06 病院
『さき』はG市の国立病院に入院しているらしい。俺の主治医がいる病院だ。先述した障碍のことで二年前に診察を受け、それから三〜四ヶ月に一回は薬を貰いに行く。薬を飲めば発作は抑えられるが、この障碍は一生治ることはない。長い歳月を経て自然に発作が目立たなくなるのを待つだけだ。
時計の針は九時十分を指している。フロントで病室の場所を訊ね、すぐに向かった。『さき』は北棟の三階、通称『北さん』の308号室にいるとのこと。去年俺が検査入院した時と同じ病室だ。あの時は入院患者が少なかったため、六人部屋を俺一人で占領していた。ただの検査に二泊三日もかけるのは絶対に間違ってると、そのときはイライラしたものだった。相当に暇だったからな。
今回も六人部屋を独占状態だった。六台並ぶベッドの角側、陽がよく当たる窓際のベッドに横たわる男の身体。酸素マスクやら心電図モニタから伸びる電極なんかは装着されていない。腕や脚を吊り下げられてもいない。点滴の管が一本、左腕に伸びているだけだ。別段大したことはないようで、俺は安堵のため息をついた。
バイクで転んだときにぶつけたのか、左目にガーゼを当てている。傷がついたのは別に構わないが、出来れば俺が病室に居る内に目を覚まして欲しいな。
ベッドの傍に椅子を立てて座る。小さく開いた窓から侵入する生温い風が髪を揺らし、開いたままの扉から出ていった。こういう涼しくない風って結構好き。なんでかわからないけど、考え事する時の保冷剤になる。少し落ち着いて、さぁ、考えよう。
……
……
……
……何を考えるんだっけ?
再びベッドに横たわる姿に目を向ける。真っ黒く細い髪の毛は男性としては少し伸び気味。顔のパーツはそれぞれ大きく、整ってはいるが特にイケメンというわけではない、物語の主人公にはなり得ない顔。自分が目の前で寝ている姿を自分の目で見るというのは、なんとも奇なるものだ。幽体離脱をするとこんな感じなのかもしれないな。有機体であるか否かの違いしかない。
低いモスキートのような音が続けて三回聴こえた。覚えている。これは俺の携帯のバイブレーションの音だ。どうやらメールが来たらしい。携帯……どこにある?
すぐに見つかった。ベッドの傍にある鍵付きの引き出しの中の袋の中にあった。鍵は案の定ベッドに寝ている俺の身体の首にかけてあった。元は俺の物である黒の携帯。キーロックを解除し、待受画面を見る。
[Eメール 3件]
受信ボックスを開く。メインフォルダに二件、短大フォルダに一件、メールが入っていた。先ずはメインフォルダを覗いてみよう。
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0002 5/6 21:04
メディアポケットJPO7b
mpoメルマガ 5/6
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……ちくしょう。客観的視点に立つとこんなにも悲しくなるのは何故だ。
……あぁ、さっきのメールは何かの間違いだ。俺は何も知らない。『メディアポケット』とかいう、如何わしい動画を紹介するメールマガジンを欲したなんてことは俺の頭の中に記憶として残ってなんかいないから、きっと業者がメールアドレスを間違えて送ってきたのだろう。きっと気のせいだ。俺は何も知らない。
俺は、何も、知らない!
