「大仕事」から帰ってきたその日、僕はジェニーとジェイクの叔父さんであるアルから、色んな話を聞いた。

 アルと彼の仲間達は、番人の世界で「ハンター」と呼ばれる人たちだ。

「ハンター」はその名の通り、狩りをする。しかし、この場合の狩りとは、門から出てしまった魔物の退治を指す。

 門の大きさや、万が一開いてしまった時の期間、そして周りの環境によっては、魔物が門からこちら側に出て来てしまい、門を閉める時に押し返されることもなく、この世界に残ってしまうことがある。

 今回の場合もそうだ。自力で閉めようとした番人達の力が及ばず、門が開いてから時間が経ってしまったために、多くの魔物が門から出てしまっていた。

 ほとんどの場合、門が開いてすぐに出てくるような魔物は雑魚だと言う。下等で知能がそれ程発達していない魔物が「門が開いてる、ラッキー♪」とばかりに出て来るのだそうだ。高等の、知恵の働く魔物になると、より慎重に周りの状況を観察し、条件が悪い場合は絶対に門の外には出て来ないのだという。

「条件が悪いって…?」

 僕の素朴な疑問にも、アルは楽しそうに答えてくれた。

「まぁ、ヤツラにも苦手な場所ってあるからな。聖域の近くとか、俺らみたいな人間の近くとか。そういう気配を感じたら、知恵の回るヤツラは例え門が全開していても、絶対に出て来ない。ヤツラだって、自分の命は惜しいからな」

「へえー。だから、今回の魔物は雑魚だって仰ってたんですね?」

「まあな。だが、今回の門は場所的にもかなりやばかったな。俺が思うに、あと数十分お前らが遅かったら、絶対に大物が出て来てたぞ?」

 アルの言葉に、僕は生唾をゴクリと飲み込んだ。

「そ、そうなんだ…?」

「ああ。やつらは番人にも敏感だ。力の強い番人が側に来ると、絶対に門の外には出ない。門の中は、ヤツラにとっては安全地帯だからな」

「なるほど」

「で」

 僕らの後ろから、ジェイクが割り込んできた。

「あの、超ー使えない番人達は、最後に何の用だったんだよ」

「ああ、あいつらね」

 アルは少し何かを思い出すようにビールをボトルからグイっと飲むと、「ぷはー」とか言いながら一息ついた。

「俺達が何者かって訊いてきたから、俺は銀狼(シルバーウルフ)だって言って剣の柄見せてやったら、大人しく黙ったな。ありゃ、放って置いたらきっと、自分達が門を閉じたって上に報告してたかもな」

「ちっ。自分達は腰抜かしてたくせによ」

 二人の会話で気になることがあったので、僕は少し遠慮しながらアルに尋ねた。

「あの、すみません。『銀狼(シルバーウルフ)』って、なんですか?」

 僕の問に、アルとジェイクは両目を見開きながらキョトンとした顔をした。しまった。この世界では一般常識なのだろうか。

「ああ、すまん。ダンにはまだ、ハンターのことまでは話していないんだ」

 僕らの横から、ジェニーとジェイクの父であり、僕のお師匠さんであるマイクが声を掛けて来た。それを聴いたアルは「あ、なんだ」と言ってビールを飲むと、僕に説明してくれた。

「俺達ハンターの中でも、力や経験によってはレベルがあってな。上の方のレベルのハンターは、まとめて『狼』と呼ばれるんだ。狼の中でも力の特色やら仕事のやり方やら、お師匠さんとの絡みやら何やらと大人の事情が色々あって…。ま、あれだ。長い話を短くすると、俺は今、『銀狼(シルバーウルフ)』っていう、ハンターの中じゃ結構上の方の称号を貰ってる。

 番人の協会とハンターの組合は繋がりがあって、定期的に上の連中同士で会合とか開くんだけど、俺はそれに参加する資格を持つってことさ。だりーから、あまり行きたくねーけどな、あの会合」

