11 「いいでしょう?」
有希
「いやあぁぁあ!!!」
恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い!
やっぱりダメだよ、あの猫耳ヤバい! 可愛いけど! ダイナマイトボディで最強に魅力的だけど! 猫耳萌えるけど! とりあえず話だけはしようと思って行ってみたら、玄関開けて直ぐ目の前に立ってたぁ!
敷地内で隠れられそうな場所を探して隠れ、周囲を探る。猫耳は来ない。足音も聴こえない。近くの小学校から子ども達の喧騒が聴こえるだけだ。ふうっ、やっぱヤバいよあの猫耳メイド。ずっとあそこに立って待っていたのか? 考えられない。エロじゃなくても充分恐ろしいよアイツは。それに、誰かに似ているような気がするんだよなぁ。
五分待っても現れなかったので、物陰から出て周囲を見回しながらもう一度玄関に向かった。もう二度と近づきたくないけど、朔耶の為だ。俺がやらなきゃ誰がやる!
そろりそろりと近づき、今度はゆっくりと玄関の扉を開けた。
アリス
「お帰りなさいませ、ご主人様」
……居た。凄まじいまでの笑顔だよ。
有希
「あ……はい、ただいまです……」
……いきなり襲っては、こないよな? マジでトラウマになりそうだ。なんで俺は男なのに、女に迫られて逃げなければならないんだ。しかも昨日は思いっきり蹴り入れて逃げたから、気まずいことこの上ない。
軽く逃げ腰になりかけてはいたが、すぐに姿勢を正して向かい合う。
有希
「あの……先ずはお話をしたいと、思うのですが……」
話が通じる相手であればいいが。
アリス
「わかりました、こちらへどうぞ。今お茶を淹れま――」
危険危険危険ーー!!
有希
「ちょっと待って! お茶はいいの! いいから、話だけさせて! ねっ!?」
ハルシオン(睡眠薬)入りのお茶は飲めません。
アリス
「……そうですか……わかりました……こちらへ、どうぞ……」
肩を落とし、物凄くしゅーんとして奥へ入っていく猫耳アリス。可哀想なぐらい落ちこんでしまった。心なしか、猫耳もへにゃん、と垂れているように見える。これはなんだろう。まるで俺が悪いことをしたような空気になっているじゃないか。俺は自分の身を守ろうとしただけなのに。
とりあえずリビングのソファにアリスを座らせ、俺がキッチンでお茶を淹れた。それに気付いたアリスがすごい剣幕で飛んできて、そこで一悶着あったが(メイドの仕事を奪うなという事らしい。それと、すごい勢いで飛んできたアリスを見て、今度こそ襲われると思った)。睡眠薬を入れさせない為の作戦だった訳だが、もう淹れてしまったからという事でアリスを黙らせ、二人でソファに座る。対面に座ればいいのに、何故か隣に密着して座りやがったけど。しかしお茶を淹れなくていいと言われた上に、そのお茶を俺が出した事で、アリスは昨日の乱れぶりなど考えられないほどに落ち込んでいた。
有希
「えっと、あの……アリスさん?」
アリス
「……ハィ」
顔を上げようともせずに応える。この空気の重さは、ちょっと堪えられるものではない。この密着感も出来ればやめてもらいたいな。どうするべきかと一瞬悩んだが、結局どうでもよくなってしまい、疑問をそのままぶつけてみる事にした。
有希
「……貴女は誰ですか?」
住人である朔耶でさえ知らなかったのだから、昨日朔耶が保育園に行ってる間にここに来たことになる。朔耶にとって、アリスは前からこの家に仕えていた使用人ではなく、新しくやってきた使用人でもない。メイドのコスプレをしているただの知らない人だ。俺にとっては、俺の男としての息の根すらも脅かす危険人物。
アリス
「私……実は、メイドなんです!」
有希
「それは見たらわかるから」
思わず軽く突っ込んでしまったが、今のはアリスが意図的にボケたのだろうか? それとも本気で答えたのかな?
有希
「誰のメイドなの? 誰が雇ったの?」
こんな危険なメイドは要らないんだけど。
アリス
「雇い主はいません。私は、ただ個人的にご主人様にお仕えしたいと」
有希
「……ハィ?」
アリスは顔を上げ、こちらに真っ直ぐに視線を投げ掛けてくる。……ってことはなに? メイドの押し売りですか?
