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門の番人  作者: 成田チカ
1/6

Chapter 1

 今宵は新月―。

 月の無い夜には、魔界とこの世界を繋ぐ古い「門」が綻び、そこから魔物が外へ出ようとすることが度々起こる。

 僕は内側からゆるゆるとぬるい空気を吐き出しながら不気味な声を響かせている小さな「門」を睨みつけ、その中央に向かって手をかざした。力をかざした掌に集中させると、掌が少し熱くなるのを感じた。

 意識を目の前の門に集中させながら、僕は毎日復唱させられている言葉を口ずさむ。

「緩みし境界よ、元の姿に戻れ。歪みし空間よ、あるべき場所に戻れ…」

 言葉が紡がれるに従って、身体全体が熱を帯びたように熱くなり、力が僕の身体を満たした。

 今だ。

「閉じろ! 魔界の門!」

 僕の言葉と共に、僕の掌から白い光が放射され、それは門に向かって一直線に注がれた。自分がやっていることとはいえ、目の前で起きていることが信じられない。

 白い光に包まれた門は静かに身震いしながら閉じ始め、やがて完全に閉じると、空気の中に溶ける様に消え去った。僕はそれを見届けると、ふう、と安堵の息を漏らした。と、同時に僕の背後からパチパチと一人分の拍手の音が暗闇の中で鳴り響いた。

「お疲れ~、ダン。ちゃ~んと一人で出来たじゃない」

 この場にそぐわない呑気で明るい声の主は、長い黒髪を後ろに束ねた美少女だ。名をジェニーと言う。

 ジェニーは門があった場所を確認すると、満足そうに頷いた。

「合格、合格。短い期間で、よく出来ました~。おめでと~」

「……」

 僕はまだ自分がしたことが信じられなかった。まさか、数ヶ月前のハロウィンにジェニーが僕の目の前でやってのけた決して「普通」ではないことを、この僕が一人で出来るようになるなんて…。

「大丈夫? ダン…」

 自分の掌を見つめたまま返事をしない僕を心配したのか、ジェニーが首を傾げながら僕の顔を見上げていた。彼女の大きな青い瞳と目が合い、僕は一瞬、たじろいだ。

「な、何でもないよ…。ただ、ちょっと、驚いただけ…」

 ジェニーは僕の言葉が理解できないという顔をして尋ねる。

「何で?」

「何でって…。えっと、それは…。僕が、自分で門を閉じることが出来たから…?」

「そりゃ、出来るに決まってるでしょ?」

 ジェニーは得意気に微笑みながら言った。

「私とお父さんが、毎日あんなにシゴキまくったのよ? 出来るに決まってるじゃない!」

 こういう時のジェニーは、至って強気だ。いつものこととは言え、どうしてこんなに自信があるんだよ、こいつは。

 僕は溜息を吐きながら言った。

「『決まってる』って…。あ、でも、シゴイてたっていう自覚はあるんだ…」

 僕の言葉にフフッと嬉しそうに微笑みながら、ジェニーは言った。

「もう自分でもわかってるんでしょ? 番人の素質があるって。本当、昔からこういう時だけ頑固よね、ダンって」


------------------------


 僕の名はダン。正式にはダニエル・ウィーザーっていう。

 職業は高校生。それに加えて、最近は「門の番人」になるべく、日々修行中。番人世界での身分は「番人見習い」なんだそうだ。何か、どこかのビデオゲームのキャラクターみたいな呼ばれ方だ。

 この世には魔界と現世を繋ぐ道が至る所にあって、その数や正確な場所は常に変動するから定かではない。道は常に作られ、消え、そしてまた作られる。

 魔界とこちらの繋ぎ目は通称「門」と呼ばれ、それらは通常は閉じられ、魔物がこちら側に出てこられないように、そしてこちら側の物が魔界に入り込まないようになっている。

 ところが、この門が時々緩むことがある。その緩んだ門が、新月やハロウィンの時になると強まる魔界の波長の影響を受けて開き始めることがある。

 「門の番人」は、そんな緩んだり綻んだりした門を見つけ、閉じ、封印を施すことにある。

 僕と一緒にいるこの呑気で能天気な美少女ジェニーの家は代々、門の番人をしている血筋なんだそうだ。その中でも、ジェニーはとりわけ番人としての能力が優れているのだそうで、彼女は幼い頃から一人前の番人として活動している。