 そう言いながらアルは側の床に置いてあった自分の剣を手繰り寄せると、僕にその柄を見せてくれた。そこには、毛並みを靡かせながら颯爽と走る銀色の狼が浮き彫りにされていた。

「わあ。銀色の、狼…。カッコいいですね、アルさん」

「アルでいいよ。お前は俺にとっちゃ、ジェイクやジェニーと同じで甥っ子みたいなもんだ」

「あ、ありがとう、ございます…」

 あまり親戚などの多くない僕にとって、アルが言ってくれた言葉は、何だかくすぐったいような、暖かいような、何だか変な気持ちがした。でも、それは決して悪いものじゃない。

 それからしばらくして少し隅の方にいた僕の横に、ジェイクが腰を下ろした。

「どうだ? アル叔父の第一印象は」

 ジェイクの問に、僕は笑いながら答えた。

「とっても面白い人だよね」

 僕の答えに、ジェイクは満足そうに頷いた。

「だろ? 俺、あの人のこと、小さい頃から憧れてんだ」

「え? ジェイクが?」

「なんだよ。悪ぃかよ?」

「い、イヤ…。意外…でもないか。何となく似てるよね、ジェイクとアルって」

「そうだな。似てるかな。似てるといやぁ、俺ら二人とも、番人の直系に生まれながら、番人の素質が無いところなんか似てるかもな」

「ジェイク…」

 僕達の間に、少しの間沈黙が流れた。すぐ側ではアルや彼の仲間のハンター達が大声で何かを言って笑っているのに、まるでそれが隣の部屋のテレビの音のように聞こえた。

「俺さ、前から悩んでたんだよ」

 ジェイクにしては珍しく小さな声で呟いた。

「俺、番人になるには力が足りなくてさ。家族の中で、俺だけ門が見えないんだ。ひでー話だろ? だから、俺はハンターになった方がいいんじゃないかって、アルが昔、言ってたんだ。アルはさ、全米飛び回って魔物退治の仕事してて、メチャクチャカッコいい人なんだ。今日俺が持ってたサーベルって、アルのお古でさ。ガキの頃にアルが銀狼に選ばれて今の剣を授かった時、俺にあのサーベルをくれたんだ。俺、スッゲー嬉しかったの、今でも覚えてるよ。

 ハンターって言うのは、やっぱり番人同様に素質も必要だけど、自分の努力次第でいくらでも上に上がれるんだぜ。番人は、お前もわかってると思うけど、天性の素質が命だろ? それは、どんなに努力しても身につくもんじゃねーからよ。それが出来てたら、俺だって今頃、一人前の番人になってるっつーの。

 今はとにかく番人の数が足りないし、今日みたいな状況からわかるだろうけど、力のあるうちの家族は時々他のエリアの応援もしてるから、本当に大忙しでさ。そうすると、サポートするヤツもそれなりに必要だろ? だから、始めはサポートが俺の役目で、それでもいいかなって思ってたんだ。でも、お前が番人の修行を始めてから、何かそれは違うと思ったんだ」

 真っ直ぐに僕を見つめるジェイクに、僕は「違うって何だよ?」と冗談っぽく言ったが、ジェイクはいたって真面目だった。そんな表情のジェイクを見たのは、ジェイクと出会ってから初めてのことかもしれない。

 ジェイクはフッと穏やかに微笑みながら言った。

「俺、お前が来てくれたお陰で、決心が付いたよ。一族の人間でもないお前が番人になろうって毎日頑張ってんのに、一族の人間である俺がウダウダ迷ってたら、笑いモンだろ? ライバル心って言うのとはまたちょっと違うけどな。でも、俺もやりたいことができるんじゃねーかって…。ま、頑張ろうな、お互い」

 ジェイクはそう言って僕の肩を叩くと立ち上がり、照れくさそうにキッチンへと行ってしまった。

 はっきり言って、それまで僕はジェイクのことが苦手だった。年上のジェイクはいつも威張っていて体格も大きくて威圧的だし、僕や他の人間との間には、いつも分厚い壁を作っているような気がした。特に、僕がこの家でジェニーの父親から番人になるための修行を受け始めてからは、ジェイクが僕を目の敵にしているような感情さえ感じていた。

