02 寝床
有希
「着いた〜ぁ……むっ?」
家に着いた時にはもう十九時半。外は既に暗くなっていた。が、車庫には車が一台も無い。真っ白いフュージョンカスタムが一台あるだけだ。うちには車が三台とビッグスクーター・原付が一台ずつある。父と母が車を一台ずつ、長兄が車とビッグスクーター両方を所有している。原付は俺。つまり車庫にビッグスクーターのみということは長兄は車で仕事に出ており、まだ誰も帰ってきていないということになる。……雨も降ってないのに、バイクじゃなくて車で出るってのは珍しいな。バイクと言えばこのGPZ、中型と思っていたが、よく見るとGPZ1100Fだった……。やばくね? これ。どうりで足が届かないわけだ。
今俺は両親と七歳年上の長兄とで四人暮らしだ。次兄と三兄は就職のため、それぞれ東京と神奈川に行ってしまった。二人とも美容師だ。次兄は去年の秋頃に結婚した。今年の九月の末頃に披露宴を予定している。三兄も今カノと結婚したがっているが、コイツは次兄と比べて精神的に自律出来ていないため、母がなかなか首を縦に振らない。それは俺の目から見ても、一目瞭然だった。まぁアイツはアホだから無理もない。
長兄の職業は板金(だと思う)、普段あまり話さないので彼女がいるかどうかすらもわからん。俺は中学以来ずっといない。
もう十九時半になるというのに、母も兄もまだ帰らないのか。母は今日は仕事が休みだった。兄も普段ならこの時間には居るはずなのに……。因みに父は十九時〜二十時頃に帰るが、最近は何故か不規則であり、帰る時間が予測出来ない。何をしてるのやら。
携帯電話を取り出してディスプレイを見……アレ? この携帯、俺のじゃない。俺の携帯は最新機種でスライド型の黒色だった。今手の中にあるのは同型のピンク。ディスプレイには俺がとっくに剥がしてしまった透明フィルムが、未だぴったり綺麗に貼られたままだ。……どういう事だろう? この携帯は、その日の気分によって体の色を変えたりするのか? それとも、俺の身体と一緒に性別が変わってしまったからこの色なのか?
プロフィールを表示する。一応同型なので操作方法はわかっており、オートロックも掛かっていなかったためすぐに表示出来た。だがそこに俺の名前は無く、代わりに『二神幸』という知らない名前とともに、知らない番号とアドレスと誕生日と星座と血液型が登録されていた。
……つまり、アレか? 見知らぬ誰かと突然身体が入れ替わったとか、そういう安っぽい携帯小説の性転換カテゴリか? ん?
……おいお前、説明してくれ。
理解に苦しむこの状況を。
一体、何がどうなったからこんなことが起こるんだ?
俺は俺であって、他の誰でもない筈なんだ。
ちょっと前まで俺は平均3時間睡眠の携帯小説大好き少年、いや、青年だったんだぞ?
最近、海老嫌いを完全に克服したばかりなんだぞ?
なのに、
どうして……?
鍵持ってないから家にも入れないじゃないかー!!