 僕は彼女の家の近所に住む幼馴染で、多少複雑でもまぁ普通の部類に入るであろう家庭に育ち、ジェニーの秘密は最近まで全く知らなかった。


 キッカケは数ヶ月前のハロウィン。その日、僕は街の外れにある廃工場の中に出来た門を閉じるジェニーを目撃してしまった。

 普通なら、そこで「僕はこの秘密を誰にも喋りません」とか言えばそれきりなんだと思う。いや、そうであって欲しかった。だけど、幸か不幸か、その時僕には「門」が見え、門の中から響き渡る声が聴こえた。

 今なら、あの時それをジェニーに言わなければ良かったんだと思う。ちょっとしたパニック状態に陥った僕はジェニーに「アレは何だったんだ」って尋ねてしまい、それを聞いたジェニーは、僕に番人になる素質があるのを知ってしまったんだ。

 それから先はトントン拍子に、僕の立場や意思をほぼ無視した状態で進み、ジェニーのお父さんとジェニーの下で僕が番人になるための修行が始まった。ジェニーの家族によると、最近では番人も人材不足で、それでも減ることの無い門の対処に追われているのだとか。

 番人の一族の血を引いていても、全員が番人になれるわけではないのだと言う。門を見る能力の無い者は、門を閉めることができない。例えば、ジェニーにはジェイクという兄がいるが、ダグは門の位置をそれとなく感じることは出来るが、見ることが出来ない。見ることが出来ないから、門を閉じることが出来ない。つまり、彼には番人になる資格が無い。

 そんなダグは、僕が番人になることを反対していた。一族の出でもない僕に番人が務まるわけがないというのが、彼の言い分だ。僕が門を見たというのは何かの間違いだろうとも言っていた。でも、修行を始めて三ヶ月ほど経った新月の夜にジェニーと共に行った「仕事」で、ジェイクの僕への評価が変わった。


--------------------------

 

 その日の気温は真冬らしい氷点下で、空気が刺すように冷たかった。ジェイクが運転する四駆車には、ジェニーと僕、それからジェニーの家で買われている2匹の猫のうち、黒猫のインキーが乗っていた。

 僕はジェニーの家の猫の存在は昔から知っていたけれど、彼らが実は「門探知猫」だと言うことは番人見習いになるまで知らなかった。彼らは僕ら人間よりも数倍、門の綻びに対して敏感で、この世界に現れた門の存在をどの番人よりも早く感じ取り、知らせてくれる。この日も、インキーが感じ取った門に僕らは向かっていた。

 出発してから数時間後。車はまだ周りに何も無い高速道路を、北に向かって走っていた。

「気配は感じてきてるんだが、まだまだ先かよ…。こりゃ、まずいな」

 ジェイクが運転しながらそう呟いた時、助手席に座るジェニーの携帯が鳴った。ジェニーの膝の上に乗っているインキーは北の方角を見つめたままだ。

「ハロー、母さん。なあに? え? 今? そこから北に2時間くらい走ったとこ。町の名前? 町なんてないし~。っていうか、周りに何も無いんだけど、ここ。どうしたの? うん。うん。あ、それって、私達が今向かってるとこかも」

 ジェニーはそう言いながらカーナビの地図を拡大した。

「あ、うん。その町にあと20分くらいで入るよ? うん。ジェイクとダンが一緒。うん。わかった。じゃーね」

「おばさん、何だって?」

 僕は後ろからジェニーに尋ねた。

「あのね、さっき、家に『上』から指令が入ったんだって。どうやら、私達が向かってる門ってかなり大きいらしくて、応援を頼まれたみたい」

「え? 『指令』?」

 以前、ジェニーのお父さんから教わった話では、番人たちの組合みたいなものがあって、担当番人では対処しきれない門や、一度に沢山の門が1つの地域に大量発生した場合には、組合が他の番人に連絡を取って応援に行かせることがあると言う。

