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14 味噌汁




    ◆



 二神家に戻ってきた俺は、アリスと一緒にキッチンに立った。俺が晩御飯を作ろうとしたのだが、やはりアリスが譲らなかったのだ。メイドがいる意味が無くなると、必死に説得してくる。そもそも俺はメイドを雇った覚えはないんだがな……。そこで俺は少し卑怯だが『ご主人様権力』を使って、しかし俺が一人でやるとまたアリスがいじけてしまうため、二人で料理をすることにした。別にアリスに全部作らせても良かったのだが、なんとなく、その……一時的ではあるが、朔耶の“母親”として料理を作ってあげたかった。別に腕に自信があるわけでは無いが、しかも実際は赤の他人なのだが、それでも朔耶は俺の中では“家族”という認識が既にあるみたいだし。まぁいいか。アリスもメイドとして主人に自分のじまんの手料理を振る舞いたいのだろう。それはそれで楽しみだ。



有希

「それで、アリスは何か作りたいのある?」

アリス

「えっ!? あっいえ! その……!」

有希

「? どうしたの?」

アリス

「あ、あぅぅ……」

有希

「?」


 顔を赤くするやら青くするやらで、だらだらと滝のように汗を流すアリス。俺はアリスの真意が掴めず、首を傾げるばかりだった。


有希

「言わないなら、特に無いと判断するけど」

アリス

「ううぅ、うっ、ひっく……」

有希

「なっ! どうしたのアリス!?」


 遂には床に座り込み、しゃくりあげる始末。俺は全く意味がわからず、なす術なくおろおろしていたが、ふと思い当たった事を訊いてみた。


有希

「アリスって、もしかして……」




 ……ちょっと残念な結果になってしまった。先程も言ったようにアリスは俺と朔耶に手料理を振る舞いたかったのだろうし、俺も楽しみだった。しかし、根本的な問題を、俺は知らなかった。



 アリスは、料理が出来なかった。



 聞くところによると、今までは自分でご飯を作る必要が無い環境にいたらしい。他の家事はほぼ全般得意だが、唯一料理だけは知識が欠落しており、料理をすると言い出したはいいが、料理の仕方を知らないことを、俺に訊ねられてから思い出したようだった。



 結局俺一人で料理を作り、アリスには出来た順から料理を運ばせる。アリスは今や絶望状態で、俺が何か指示を出すと「ご主人様はこんな無能なメイドはいりませんよね……」とか「私って存在価値無いですよね……」とかネガティブな事を一言呟いてから動き出す。……はっきり言わせてもらうと、うざったい事この上ない。流石に見ていられないので、既に料理は全部完成したが、一品余分に作ることにした。


 アリスに手招きし、キッチンに立たせる。俺が後ろに立ち、細かに指示を与え、俺は機材や食材の準備だけをする。テンションがた落ちではあるが、言われた事はきっちりこなすアリス。


 先ずは鍋に水を入れて火にかけ、じゃがいもと玉葱の皮を剥かせる。じゃがいもは1?角に切り、玉葱はアーチ型に。沸騰直前で弱火にして両方湯の中に入れる。赤味噌をちょっとだけ掬って湯に溶かせ、偶然目に映った味の素を小さじ一杯入れる(今時味の素を使ってる家庭も珍しいな)。最後にお湯で溶かした蜂蜜を少量入れて、これで簡単な味噌汁の完成。隠し味に蜂蜜とか、入っている具が玉葱とじゃがいもっていうのも珍しいが、俺はあまり凝ったものよりもこういうのが好きだった。これなら簡単だからアリスにも作れるし、朔耶もおいしいって言ってくれるはずだ。


アリス

「……手抜き料理っぽいんですけど……これで良いんですか?」

有希

「いいのっ。ほら、早く運んで運んで」


 納得いかない顔で味噌汁を運んで行くアリス。全く、料理した事ない人が何を言ってんだか。……まぁ俺も元々料理する人じゃないけど。




有希・朔耶

「「いただきまーす」」

アリス

「……いただきます……」


 三人で食卓に着いて食べ始める。やはりここでもアリスが一緒に食べようとはしなかったが(メイドが主人と同じ卓で食べるなんて! という事らしい)、俺は先程と同様に『ご主人様権力』で無理矢理座らせ、箸を持たせた。朔耶はアリスを見て少し顔が強張っていたが、俺が大丈夫だと言い聞かせると、少しだけホッとしたような顔をした。