何故鍵を持ってないのかと言うと、身体が入れ替わってるから荷物とかも総て入れ替わってしまったというなんとも歯軋りしたくなる状況だからだ。どうやらバイクは偶然同じタイプだっただけらしい。
しかもこの身体の持ち主、二神幸は高校生のようだ。この家から歩いて十五分の場所にある工業高校の長袖カッターシャツと、男子と同じ制服のズボンを穿いていた。女の子なのに? というのはまぁ、アレだ。俺が高校を卒業した次年度からの女子高生は、スカートとズボンを選べるようになったらしいという話を友達(♂)から聴かされたし、実際に男子のズボンを穿いて歩いている女子高生を何度か見かけることがあった。どうやら昨今の女子高生のスカートの異常な短さが原因のようだ。挑発的で犯罪を誘発する可能性や、冬の寒い日も丈を短くしたまま毛布やジャージの上着を膝に掛けて授業を受ける姿が見苦しいという声は俺が在学の時からあった。階段を上る男子は皆一様に下を向いて歩く。上を向けば目に入るから。これはかなり迷惑だった。下を向いてるせいか、たまに階を間違えて最上階まで上ってしまうこともあったからな。俺や友人達は表向きはミニスカートに否定的だったため(本音は不明瞭)、そこらの問題が解決されて良かったと思うのだが、スカート丈を伸ばさせるのは結局無理だったよ
うだな。何やってんだよ、教育委員会。
特にやることもないので、俺は車庫側のドアの前に座って携帯でwebを開いた。『小○家になろう』というサイトで携帯小説を書いているのだ。……間違えた、書かせているのだ。メル友に。タイトルは『魔女の子ども』。主人公は幼い頃両親を殺された少年。彼は朝起きたら女の子になっていた。だがそんなことには構わず、魔王を倒すため、あとついでに男に戻るために旅に出るのだ。……今なら、主人公のリアルな心理描写が書けそうだな。まったく洒落にならない。
『魔女の子ども』のこれまでのあらすじを確認した俺は、すぐさまこの後の展開を脳内で微調整しながらメル友にメールで内容を送信し、待受画面に戻そうとして、ふと思い出した。携帯が替わってるのだから、アドレスも総入れ替えだ。このままでは誰とも連絡が取れない。一部の人を除いては(何人かは番号を覚えてる)。
こんな時のために俺は自分の携帯サイトに、鍵付きでアドレスを全て保存してある。一応番号とアドレスを記録した手帳を自分の机に置いてあるのだが、それも二年前に記帳したために大多数はアドレスを変更しており、面倒なので更新もせずにほったらかしだ。携帯を無くしたらどうしようと思ってサイトに保存した訳だが、この時ばかりは本気で過去の自分に感謝した俺だった。
ついでに昔作ったサブアドレスをこのピンクの携帯のアドレスで登録し直し、これから連絡を取り合う香りがしそうな人達に送るメールを作る。学生時代の友人数名とバイト先のマネージャーに。
親指を超光速で動かしていると、突然携帯がブルブルし始めた。誰かからメールが来たようだ。送信者名を確認する。『yu-ki-☆』と表示されていた。
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メール0001
5/6 19:36
From;yu-ki-☆
To;****@****.jp
Sub;やっほ〜い
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>メールありがとー。有希はいつもスゴいなぁ! 『魔女の子ども』もっともっと面白く書いてやるぜ!
>てか、これ聞くの忘れてた。久々の保育園は楽しかった?
>土曜日は確かクラス会だったよね。飲み過ぎてヘマするなよ〜☆
>あとさ、今度そっち行くぜぃ♪ 日にちは教えないけど。じゃな! あたしはもう寝るよ。終夜と交代する。
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女らしさの欠片も見受けられない文章が四つ。yu-ki-とは大学入りたての頃にネット上のある掲示板で知り合い、メル友になった。「小説書きたいけどアイデアが浮かばない!」とか言うので、俺が『魔女の子ども』のプロットを作ってメールで送ったのが始まりだった。名前が同じなのは偶然だ。が、住んでるとこの距離が遠すぎて、今まで一度も会ったことがない。yu-ki-は俺に会いたいと言ってくれる。他のやつらも同様に。俺も会いたい。しかし……今の俺の姿は、受け入れられるのだろうか。男だった頃の写メはもう送っちゃったし。いや、あいつらだからこそ、逆に簡単に受け入れられるかもしれないな。外見の違いなんて、あいつらはもう慣れっこだろうしな。
因みにサブアドレスを使ってメールのやり取りをしているのはyu-ki-達だけだ。