「どっちかな~。このエリアの番人さんが役立たずなのか、それとも…」

 ジェニーが徐々に毛を逆立て始めたインキーの背中を撫でながら言った。

「か~な~り~、大きな門がお待ちかねなのか」

 その声はいつものように明るい声だが、少し緊張の色が混ざっていた。

 やがて門の気配が強まり、僕の肌には鳥肌が立ち始めた。


 車はやがて小さな街を横切り、暗い森の中に入った。そこからは僕でも奇妙な圧迫感を感じることができた。

「ジェイク。ここからは歩いた方がいいわ。これ以上は車は危険よ」

 ジェニーがそう言うとダグは車を停め、僕ら3人と一匹は車を降りた。気温は氷点下なはずなのに、辺りには微かに生暖かい空気が漂っている。三日前に降った雪がまだ多く残る地面の上には、数人のものと思われる足跡が門の方向へと続いていた。

(この門は、大きい)

 嫌でも、そう感じずにはいられなかった。僕が門に遭遇するのはこれが初めてではなかった。それまでも修行の一環として、ジェニーやジェニーのお父さんに門に実際に連れて行ってもらって、彼らが門を閉める様子を何度か見ていた。だが、それらのどれも、今感じているような圧倒されるような気配を感じることはなかった。

「まずいわね」

 ジェニーが静かな口調でそう言った。

「うん」

 僕らは短い言葉を掛け合いながら、歩く速度を徐々に速めながら進んだ。ジェニーは何も言わなかったけれど、僕の拙い勘は、門は既にかなり開いてしまっていると告げていた。何故なら、僕らはその時既に森の中でうごめく魔物の気配を感じていたから―。

 番人が門を閉めるとき、門から出てきた魔物が門の傍にいるのであれば、それらを門の中へと吸い込ませて、門と共に封印することが出来る。だが、魔物が門から離れてしまうと、その力は及ばずに、魔物はこの世界で活動を始めてしまう。

「かなり出始めているようね。まずいわ。こんなに大きいってことは、門が開くのにも時間が掛かったでしょうに。開いてからも、そんなに時間が経ってしまったの…?」

 やっぱり、と思うよりも、ジェニーの顔に焦りの色が見えたことに僕は驚いた。

「ダン、ちゃんと手伝ってね?」

「わかってる」

 開いてしまった門の封印は、単に緩んでいる門の封印よりも大きな力を必要とする。しかも、今、僕らが向かっている門はジャイアント級のようだ。そんな門が、開いてしまっている…。

「あー、もう。あそこでジェイクが道を間違えなければね~!!」

 ジェニーの台詞に、顔を少し紅くしながらジェイクが吠えた。

「うっせーぞ、ジェニー!」

「だって、普通あんなところで間違える? あの後、一方通行だらけで、元の道に戻るのにどれだけ時間掛かってるんだって話よ! ついでに行き止まりで雪にタイヤをめり込ませるし!」

「悪かったな!」

「その分の仕事はちゃんとやってよね!」

「わかってる!」

 僕は、この兄妹は相変わらずだなぁと思いながら苦笑していた。昔から、仲がいいんだか悪いんだかわからない。でも、彼らの遣り取りのお陰で、多少の緊張が解れたような気がした。きっと、彼らもそれをわかっていてこの遣り取りをしているんだと思う。

 やがて、目の前に現れたのは、僕らの想像を遥かに超える、巨大な門。

 パックリと口を開いたその門からは生暖かく、嫌な臭いをさせた空気がゆるゆると流れ、門から少し離れた所には、数名の人影がうずくまっているのが見えた。三十代から四十代くらいの大人たちが数名、途方に暮れたような顔をしてお互いの肩を抱き合いながら門を見つめている。彼らが協会に応援を要請したこの地域の番人達だろうか。よく見ると、怪我をしている人もいるみたいだ。