有希
「いや、そんなこと言われても……」
先ず最初に、俺はこの家の人間ではない。そして、この家の状況などこれっぽっちも知らないのだ。この家にメイドが必要かどうかが判断出来ないし、雇うとなると金が動く。そんなもの、俺が決めていいものではないだろう。それに、
有希
「なんで、私なの?」
誰だ、と訊ねられて素直に答える辺りから、『さき』とは知り合いではない事が窺い知れるが、それなら何故『さき』なのか。
アリス
「そんなの、決まってるじゃないですか」
ちょっとだけ、アリスの頬に朱が差したように見えた。瞬間、俺の未来予想図にはでっかい「危険!」の文字と、子どもには見せられないピンク色の光景。いや待てそう簡単に人を疑ってはいけない信じる心って大事だぞと頭を振り、俺は勇気を振り絞って訊ねた。
有希
「……どういう事?」
アリス
「ご主人様が……可愛いから、です」
うむ、やはり俺の未来予想図に狂いは無かったようだ。アリスは更に顔を赤らめて俺の左手に右手の指を絡め、左手で俺の腿を触り始めた。盛大にため息を吐き、アリスの両手をはね除けて立ち上がりながら、俺は少し強めの口調で言った。
有希
「私は、そういう趣味はありませんっ」
……いや、俺だって男だ。女の子は好きだよ。前にも言ったけど、一般的に見て特殊といえる性癖は持ち合わせてはいない。ただちょっと、ミニサイズの女性に惹かれやすい傾向があるかもしれないと言い切れなくもないというだけだ。元の俺の身長(百六十七)より少し小さいぐらいのアリスはその範囲外だが、なんせ可愛すぎる。百人中百人を一目惚れさせかねない容姿を持っているのだ。この魅力に坑するのも結構な労力だが、今の俺は女の身体。小説を読む分にならそういう百合百合な展開も嫌いじゃないが、自分が当事者となると話は別物だ。あ、あと嫌いじゃないとは言ったが、アリスみたいに強姦紛いの真似をするやつは例え小説の登場人物でも嫌いだ。その上自分の身体じゃないんだから、勝手なことしちゃいけないよな。
アリス
「……はぅ、ご、ご主人様……可愛いです……」
有希
「えっ? あ、ちょっと、やめてよっ。変なとこ、触らないで!」
俺は明確に拒否の姿勢を示したはずだったが、どうやらアリスには効果が無いどころか、状況を悪くしてしまっただけのようだ。アリスは立ち上がった俺の腰に右腕を廻して抱き寄せ、左手で腿の内側を上へ上へと擦り上げていく。背中がゾクゾクッと震え、徐々に身体熱くなってきた。顔を紅潮させ、物欲しそうな潤んだ瞳で見上げてくるアリス。そんな、「いいでしょう?」みたいな顔をされても困ってしまうのだが。
あぁ、ヤバい。今日は最初から大人しくしていたのを見ているせいか、無意識にアリスに対する警戒心を緩めてしまっていたようだ。そしてセクハラの方も、昨日とは打って変わって恐る恐る、といった感じでこられてはなんだか、えっと……とにかくおかしい。さっきは簡単にはね除けてみせたというのに、今は何故かそれが出来ない。
そうして俺が困惑している間にも、アリスは手の動きを止めなかった。ほんとうに際どい部分を優しく、焦らすように擦る。腰が痺れる。膝が震える。俺も顔と吐息を熱くさせ、しかし全力で“ソレ”に耐えていた。それを見てとったのか、俺の腰をアリスは強く抱き寄せ、足に力が入らなかった俺は容易くソファに倒されてしまった。
熱い。全身が熱い。顔が熱い。下腹部が熱い。熱い熱い熱い。頭の中まで沸騰しそうだ。全身を撫で回され、思考能力を極端に削られ、今自分がどういう状況にいるのかが思い出せなくなってきた。視界に映るのは顔を自前の赤毛と同じくらい真っ赤にし、猫耳を着け、淫靡な表情をする端整な顔立ちの美少女。目はとろんとして何かに酔っているようであり、「もう我慢出来ません」的な視線がほわほわと飛んでくる。本当にサキュバスだなぁと、ほとんど飛びそうな意識の片隅で考えた。
アリス
「ハァ、ハァ、……ご主人様、私、もう……」
そんな声が聴こえ、瞼を閉じたアリスが顔を近づけてきた。柔らかそうな桃色の唇を突き出すようにして。何をされるのかを理解した俺は残った力を振り絞り、左手の人差し指と中指の腹を、アリスの唇に合わせるようにしてそっと押し付けた。
アリス
「んむ、ぁ……ん」
有希
「……ぁ」
