15 解離性同一性障害
?はじめに
解離性同一性障害(DID:Dissociative Identity Disorder)は、DSM-?(精神疾患の診断・統計マニュアル 1994)以降の診断名で、一般的にはICD-10(国際疾病分類 精神および行動の障害 1992)の多重人格障害(MPD:Multiple Personality Disorder)が広く知られている。このように多重人格障害とも呼ばれることから、人格障害(境界性人格障害 etc.)と混同されることがあるが、人格障害ではなく、解離性障害(解離性健忘、解離性遁走 etc.)の1つ。誤解を避ける点からも、多重人格障害(MPD)ではなく、「解離性同一性障害(DID)」の呼称を使うことが望ましい。
DIDは幼少期の催眠感受性(被暗示性)の高さを基盤に、度重なる身体的あるいは性的虐待等の外傷体験を通じて形成される。通常、DIDでは複数の人格状態が確認される。新たに生み出された人格(交代人格)は、基本人格(出生時にもっている人格)では耐え切れない悲しみや苦しみを引き受けるサバイバル機能、基本人格が自分の心の中にあることを許すことができない憎しみ、敵意、奔放さ、甘えなどの感情を代弁する情緒的な回避機能を担っている。
したがって必然的に、交代人格は基本人格にはない性格を備え、基本人格がもてない甘えの上手さや、激しい攻撃性や憎悪、自傷・自殺衝動などをもっていることが多くなる。本来は統合されて1つにまとまっているはずの複雑な欲求や感情を、バラバラに分けて、それぞれの専門担当の人格に振り分けることで基本人格の負担を軽減し、その人に危険すぎる状況と精神的な崩壊を回避する手段がDIDなのである。
このような状態は、爆弾処理グループが「爆弾処理」を行っている状態に例えると理解しやすいかもしれない。
爆弾処理に直接手を下すのは1人で十分。グループ(統合された1つの人格)すべてが傷つくよりも、処理要員の1人(交代人格の1つ)だけが傷つくほうが痛手は少ないといえる。また、処理場面は隔離されているため、爆弾処理が仮に失敗しても苦しむのは担当者だけで、他のグループメンバーは、担当者が傷ついても、そのときの様子を見ることはない。
このようにDIDは、小さな子供が、虐待などの耐え難く避けがたい苦しみや困難を、ダメージを最小限に抑えて生き延びるためのサバイバル術だと考えられる。
?解離とは?
解離とは、耐えがたい苦痛による精神崩壊を防ぐために、痛みを感じなくなったり、忌々しい記憶やその時に感じた生々しい感情を自分から切り離すことによって苦痛から逃れる心理的なメカニズム。解離状態とは、記憶、意識、身体感覚、時間感覚など、本来ならばうまく統合されている精神機能が統一されていない状態。
解離には病的なものと、日常的で健康な人にも起こるものとがある。解離状態は病的か否かの二者択一的な判断ができるものばかりではなく、病的で治療を要するに重篤な状態から、誰にでも起きる日常的なものまでを含めた連続的な精神状態の広がりを指している。
【日常的な解離の例】
空想にふける
物事に集中していて周囲で起きていることに気づかない
ぼうっとしていていつの間にか時間が経っている
映画館で気がついたらポップコーンの入れ物が空になっている
考え事しながら歩いていて自分がどこをどう歩いてきたか詳しく思い出せない
【病的な解離の例】
数日間(数時間あるいは数ヶ月)の記憶がポッカリ空白になっている
痛みや気分不快をまったく(ほとんど)感じない
周囲の人や物が薄いベールで覆われたように見える
確かに自分がしたと思われることについて記憶がない
周囲の出来事が自分とは無関係に進んでいるように感じられる
生き生きとした自分の感情の流れを感じることが出来ない
まるで別人のようだったと他人に知らされるが、そのような覚えがない
気がついたら、まったく見知らぬ場所(あるいは見知らぬ人と一緒)にいた
気がついたら大けがをしていたが記憶がない
?同一性とは?