 彼らは僕らに気が付くと、僕らの顔を見るなり、あからさまに落胆した表情をした。

「ちっ。やっと応援が来たと思ったら、子供(ガキ)かよ…」

 一人の男がそう吐き捨てたのを聞いて、ジェニーが彼らの前にズイっと仁王立ちになった。

「そこから、おどきなさいな」

 ジェニーの言葉を、フン、と先ほど悪態をついた男が鼻で笑った。

「お前らに何が出来るって言うんだ。お前らなんて、この門に飲み込まれるのがオチだぞ?」

 ジェニーは「話にならない」と言うように両肩をすぼめると、男を無視して彼らの横を通り過ぎ、門に近付いた。僕はジェニーの後ろにピタッと寄り添う形で進む。

「お、おい! 聞いているのか!」

 偉そうに威嚇する男の声に、ジェニーは「ああ、もう…」と忌々しげに呟いた。まずい。僕が身体を少し構えるのと同時に、ジェニーは後ろを振り向かずに鋭い気を一瞬だけ放出させた。白い光がジェニーの身体から四方にブワっと放たれ、それだけで周りの魔物の気配が一瞬にして潜んだ。

「うおっ!」

「な、何だ…?」

 大人の番人達がうろたえていると、その隙を逃さずにジェイクが悪態をついていた男の鼻先に銀色のサーベルの切っ先を突きつけた。

「おっさん。あんまりうるさくしてると、あいつらが神経集中できねーだろ? 黙ってろ」

「う。あ、ああ…」

 ジェイクは自分よりも少し小柄な大人たちを睨みつけ、その場に座らせた。

 ジェニーは巨大な門を上から下までじっくりと眺めると、1つ大きな深呼吸をした。

「やっぱり、デカイな…」

 僕がポツリとそう呟くと、ジェニーが門を睨みつけながら言った。

「出来るわよっ! ダン。私の呼吸に合わせてね!」

「うん。わかった」

 僕はそう言ってジェニーの斜め後ろに立ち、ジェニーの呼吸のリズムを感じながら門を見上げた。僕らの背丈の5倍はあろうかという高さを持つ大きな門は、闇を飲み込むかのような異様な雰囲気を漂わせながらそびえ立ち、開いた扉の向こう側には、こちら側を伺っている邪悪な魔物の気配を感じる。

「ダン。手、貸して」

「手?」

「いいから、早く!」

 僕が承諾する前にジェニーは僕の右手を自分の右手で勢いよく掴むと、それを前にグイっと引っ張った。

「うわっ」

 僕の身体がジェニーの背にピッタリとくっついて僕は思わず声を上げたが、それと同時に僕の手を掴んだジェニーの掌から尋常ではない熱を感じて、僕の神経は全てそっちに持っていかれた。

「ダン。集中して!」

「わ、わかった…」

 僕らは呼吸を合わせながら、僕の掌に神経を集中させた。身体が熱くなり、僕らの周りがぼうっと白く光り始めた。僕らの波動に怯えるかのように、門がキシキシと音を立てながら震え始めた。

「行くわよ」

「ああ」

 ジェニーの呼吸に合わせ、僕らは共に詠唱を始めた。

「緩みし境界よ、元の姿に戻れ。歪みし空間よ、あるべき場所に戻れ…」

 紡がれる言葉が、螺旋のように僕の身体を巡る。僕の手首を掴むジェニーの掌から、力が僕の腕の中に注ぎ込まれ、僕の掌が爆発するんじゃないかと思うくらい、力で(みなぎ)っていくのを感じる。

「閉じろ! 魔界の門!」

 僕の掌を介して、ジェニーと僕、二人分のエネルギーが門に注ぎ込まれた。そのあまりの勢いに、僕は左手でジェニーの肩を掴んだ。ジェニーの肩は華奢だけど、妙な安心感があった。

 白い光に包まれた門の扉が、地に響くような軋んだ音を立てながら少しずつ閉じられていく。だが、完全に閉じられ、消えるまでは気を抜いてはならないと、僕は常日頃ジェニーのお父さんから教えられていた。それはジェニーも同じようで、あれほど大きなエネルギーを僕の掌に流し込んでいたのに、ジェニーはまだ衰えない量のエネルギーを僕の腕に送り続けている。

(負けられない!)

 ジェニーと張り合いたがるのは僕の悪い癖だが、こういう時にはいいかも知れない。

(負けるもんか! 僕だって、やれる!)