さて、間違いメールと脳内の一部の記憶を同時にこっそり削除した俺は、次のメールを見た。
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0001 5/7 9:11
中城良隆
(non title)
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バイト先のマネージャーからだった。恐らく母が入院の旨を伝えたのだろう。
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メール0001
5/7 9:11
From:中城良隆
To:****.****.***-****(ry
Sub:(non title)
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大丈夫か?入院したって聞いたけど。起きたら一度連絡ちょうだいね。
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ふむ、どうやら迷惑をかけてしまったようだ。やっぱりいきなりこういう事態になると、マネージャーとしては困るものだよなぁ。実は俺、バイト先のアルバイター達の中で実質立場的にトップなんだよね。ジャニターっていう役で、もちろん給料もトップ。今でこそ後輩の数人が徐々に育ってきて、俺の仕事を出来るまでになったが、それでも支障が全くないとは言えない。平日は……おっと、そういえばまだバイトの内容を説明してなかったな。失礼。
俺は今、モダン・将聖ホテルという結婚式場で働いている。披露宴や結納、パーティーなどのサービスを少々。所謂宴会スタッフというやつだ。一番の古株、という訳ではないのだが、高校二年の十一月に営業部門の母に無理矢理連れてこられて嫌々ながら始めてしまい、前半分の派遣スタッフ時代と合わせてかれこれもう三年と八ヶ月にもなる。多分四番目位に古株かな。
営業部門のおばさん達は普段は営業をしながら平日のランチバイキングや休日の披露宴のサービスをしていて、殆どの人が俺よりもずっと長くいるベテラン揃いだ。母が居るからかどうかはわからないが、皆よく俺を助けてくれるし、勿論俺もお返しとばかりに色々手伝いをする。失敗もよくするのだが、それはしょうがない。既に四年目の後半に入っているにも関わらず、俺は相変わらず接客というものが大の苦手であり、それ以前に要領が悪いからな。しかし仕事は毎日誰よりも真面目にやってきた。その点は気後れ無く自負出来るし、営業のおばさん達やマネージャー達はそういうところを評価してくれた。
そんなこんなで俺が今のジャニターという立場に立ったのはそういった頑張りを考慮した訳でもなんでもなく、ただ二月の終わりにジャニターが一人辞めてしまったのでその代役を探していた時に、三月に短大の卒業を控えていて且つ進路を決めていなかった暇人属性を持っていたからという、なんとも複雑な気分にさせてくれるテキトーな理由からだった。
その後、更に残った二人のジャニターも辞めてしまい、その時点で俺はモダン・将聖ホテルのアルバイター達のトップに立たされてしまったわけだ。約三分の一の確率で週休二日、給料も軽く六桁にまで足を踏み入れ、仕事を助けてくれる人も多い。ストレスに根こそぎ髪の毛を奪われていくような錯覚すら起こすほどに疲れる仕事だが、その代わりにバイトの忙しさからお金を使わない生活に切り替わったため、貯金通帳を見れば思わずにやけてしまう俺がいる。
十月からは短大の奨学金の支払いが始まるが、それも一ヶ月の支払額はとるに足らない数字である。このまま一人暮らしをしても余裕が出来てしまうこの現状は、暫くは捨てられそうにないな。……早く元の身体に戻らないとこの立場も危うくなるかもしれないし。
いやすまない。たかがバイトの話でここまで長くなるとは思わなかった。次は短大フォルダを見てみよう。
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0001 5/6 22:23
琴音
(non title)
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琴音は短大時代の級友で、クラスのリーダーだった。高校では硬式テニス部のキャプテンをやっていたらしく、その明るい性格とリーダーシップの凄まじさ、責任感の強さは驚愕に値する。卒業した今でもクラスのみんなに連絡を回し、クラス会の企画もしていた。彼女に対して、俺は冗談抜きで尊敬の念を禁じ得ない。
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メール0001
5/6 22:23
From:琴音
To:***.****-**-****(ry
Sub:(non title)
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こんばんはー
5月10日(土)
☆Dクラス☆
第一回のクラス会に
ついてなんですが
来れそうな人
何人ぐらいいるのかな〜!?
ある程度の
人数知りたいので
来れる♪
まだ迷いちゅう♪の
人は返信メール
お願いします
今回はパス
行かない人は
返信メール
送らなくて大丈夫です!!
お忙しいなか
恐れ入りますが
お願いします♪
琴音
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{矢鱈と絵文字(特にハート)が多かったが、そこは敢えて削除しておいた}
今度のクラス会の人数確認か。場所は確かN市にあるライブハウス『b1』、時間は二十一時からだったな。返信メールは送らないでおこう。今の俺が行っても「誰?」って言われるだけだし、別に店を貸し切ってるわけではないから一般客として普通に出入りは出来る。それに純がいるから、行って一人ぼっちで空気を演じるなんてことはないだろう。
一応身体が女子高生であるため酒は飲むわけにはいかないが、その辺俺は理性で我慢できる。酒も煙草も、その気になれば半年以上手にせずとも生きていける。煙草はもう一年以上触れていないしな。元々ニコチンに対してそれほど依存していなかったから、禁煙どころか煙草の存在そのものが無くなったとしても特に悲観することはないだろう。俺って欲求に強いかも。性的欲求は……せいぜい一ヶ月ってとこか。男は性欲を適度に処理していかないと不能になるらしい。つまり性欲に関してはあまり我慢しちゃいけないってことだ。本能に従いすぎるのも不味いけど。俺の場合、一番我慢出来ないのは読書欲だな。
俺は『さき』のピンクの携帯をバッグから取り出した。純にメールを打っておこう。俺の身体が病院にいること、クラス会のこと、そしてバイトを始めようかなー? と思っていること。バイトは何にするかはまだ決めていない。将聖ホテルでもいいし、どこか小さな本屋とかもいいかもしれない。ここは迷いどころなのだが、考えてみれば将聖ホテルはこれからの数日間、或いは数週間を俺抜きでやっていくことになる。それはちょっと心許ない気がする(俺の自惚れかもしれないが)。ならばここでの最良の策は俺がこの身体のまま将聖ホテルの面接を受け、その場でマネージャーに実力を見せつけ、そのままジャニターになってしまうことだ。……まぁ、それは俺の身体が目覚めるまでの間という条件付きになるだろうが。てか面接受けてその場でアルバイターのトップに立てたら凄くない?