……柔らかい。アリスの厚い唇がはむはむと動き、短い舌は貪るように俺を求めてくる。自分の口内の唾液を俺に向けて流し込んでくる。俺はそのアリスの口から垂れてくる唾液を、右手のひらで受け止めた。
……これは、グロい。やらなきゃ良かったと、今頃になって後悔してしまった。人はこれを見るともう……他人とディープキスなんて出来なくなっちまうんじゃないだろうか。少なくとも俺はもうギブアップだ。だって……アリスの舌が俺の人差し指と中指の間をこじ開けて、なんとも見るに堪えない気持ち悪い動きをしているのを約十五センチの距離で見せられているのだから。それでも舌が短いせいか、俺の指を舐める程度で済んではいるが……残念な光景だ。哀れ、アリスはまだ気付いていない。俺の唇だと思い込んでいる指を、必死になってピチャピチャと舐め廻していた。……ちょっと可哀想な事をしてしまったかな……。
アリスの舌の動きがゆっくりになってきたときを狙って、俺はアリスの唇に押し付けている人差し指と中指をさっと引いた。アリスの唾液でべちゃべちゃになって糸を引いてる指を、さりげなくソファで拭いとる。めっちゃ気持ち悪い。アリスはゆっくりと瞼を開け、蕩けた目でじっと俺を見つめた。
俺は、ここでまたしても後悔し始めた。アリスが俺の指にすぐに気付いてくれれば、問題は無かったかもしれない。指とキスしている事に気付けば、流石にアリスもショックを受けただろう。その間に、さっさと逃げてしまえば良かったのだ。しかし、この様子では本当に気付いていないらしい。俺が心を許したと勘違いして、更に酷いことを要求してくるのでは? ディープキスよりも更に酷いこと……イヤだ、想像したくもない。とにかく、もうここから離れなければ、俺にとっての何もかもが危ないのは火を見るより明らかだった。
有希
「ん、んぅう、んっ」
どうにかして起き上がろうと努力してみたが、俺には結局絶望しか残っていないらしい。無駄な足掻きだった。
アリス
「……ご主人様……」
有希
「あ、アリス……ぁ、その……」
ガシッと肩を掴まれる。あー、遂にこの時が来たか。俺は今度こそ襲われるんだな。もうダメだよ、力が残ってない。残っているのは、絶望だけ。
ごめんなさい、天国のお父さんお母さん、息子はもう……間違えた、両親生きてたよ。俺が男だった頃のお父さんお母さん、息子はこれから何か大事な物を無くしてしまうようです。そして、『息子』から『娘』に転職するっぽいです。不甲斐ない息子ですまねぇ。そして『さき』、俺は君の身体を守れなかったよ。本当にごめん。
さぁ、変態エロリコン(エロ・ロリコン)猫耳メイドめ、来るなら来いよ。身体は征服されても、心は絶対に屈しないぞ。……でもせめて痛くないように――
アリス
「お風呂に入りましょう、ご主人様」
有希
「……? ふぇ?」
え、なに? 今までのピンク色の雰囲気はなんだったの? お風呂?
急にそれまでの怪しい気配は消え、表情が元に戻ったアリス。動けない俺の小さな身体を軽々と抱き上げ、すたすたと歩いていく。二十メートル程の渡り廊下を歩き、母屋から離れた浴場へと入った。大きな石で囲まれた浴場は、まるで時々テレビで見る小さな温泉のようだ。傍では鹿威しがカポーンと暢気な音をたてて、意味もなく付近の小鳥達を近付けぬよう威嚇している。こじんまりとしてはいるが、俺の庶民的感覚を刺激するのには充分過ぎる程だった。何故ここに鹿威しを置いているのかは、ちょっと謎。
全身に力が入らず、抵抗出来ない俺の服をアリスは一枚一枚丁寧に剥ぎ取り(下着が上下ともびっちょびちょだった。めちゃくちゃ恥ずかしい……)、アリスも裸になった。日光浴をしても日焼けするかどうかを疑ってしまいそうなほど真っ白な肌、少し重たげな一部の肉、下腹部の薄い毛に隠れた小さな谷間、ふわふわして柔らかそうな猫耳……はぁ、俺ってもうダメかもしれない。男として。自分が裸にされている事に関しては、抵抗出来ないから仕方ない。本来ならアリスを殴り殺す勢いで暴れていた筈だ。実際今も恥ずかしい。しかし今、目の前で全裸のグラマラス猫耳(全裸なのに猫耳は外さなかった)がその裸体を惜し気もなく晒しているというのに、そこに関しては何も感じない。なんとも思わない。まるで有名な画家が描いた精巧な一枚の絵画を見ているようで、寧ろ神秘的な雰囲気すら感じるのは気のせいだと思うことにしよう。襲われそうな雰囲気が無くなったのはよかったが、これはこれで男として大問題じゃないだろうか?