 そして朔耶が先に食べ始め、どの料理も凄く美味しそうに平らげていく。朔耶は凄く少食らしいからそれぞれほぼ一口ずつになっているが、まだ少しお代わりはあるから大丈夫だろう。いざって時は俺が全部食べるし、足りなければ俺のを食べさせよう。俺は基本大食いだが、幼児並みの量でも普通に過ごせる。


 そして最後にアリスが作った味噌汁に手をつけたとき、アリスが息をのんだのが気配で感じられた。


アリス

「……」


 固唾を飲んで見守るアリスを尻目に、朔耶はあっという間に味噌汁を飲み干した。そして後からじゃがいもと玉葱を食べる。全部飲み込んで俺の方を向き、元気な声で


朔耶

「美味しいっ」

アリス

「っ!」


 アリスは涙を流した。


有希

「その味噌汁ね、アリスがつくったのよ」

アリス

「あっ、ぁお、お嬢様がっ、わ、私のっ、ぅうっ」


 顔を覆って泣き始めたアリスの肩に手を置いて一言「良かったわね」と声を掛け、俺は食べ終えた朔耶と自分の分の皿をキッチンに持って行く。朔耶はアリスに駆け寄り、「美味しかったです。また作ってくださいね」と言っていた。更に号泣アリス。朔耶もアリスに対する恐怖は完全に消えてしまったようだ。これなら、この先も仲良くやっていけそうかな……。



    ◆



有希

「というわけで、全部吐いて貰うよアリス」

アリス

「ハィ……ご主人様……」


 夕食が終わり、俺は真っ先に朔耶を部屋に行かせた。さっきは結構感動的なシーンだったが、俺としてはそれ以上に重要な事がある。これから起こる惨劇は、朔耶にはちょっと見せられるものじゃないし。


 家を出る前に俺に対してアリスが口走った「男の子」の真相を知るべく、そしてGTOの暴走ドライブに対する腹いせのため(帰りは朔耶がいるため安全運転だったが)、俺はダイニングの椅子にアリスを縛り付けて尋問を開始――


アリス

「はぁ、はぁぁっ、はぅ」

有希

「……」


 ――開始しようとしたが、まだ何もしてないのにアリスは頬を桃色に染め、苦しい姿勢でもないのに既に胸を荒々しく上下させ、身体をもぞもぞと動かしている。脱け出せないと知っていながら、わざと動いているようにも見える。縄の感触を楽しむかのように。あと理解出来ないのが、脚は縛ってないのに何故か椅子の上でM字開脚をする。何でだ? 見られて気持ちいい人なのか?


アリス

「あぁ、ご、ご主人様……ハァハァ」


 ……逆に喜んでるようだから、やっぱり縛るのはやめよう。真性のマゾにはこんなのは通用しないものらしい。そもそも縄ってのは逃がさない為に縛るのであって、喜ばせる為のものではないからね。この状況にはそぐわなかったか。それにアリスはちゃんと話すって言ってたわけだし。マゾにお仕置きは褒美あげてるようなもんだ。



 仕方なく縄を解いてやり(不満そうな顔をされたが無視)、リビングのソファに座らせようとした。が、やはりアリスはそのまま座りはせず、お茶を淹れる為にキッチンへ向かった。


 ……どうしようもないほどのドMだけど、仕事はきっちりこなすんだね。そこだけが唯一の救いだよ。



 タンポポの花を添えたティーポットとカップを持って現れたアリスは、完全に仕事モードに入っているらしい。ついさっきまではあんなに顔を赤く、息を荒くさせていたのに、今はそれを感じさせない程に真面目な顔でティーセットを並べていく。


有希

「このタンポポはなんなの?」

アリス

「タンポポ茶ですので、なんとなく添えてみました」

有希

「タンポポ茶淹れんなああぁあ゛!!」


 どんだけ俺に母乳出させたいんだお前は!