俺は『さき』の携帯のプロフィールを俺の携帯に登録した。そして、直ぐに連絡が欲しいという旨のメールを送って俺の携帯を引き出しに仕舞った。
『さき』が起きるまであまりにも暇であるため、俺は再び携帯小説を打ち始めた。今度は昨日とは違う作品で、説明するのも面倒くさいからタイトルだけ記しておく。
『奇跡の少女』だ。
一応最強設定になってはいても、実際に闘ってみれば一番強くはならないところが俺の小説のスタイルらしい。昨日書いた小説の主人公も、元魔王だけど自らの力を制御しきれずに、結局最強足り得なかった。他の作品の主人公達もそうだ。最強に相応しい力を持ってはいるものの、何故かどこかに矛盾が生じ、勝てない敵の存在を許してしまうのだ。ただし例外もいる。それがこの『奇跡の少女』の主人公『ミライ=ブランフォード=マルコシアス=レイン』と、シリーズ全体の主人公『神崎蒼華』だ。二人とも人々に恐れられるほどの強大な力を発揮し、『神』と呼ばれて以下略。
しかし奇跡の少女はなんの構想も考えずに、ミライというキャラのイメージとただの勢いだけで書き始めてしまったため、なかなか思うように筆が進まないのが現実だった。完全に失敗だ。もっと世界観とプロットを具体的にイメージするべきだったな。
『奇跡の少女』の六話目を書き終える前に、部屋にノックの音が響いた。振り返る俺の視界に飛び込んできたのは白衣×5だった。看護士の女性もだいぶ前からズボンを着用するようになった。この国立病院もその例に漏れずに、三人の露出少な目な白衣女性達が俺に笑顔を向けた。あとの二人は男性医師。うん、男性のほうは見覚えあるぞ。そのメジャーリーグの某日本人キャッチャーにそっくりな気がする顔と、コンビ名に『博多』がつくお笑い芸人の右側のような顔は、なかなかに印象深かった。俺の記憶が正しければ、キャッチャーの方は確か神経内科医長だったような? そして博多芸人の方も神経内科医で、二人とも前回の検査入院の時の俺の担当だった。
俺は何でもない風を装って携帯をバッグに仕舞い(当然ながら院内は携帯使用不可)、博多芸人もとい袖口先生の方を見た。
袖口先生
「あれ、もしかして有希くんの彼女さんかな?」
有希
「!」
〜妄想ワールド展開中〜
その言葉に反応し、思いっきり悶えてしまった俺。いやー、今の一瞬で俺が超美少女『さき』とあんなことやこんなことやそんなことを妄想したというのは冗談だが(ほんとに冗談だよ?)、ただ一緒に歩いているのを想像しただけでなんか堪らなくなったよ。
ロリキャラは否定できないが、これほどの美少女なんだ。『天使』の羽根を着けて眼前に現れたらどうだろう。今の俺なら「彼女は天使だ!」と、簡単に信じ込んでしまえる自信がある。とにかく可愛いんだ。普段はこういう女の子系の話題を口にしない俺が言うんだから、その美貌のレベルは推して知るべし。現実見ると年の差五歳(すまん、免許証覗いた)、見た目はそれ以上に離れて見えるわけだが、今の俺をとやかく言える輩はいないはずだ。ただ、これだけは言わせてくれ。俺は、ロリコンではない。
有希
「ち、違いますっ。学校の先輩で……」
一応否定しておかないと後で『さき』に迷惑をかけてしまう。ていうか、俺は三年前まで『さき』が通っている工業高校の生徒だったのだ。事実を言ってるのだから、何も気にすることはない。そう、俺は『さき』の先輩。
袖口先生
「ああ、そうなんだ。でも学校サボってまでお見舞いに来るのは患者側からすれば嬉しい限りだろうけど、客観的に判断するならあまり良いとは言えないね」
有希
「……ハィ」
