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01 目覚め

 ……おいお前、説明してくれ。


 理解に苦しむこの状況を。


 一体、何がどうなったからこんなことが起こるんだ?


 俺は俺であって、他の誰でもない筈なんだ。


 ちょっと前まで俺は平均三時間睡眠の携帯小説大好き少年、いや、青年だったんだぞ?


 最近、海老嫌いを完全に克服したばかりなんだぞ?


 なのに、



 どうして……?



    ◆



「……ょうぶか!? おい! しっかりしろ!」


 肩を掴まれて身体がゆさゆさと揺さぶられる。それに伴って頭も左右に揺れ、後頭部がゴリゴリして結構痛い。枕の感触って、こんな暴力的だったっけ? それに……煩いなぁ、あと八分ぐらい寝かせろよ。毎日寝不足なんだから……。


 心の中でそう呟きながらも、後頭部の痛みと知らない男の低い声に、俺は目を開けた。どうやら道端で仰向けに倒れているらしく、灰色の曇った空と、知らない男の顔が視界に入った。男は二十代後半辺りだと思う。泥やセメントで汚れた群青色の作業着に、茶の斑模様の短い髪。縁無しの眼鏡をかけ、目つきは鋭いがあまり恐くは感じない。寧ろやわらかな笑顔が似合いそうだ。イケメンの部類に入るかもしれない(俺基準で)。


 目を覚ました俺を見て、男はホッと安堵の表情を浮かべながら眼鏡を押し上げた。


眼鏡

「ふぅ、良かった。どこか痛いところない?」


 どういう状況か解らなかったけど、そう訊ねられた俺は、首を横に振りながら周囲に目を向けた。強いて言えば、肩を揺すった時に地面をゴリゴリ転がった後頭部が痛い。


 某お笑い芸人の頬の表面みたいに凸凹した、車やバイクでは走りにくそうな道路。濃い潮風が肌を撫で、何隻もの(何漁かは判らない)小さな漁船が浮かんでいる青い海。そして、まるで人語を話さない宇宙人が送ってくる解読不能のメッセージすら受信する気満々なほどの巨大なパラボラアンテナが、遠く交差点の向こう側に見えた。


 ここは港町だ。ちょっとした賑わいを見せる都心のN市と、住宅街ばかりのU市との境目の海沿いの辺りであり、今いる現在地がどちらの住所に当てはまるのか、俺にはわからなかった。それどころか、付近にあるバイト先の住所さえも知り得ない。きっと他のバイト生達も同様であるだろう。バイト先の住所を紙面に書き記す必要性が今まで皆無だったからな。近くにある高校のそばに川が流れていたから恐らくそれが市境なのだとは思うのだが、根本的なところで全く以て興味無しだった。たぶんこれからもそうなのだろう。いやそこは興味持てよ、とセルフツッコミ。……んー、やっぱりツッコミは他人にしてもらった方がいいな。


 バイト以外でこんなところに私用なんて俺には無いわけで、この時間にここで倒れているってことはつまり、バイトが終わってこれから気合いを入れて帰ろうとハンドルを握った筈であって、昨日はバイト休みだったから今日は確実に水曜日で……水曜日だったっけ? てゆーか昨日ホントに休みだった? くそぅ、マジで海馬が逝ってしまってるかもしれん。高校時代と比べての記憶力と集中力の下げ幅の凄まじさ、これは今飲んでいる薬の副作用だろうか。それとも頭打って記憶が飛んだか?



 でも、なんで倒れてたんだろ? こんなゴツゴツした明らかに寝心地悪いところで、睡魔に身を委せられるほど疲れてはいなぃ……いゃすまん、訂正する。そういえばさっき、皿磨きしてる途中で立ったまま居眠りしそうになったばかりだった。果てしなく眠かったぜ。昨日は太陽が昇ってからようやく目を瞑ったんだ。時間で言うと、だいたい三十一時(午前七時)頃だったと記憶している。普段は十時に出勤するため、遅くても八時半にはウチの二階と三階の間の階段に座っている真っ赤なクマさんにおはようを言わなければならない訳だが、仕事があるというのにこういう危険な夜更かし癖は治らない。別に治そうとも思ってない。俺的に三大欲求の中で睡眠欲はそれほど大事じゃないからな。


眼鏡

「そっか。大事じゃなくて良かった。立てる?」


 これは……たぶん俺のモノローグに対しての言葉ではないだろう。『団長』と記された自作腕章を装備し、何かにつけて周囲にハリケーン並みの傍迷惑な被害を押し付ける女子高生の側で最初から最後まで親から貰った名前で呼ばれた事がないある小説の主人公とは無関係であって、返事は必ずカギカッコの中の台詞に由来する。まさかこの(小説の)世界に読心術を使うことが出来、その能力で他人の心の独白を覗こうとする輩はいない筈だから、その辺は安心してくれていいと思う。もしそんなやつがいたら……後で考えよ。そもそも絶対にいないとは言い切れない訳だけどな。ただ、考えたくないじゃないか、誰かに心を読まれてるかもしれないなんて。そんなやつは変態だ。そうに決まってる。