 そう思った瞬間、僕の中のエネルギーが物凄い勢いで門にかざしている掌に向かって流れ始めた。それと同時に、門の中に向かって周りの空気が凄い勢いで逆流し始めた。辺りに台風の中にいるんじゃないかと思うくらい、強い風が巻き起こり、僕らは両足を少し広めに開いて力を入れる。

「くっ」

「お前ら、踏ん張れ!」

 遠く、後ろのほうからジェイクが叫ぶ声が聞こえた。

「ダン。しっかり、掴まって…!」

 左足をまた少し後ろにずらしてバランスを取りながら、ジェニーが言った。

「ああ」

 僕とジェニーは1枚の薄い壁のようになりながら立っていた。僕らの周りには、門に吸い込まれる魔物たちの流れが出来ていて、僕らはその中で流れに逆らいながら気を送り続けた。

 巨大な門の扉が、周りの空気を軋ませながら閉じていく。

「もう、少し…!」

「くっ」

 やがて、地面を大きく揺らしながら門がピッタリと閉じられ、空気の流れが止まった。門が白い光に包まれるように淡く光り、それは緩やかに歪みながら静かに空気に溶けて消え去った。そして、門のあった場所には雪の残る地面だけが残った。それを見届けて、僕らはようやく息を吐く。

「ふ、ふう~~。」

「はぁ、はぁ、はぁ…。あーー、しんどかった~!」

 僕とジェニーは、ほぼ同時に雪の積もった地面の上に倒れ込んだ。顔や手に当たる雪が、火照った身体に心地いい。

 僕らはまるで全力疾走した後のように荒い息をしながら、お互いの顔を見合わせて笑った。

「やった、ね…。ダン」

「ああ。出来たな」

「もう…! 私はちゃんと『出来る』って言ったでしょっ?」

「そう、だったね」

 僕は力なく笑いながら重く感じる上体を少し起こして、まだ力の余韻が残る掌をジェニーに向けた。ジェニーは疲れた顔でうっすらと笑いながら、その手に自分の手をポン、と軽く打ちつけた。

「グッジョブ、私達…!」

「だな」

「あはは」

 僕はゆっくりと身体を起こして立ち上がると、ジェニーに手を差し出した。ジェニーは力の入らない手で何とか僕の手を握ると、少しふらつきながら立ち上がった。普段は僕よりも体力があるんじゃないかと思っていたジェニーも、今回ばかりは力を使い果たしたようだ。

 ジェニーは僕の左肩にもたれ、僕はジェニーを支えるように抱きかかえながらジェイクたちのいる方へと歩き出した。いや、歩き出そうとした。

 ダグがいるはずの方向へと振り返った僕達が見たものは、門の外に残っていた魔物に囲まれたジェイクと、大人の番人達だった。ジェイクの足元には、数体の魔物の骸が転がっていた。

「あらら~。や~っぱり、残っちゃってるわ、魔物」

 ジェニーは小さく溜息を吐きながらそう言うと、上目遣いで僕を見ながらあっさりとこう言った。

「私、もう力残ってないから。ダン、ちょっとジェイクを助けてあげて?」

「ええっ? 僕だって、もうそんなに残ってないよ?」

 確かに、ちゃんと立っていられる僕に比べて、ジェニーは少し辛そうだ。ジェニーは僕の肩に少し寄りかかりながら言った。

「大丈夫、大丈夫。少しハッタリ効かせれば、あの程度の雑魚は引いていくから」

「…ハッタリでいいんだな?」

 僕は1つ深呼吸をすると、神経を身体の中心に集中させた。ハッタリなら、見せ掛けが大きい方がいい。

 僕は息を大きく吸い込むと下腹に力を込めて気を身体から一気に放出させた。これは見せかけが派手な割に、コントロールがほとんどいらないから見習い番人の僕でも出来る技だ。