◆
アリスの愛撫のせいで全身が敏感になった俺は、服を脱がされた後、肌に直接触れられただけで気絶してしまった。その後の事は記憶に無いが、アリスが身体を洗ってくれたらしく、目を覚ました俺の肌や髪からは石鹸の匂いと桃みたいな匂いが漂っている。服も替えられていて、今は薄いピンク色のパジャマを着せられていた。サイズはぴったり。『さき』の服か。
ベッドの上でぼーっとしながら桃の匂いに鼻をヒクヒクさせていた俺だったが、起きたのに気付いたアリスがベッドの脇からぬぅっと乗り出してきた。
アリス
「おはようございます、ご主人様。お昼ご飯にしますか? もう少し休みますか? それとも……ゎ、わたしに……します、か?」
有希
「……」
恥ずかしいなら言わなきゃいいのに、アリスは顔を真っ赤にしてそう言った。初対面の女の子を襲う度胸はあるのに、そんなことで恥ずかしがるというのはどういう事だ。
有希
「今、何時?」
アリス
「十三時五十九分五十六秒です。私にしますか?」
有希
「…………今、何時?」
アリス
「十三時五じゅ……十四時零分一秒です。私にしますか?」
有希
「……あー、もう午後二時か」
細かすぎるよ。しつこいし。
アリス
「それで、あの……私に、しますよね?」
まだ言ってる。しかも遂に質問形からから確認形になった。
何気なく意識を身体の各部に向けてみる。このエロ猫耳の事だ。寝てる間に何かされたかもしれない。これ以上あの快感と不快感が入り雑じった気分は味わいたくないし、何より『さき』の身体を汚したくなかった。が、特に違和感らしきものは感じない。ただ、やけに口の中がベタついた感じがするだけで。……? おかしいな。本当に何もされてないのか?
有希
「ねぇ……私が寝てる間に何か変なことしなかった?」
アリス
「ギクッ」
……したのかよ。しかも「ギクッ」って口で言いやがった。
有希
「何をしたの?」
アリス
「ぇ? ゃ、その、あの……………〜、を」
軽く唇を触り、真っ赤な顔で口籠る。
有希
「聴こえないよ?」
口の中でもごもご何か食べてるようなしゃべり方であるため、何を言ってるのか解らない。俺が少し強めの口調で言うと、アリスはちょっとだけ顔を上げて告白した。
アリス
「あぅ、そ、そのっ、 ……ち、ちゅ〜、を」
有希
「!」
恥ずかしそうにしながらも、後半はとても幸せそうに呟いたアリス。反面、俺の顔は今、どうなっているだろう? 絶望か、悲哀か、激怒か……せっかく、守りきったと、思ったのに……。
有希
「……勝手に、ちゅ〜、したの?」
アリス
「っ、ひぅぅっ! だ、だってっ、ご主人様……か、可愛い、から……」
顔を赤くさせながら、しかし瞳に怯えの色を示す。絶対に許さない。お前がどんなに怖かろうがエロかろうが、そして可愛かろうが、もう俺の心は揺るがない。この家に来た事を、いや、生まれてきた事をすら後悔させてやる。先ずはお仕置きしてあげなきゃ。
有希
「覚悟しなきゃ、ね? ア・リ・ス」
アリス
「あぅ〜、ぅぁ、ご、ご主人様〜っ。ご、ごめんなさい〜っ」
有希
「……っ」
涙目で哀願するアリスのとんでもない可愛さに、俺はあっさりと心を折られてしまった。
◆
有希
「昨日誰か帰ってきた?」
アリス
「はぃ、御母様が夕方頃にお帰りになられました」
アリスの可愛さに負けてしまった俺だったが、結局は軽くお仕置きしておいた。そして今俺たちは『さき』の部屋にいる。お仕置きの内容は……ごめん、アレは言えないよ。なんかね、アレなんだ。縮こまって涙目で『必殺・上目遣い!』を使って謝ってくるアリスを見てると、ドS心が騒ぎだすんだよ。『アリスをイジメてみたい』という欲求がメラメラ燃え上がってきて、困った顔とか泣きそうな顔とかが無性に見たくなるんだ。これがまた凄く可愛いんだ。まさか俺にこんな加虐趣味があるとは思わなかったよ。でも純をいたぶってる時は嫌な気持ちしか感じないが……。
有希
「お母さんは、アリスがいるのに何も言わなかったの?」
アリス