アリス

「お、落ち着いて下さいご主人様っ! 先ずは落ち着く為にこのタンポポ茶を」

有希

「ぶち殺すぞ」

アリス

「淹れ直します……」



    ◆



アリス

「お待たせ致しました……」


 俺の目の前にカップが置かれ、軽く項垂れた様子のアリスの手で紅茶が注がれる。ソーサーにレモンの切り身とシュガーが添えられている。うん、紅茶とレモンの香りが良い感じだ。


有希

「さ、アリスが知ってることを全部話して」

アリス

「はい、ご主人様」


 紅茶から湯気が立ち上ぼり、俺の視界に入り込む。アリスは俺の対面に座り、真っ直ぐな瞳を俺に向けた。


アリス

「ご主人様は、私の弟とは会いましたか?」

有希

「んぅ? ありふのおふぉうふぉ?」


 温い(ぬるい)紅茶で火傷した舌を出しながら、ちょっと行儀悪く言う。アリスに弟がいるのか。どんな人だろう? 姉のアリスがこんなにドMでしかも押し掛けメイドなんて迷惑な真似をする奴だから、弟もやはり常識人ではないかも? でも、その弟がこの話にどう関係するのだろう?


有希

「会ってないと思うけど……その弟さんがどうかしたの?」

アリス

「実は私、ご主人様の事は弟から教えて貰いました」

有希

「……??」


 俺の事を教えて貰いました? どういう事? 俺が男である事を知っているのは、純だけである筈だ。アリスが三十歳の純よりも年上だとは思えないし、そもそも純に姉はいない。妹さんがいるだけだ。


有希

「その弟さんは、なんで俺の事を知ってるの?」

アリス

「弟は幼い頃から不思議な力を持ってまして、遠くの風景を視る事が出来るんです」

有希

「遠くを視る……」


 …………。


有希

「はぁ? 遠くを視るって……視力が良ければ誰だって視えるじゃん」


 何を当たり前な事を言ってんだ。俺だって視力2,0だからめっちゃ遠くまで見えるぞ。左目限定だけど。


アリス

「あ、いえ、視力の話ではなくてですね、凄く遠い場所の風景を視る事が出来るんです。“遠視”というやつですね。例えば、海の向こうにある国とか、地球の裏側の風景とか」

有希

「……地球の、裏側……そんなの、無理に決まってるでしょ……」


 あまりにも非現実的過ぎて、簡単に信じられるものではない。だがアリスは真剣な顔で尚も言う。


アリス

「出来るんです。『さき』様は、時折朔耶お嬢様を置いて何処かへ出掛ける事があります。そんなとき弟はそれを『視て』、ここ二神邸にこっそりやって来ては朔耶お嬢様にご飯を作ってあげているんです」


 『さき』がいない間に、朔耶にご飯を作って……あっ! それってもしかして――


有希

「それって……ジハードの事? ジハードがアリスの弟なの?」

アリス

「そうです。ちょっと変わった弟ですが、繊細で心優しくて、昔から『さき』様の事が大好きなのです。何かお困りであれば、弟が必ず助けてくれます。実際朔耶お嬢様にご飯を作るために二神邸に来ていたジハードが、街で強引にナンパされてパニックになっていた『さき』様を視て、警察を呼んで助けさせた事もあります」


 ジハードはアリスの弟だったのか……。『さき』がいない時は、アリスの弟のジハードが朔耶の面倒を見てくれていた。おかげで『さき』も心置き無く外出……それはちょっとマズいか。でも、『さき』を助けてくれていた事は素直に有り難い。遠視の力も気になるし、一度会ってみたいな。……あれ?


有希

「そういえば、ジハードと『さき』は知り合いなの?」


 知り合いでもないのに毎日遠くから覗かれていたのでは、助けてくれていたとしても、ちょっとアレな感じだな。それに、『さき』がいないときしか来ないと言うのも、なんなのだろう?


アリス

「はい。『さき』様とジハードは幼馴染みであり、現在高校のクラスメートです」

有希

「え、そうなの?」



 幼馴染みでクラスメートか……だったら堂々と来たらいいのに、何かそれが出来ない理由でもあるのだろうか。


有希

「『さき』がいるときはジハードは来ないって朔耶が言ってたけど、それは何か理由でもあるの?」

アリス

「ああ、それですね。来ないと言うよりは、『さき』様に近づかないのです。本当は口止めされていたのですが、この際全部言っちゃいましょう」


 そう言ってアリスは俺の紅茶を取って一口飲むと、急になんだかうっとりした表情になった。


アリス

「ジハードは、『さき』様の事を愛しているのです」

有希

「…………???」


 まるで自分が恋をしているかのように熱い溜め息を一つ吐き、アリスはまた俺の紅茶を飲んだ。


 ジハードは『さき』を愛している……愛しているから会わない?