「失せろ!!」

 僕の気が白い光の筋になって、まるで爆発したかのように四方へ飛び散り、それに驚いた魔物がジェイク達から離れた。

「上出来」

 肩越しにジェニーから小さく賛辞が出された。

「サンキュ」

 僕は身体中に倦怠感を覚えながら、僕に張り付いたままのジェニーを引き摺るようにしてジェイクの元へと歩いた。

「大丈夫か、ジェイク?」

「ああ…。何とかな。だが、魔物が結構残っちまってて厄介だな…。このままじゃ、この森から出れねーぞ、俺達…」

 ジェイクの言葉に、僕の左腕がピクッと動いた。いや、性格には左腕に纏わりついていたジェニーの身体が、か。

 少しの沈黙の後、ジェニーが口を開いた。

「やだ。お腹空いた。帰りた~い」

 情けない声を出しながらそう言うジェニーを、大人の番人達はあんぐりと口を開けて呆気に囚われながら見ている。そりゃそうか。彼らが閉じられなかった門を閉じた張本人が、魔物の群れに囲まれながら言い放った台詞が、これだ。

 だけど、僕とジェイクは二人で笑い始めた。

「ハハハ。わーった、わーった。俺も腹空いてきたしな。じゃ、何とかするか」

 と、その時、遠くの方で鈴の音が聞こえた。

「あれ? あの鈴、インキーの…?」

「そう言えばあいつ、どこ行っちまったんだ?」

 チリーンという鈴の音に、時折何かが引き裂かれるような鈍い音が混じり始めた。

「何だ、あの音…?」

 眉間に皺を寄せながら耳を澄ますダグに、ジェニーが言った。

「ねぇ、時々、『ぐへえ』みたいな声も聞こえない? 嫌ぁ~、ホラー映画みたい」

「いや、このシチュエーションは、もう十分にホラー映画だって、ジェニー」

 やがて、強まる鈴の音、何かが引き裂かれる音、「ぐへえ」に混じって、数名の雪を踏みつけながら歩く足音も混ざった。

「あ、インキー!」

 暗闇から、黒猫のインキーが黄金に輝く瞳を爛々と光らせながら小走りに走ってきた。

「連れてきたわよん♪」

 小さくウィンクをしながらそう言うインキー(猫)に、僕は両目を見開いたまま硬直した。

(しゃ、喋った…?)

「連れてきたって、誰を?」

 ジェニーはまるで、それが普通であるかのようにインキーに向かって話し掛けた。

「見りゃわかるわよ、ほら」

 インキーが顎で来た方向を指すと、暗闇の中でうごめく人影とその合間にうっすらと白い光を発する何かが見えた。

(何だ…?)

 やがて、その中から一人の大柄な男性が姿を現した。少し薄汚れたトレンチコートの裾を翻しながら現れた彼は、右手に大振りな銀に光る剣を握っている。

「アル叔父さん!」

 ジェニーがそう呼んだ男性は、ニヤっと不敵な笑みを浮かべながら、ジェニーに向かって「よお」と手を振った。

「魔物の気配が強かったんで来てみたんだが、正解だったな。で、門は?」

「私とダンで閉めたわよ」

「ダン…?」

 アルは僕を見ると、「ああ」と言いながら右手を差し出した。

「君がダンか。初めまして。俺はアル・オルセン。ジェニーとジェイクの叔父だ。君の事は、マイクとローラから聞いてるよ。番人見習いなんだって?」

「あ、は、初めまして。ダン・ウィーザーです」

 僕はアルに差し出された手に僕の手を重ねて握手を交わした。アルの手は大きくてマメだらけで、そして暖かかった。

「ヨロシクな、ダン。じゃ、ちょっと『掃除』が終わるまでの間、お前達はここにいろ」

 アルはそう言いながら僕らを取り囲むように雪の上に剣の切っ先で円を描き、その外側に出ると跪いて地面に手をつくと、ふと、顔を上げた。

「おっと。ジェイクはどうする? やれるか?」

 アルの言葉に、ジェイクの顔がパッと紅潮した。

「いいのか?」

 アルはニッコリ笑いながら頷いた。

「ああ。あれからちっとは、自分で修行してたか?」

「もちろん!」

「じゃ、試しにやってみろ。雑魚相手なら、やれるだろ?」

「ああ!」

 途端に元気になったジェイクが円の外に出ると、アルは地面に手を置きながらブツブツと何やら呪文のようなものを唱えた。やがて地面が少ししびれたように震え、僕らは白い光のドームに囲まれた。