 有希(おれ)はズボンのベルト部分をなんとなく押さえながら自力で立ち上がり、バンパーが物凄く凹んだ軽トラックと、倒れた黄色いバイク「Let's 」を見た。


 ……ベルトの感触がいつもと違った気がしたが、たぶん気のせいだろ。


 軽トラは路肩に停まり、俺が乗っていたバイクは何故か中央分離帯を越えた反対側の歩道の植え込みに突っ込んでいる。バイクのフロント部分の黄色いカバーは事故の衝撃で外れ(元々壊れてた)、俺ともバイクとも離れた位置で、赤ちゃんを乗せていない揺りかごの如く寂しそうにその体を揺らしていた。ヘルメットはベルトの切れ端だけがブチ切れて、目の前に落ちていた。


 ……つまり、これは事故ったとみていいのか? 十八時十五分にバイト先を出たことはうっすらと記憶にあるような気がしてきたが、そこから先の記憶は空白でなにも思い出せない。同時になにか得体の知れない物足りなさを覚えた。そして、お腹の辺りをギュッと抱き締められるような感覚。



 ……???



 そういえば関係無いけど気絶してる間、なんか変な夢を見た気がする。ぜーんぜん思い出せないけど。


眼鏡

「一応今から救急車呼ぶから、病院で精密検査受けてみてね」

有希

「……?」


 この言葉を聴いて、俺の頭に一つの式が成立した。



救急車を呼ぶ=警察介入=メンドーな事情聴取。



 ……ダメ。絶対。そんなメンドーな事やってられないし、俺は早く帰りたいんだ。もうすぐ日が暮れる。今から病院行ったら、無意味な『様子見』のせいで退院は明後日辺りになってしまうだろう。ヤブ医者め、様子見ってなんなんだよ。それに、怪我や痛みは全くといっていいほど無い。っていうか、家帰って早く小説読みたいんだよ。まだ途中までしか読んでなかったし。長門の緊急脱出プログラムを起動させた後、キョンはいったいどうなるんだ? うわーめっちゃ気になる。よし、ここらでバシッと言ってやるか。


有希

「あ、あの……」


 ……言う割には弱々しい声。しょうがないさ、俺って人見知りするからな。メールの文面とか、ダンスをやるときはテンションがバリ高くなる。それを普段から出せればねぇ……って、大学の先生にはよく言われた。


 男は携帯を取り出しながら俺の顔を見た。


眼鏡

「ん? どうかした?」


 ……うん。俺はどうかしたようだ。なんだかおかしいぞ? 声と耳の、どちらかが。それとも、頭がおかしいのかな? それが一番あり得るから困る。


 自分で不思議に思いながらも、俺はきっぱりと言った。


有希

「あ、救急車、要らないです」


 アニメの少女キャラのような幼い高い声が、俺の台詞と重なった。イヤ、重なってはいなかった。その幼い声はどうやら俺の口から発せられたらしい。バス及びバリトン時々カウンターテナーの低音ボイスな俺だが、通常この時間帯はどうやっても裏声すら出ないのだ。朝の寝起き時はバリバリ出せる上に四オクターブぐらいになる。でも起きて二〜三時間したら徐々に声帯の筋肉がどうにかなってしまい、声が低くなっていくという仕組みらしい。そのため、今の時間帯の俺には絶対にあり得ない声域なわけ。到底無視出来ない大事件だが、ここは敢えて放っておこう。とにかく帰りたい。


有希

「すいません、ちょっと急いでるんで……」


 もちろん急いでなんかないがな。


 トテトテと倒れたバイクに駆け寄る。を、おかしいな。なんとなくだけど、身体が思うように動かない気がする。でも今はどうでもいい。とりあえず倒れたバイクのハンドルを握り、気合いを入れながらも軽くひょいっと起こそうとした。


有希

「えぃっ!」


 …………。


 あれっ、このバイクこんなに重かったっけ? 原付のくせに。てか今の掛け声は一体どういう事だ? 俺は口を開かなかった筈だし、俺はそういうキャラじゃねえぞ。


 俺の口から発せられた謎の掛け声と不自然な身体の調子に首を傾げながら、やっとの思いでバイクを押し上げ、歩道でスタンドを立てて一息つく。それからエンジンをかけようとした。セルは一昨年のとある夏の雨の日に盛大に滑って転んで壊れてしまい、全く反応しなくなってしまった。なので、キックペダルに足を乗せて全体重を掛けて思いっきりキックした。しかし、何度やってもかかる気配がない。それどころか事故の衝撃でバッテリーまでダメになったらしい。照明が消えてしまっていた。


眼鏡

「壊れてしまったみたいだね。急ぎの用なら送っていこうか?」


 いつの間にか後ろにいるし!? そして爽やかな微笑と夕陽に反射する眼鏡が眩しい。この人、工事現場的な格好してるのに、どうしてこんな素敵な笑顔が作れるんだろう? 毎朝お友達のミラーさん(鏡)に挨拶しているのか?