 でも、そうか。やっと腑に落ちた。

 ジェイクは、違う世界に足を踏み入れた僕のことを気遣ってくれていたんだな。不器用だから本人はそうとは気付いてないと思うけど。

 ジェイクもジェイクなりに、今まで散々悩んできたんだろう。それが今日、番人として働く僕と、ハンターとして働く自分を経験して、それが一番しっくり来るなと思ったんだろう。実際、あんなに生き生きとして、下手すると本来の年齢よりも幼く見えるくらいはしゃいでいたジェイクの姿を見たことは、彼と出会ってからの10年以上の時間の中で一度も無かったと思う。

 ジェイクはその時に、本当のジェイクを見つけたんじゃないんだろうか―。


 春になり、ジェイクは高校卒業を待たずに、アル達ハンターのコミュニティーが持つ中では最大の修練所があるというニューメキシコに旅立つことになった。

 ジェニーの話によると、あの冬の日の翌日、ジェイクが両親と話をして、その日の晩はアルも交えて夜明けまで話し合っていたらしい。

「でもさ、私もジェイクはハンターの方が似合ってると思うのよねぇ~。何てったって、あのガタイだし、馬鹿力だしさ~。アレを生かすのって、ハンター以外、ないんじゃない?」

 ジェニーはそんなことを言いながら僕にジェイクの決断について語ってくれたが、その後にジェイク本人から直接聴いた話だと、両親もジェイクはハンターの方が向いているのではと常々思っていたらしく、それとなくアルに色々と打診していたらしい。それでも、番人の家に生まれた子供にとって、番人になれないのは恥だと思う傾向があるとかで、ジェイクが傷つくんじゃないかと心配した両親は、ジェイクになかなか言い出せなかったようだ。結局は、それは杞憂に終わって良かったんだけれども。

「俺ってさ、そんなに見た目怖いかね?」

 春休み前のある日、オルセン家での修行の合間に庭で休憩していた僕に、ジェイクがそんなことを言った。

「ぶっ」

「あ、悪い。水が気管に入ったか?」

「げほっげほっ。は、入ったよ…。何も、人が水飲んでる時に、そんな、けほっ。台詞を、言わなくてもいいだろ?」

 思いっきりむせていた僕を尻目に、ジェイクは涼しい顔で言った。

「悪気は…。あったな、少しは」

「僕が、何をしたって言うんだよ」

「ん? まぁ、俺の妹に手を出そうとしてるとか、してないとか…」

 このジョークは、笑えない。

「ジェイク。お前、ジェニーに殺されるぞ?」

「い、いや、今のはホンのジョーク…」

「お前なんて、門の中に突っ込んでやるっ」

「出来るもんなら、やってみやがれ!」

「ああ、やってやるさ! いつか。…多分」

 気弱になった僕の肩を、ジェイクがポンポンと軽く叩いた。

「ま、せいぜい修行に励めよ、その日まで…」

「わかってるって。そっちもね。もうすぐなんだろ? 出発」

「ああ」

 僕らは少し青みが出てきた芝生の上に腰を下ろしながら、空を見上げた。白い雲がぽっかりと1つだけ、青い空に浮いていた。

「…寂しくなるな」

 僕がポツリとそう言うと、ジェイクがあからさまに「意外だ」と言うような顔で僕を見た。

「な、なんだよ…」

「い、いや、お前の口からそんなに殊勝な言葉を聴けるとは…!」

「前言撤回。とっととハンターの修練所に行って、くたばって来い!」

 そういう僕の腕を、ジェイクがむんずと掴んだ。

「ダン~。一緒に行こうぜ~」

 柄にも無く変な声で甘えるジェイクの台詞に、全身が鳥肌になる。

「断る!」

 その頃までに僕らは、ハンターの修行の凄まじさをアルや彼のハンター仲間達から聞いていた。ハンターには身体能力だけでなく、気力、体力も要求される。修練は過酷を極め、修練所に入った人間全員がハンターになれるものでは無いと言う。そういう状況も踏まえて、ジェイクの両親とアルはジェイクにハンターになることを強く薦めることが出来なかった一面もあった。

