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03 奴の家

 G市は俺も説明しづらいが、結構な面積がある。全体の何分の一かは米軍の基地がどーんっと居座っており、それを差し引いてすらこの俺が時々迷子になったりするほどだ。因みに俺は都心のN市と接するU市の南端に住んでおり、G市はU市の北東に位置する。


 G市の市役所の隣に、『奴』の家はあった。G市役所はジュースの空き缶を……幾つだったかな? 忘れた。たぶん五百くらいだったと思う。集めて持ってくと、図書券と交換出来るのだ。ただしG市の市民限定。今もやってるかどうかは知らないが、U市の市民である俺は小学生時分はG市の市民である従兄弟の住所を借りて空き缶を持っていき、図書券を貰いまくっていた。……実際に空き缶を集めたのは母で、俺はその図書券の所有権の行方に期待の眼差しを向けるだけだったのだが。



 『奴』の家の前に辿り着いた。バイクを目の前の公園の隅に停め、スカートを手で直す。実はさきのバッグの中には筆記用具やノート、その他の(男の俺には理解不能な)女の子用品等と一緒に、制服のシャツとスカートが綺麗に折り畳まれて入っていた。スカートは膝上数センチの長さだったが、わざとくるくる折り曲げて短く調節する。膝上十センチ。俺の高三の時の生徒会長がだいたいこれくらいの短さだったな(学内一の短さだった)。



 さて、ここでツッコミをいれたい人も中には沢山いるかもしれない。呆れて何も言えない人もいるかもしれない。うん、わかる。わかるよその気持ち。だが、言わせてもらおう。









 俺は、女子高生ルックは初めてではない!!







 はい、事実です。ミニスカートで、カツラをかぶって人前に出たことあるよ。それも去年の話。いやーあれは楽しかったね。お子さんがちょっと引き気味だったのは微妙に辛い思い出だが。何故スカートに履き替えたのか? という質問も無しの方向でよろしく。っていうか気になるじゃん。『奴』がどんな反応するか。



 というわけで、午後九時頃、『奴』の家。ここに来る前にメールしてみたら、『奴』は平日の夜に珍しく家にいたのだ。学校は二時半に終わり、会社も休みだったようで。好都合だね。


 『というわけで』というわけで、躊躇いというものを自慢の強肩で遠くへ投げ飛ばしてインターホンを押す。うーん、誰が出てくるかな? 妹さんかな? それとも、あの若い(ちょっと変わった)お母さんかなぁ?



ガラガラガラッ


「……」

有希

「……」



 ……恐いお父さんでした……。



奴のお父さん

「あつしー、客が来てるぞ」


 恐々としながらお父さんに用件を伝えた。『あつしさんが落とし物をしたので渡したい』という二秒で考えた嘘丸出しな事を言い、冷や汗をかきながら俯いて純が来るのを待つ。普通に考えて、二十九の独り身に女子高生の知り合いがいる筈はない。


 このお父さん、特に恐いところがあるわけではない。ただ俺が雰囲気的に恐そうだと決めつけてしまっているだけで、今まで喋った事も無いのだ。心情的には人を外見で決めつけるのは良くないと思ってはいるのだが、そのイメージを崩す事がなかなか出来ないでいた。


 お父さんはなんにも考えてなさそうな顔で、こちらを振り返らずに奥に引っ込んで行き、俺は一人ぽつんと玄関に取り残された。鮭をかじっている木彫りの熊と目が合い、微かに身体が震えた。なんとなく嫌な雰囲気を感じて、俺は外に出て待つ事にした。



 公園の木々は風にさわさわと揺れ、その優しい音を聴いて俺は心を落ち着かせる。ふぁんたじ〜な世界をひたすら夢見て生きてきた俺だったが、まさか本当に非日常な日常というものをこの身に受け入れることになろうとは全く思いもよらなかった。しかも、性転換だぜ? 性転換。……いや、ただの入れ替わりか? まぁどっちでもいいや。女になったことに変わりはない。


 しかし、簡単ではないのだろうな。二十一年間フツーに男として生きてたんだから、まぁその、いろいろな? そんな感じの……つまり女の子的な知識なんてものは俺の壊滅寸前の海馬には存在しないわけで、知らない現象には対処のしようがないわけで、その方面に詳しいヘルパーが絶対不可欠となる。……男に訊くわけにもいかんしな。いや、純ならあるいは知ってそうだが、うん、やはり訊けないな。てゆーか危ないよな。絶対色んなとこ触られる。やっぱ女の子に訊くしか……


「……あれ?」


 これは純の声。やっと玄関口に現れたようだ。俺はここで有料スマイルを使って振り向こうかと思ったがやめた。さっきバイクの小さなサイドミラーで自分の今の顔を確認してみたのだ。……なにかしらのミス・グランプリを獲得することに然程の努力も必要無さそうなくらいの美少女だったよ。ただの笑顔だけでも、メロンパ○ナちゃんの必殺パンチの数万倍の威力を発揮することだろう。……俺には効かないけどな。しかし純は友達だ。惚れられても困るんだ。