そんなことは解ってるけどさ、今『さき』の代わりに学校に行けば、絶対に何かをやらかす自信がある。第一『さき』がどんな人物かも知らないし、女性的知識というものが俺には欠落している。今の俺達は『解離性同一性障害(多重人格)』の状態と似たようなものだ。例えれば俺は『さき』の頭の中で生まれた交代人格であり、今俺は主人格としてスポットに立ち、『さき』の身体を使って行動している。解離性同一性障害の当事者は自分が多重人格だということに気付いていない場合が殆どであり、それゆえ周囲の人間達は別人のような振る舞いをする彼等を遠ざけたり攻撃したり……とにかくいいことなんかないからな。中には、話せば理解を示す者もいるかもしれない。だがそんな危険は犯せないし、もう十時半を過ぎるのに『さき』の家族及び友人達は連絡すら寄越さないじゃないか。無断欠席なんて、『さき』にとっては日常茶飯事なのか? こんな天使のような容姿を持ちながら、実は不良少女なのか? 非行少女か? ……全く以て信じられない事だが、もしそうだったのならまぁ納得出来ないでもない。でもやっぱり腑に落ちないな。欠席どころか、無断外
泊しちゃってるんだぞ。両親は何を考えてるんだろう。放任にも程があるぞ。
袖口先生
「うん、じゃぁ有希くんはこれからいろいろと検査があるから、君はちゃんと学校に行くんだよ?」
有希
「ハィ……」
まぁ、頷くしかないよな。でも、ちょっと気になるぞ?
有希
「なんの検査ですか?」
事故に関すること? それだったら外科医が来なきゃおかしいよね。それともPKC? 現状では結果を出せる検査はもう無いはずなのに、なんで今更……。
袖口先生
「んー、ごめんね。患者さんの事はあまり話せないから……」
あ、そっか。患者のプライバシー?ってやつですか? 周囲の目から見れば、俺って他人だもんな。俺、本人だけど……。
◆
身体の前でバッグを両手で持ち、病室を出る。お母さんと一緒にお見舞いに来たらしい三・四歳くらいの女の子に、すれ違い様に超笑顔で手を振る。女の子は“はにかんで”手を振り返し、小走りにお母さんを追いかけていった。……めっちゃ可愛い。やっぱり就学前の子どもって最高に可愛いよね。俺的に特に二歳から三歳頃は天使だね。このどす黒い心まで洗われるようだよ。……一応念を押しておくけど、俺は、ロリコンではない。元々保育士志望だから子どもが好きなんだ。間違えるなよ。
◆
一階の売店の前の自販機でアップルティーを買い、外に出てから『奇跡の少女』の続きを書き終えて投稿した。『奇跡の少女』はいつになったら完結するだろう? 先が長いようであり、案外早く終わらせる事が出来そうでもある。てか、早く終わらせたい。ぶっちゃけ面倒くさい。『金色の悪魔』とか『悪魔の子』とか『ウルフガイ』とか『魔狩人』とか、他にも書くのはいっぱいいっぱいあるんだ。順番的には『魔女の子ども』『奇跡の少女』『金色の悪魔』この三つが同時進行、次に『魔狩人』と『ウルフガイ』が同時、そして『悪魔の子』。
『奇跡の少女』と『金色の悪魔』は内容がかなり密接に繋がっていて、どちらかが滞るとどちらかが進められないし。そして全作品終わらないと『悪魔の子』も進まないし。『悪魔の子』まで終わらせて初めて本編が始まるからね。そして本編のタイトル、まだ決めてない(爆)
実際にはこのシリーズ以外にも書くものがある。ただこっちはまだ資料不足で、未だ手をつけられない状態だ。
病室を追い出されて特に何もすることが無く、かといって元の身体に戻るための手掛かりとかもさっぱりだ。今の時間は十時四十五分。飯『喰う』のにも早いしな。ちょこっと本屋で立ち読みでもしようかな。確かこの病院から十分、純の学校から五分の場所にBOOK・OFFがあったはずだ。