 始めは「俺はハンターになるのさ!」と意気込んでいたジェイクも、修行のあれこれの話を聴く度に、その意気込みがすぼんでいった。

「だけど、なるんだろ? ハンターに。銀狼の甥っ子さん」

「おうよ! 銀狼なんざ、いつかこの俺様が越えてやるぜ!」

 出発の日が近付くにつれ、開き直って元気になったジェイクが、これ見よがしに胸を張って答えた。僕はそんなジェイクの姿をちょっとだけ苦笑しながら立ち上がった。

「ま、頑張ってよ。僕には僕のやるべき事があるしさ」

 そう。僕にはここで、やるべきことが沢山ある。番人としての修行もそうだが、来年はできれば大学に行きたいし。僕はジェイクのように高校を中退して大学も行かずに修行するなんてことは考えられない。何といっても、オルセン家の人々以外は僕が番人になるための修行をしていることなんて、これっぽっちも知りはしないのだから。僕の家族でさえも、だ。

 僕のエンジニアの父に「僕は魔界の門を閉める人になるために大学に行きません」なんて言ったら、きっとその場で気絶してしまうだろう。ファンタジーとか、魔法とか、その手の話は「子供の妄想」だと言って、全く関心が無い人だし。

「ところでさ、ジェイク」

 ふと、素朴な疑問が僕の頭にムクムクと沸いて出た。

「あん?」

「番人やハンターって、どうやって生計立ててるんだ?」

 僕の問に、ジェイクはキョトンとしていた。僕の予想では、この答えはどうやら番人社会では公然のことらしい。

「あれ? 知らないのか? 俺達は一応、国家公務員だぜ?」

「は?」

 これは、予想外な答えだ…。

「表向きはどうなんだか知らねーけど。番人の協会も、ハンターの組合も、国家保安局の管轄だぜ?」

「へ、へぇ~」

「何だよ、その目は。お前、俺の話を信じてないだろう?」

「いや。僕は最近のジェイクは、ジェニー以上に信じてるよ?」

「…イヤな基準だな。素直に喜べない」

「仕方ないだろ?」

「ま、そうだな…」

 僕ら男二人は子供の頃から今まで、どれだけジェニーに騙されてきたかしれない。それはもう、「お腹が痛い」みたいな小さなものから、「○○ちゃん(学校一の美少女)がジェイクのこと、好きなんだって」という類のものまで、大小様々な嘘で広く浅く(時々深く)、僕らの心に傷を負わせてきた。

 ちなみに、ジェイクは美少女の件に至っては、しばらくの間かなり勘違いした行動を取って相手をドン引きさせ、その後、好き情報がジェニーの嘘だったことが発覚して、ショックの余り1週間ほど学校に出てこなかった。ジェニーは知らなかったらしいのだが、実はジェイクはその子のことが好きだったらしい。それを知ったジェニーは珍しく素直にジェイクに謝まり、さらにジェイクの好きなビデオゲームの最新版を買ってプレゼントすることで、ようやく機嫌を直してもらったのだそうだ。

 ジェニーは僕にはそこまで酷い嘘を吐いた事はないが、それでも昔はちょくちょく色んな小細工をしてきたものだ。そんなことを思い出し、僕はあることにふと気付いた。

「そう言えば、最近は無いな」

 僕がポツリと言った言葉を、ジェイクは聞き逃さなかった。

「何が?」

「ジェニーの、いたずら」

「そうか? 俺にはまだ、ちょくちょく色んな小細工仕掛けてきやがるぞ? 最近だと、先々週の日曜の朝に『早く起きないと朝練に間に合わなくなるぞ』って叩き起こされてよ。ま、月曜と勘違いして飛び起きてグラウンドに行ったら誰もいなかったって、定番のオチなんだけどな」