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送信メール作成
5/6 19:41
To;yu-ki-☆
Sub;Re
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昨日は楽しかったよ。子ども達もすぐになついてくれたし。中には俺の事覚えてる子もいたし。
俺は別にそんな飲まないよ? 大学入った頃からどんどん酒に弱くなってきてるからね。今じゃビールぐらいしか飲めない。
遂にこっち来るんだ? 初顔合わせだな。楽しみだょ。……ちょっとしたハプニング付きだけど。
おやすみ、yu-ki-。
追伸=終夜
ルビは振らなくていいからね。ややこしくなるよ。
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……仕方ない。めんどくさいが、このメールの内容を解説してやろうじゃないか。感謝しろ。崇め奉って、誕生日が来たら猫を三匹俺にくれ。マレーシアンジョーク、ナウ! マジ笑える。
昨日は俺が学生時代に保育実習で訪問した『ひま○り保育園』に遊びに行ってきたのだ。去年の二月〜三月と、八月の計二回。認可園であり、中々な規模で父兄からの評判も良い。色んな特別事業を行っており、特に五歳児クラスの音楽なんかは凄かった。本当に五歳かと疑うほどの演奏や演技を見せてくれる。
この辺は語り出せば読者の皆さんが退屈してしまうかもしれないので割愛。
俺はサブアドレスを使ってyu-ki-にメールを送り、友達やマネージャーにメールを送ることも忘れたまま携帯をポケットに入れた。そうだ……土曜日はクラス会なのだ。大学を卒業してからも、何ヵ月かに一回は集まろうという事になっていて、明明後日がその日に決まった。俺は土曜日にも日曜日にもしてほしくなかった。土日は労働基準を軽く無視して、半日以上働いたりする。すると俺の今の時給なら、一日で一万円を超えることだってあるのだ。これを逃すのは惜しいよな。ちくしょう。それで、場所は卒業パーティーの時とおなじライブハウスか……。どうすんだよ俺。こんな格好で……顔で、行ってもいいのかな? 『事故って目が覚めたら女の子になっていた』なんて話、三十五人中何人が信じるだろう?
もっと根本的な問題に気づいてしまった。この身体は、俺の身体と入れ替わっている(たぶん)。ってことはこの身体の主『さき』という女子高生が、俺のクラスメート達に誘われたりなんかして(勿論無理矢理)、俺の身体でクラス会の会場であるそのライブハウスにやってくる可能性がある。それは中々にマズイ事態だと、俺の頭の中に巣食っている小さいオッサン達が口走りながら意味不明な行動を繰り返している。具体的にどうマズイのか、そのオッサン達の中の一人に問い質した。
オッサンが言うには、中身は違っても外見は変わらない『有希の身体』が存在している。てことは女子高生の姿の俺が何を言おうとも、俺が本物の有希だと信じる者はいないと。
イコール家にも入れないってことじゃないか!
マズイぞこれ。俺これからどうやって生きていきゃいいんだ? 『さき』の家族又は知り合いに見つかって連れ戻され、そこで女子高生として生きるのは絶対にイヤだ。かといってホームレス女子高生なんてのもお断りだねっ! お水も断固拒否してやる!
ならば、今現在の最優先事項はなんだ?
決まってる。『さき』に会わなければ。それも、二人っきりで。他の人間が一緒だと面倒だ。入れ替わっている事がわかれば、向こうも俺を探す筈。問題は、それまでの間どうするか。『さき』として生きるつもりはない。俺は俺として、そしていつかは自分の身体を取り戻す。絶対に。
ま、それまでは滅多に体験出来るものではない『女子高生』というものを楽しもうじゃないか。オッサン達、あんたらもそう思うだろ? ただし、『さき』の学校には絶対行かないがな。
さて、これから今夜の寝床を確保しなければならない訳だが、これはそう難しい問題でもないかもしれない。短大時代のクラスメートにな、実家暮らしだが誰でも泊めてくれる『奴』がいるんだよ。
ただ一つ注意しなければならないのは、『奴』は♂だということだ。そして『人畜無害』という言葉が似合う輩ではない。見知らぬ女の子がやってきていきなり泊めてくれなんて言ったら、その場で襲われかねない。元の身体なら、腕力にものを言わせて『奴』を伏せさせる事なんぞ造作もない。下っ腹以外はガリガリだからな。しかしこの小さく非力な身体では、その抵抗は親を失くした雛鳥のようなもの。か弱い上に助けも無い。思う存分蹂躙されるだろうねー。さすがにそれはこの身体の主『さき』に悪いし、何より俺が立ち直れなくなる。生きていけなくなっちまう。是が非でも避けなければな。もしそんな事態になったらもう身体の持ち主とか関係無ぇ。意地でも自殺してやっからな。