「ちょっとした結界だ。あの雑魚相手なら、しばらくの間は大丈夫だろう。俺達が戻るまで、そこから動くんじゃねーぞ?」

 僕とジェニーは頷くと、二人で身を寄せ合うようにして座った。アルとジェイクの後姿が暗闇の中に消える。

「疲れたぁ…」

 ジェニーがポツリと言った。

「ちょっとの間、ここで寝てれば?」

「うん。でも、お尻が冷た~い」

 僕は一瞬躊躇ったが、ジェニーの身体を少し持ち上げて、ジェニーの腰を僕の膝の上に乗せた。

「これなら、大丈夫?」

 一瞬、驚いたような顔をしたジェニーが、僕の視線に気がついて口を尖らせた。

「ちょっと固いけどね…。まぁ、文句は言わないわ。ありがとう」

 そう言ってコテンと頭を僕の肩に預けると、割とすぐに僕の耳にジェニーの寝息が聴こえた。森の暗闇の中から聞こえる音が徐々に静かになり、やがて聞こえなくなった。

 森全体がシーンと静まり返ってからしばらくして、僕は雪を踏みしめながら歩く足音を聞いた。やがて足音の方向からジェイクとアル、そして数名の男性が姿を現した。

「片付けたぜっ」

 まるで全てが自分の手柄のように微笑みながら、ジェイクが得意気にそう言うと、アルがジェイクの頭をゴン、と拳骨で軽く殴った。

「イって!」

「調子に乗るな、ジェイク。お前が殺ったのは、雑魚だけだろ?」

「けどよー、俺だって、初戦だったわけだし…」

 頭を押さえながらブツブツと文句を言うジェイクを見ながら、二人の後ろにいた男達が笑った。

「ま、初戦にしちゃ、悪くねーんじゃねーの?」

「そうそう、ま、筋はいい方じゃねーか?」

「あんまり煽てんな。調子に乗せたら、伸びるもんも伸びなくなる」

 アルが苦々しくそう言いながら、僕らの周りに張り巡らされた結界を解いた。

「おっと。姫さんは寝ちまったか」

 僕に寄りかかりながら眠るジェニーを見て、アルがフッと優しく微笑んだ。

「寝顔は、ちっこい頃のジェニーと同じなんだな」

 それは僕も同じ事を思っていた。僕らが小さい頃、ジェニーがよく遊び疲れて眠ってしまうことがあった。その時に見た小さなジェニーの寝顔は、今ここで眠っているジェニーの寝顔とあまり変わらない。

「どれ、俺が担いで行くか。ダン、お前は自分で歩けるな?」

「うん」

 僕はジェニーをアルに託すと、ジェイクの手を借りて立ち上がった。ジェニーを軽々と横抱きに抱かかえたアルは、僕らの後ろに座っていた大人の番人達に向かって声を掛けた。

「あんたらは、適当に帰れるな?」

 アルの問に、彼らは黙って頷いた。

「よし。じゃ、行くか」

 歩き始めたアルに僕らが続いて歩き出そうとした時、大人の番人達のうち、僕らを子供呼ばわりして悪態をついた男性が声を掛けた。

「あ、あのっ。あなた方は…」

 彼の声を聴いたジェイクが一瞬足を止めてチラッと後ろを振り返ったが、声の主が彼だということを確認すると、何も言わずにまた前を向いて早足で歩き始めた。僕はジェイクの後を追った。

「ジェイク…」

 僕が小声でジェイクを呼ぶと、ジェイクが少し歩くスピードを下げてから、忌々しげに言った。

「俺は、ああいう大人だ子供だってだけで頭ごなしに俺達を役立たず呼ばわりする輩が、大っ嫌いなんだよ」

「それは、わかるけど…」

 あの男に「子供かよ」と言われた瞬間、ジェニーもかなり怒っていた。でも、自分の仕事に誇りを持っている彼らなら、何もしないうちからあんな風に言われる事に腹を立てるのは、当たり前のことかもしれない。僕が番人としてのジェニーやジェイクと関わって、まだ数ヶ月しか経たないけれど、それでも彼らがどれだけ真剣に自分の仕事に取り組んでいるのかは、よく知っている。