「プッ。い、行ったんだ…。しかも、グラウンドまで…」

 僕は笑いを堪えようとしたけれど、無理だった。

「う、うるせー! その日は朝方まで映画観てたんだ。仕方ねーだろ!」

「でも、行ったんだ、グラウンド…。遠いのに…。いつ、騙されたって気付いたんだよ?」

「…通りがかりのオバサンが犬連れて散歩しながら『あら、日曜なのにお一人で熱心ね』って言ったんだ」

「アハハハハ」

「笑うな! いつか俺があいつを騙し通してやるっ」

「無理だよ、ジェイクには…」

 僕の言葉に、残念そうにジェイクがうな垂れた。

「…俺も、そう思う。はあ」

 大きなガタイで肩を落とすジェイクは、何だか大きなクマのヌイグルミのようだ。でも、それを言ったら思いっきり羽交い絞めに遭うだろうから、僕は絶対に言わない。ふざけているとわかっていても、ジェイクの羽交い絞めは本気で痛い。

 しばらく二人で無言で外を眺めていると、家の中からジェニーの声がした。

「あ、ここにいたのね? あれ? ジェイクも一緒? 最近、よく二人で一緒にいるんだね」

「まあな。男同士の話もあるんだよ」

「何それ。やーらしー」

 ジェイクをからかいながらクスクスと笑うジェニーは相変わらずだ。だが、今日のジェニーはジェイクに羽交い絞めにされながら、少し寂しそうな顔をした。

「…ジェニー? 悪い。痛かったか?」

「ううん。そうじゃなくて…。もうすぐだなって、思っただけ」

 そう。もうすぐ。もうすぐジェイクは、ここからいなくなる。

「遠くったって、休みには会えるだろ、きっと」

「うん、でも…。やっぱり、デカイのがいなくなると、スペースが余るっていうか…」

「るせっ! このっ!」

「きゃあー」

 二人はそのままはしゃぎながらじゃれ合っていた。

 本当に仲が良いんだよな。この家族は。僕には、羨ましい。


 それから数日たって学校が春休みに入り、ジェイクが旅立つ日になった。

 僕は迎えに来たアルが運転する車に、ジェイクの少ない荷物を詰め込むのを手伝った。

「本当に、これだけしか持って行かないの?」

 アルのSUVの後部座席はスカスカだ。実際、ジェイクは必要最低限の着替えぐらいしか持って行かないらしい。

「これだけありゃ、十分だろ。遊びに行くんじゃねーんだ」

 胸を張って答えるジェイクを見ながら、ジェニーが横からニヤッと笑いながら言う。

「って、アル叔父さんに夕べ言われて、慌てて荷物を減らしたのよね~」

「るせっ! ジェニー。黙ってろっ!」

 羽交い絞めに遭いながら僕に助けを求めるジェニーから視線を動かすと、車から少し離れたところで何やら話しているジェニーの両親とアルを見つけた。

「もう! ダンってば、ちっとも助けてくれないんだから!」

 ジェイクから逃れたジェニーが僕の腕を掴んだ。

「だって、しばらくの間、ジェイクから羽交い絞めされなくなるだろ?」

 僕の言葉に、珍しくジェニーが素直に答えた。

「…そうね」

「おいおい。俺はいつでもお前達を羽交い絞めにしてやるぜぇ~?」

 後ろからおどけながらやって来るダグを見て、ジェニーが真顔で言った。

「ジェイク」

「お、おう」

 いつに無く真剣なジェニーの表情に、辺りに緊張感が走った。ジェニーは口を少し開くと、1つ深呼吸をしてからジェイクに言った。

「絶対に、また、生きて会おうね?」

 ジェイクはその言葉を真面目な顔で受け止めながら頷くと、微笑まずに言った。

「…わかってる」


 この国は平和だ。それなりに気をつければ安全に暮らせる世界だ。

 でも、僕らのいる番人とハンターの世界は、仕事に常に危険が伴う。ジェニーの父親から最初の手ほどきを受けた時に何度も言われたことが「少しでも無理だと思ったらそう言え」だった。無理を通せば、それだけ危険も大きくなる。危険が大きくなればそれだけ、命を落とす確率が高くなる。自分の力を知り、相手の力を見極め、それに応じた作業を的確に行なう。それが生き残る唯一の方法だと。