「いえ、特に何も。あ、そういえば、『いいわよ』とは言ってました」
有希
「……? 何がいいの? アリス何か言ったの?」
『さき』の母親って、どんな人なんだろう? やっぱり若いかな? 『さき』がヤンママだから、両親も実はまだ二十代だったりして。……それはないかな? それにしても、「いいわよ」って何の事だ?
アリス
「ぁ、はぃ……。『お嬢様を、私に下さい!』と……」
有希
「覚悟は出来てる?」
アリス
「っ! ひぅっ!」
何て事を言いやがるんだこの淫獣エロリコンめ。女であるお前が「娘さんを下さい」はマズイだろ。初対面の猫耳にそんなこと言われて『さき』のお母さんだって黙ってない……ん? 「いいわよ」って言ったのか? 『さき』のお母さんは。……! 自分の実の娘を、こんな得体の知れない猫耳に躊躇なく差し出したというのか!? 何の得も無いのに!? いや待て、もう得とかの問題じゃないよねこれ。人間としての是非すら問われるよね。……本当になんという母親だ。親の顔が見たいぜ。
今俺は『さき』の部屋で彼女の性格を表す物を探している。昨日りか(仮名)と偶然鉢合わせしたように、また誰か『さき』の知り合いに出会す事があるだろう。そうなっても無難にその状況を脱せるくらいには『さき』の事を理解しておきたい。そう何度も「人違いです」で通せる訳もないからな。
アリス
「あっ、あり、ました、よ、ご主人様……」
有希
「あ〜あった〜。ありがとーアリス」
アリス
「はぅぅっ」
俺のお仕置きを受けて息も絶え絶えのアリスが見つけたのは、一冊のノートだった。『交換日記』と表紙に書かれている。開いてみると、表紙の裏に名前が書かれていた。
『二神幸』
『光』
『愛』
『珊瑚』
『蓮華』
『嵐』
『篠』
……『二神幸』はなんとなくわかる。たぶん『さき』の事だろう。あと『珊瑚』と『蓮華』も聞き覚えあるな。後の四人は知らない。珊瑚と蓮華は『さき』の友達か?
アリス
「はぅぁう〜、は、ふぁ」
有希
「……アリス何してんのさっきから」
さっき日記を受け取った辺りからずっと、くねくねと変な動きをしている。顔も赤い。
アリス
「だ、だって、ご主人様が、ただのメイドである私に向かって、『ありがとう』だなんて……。それに、ご主人様の無垢な笑顔が……ごちそうさまです!」
有希
「……あ、うん。どういたしまして?」
意味がわからないよ。
日記に視線を戻す。一ページ目はそれぞれの性格や特徴などを書き込んでいた。
二神幸⇒私。
光⇒保護者さんです。私と同じくらい小さいけど、母性満点です。
愛⇒音楽に関する才能が凄い。他の点でも天才。でも男嫌いなんだって。
珊瑚⇒天真爛漫。笑顔が天使みたいです。
蓮華⇒甘えん坊さん。凄く焼きもちやき。たまに困ったちゃんです。
篠⇒会ったことはないけど、私達を助けてくれる人だそうです。
嵐⇒わかりませーん。
……あれ? 光と愛も聞いたことあるな。どこだっけな? ……しかし肝心なとこが書かれてない。俺は『さき』の性格が知りたかったのに。しかも、「わかりませーん。」って……この嵐って子、なんで交換日記に加わってんだ。でも、これを書いたのは全部『さき』なんだよな。文体の調子から、普通の女子高生な感じはする。
ページを捲ってみた。二ページ目は交換日記のルールが書かれていた。
〜a rule〜
・スポットに当たったら、必ず何か書くこと。
・書くことはなんでもいいけど、外に出ている間にあった事が望ましいです。
・メッセージとかも良いと思います。
・他人の名前は使用不可です。必ず自分の名前を書いて下さい。
・破いたり消したりしてもダメですよ。
・システムで何かわかった事等もありましたらどうぞ。
〜以上です〜
……なんだこの交換日記は? スポットに当たったら? システム? システムって最近どっかで聴いたな。なんだろう? ……わからない。それと、この説明文はさっきの紹介文と違って、字が機械的に綺麗だ。さっきの紹介文と違って、字が機械的に綺麗だ。さっきのは丸っこい可愛らしい字だった。誰が書いたんだろう?