アリス

「先程も言った通り、ジハードは周りの男の子達とは少し変わっています。その“少し”が、子ども達の目には異形に映るようで……。幼い頃からイジメを受け続け、それは今も少なからず続いているようなのです。今ではジハードに友達はいません。皆がイジメの飛び火を恐れて、ジハードに声をかけることすらしないのです。高校に入学したばかりですが、同じ中学だった子が酷いらしくて、周りの皆も直ぐに避けるようになってしまったと」

有希

「……『さき』に近づかないのは……」

アリス

「巻き込まない為。そして、自分の気持ちを『さき』様に知られないためです」


 ジハードは近づかずに遠くから『さき』を見守り、そして近づかないことで『さき』を守っていた。


アリス

「遠視の力があったからこそ、ジハードは正気を保っていられたのかもしれません。嘗てジハードが受けたイジメは想像を絶するもので、今もその身体には酷い傷が残っています。そして、その傷は心にも深い穴を空けてしまいました。しかしジハードにとって一番耐えられなかったのは、己が身に受ける痛みよりも、『さき』様の御心が壊れる事だったのです」

有希

「……『さき』の心が、壊れる……?」


 ……さっぱり解らなかった。だんだんと頭の中が真っ白になり、考えが纏まらない。『さき』の心が壊れる? どうして?


有希

「……ジハードには、会えるの? 会って話をしてみたい」

アリス

「ジハードは、それを望んでいません。『さき』様の身を巻き込む可能性がある限りは」


 ダメか……。ジハードなら、俺と『さき』が入れ替わった事について、何か知ってるかと期待したのに。でも、せめてこの一つだけは知りたい。


 怖い。「戻れない」と言われたらどうしよう。俺は一生女の身体で、『さき』は一生男の身体。今までの自分の人生を全て捨て去り、他人の人生を歩まなければならない。


有希

「……俺と『さき』は……元の身体に戻れるのかな……?」

アリス

「戻れません」

有希

「……ぇ」


 何の躊躇いもなく、アリスは答えた。アリスは変わらず、真っ直ぐな瞳を俺に向けている。


有希

「待っ、戻れないって……」

アリス

「正確には、ご主人様が男の身体に戻ることが不可能なのです。『さき』様はそもそも自分の身体から出てはいませんし」

有希

「……『さき』は、身体から出てない……? じ、じゃぁ、今も『さき』はこの身体に……」

アリス

「はい。『さき』様は事故の衝撃で眠っているだけなのです」


 俺と『さき』は、入れ替わってなどいなかった。俺が何かの拍子に『さき』の身体に入り込み、『さき』はそのまま眠りに入った。……そうなると、俺の身体には今、魂が存在していないって事になるのか?


有希

「俺の身体は? 俺が元の身体に戻れないんなら、病院で眠っているあの身体はどうなるんだ!」


 魂の無い身体は、腐るだけだ。もしかしたら元に戻る方法が何かあるかもしれないのに、その方法を見つけた時に身体が無かったら意味が無い。


アリス

「身体は大丈夫です。ご主人様のオリジナルが、ちゃんと存在してますから」

有希

「え? 俺のオリジナルって――」

アリス

「その前にご主人様。これ、最後までお読みになってないでしょう?」


 そう言ってアリスが手にしたのは、『さき』達の交換日記だった。


有希

「その日記は……ちゃんと最後まで読んだけど?」

アリス

「裏表紙までです。『あき』様に言われませんでしたか?」

有希

「『あき』って……! そんな! あれは夢だったはずじゃ……」


 確かに妙にリアルだったが、夢は夢だ。その夢の中で登場する『あき』の事を、何故アリスが知ってるんだ?


アリス

「ご主人様が見たのは、夢ではありません。心象世界、とでも言いましょうか。『さき』様の心の中の世界での出来事なのです」

有希

「心象世界……じゃぁ、あの世界の何処かに、本物の『さき』が……」

アリス

「はい、ちゃんといます。何処か別の部屋で休んでおられるのでしょう。ではご主人様、これを」

有希

「……この日記の裏表紙に何が……」

アリス

「見ればわかります。ご主人様が『さき』様の身体に入り込んだ理由も、ご主人様なら理解出来るでしょう」


 俺は、ゆっくりと裏表紙を捲った。そこには、九枚のプリントが綴られていた。


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