同一性とは、その人が考え、感じ、行動する際の統合感であり、一つのまとまりをもった“確かに自分は自分自身である”という確信をいう。このような同一性は、通常時間や場所が変わっても変化することがない。
しかし、DIDの人は、この同一性が失われて、多くの場合2人以上の自分(人格)をもっている。それぞれの人格は、自分が主役になった(人格交代)ときに基本人格(出生時にもっていた本来の人格)とは異なる独自の行動パターンで振る舞うため、周囲からはまったく違った人物のように見える。
しかし、多くの場合、本人(基本人格)には、人格交代時の他の人格(交代人格)が、何を考え、どのように行動するのかはまったくわからない。基本人格以外の人格は、名前、性別、年齢などが戸籍上と異なることがある。
?よくある誤解
DIDについては、テレビ、雑誌、映画、インターネットなどを通じてしばしば誤解を招く情報が流れ、その誤解が定着してしまっている節が見受けられる。この障害の人格交代の現象が非常にセンセーショナルで人々の興味を強く惹きつけることから、虐待等の深刻な原因論がなおざりにされ、興味本位の取り上げ方がなされていることが、DIDに関する誤った知識を広める原因になっている。
誤解1)性格の多面性との混同
「人には多かれ少なかれ二重人格的なところがある」という人間の性格の多面性を強調する主張がこの種の誤解を典型的に示している。性格の多面性とは、TPOに応じて、口調や応対の仕方に変かがあることを指しますが、DIDにおける人格交代は、口調や態度の変化だけに留まらない。
各人格間の記憶は、多くの場合完全に切り離されており、その隔離の結果は記憶の喪失という典型的な形をとる。人は確かに多面的な生き物といえるが、その多面性は通常1人の人間の記憶として統一されているものであり、たとえば社長に平身低頭していたときの記憶を、帰宅して妻の前で関白ぶりを披露しているときの自分が思い出せないということはない。
DIDでは、人格ごとの記憶は独立しており、人格Aから人格Bに切り替わったときに、人格Bが人格Aの考えたことやしたことを思い出すことは通常できない。また、自分はどんなことをしていても自分に変わりないという同一性がないから、“性格に多面性がある”と感じることはできない。DIDの人の目には、交代人格がしたことは他人がしたことのように映る。
誤解2)解離性同一性障害(多重人格障害)は演技あるいは医原病
誤解3)解離性同一性障害(DID)=境界性人格障害(BPD)
誤解4)解離性障害=解離性同一性障害
?疫学
DIDの有病率は、研究や報告によって様々だが、一般精神科病院の入院患者の0.5〜2%が解離性同一性障害の診断基準を満たし、全精神科患者の5%が同障害に相当するという報告がある。
女性に圧倒的に多い(90%以上)障害と言われている。しかしこれには、DIDの男性は、犯罪を起こしたりして刑事上の問題となり、診断が遅れたり、治療を受ける機会が限られてしまうことにも関係があると考えられている。
多くの場合、障害が明らかになるのは思春期以降10代〜20代だが、受診年齢の平均は30歳前後。DIDと診断されることはあまりないが、発症時期は9歳以前の幼少期だと考えられている。
?原因
DIDの原因については、一般的に、1)外傷体験、2)解離能力(催眠感受性)、3)一定の環境要因、4)外的な援助の欠如の4つが指摘されている。
DIDを抱える人のほとんどは、子どものころの身体的・性的な虐待などの外傷体験をもっていることが指摘されている。外傷体験は直接体験に留まらず、近親者や友人との死別、あるいは事故の惨状やその犠牲者を目撃することも含まれる。
子どもは大人に比べて高い催眠感受性(解離能力)をもっている。幼少期に定期的に外傷体験(虐待etc.)にさらされている子どもは、「これは自分に起こっている出来事ではない」「何もなかった」「痛くない」と自己暗示(自己催眠)をかけることで、避けられない身体的な苦痛を回避しようとする。このような自己暗示とそれによる解離の反復(解離トレーニング)が、容易に解離する神経生理学的な状態を形成し、そね傾向が成人期に持ち越されてDIDの基礎になると言われている。
子どもが外傷体験を耐え忍ぶ構図には、彼らを取り巻く一般的な環境要因が関係している。たとえば、子どもは社会的にも生物学的にも無力であるから、親の庇護なしに生きていくことができない。また子ども自身も親を頼らずに生きていけないことを感じ取っているものである。こうした状況が足かせとなり、子どもが親や周囲の大人との関係性を断ち切れない環境構造が解離をより促進させていると考えられる。