 無表情の俺がゆっくりと振り返る。


 純は少し驚いた表情で俺を見つめ、女子高生の制服を身に付けた俺の華奢な身体を視線で嘗め回し、それからはっとした様子で慌てて辺りをキョロキョロと見回した。


「……あれ?」


 事前にメールをしていたことから『有希』が来たのだろうと思っていた筈。しかし目の前にいたのはAAAランクの最強に可愛いちっちゃい女子高生。そして見覚えが無ければ心当たりも皆無。普段から冷静な俺ですら戸惑ってしまいそうなこのシチュエーション。挙動が乱れるのも当然であり、しかしこの純が焦る姿を見るというのはかなり久しぶりだった。


有希

「三ヶ月前の卒パで“一緒にバンドしよう”って言った約束、全然守られそうにないな。スマン」


 まぁ他の人には意味不明な台詞だろうが、これはこれで俺なりに考えてのものだ。一々説明するのが面倒ってのが理由の大半だが。


「……えっ……え? は? ……有希?」


 というわけだ。俺と純の間だけで通じる言葉を探していたら、これに思い至ったのだ。案の定、純は俺絡みだと気付いたようであり、さっきまでの視ただけで妊娠させそうなほどのエロ視線を引っ込め、多少の真面目っぽい表情を前線にもってきた。コイツに信じて貰えなかったら、俺はこれから先を生きていける自信が無い。


有希

「まぁ立ち話もなんだから、中でビールでも飲みながらゆっくりと……ネ」


 なんとなく危険な響きを伴っている事には気付かない俺。


「あ、うん……いや、ここおれん家だからね?」


 ……つまんねーツッコミ。てかコイツも気付いてない。


有希

「いいよそんなの。ハイハイ早く上の鍵開けてきてっ」


 と言いながら俺は外階段を使って純の部屋の前へ向かう。純は友人などを部屋に上げる時、大抵は玄関からは通さない。外階段で二階ベランダに上がらせ、そこにある勝手口から直接部屋に入れるのだ。外階段を上っていくということは純の部屋を訪ねた経験が有るという証明であり、先に発した俺の発言から『有希』というキーワードは頭から離れない。超短いスカートを後ろ手で押さえながら階段を上る俺を呆然と見送ってから、純は中に入って玄関を閉めた。



 とても煩雑な部屋だった。


 相変わらず汚いというか、なんというか……掃除しろよな。この狭さなんだからすぐ片付くだろうに。言葉にするなら、ありふれた言い回しだが『足の踏み場も無い』というのが相応しかろう。これ以上汚くなったら、上履きが必要になるかもな。学生時代に泊まりに来たときは特になんとも思わなかった筈だが、今になって目につくのは身体が女の子になったからだろうか? この身体の持ち主『さき』は、綺麗好きだったのかね?


 とりあえず床に散乱している教科書やら段ボールやらを適当に蹴散らしながら、俺は我が物顔で突き進む。……おいおい、お気に入りのギターまで床に寝かしてあるじゃないか。しかも二本とも。ギターアンプなんか、プリントの山に半分埋もれかけてるぞ。


有希

「もうっ、相変わらず汚いな! 先ずは掃除するぞ掃除!」


 ポカンとする純を蹴って無理矢理働かせ、一先ず床に落ちてた物は一時的に整頓出来た。クローゼットやベッドの下は今回は触れない事にする。純もそういった『隠すのに適した場所』には心の準備ってやつが必要かもしれないし。俺だって見たくないよそんなもん。


 掃除している間の俺は全く気付いてなかったが、この時純は『執拗』と言い表しても過言ではないほどにあるポジションをキープしていた。それは四つん這いの姿勢で片付けている俺の背後。……ん? これは激ミニスカートでそんな姿勢のまま片付けしていた俺のせいなのか?



「で、あの……有希、は?」


 自分の部屋なのに借りてきた猫状態の純が、耳に届くか否かの声で訊ねてきた。


 ……あれ? まだ俺が『有希』だという考えには至っていなかったようだ。当たり前か? 確かに今のこの容姿に俺を思わせる要素なんて、ほとんどどころか欠片も無いからな。でも外見は違えども性格は変わらない。そうともさ、俺って周囲と違って結構異質なオーラを放っているらしい。それがカリスマオーラなのか、それとも変人オーラなのかは難しいところだが。自分では然程の自覚はない。思い過ごしだと思いたいが、実は小さい頃からそういうことを周りから言われていたような気もする。生まれ持った存在感は、二十一年の月日が経っても風化せずに生き残ってきたらしい。ならばテキトーに喋っている内に純も俺の空気を感じ取るだろう。俺は俺で、少しずつ情報を与える事にする。


有希

「四大は楽しい?」


 ベッドにポスンと座り、入口付近で立ち尽くしている純を見上げて微笑を向ける。

 コイツは俺らのクラスで唯一、短期大学から四年大学に編入した。三月まで通っていた白百合短大のカリキュラムを微妙に勘違いしていたらしく、彼の二年間の短大生活はほぼ無意味に終わってしまった。白百合短大は保育士・幼稚園教諭・児童館構成員になるための学校で、純は心理学系の勉強をしたがっていた。それで白百合短大の心理教育コースに入学して得たものは、心理学にも属さない、ある意味生兵法みたいな基礎中の基礎知識のみだった。