「でも、ま」

 ジェイクはそう言いながら僕の肩をガシっと抱いた。

「お前はよくやったよ。年齢も経験値も、まだそんなに無いのにな。やっぱり、オヤジが見込んだだけのことはあるぜ」

 意外な人からの意外な賛美に、僕はかなり動揺した。

「さ、さ、サンキュ」

 照れている僕の頭をクシャッと撫でながら、ジェイクが月の無い夜空を見上げた。

「俺も…。そろそろ考えないとな」

「え?」

「いや。ま、お前には今度話してやるよ」

「は?」

「ま、気にすんな。お、車だ」

 車の側では、黒猫のインキーが僕らを待っていた。

「遅いわよっ」

 インキーは不機嫌そうにそう言うと、素早くダグの身体に駆け上り、彼の肩の上に座ると、手足に付いていた雪を落としてジェイクのジャケットでそれらを拭った。

「悪ぃーな。今日は数が多かったからな」

 ジェイクが申し訳なさそうにそう言うと、インキーがツンと顔を上げた。

「あら。アタシだって、少しは手伝ってあげたじゃない?」

「おう。ご苦労さん」

「手伝って…?」

 僕が不思議そうに首を傾げていると、ジェイクの肩の上のインキーが自慢気に胸を張って答えた。

「アタシ、門の探知だけじゃなくて、雑魚だったら多少痛めつけるくらいのことはできるわよ?」

「へえ。やるね」

「でしょ? これからはあなたも、もうちょっとアタシを丁重に扱うことね」

「うん。そうするよ」

 僕の答えに、インキーは一瞬両目を見開き、その後に少し笑ったような気がした。

「あ、あら。物分りのいい子って、アタシ好きよ」

 ジェイクが車のドアを開けると、インキーはジェイクの肩からスルリと降りて、助手席に収まった。

「それにしても、何やってんだ、アル…」

 僕らが先に去った後、アルがこの地域の番人達に何かを話していたようだった。

 ジェイクは運転席に座って車のエンジンをかけた。僕は後部席のドアを一旦閉め、外でアルとジェニーを待っていた。

 やがて、ジェニーを抱きかかえたアルが大人の番人達を後ろに従えるような形でやって来た。僕が後部座席のドアを開けると、アルは「サンキュ」と言いながらまだ眠っているジェニーを中の座席に横たえた。

「それでは、失礼致します」

 番人の一団がアルに向かって丁寧に会釈をした。

「おう。もう、こんなことにはならねーようにな」

「はい。もちろんです」

 番人の一団は僕らに対しても会釈をしてから去って行った。僕らに対して最初に取った態度と全く違う。ちらっと車の中を覗くと、ジェイクが眉間に皺を寄せながら番人達の後姿を睨みつけていた。

「じゃあ」

 そう言って僕が助手席に乗り込もうとすると、アルが思い出したように閉まりかけたドアを止め、僕の肩越しに車の中に首を突っ込んだ。

「うわっ」

「あ、すまんな、ダン。ジェイク! お前らどうせ、これから帰るんだろ? 俺達もお前んちに寄っていいか?」

 アルの言葉に、ジェイクはニヤリと微笑みながら答えた。

「いんじゃね? 父さんも母さんも、文句は言わねーだろ、どーせ」

「まあな。じゃ、後でな」

 アルはそのままフイっと何処かへ行ってしまった。

「ダン。いつまでもそうやってドア開けてると寒ぃんだよ。とっとと中に入れ。出発するぞ」

「あ、ゴメン!」

 僕は助手席に座り、ドアを閉めてシートベルトを着けた。インキーが見計らったように僕の膝の上にやって来て座ると、気持ち良さそうに居眠りを始める。

「よっしゃ、出発!」

 車が動き出し森を抜けた頃、ジェイクが眠気覚ましにハードロックの音楽を掛け始めた。

 車がハイウェイに入る頃、僕も好きな曲がスピーカーから流れた。深夜をとうに過ぎたハイウェイには、ほとんど車が見あたらない。少し気だるい身体に、ロックのリズムが心地良かった。

 真っ直ぐな道に車を走らせながら、僕らは自然に声を出して歌い始めた。

「イエー!」

「ヤー!」

「うるっさいわね! 眠れないじゃないの!!」

 僕はジェニーの叫び声にびっくりして飛び起きたインキーに、思いっきり腕を爪で引っ掻かれた。

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