 僕ら番人に比べ、アル達ハンターの方が危険と向かい合わせになる確率が高い。常に魔界と繋がる門と向き合う僕らの方が危険だと思われがちだけれど、門から魔物が出ることは稀だ。魔物の気配や力を感じることはあっても、彼らが門から出ることは滅多に無い。門を閉じようとする番人が門と向かい合っているなら、尚更だ。彼らだって、自分の命は惜しい。僕ら番人が扉を閉める時の術に干渉すると、魔物は体力的に多大なダメージを被るらしい。だから、知能の高い魔物は番人が門の近くにいるときは絶対に門の中から動かない。その代わり、番人が術を失敗すると、ヤツラは途端に門から飛び出してくる恐れがある。だから、僕達は失敗することが許されない。何故なら、それは死を意味することになるからだ。

 一方で、ハンターは既に「出てしまった」魔物を相手にする。魔物はこちらにいる時間が長くなればなるほど、そして門から遠ざかれば遠ざかるほど己の理性を失う確率が高くなるんだそうだ。

 理性を失った魔物と対峙する―。それはどんなに恐ろしいことだろう。

 だからハンター社会は実力主義だ。力の強い、経験のあるハンターが上に行く。毎年多くの若者が修練所を訪れ、その中の何割かがハンターになり、その中の何人かが毎年命を落とす。

 彼らの出番が少なくなるよう、番人達は門の気配に神経を研ぎ澄ませる。それでも、開いてしまう門はどうしても現れる。

 番人とハンター。僕らの役目は違うけれど、目的は同じ。

 人々を、魔界の恐怖から遠ざける。

 僕らは生き残るために鍛錬を重ねる。僕らだって、魔物のいない安全な世界の中で、笑顔で幸せに暮らしたいから。


 しばらくして、ジェニーの両親との話が終わったアルがジェイクに声を掛けた。

「そろそろ行くぞ」

「あ、ああ」

 いつものように飄々と車に乗り込むアルに比べ、ジェイクは少し緊張した面持ちで返事をした。いつのまにかジェイクの傍ら立っていた両親や祖母とジェイクが抱き合い、別れのキスを交わす。

「ジェイク。またね」

 ジェニーがジェイクに抱きつくと、ジェイクが大きな手でジェニーの背中を数回ポンポンと叩いた。

「お前も、あんまりダンにワガママ言わねーよーにな。ほどほどにしておかねーと、ダンが呆れて他の女のとこに行くぞ?」

「う、うるさいわねっ」

 膨れっ面のジェニーがジェイクから離れると、僕はジェイクと右手でガッシリと握手を交わし、ジェイクが僕の左肩を叩いた。

「ダン。ジェニーを頼む」

「ああ」

 ジェイクはニヤリと笑うと僕の手を放し、生まれ育った家を振り仰ぐと、この場所の名残を惜しむように深呼吸をした。

「じゃ、行くわ。皆、またな」

「気をつけて」

「またね!」

 ジェイクが車に乗り込んでドアを閉めると、車が滑るように動き始めた。ジェイクは窓を開けると、泣きそうな顔で笑顔を作り、僕らに手を振った。

 やがて車が加速して走り出し、角を曲がるとあっと言う間に見えなくなった。

「ジェイク、今頃絶対に泣いてるね」

 そう言うジェニーの目にもうっすらと涙が出ていたけれど、僕はあえてそこには突っ込まなかった。

「でも、来年は私達の番だね」

 ジェニーがそう言いながら自分の家を見上げた。

「私達も、来年はここを出るんだよね…」

 そうだ。

 来年の秋には、僕らは大学入学と同時に、この街を出る。


 番人にはハンターのような修練所は無い。

 けれど、番人の子供が大学に進学する場合、修行も兼ねて番人の一族の息の掛かった大学に行き、そこで大学に通う四年間、勉強しながらその土地の番人達から修行を受けたり、仕事をしたりする。その四年間で、その後の番人としての派遣先が決まるから、重要な四年なのだという。