「……あぁー、あんまり……」

有希

「やっぱり? 白百合と違ってクラス内での関わりが薄いしね。軽音楽サークルには入らないの?」


「……いや、サークルには入らないよ。もうこれ以上他の人とは組む気ないから。グラスホッパーとニットキャップス以外は願い下げだぜ」


 『グラスホッパー』は純が地元の友達と三人で組んでいるバンド。俺は彼らの演奏を聴いたことはないが、純がリーダーをやってるらしい。ギター専門かと思ってたらこの眼鏡野郎、何気にベースやドラムも出来やがる。その上ギターボーカルだから歌も……ああ゛あ゛、こーゆーのイライラするよな。なんでそんなに何でも出来るんだよ! 年の功か?



 ニットキャップスは俺達のバンドだ。入学して半年後くらいに結成した。この話は……またいつか、な?


有希

「ふーん、じゃぁ藍華が帰ってくるまでニットキャップスは無しだな。で? これは?」


 小指を立ててこれ見よがしに見せつける。まぁ解るだろうけど、彼女は出来たか?と訊いている。俺の記憶が正しければ、もう丸二年間はいないはずだ。短大に入る直前に別れたらしいからな。純は見た目は全然悪くない。寧ろかなりいいんじゃないか? 結構簡単に女持ち帰ったりするらしいし。あ、藍華ってのはツインヴォーカルの片方(♀)ね。もう片方は俺。


「あー、それなんだが実は……ゴニョゴニョ」

有希

「!?」


 なっ……卒業前から、彼女がいただと……!?


有希

「……聞いてないんだけど」

「……いや、別に言うほどでもないかなと」

有希

「言えよ! 何黙ってんだよそんな大事なこと! なんだそれ!? 圭介達知ってんのか!?」


 圭介は俺らのクラスメート。髪を染めていて言動も軽く、入学当初から遊び人の烙印を捺されかけていたのだが、実際に彼女が出来てみると驚くほどに一途な奴だった。彼女の為に煙草も辞めたと言うのだから、相当強い“想い”を持っているようだ。ただ、男だけで飲み会をした時の下ネタとテンションは本当にウザイ。しかし純もエロが大好きなので、この二人はよく下話をするようである。


有希

「てか実はどーでもいいけどね。そんなもうすぐ三十路になるオッサンの色恋とか下らんものはその辺に置いといてさ。もういいでしょ? 今お前の目の前に座ってるのはヴォーカルでダンサーで、お前から借りたお金をまだ返してないあの有希だけどなんか文句ある?」


 これで納得しなかったらベランダから蹴り落とした後に、妹さんと柚美ちゃん(純の元カノ)にアレの隠し場所全部チクってやるからな。お金は、まぁ……いつか返すよ。


 ちょっとの間呆然と俺の顔を見つめ、目蓋をパチパチさせた純は。


「……マジか?」

有希

「マジ。てかお前もっと早く、そして自分から気付けよ。あの頃のぴったり呼吸はどこに行ったんだ」


 アイコンタクトで会話することもあるほどにお互いの呼吸を理解していた短大時代だったが、容姿が変わればやっぱこんなもんなんだな。それとも、あれは全て俺の勘違いだったのだろうか?


「いやいや、気付くわけ無いだろ! どういうことかこれ!? ほんとに有希か!? 何があったらこんな有る意味おいしい事態が訪れるんだ?」


 とりあえず一発蹴っておこう。



 目の前に座る超美麗な女子高生が『有希』であることを理解した純(二十九歳独身♂)は、途端にそれまでの緊張感から脱け出して俺の隣に座った。ベッドの脇のサイドテーブルに置いてあった縁が紺色の眼鏡を掛け、改めて俺の頭のてっぺんから足の爪先までいやらしい目で見た。……いや、なんかマジで背中がゾクゾクする。俺だと解ったら素直に手加減無しだな。


有希

「……少しは遠慮しろよ」

「なんで? お前男なんだから別に気にするところじゃ無いだろ。それより早く経緯を聞きたいんだけど」


 また一々説明するのも面倒くさいから割愛しとくね。要するに『事故って目が覚めたら女の子になっていた』ということだ。OK?



「……触って良い?」

有希

「却下!!」


 そろそろと近付いてくる左手を思いっきり打ち落としながら叫ぶ。なんてやつだ! 人が困ってるってのに、自分の欲望に従うことしか頭に無いのかよ!


「まぁそれは冗談として、その身体の持ち主とは連絡とれたのか?」

有希

「ほんとに冗談か……? まぁいいさ、今から『さき』に電話してみるよ」


 スカートのポケットからピンクの携帯を取り出し(この時、スカートが持ち上がってパンツが見えそうになった)、すっかり頭に刻み込まれた自分の携帯の番号を打ち込む。受話口を耳に当て、元々は俺のものだった低い声が聴こえてくるのを待った。



「――――――――」



 聴こえたのは、電波が届かない事を伝える事務的な女性の声だった。


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