子どもは社会的な知識や技能が十分でないため、外部に救済を求めたり、解離以外の方法で事態に対処することができない。虐待の行為者が法律上の保護者ということも多く、本来なら救いの手を伸ばしてくれるはずの両親、兄弟、学校の先生、親戚、隣人たちの援助を得にくいことが解離を抑制できない要因の1つになっている。
?診断
DIDと明確な診断がなされるまでには、通常6〜7年かかるといわれている。これは、DIDの治療経験者が比較的少なく、DIDが多様な精神症状(幻聴、人格の急速交代、対人関係の不安定さ)を併せもっているため、統合失調症、双極性障害(躁うつ病)、境界性人格障害、社会不安障害などと誤診されやすいためである。
DSM-?によるDIDの診断基準は次のようになっている。
300.14 解離性同一性障害の診断基準
2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される同一性または人格状態の存在(その各々は、環境および自己に対して知覚し、かかわり、思考する比較的持続する独自の様式を持っている)。
これらの同一性または人格状態のすくなくとも2つが、反復的に患者の行動を統制する。
重要な個人的情報の想起が不能であり、ふつうの物忘れで説明できないほど強い。
この障害は、物質(例:アルコール中毒時のブラックアウトまたは混乱した行動)または他の一般身体疾患(例:複雑部分発作)の直接的な生理学的作用によるものではない。
注:子供の場合、その症状が、想像上の遊び仲間または他の空想的遊びに由来するものではない。
「DSM-? 精神疾患の診断・統計マニュアル」医学医院(1996)
DIDと診断されるためには、少なくとも2つの明らかに異なる人格状態が確認される必要がある。しかし実際には、明確に2つ以上の人格が認められる状態から人格の独立性があいまいな状態まで、さまざまな病態が存在すると考えられる(解離スペクトラム)。
人格交代は、他の病気として治療している最中に明らかになってくることも多いが、この際に、DIDの症例に不慣れな治療者であると、急速交代人格型の双極性障害と混同されたり、また幻聴・幻視などの症状から統合失調症と誤診されたりする。また、神経学的障害の中では、複雑部分てんかんが、もっともDIDの症状に類似しているので注意を要する。
?症状と特徴
DIDを見分ける最重要ポイントは、先の診断の項目で記したように、
・少なくとも2つの明らかに異なる人格状態が出現する
・解離性の健忘
この2つである。
DIDは、明らかに異なる2つ以上の人格状態が現れる障害。各々の人格状態は、大まかには次のように分類される。
DIDにおける人格の種類と説明
☆基本人格(original personality)オリジナル人格とも呼ばれる。生まれたときの本来の人格。
☆主人格(host personality)ふだん活動している時間が長い人格のこと。基本人格と混同しがちだが、肉体を支配している時間が長い人格状態を指す。
☆交代人格(alter personality)基本人格または交代人格以外の人格状態。役割分担が決まっていることが多く、子ども人格、攻撃的な人格、奔放な人格など内容は多彩である。
☆保護人格 交代人格のうち、すべての人格の力関係や肉体を守る役目をする人格。
交代人格は、基本人格(戸籍上の名前をもつ人格)が対処不能な出来事に遭遇して、その事態を何とか切り抜けようとするときに生まれてきた人格である。したがって、交代人格は、基本人格とは対照的で、基本人格にはない行動パターンを身につけていることが多くなる。通常、基本人格は、受動的でおとなしく、願望をストレートに表現できない性格であることが多い。その基本人格に不足したものを補うために創り出されたのが交代人格であるから、交代人格は、基本人格に比べ、攻撃的であったり、社交的であったり、甘え上手であったり、ときには性的に奔放な性格であったりする。交代人格のうち、もっとも広く認められるのは「子ども人格」で、DID治療の本質は、この子ども人格を成長させることだと述べる治療者や研究者もいる。
それぞれの交代人格は、独立した生活スタイル、好み、行動パターンを持ち、基本人格とは、名前、年齢、性別、人種、癖などが異なることがある。
DID当事者は、通常それぞれの人格状態にあるときは、別の人格の存在や、別の人格が経験した記憶内容を失っている。しかし中には、ある人格が他の人格とある程度の共通した記憶をもっていたり、他の人格が優勢なときでも共通意識を保ち、他の人格の活動をそばで眺めている場合もある。ときには、自分以外のたくさんの人格の存在にはっきりと気づいていて、他の人格を、友人、仲間、あるいは敵対者として感じていることもある。