 僕とジェニーの進学先は、そんな大学の中から選ばれる。とはいえ、どの大学もそれなりのレベルの大学なので、僕らは勉強も怠らない。

 日課の修練の合間に勉強をしながら、ジェニーが愚痴をこぼした。

「面倒よねぇ…。あっさり裏口で入学させてくれりゃぁいいのに」

「それで入った後にあからさまに成績が悪かったら、すぐバレるだろ?」

「あ、そっか」

 春休みの間、僕はほとんどの時間をジェニーの家で過ごした。

 まず、自分の家で目覚めてからランニング。ランニングの途中でジェニーの家の前からジェニーが合流して、二人でそのまま5マイル位の距離を走って、一旦それぞれの自宅に戻る。

 家でシャワーを浴びてから朝食を採り、ジェニーの家に向かう。ジェニーの家で日課の修練をジェニーと一緒に行なってから二人で勉強。ランチはジェニーの家でご馳走になって、午後はまた修練か、ジムに行って筋力作りをしてからスイミング。夕方は、番人の仕事があれば父親に遅くなる連絡を入れてから仕事に向かい、仕事が無ければそのまま家に戻る。

 人間、時間が無ければ無いなりに効率よく動こうとするもので、僕らは多忙な割には充実した日々を送っていた。

 僕は元々ジェニーの家に遊びに行くことが多かったから、その延長戦のような気分だったのだけれど、オルセン家の人々にとっては、ジェイクがいなくなった家の中に僕がいて、少しは寂しさが薄れたらしい。とは言っても、その時の僕はそんなことには全く気付かなかったのだけど。


 春休みの最終日、その日は折りしも新月だった。

 いつものようにジェニーの家の門探知猫、黒猫のインキーと灰色猫のスモーキーが緩んだ門の気配を感じて僕らに知らせた。

「では、私はここへ。母さんはここ。ジェニーとダンはここへ」

 リビングのテーブルにいつものように地図を広げながら、ジェニーの父が指示を出した。向かう場所はそれぞれの能力に応じて的確に与えられる。

 僕らは町外れの墓地の横にある森にやってきた。幸い、門はまだ緩んでいる程度で、それ程大きくは開いていない。

「これなら、今日はソロでも大丈夫そうね」

「じゃあ…」

 ジェニーがやるのか、と思っていたら、ジェニーがニヤリと微笑んで僕の背中を前へと突き飛ばした。

「ダンのソロに決まってるじゃない」

「ぼ、僕っ?」

「あら。私、私がやるなんて一言も言ってないけど?」

 ジェニーはそう言うと、近くにあった大きな石の上に腰掛けた。

「出来るでしょ? もう、力のコントロールの仕方とか、理解できてるはずよ?」

「…わかったよ」

 僕は門の前へと足を踏み出した。生ぬるい空気がゆるゆると門の隙間から流れ出している。

(魔界の、臭い…)

 この数ヶ月で大分慣れたとはいえ、まだこの特殊な臭いは好きになれない。いや、魔界の臭いを好きになったりしたら、それはそれで問題だけれど…。

 僕は門を睨みつけ、門を閉じ始めた。

 生まれて初めて、一人で。僕だけの力で。

 一人の、門の番人として―。


------------------------------------


 短い春休みが終わって、学校がまた始まった。

 たった2週間くらいのはずなのに、何かが違う。私の周りは、春休み前よりもざわついている。それが私にはどこか不愉快で仕方が無い。

 一人でいる時はそれほどじゃないのに、ダンと二人でいつものようにカフェテリアでランチを食べたり、図書館で勉強したり、二人で校内をあるいていたりすると、周りがざわつく。

(前もこんなだったっけ?)