三ページ目。やっと日記が始まったようだ。最初に書いたのは……光?
H20:9:10(水)
始まったね、交換日記。
この十五年間、いろいろあったね。
私達には困難だった果てしない道程は、これからは収束に向かっていきます。
幸、貴女には未来があるの。素敵に色付き、輝いていく。その名前のように、幸せな未来が。
私達の一人一人は、いつか消え行くかもしれない。
でも、いつかきっと、貴方を側で支えてくれる人達が、現れるから。
生きて行くのよ、幸。
【from 光】
さっきのルール説明文と同じく、機械的な字だった。「保護者さんです。」と書いてるだけあって、文が凄く大人な感じがする。ただ、内容はなんのこっちゃよくわからん。『さき』に対してのメッセージっぽい。
H20:9:28(日)
はぁ……運動会超つまんない。 普通に疲れるだけだし、そもそも楽しくないし。
仕方なくフォークダンスはサボった。だって、男と手ぇ繋げる訳ないじゃん。光もダンスが苦手だからって、こんな時だけ私に押し付けて。
結局サボっちゃったじゃん。幸、担任に叱られないかな?
【from 愛】
愛、か。この子は男嫌いだったな。だから異性と接近するフォークダンスが嫌だったのか。しかし、この子がサボっただけで、どうして『さき』が叱られるんだ?
20:10:10(きんようび)
きようはなみかちやんとみゆちやんがあそびにきたよ。
げつようびまでさんごたちのいえにおとまりするの。
れんげちやんがとてもよろこんでたよ。
なみかちやんとみゆちやんかわいい。
いしよにおやつたべてたらちかねえちやんがでてきてさんごたちのおやつたべてまたひこんじやた。
もーちかねえ
アリス
「ご主人様。お疲れになるので、座って読まれてはいかがですか?」
有希
「ん……え? アリスなんか言った?」
少し読むのに夢中になりすぎていたようだ。アリスの方を見ると、床に女の子座りしている。そして俺の目をじっと見て、膝をぱんぱんっと叩いた。……そこに座れってか? 椅子もベッドもあるのに、何故お前の膝に座らなければならないんだ。まぁその案は魅力的ではあるけども。
有希
「……だが断る」
アリス
「ふぇーん、ご主人様〜っ」
期待を込めた表情から一転、顔をくしゃっとさせて悲しみやら懇願やらを訴えるアリス。涙が二筋流れてはいるが、足の後ろにサ○テFXネオが落ちているのが俺の位置からは丸見えだ。泣き真似をしてまで俺を膝に座らせたいのか。っていうか……可愛いじゃねえかこのヤロウ。そんな顔されたら、胸が高鳴ってきやがるぜ。
有希
「わかったわかった、今座るから」
仕方ないな。今だけは座ってやるが、勘違いするなよ。サイヤ人ナンバーワンはこの俺だ。……あれ、何言ってるんだ俺は? 頭がおかしくなってきてるぞ。
俺はアリスに歩み寄り、正面からアリスの膝に座った。そしてアリスの脇に腕を回し、顎を肩に乗せる。抱き着くような姿勢で、腕を前に伸ばして日記の続きを読み始めた。
アリス
「は、はわゎ、はぅぁぅ〜」
有希
「アリスうるさい」
アリス
「うっ……」
日記を、文頭から読み始めた。
20:10:10(きんようび)
きようはなみかちやんとみゆちやんがあそびにきたよ
げつようびまでさんごたちのいえにおとまりするの
れんげちやんがとつてもよろこんでたよ
なみかちやんとみゆちやんかわいい
いつしよにおやつたべてたらちかねえちやんがでてきてさんごたちのおやつたべてまたひつこんじやた
もーちかねえちやんのいじわるさんごのおやつなくなつちやつた
さんごのおやつかえして
【from さんご】
これは、幼児だな。全文平仮名で字が乱雑で小文字無し、内容は幼い子どものソレだ。罫線は完全無視、日付と名前の部分は誰か違う人が書いてるらしく、ちょっとだけ綺麗な字になってる。それでも平仮名ってことは、代わりに書いたのも子どもか?