 んー、どーしよっかな? でも、バイクが無いと明日出勤出来なくなるじゃん。俺は歩きもバスも絶対に御免だ。この人、その辺どうにかしてくれるのかな? 加害者なんだからそのくらいは……。


 うーんうーん、と迷っている有希の姿を見て、男は「あぁ、」と声を上げて付け加えるように言った。


眼鏡

「脚なら弁償するし、それまでは俺のバイク貸してあげるよ」





 キラーン。



 ……今のは俺の目が輝いた音。


有希

「ほんとですか!?」


 またもや愛らしい幼い声が聴こえた。現金な響きを伴っている。


 む。俺、半端なく声高ぇ。マジでどういうことだ? 頭打ったか……?


眼鏡

「もし少しでも時間があるなら、今から取りに来る? 燃料代も全部こっちが出すよ」


 ……悪くねぇどころじゃねぇ。寧ろ疑ってしまいそうだ。いやいかんぞ有希! 人間信じる心を無くしたら終わりだ。でも、あぁーでもでも……どーすんのよ俺。オーディエンス使ってもいいかな? ってゆーかこいつも俺の声に疑問を抱いていないらしい。やはりおかしいぞ……?


有希

「あ、じゃぁ、お願いします」


 まぁいいや。ライフラインは三つとも取っておく事にする。とりあえずバイク借りて、身体の異変とその他のことはそれから家でゆっくり考えよ。

 あぁ……なんてこった……。


 車で移動中、車内で俺は気付いてしまった。偶然すれ違ったパトカーを見て慌ててシートベルトを締めた時、なんと! 俺の胸にベルトを挟む形で双丘が出現したのだ! 否、していた事に気付いたのだ! しかも、でかい。「爆」が付くレベルだ。大きさ的にはアレだ、ちっちゃいメロンパンとか長野県産のでっかい梨とか、そんぐらいかな。さっきから妙に肩が張るのは、そしてなんだかゆらゆらしてバランスが悪かったのは、更には下を向いても遮られて足が見えなかったのは全てコイツのせいだったのか。


 何故今まで気づかなかったのかと心底驚きながら、同時に危惧すべき場所がもう一ヶ所あることに気付いた。



 げっ……いやまさか、その、……無いの?



 俺は恐る恐る、隣で運転する男にバレないようにさりげなく自分の急所へ手を当てた。




 ムスコは、家出してしまっていた。




 嘗て無い絶望に滝の如き冷や汗。薄いシャツは完全に汗で濡れてしまっている。これは……ヤバいだろ。夢だろこれ。フィクションの世界じゃねえか。マジで? いやーヤバいでしょこれ。もっかい言うけどヤバいでしょこれ。


 俺は押し黙ったまま、とにかく目的地に着くのをひたすら待とうとして、ふと思った。


 今の俺は、女? なのか? 可愛いかな? ん? だとしたらコイツ、そんな女の子を自分の家に? えっ? てゆーかシャツの前破れてるし! しかも破れた場所が、き わ ど す ぎ る……! あ、まさかコイツ爽やかな笑顔で油断させといて、これから犯罪者になる予定とか? 婦女暴行? ……えっ? えぇっ!?……



    ◆



 ……なんてことはなかった。普通にバイクと鍵を差し出され、連絡先を訊かれ、壊れたバイクは此方で処理すると言われ、何故かスポーツドリンクまで買ってもらった。見たこと無いラベルのやつ。おいしかったよ? そして手を振られながら見事に送り出された。うん、まぁ、何事も無くて良かったけど……。



 借りたのは中型の単車GPZだった。ピッカピカだ。カウルが全部外されていて、見た目は新車のようにピッカピカだ(↑被った)。ただ、一つ二つ部品のメーカーが違う。走れるかどうかがまず不安だ。こんなの借りて大丈夫かな?


 俺は中免は持ってなかったけど、別に乗れないこともないのでそのまま運転した。全く問題なく走り出すGPZ。ほっほーぅ! 速い速いっ! やっぱバイクはこうでなきゃ! 俺のあの黄色いバイク、めちゃめちゃ古いからパワーが弱いんだよね。常に三十キロメートル毎時だ。それ以上出すとガソリンがエンジンの回転に間に合わず、空回りして逆に速度が落ちてしまう。上り坂なんかもっと大変で、時には押して歩くほどだった。


 こういう単車ってやつはあまり好きではないけど、今まで時速三十キロメートルが常だったからな。スピードが出せるというその一点だけで爽快MAX! ただ、信号待ちで停まる時なんか足が全く届かない。そのせいで何度も倒れそうになった。どーなってんだこりゃぁ。俺、こんなに足が短かったのかな? それとも女になって背が低くなったのか?



 ……これをあいつらに話したら、なんて言うかな? 同性になったことを喜ぶか、異性でなくなったことを悲しむか。そしてその逆も……。結局同じ事なのに、やっぱりそれぞれ違う反応するんだろな……。


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