 考えてもよくわからない。それなら気にすることもないかと思っていた矢先、私は思いがけずにその理由を知ることになった。

「ねえ、ジェニー。あんた達、どうなってんの?」

 私は教室で帰り支度をしている最中に声を掛けられた。

 その日は、私は珍しく一人だった。いつも一緒にいるダンは先生に用事を頼まれて、始めは誰もいない静かな教室で本を読みながら待っていたんだけれど、そのうちそれがいつ終わるかわからないから先に帰れと言われてしまった。成績優秀なダンはよく先生に色々手伝わされることが多いから、こういうことはよくあることなんだけど。

 「どうって、何が…?」

 私が顔を上げて声の主の顔を見ると、彼女、エマは困ったような顔をした。

 エマは私と同い年で、親友というわけではないが、小学校の時から何故か腐れ縁で同じクラスになっている。普段、人付き合いが苦手で人との距離を置いている私にも、エマは遠慮無く色んな世話を焼いてくれる、お母さんみたいな人だ。

 エマは私を手招きすると、近付いた私の耳元でこう言った。

「あんたと、ダンのこと」

「は?」

 私が首を傾げると、エマはニヤリと笑いながら側の机の上に腰掛けた。

「最近さ、なーんかダンが男っぽくなってきてカッコいいって、女の子の間で評判だよ? でも皆、いつもあんたがダンの側にいるから近付けないんだってさ。ま、そこらの女の子じゃ、あんた相手じゃ見劣りするからね」

「何、それ…」

 困惑しながら頭の中で状況を整理してみる。

 女の子達が、ダンの噂してる…? 私がいるから近付けない? じゃ、私がいなかったら、ダンに近付いて、で、それで、それで…?

「それで、どうするの?」

 私が不意に漏らした言葉に、エマが怪訝そうに眉をしかめた。

「は? どうするって…。それはアタシが訊いてるんじゃない?」

「あ、そうか。でも、エマ。他の女の子達はダンに近付いて、何がしたいの?」

「何がって…。そりゃあ、ナニがしたいんだろうね」

「ナニって、何?」

 私の質問に一瞬両目を「嘘だろ?」と言わんばかりに見開いたエマが、ケラケラと声を上げて笑い出した。

「やだ。あんた、そんなこともわかんないの? もう17になるでしょ、アタシ達?」

「え…?」

「だからさー。手を繋いだり、ハグしたり、キスしたり、抱き合ったりしたいってことじゃない」

 女の子達が、手を繋いだり、ハグしたり、キスしたり、抱き合ったりしたいの…? ダンと?!

「抱き…。え? え、それって、えええ!」

 突然大声を上げた私に、エマが驚いて腰掛けていた机から落ちそうになった。

「ジェ、ジェニー…。声、大きいって…」

「ご、ごめん、エマ…。あまりのことに、ちょっと驚いただけ。だ、だって…。ダンと…?」

 頭の中がグルグルする。何をどれからどう考えて良いのか、全くわからない。

 そんな私をよそ目に、エマは両腕を胸の前で組みながら溜息を吐いた。

「なーんだ。あんた達、付き合ってるんじゃなかったの?」

 エマの言葉に、私は首をブンブンと勢いよく横に振った。

「ダンとはその、仲間って言うか、家族って言うか…」

「へえ。あんたにとっては、ダンはジェイクと同系列なわけね?」

 ジェイクと同じ…? そう言われると、何となく違和感があるような…。

「えっと…」

 私が答えられずにいると、エマは「ふーん」と言いながら机の上から腰を上げた。

「ま、いいわ。アタシはちゃんと、教えてあげたからね?」

 せいぜい頑張りなと言ってひらひらと手を振りながら、エマは去っていった。

「頑張れって、何を?」

 私はしばらくの間、呆然としたまま教室の中で一人、突っ立っていた。

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