『れんげ』と『ちか』という名前が出てきた。蓮華と愛……この二人は珊瑚とはどんな繋がりなんだろう? なみかちゃんとみゆちゃんが「あそびにきた」となっているのに対して、愛と蓮華は最初から家にいたかのような書き方になっている。姉妹なのか? 愛の事も『ちかねえちゃん』と呼んでいるし、そうなのかも。あ、でも、子どもは年上には誰にでもそういう呼び方をするものではないか? うーん……わからん。
H20:12:23(火)
……あの母親は……!
何度言ったら解るんだ! 家に男を連れてくるなって言うのに!
せっかく状態が安定して幸が出てきたのに、また引っ込んでしまった。明後日はクリスマスなのに……。
……家を出たほうがいいんじゃないの? あの母親のせいで不安定になってる感とかあるしさ。
【from 愛】
また愛が書いてる。インターバルもローテーションもめちゃくちゃだな。この大人数で、そして今頃交換日記なんてやってるのもおかしな話だが。携帯やパソコンがあるんだから、ネットの掲示板を使えばいいのに。
……「せっかく出てきたのに引っ込んでしまった」っていうのは、つまり『さき』は引きこもりか? 男を連れてきたから情緒不安定? 『さき』も男嫌いか? ……まったくわけがわからない。それに、肝心の『さき』が一向に日記を書く気配が無い。いつになったら書くんだ。
パラパラとページを捲り、『さき』が書いたページを探す。なかなか見つからず、ようやくそれらしいところを見つけたが、その次のページは白紙になっている。その日付は事故の前日、つまり今日から三日前だった。
H21:5:5(火)
やっと見つけた。有希さんのバイト先。
ここからはそんなに遠くない、結婚式場でウェイターやってるんだって。
行ったら、有希さんに会えるかなぁ? さきもそこでバイトしようかな? な〜んて、お母さんが許すわけないよね。
明日お昼御飯食べたら、ちょっとだけ行ってみよっ。有希さんは平日もバイトしてるってブログに書いてあったから、運が良ければ会えるよね?
楽しみだなぁ。。
【from 幸】
『有希さん』って……誰だ? 結婚式場でウェイターをしていると書いてあるが、まさか俺ではあるまい。俺にこんな可愛らしい知り合いはいない。『さき』は『有希さん』とどういう関係なんだろう? 読む限りでは憧れか、それに近いものを感じるが。
『有希さん』はブログをしているらしい。何の偶然か、俺もブログをやってはいるが。まさか俺ではあるまい。うん、まさかだよね。そうだよ。そんなわけ、ないよ。……そういえば、最近俺のブログに『幸』という名前でコメントがされていたような? ……まさか、俺では、あるまい……。
アリス
「ハァ、ハァ……二つの、肉まんが……こんにちわです……」
有希
「……」
さっきから荒々しい呼吸が耳元でうるさかったが、遂にアリスは変態を匂わせる発言を口から漏らした。……こいつは女なのに、なんで胸が当たっただけでこんな反応をするんだ? 俺がおかしいのか? 俺もアリスのが当たってはいるが、なんか全然気にならんぞ。こいつの方が男みたいだ。
とりあえず読むとこは読んだので、俺は日記を閉じて立ち上がろうとした。アリスの柔らかい二つの肉の感触が離れていくが、どうでもよかった。というか、肉を押し当てる&押し当てられる事で胸が圧迫されて呼吸がしづらい事に気付いたから、さっさと離れたかったのだ。
日記を片手に立ち上がりかけた次の瞬間、俺は後頭部に激烈な痛みを感じて気を失った。